ウェイラ・リタ。イリオスの師。
イリオスが彼女について問われると、いつだって思い出すのはあの日のこと。
「お前、名前は?」
「……イリオス……です」
「いい名前だ。お前は今から私の弟子だ。いいな?」
半ば通り魔的に、無理やり弟子にされたあの日のこと。
「何を」
「お前の目が気に入った。私と共に来い」
自分よりも十歳も年下の相手にあの対応。国が国なら、未成年者に手を出したとしてとっ捕まっておかしくはない。
しかし彼女は法にも国にも縛られない浮浪者。そして、強者であったので、それを気にすることはなかった。
「断る。あなたのような人は、ショタコンと言うのだと妹が言っていた。未成年者略取だ」
「ショタって年齢じゃねェだろテメェは。略取は、まァ……あー……おう」
「何も反論できていないじゃないか」
いや、やっぱりちょっと気にしていたかもしれない。当時のイリオスにはわからなかった。
「ク、ハハッ……いい反骨精神だ。ますます気に入ったぜ。もう一度言うぞ。私と来い」
「もう一度言います。断る」
「そうか」
ただやけに印象的だったのは、切り傷で塞がれた、彼女の潰れた左目で。
「じゃァ無理やり連れていくぜ」
「げふっ……!」
直後の腹を抉る激痛で意識を失ってしまったので、あまりその頃のことは覚えていないのだった。
「師匠の未来予知は、二種類あるんだ」
そんな過去を思い出しながら、イリオスはサンにウェイラの固有魔法を説明していた。
「二種類」
「うん。一つは、自分で制御できない予知。遥か未来に至るまで、大まかな出来事を予知することができる。ただし、こちらは任意で発動できない」
サンが世界を滅ぼす未来を見た、というのはおそらくこちらのこと。
彼女には伝えない補足を自分自身に加えて、彼は話を続ける。
「例えば、テロ行為だとか……大規模ダンジョンの発生を予知したこともあったかな。その全てを悉く当てて、未然に防いでいるんだ」
あの頃は、本当に大変だった。と、彼はまた二人旅を懐かしんだ。
毎日毎日、地獄のような鍛錬。頭の中に知識をひたすら叩き込まれ、体は限界まで追い込まれる。
その末にテロリストどもへの対応など、ふざけないで欲しい。
「ふーん……任意で発動できないならあんま怖くないな!」
───君が今追い込まれてる理由がまさしくこれなんだよ。
ほざいているサンに内心激しくなりつつ、フゥッと一呼吸。
サンはあまり心が強い方ではない。
ドラゴンだった頃について、主に彼女が話してくれたのは飯へ不満だったが、それを除いてもかなり辛かったのだろう、と。透けて見えるほどだった。
そんなサンに、「あなたは世界を滅ぼすから殺されそうになってます」などと、口が裂けても言えなかったのだ。
「それで、もう一つ。任意で発動できる方。これが師匠が主に使う未来予知だ」
「任意で……内容は違うの?」
「全然違う。まずこれは、一つ目と違って少し先の未来しか見通せない」
少し先という言葉に、サンは突っかかりを覚える。
「それって具体的にどのくらい?」
「具体的には、僕も……ただ、十秒前後だと思う」
最低限、一分以上先は見通せないはず。それは、彼女を一番近くで見ていたイリオスだから言えたことだ。
「多分じゃが、もう少し短いぞ。妾と戦っていた時から察するにのぉ」
「ムラがあるとかじゃね? とりあえず長めで見とこうぜ」
「ほぉ……なるほど、面白い考察だ。ヌシは頭が弱いが、馬鹿ではないのぉ」
確かに固有魔法は使用者本人でもわかっていないことが多い。
ソラでさえ、消費魔力にはムラがある。となると、予知時間には差があると考えるのが妥当。
さらに仮にそうでなかったとしても、ブラフで予知時間を意図的に変えている可能性も高い。
とにかく、「予知時間には差がある」と、「わからないから一旦長めに」というのはあながち的外れでもないのだ。
「そういうわけじゃな? サン」
「おう」
無論サンは、その一切を理解していない!
なんかよくわかんないけど褒められて嬉しいので、とりあえずそれっぽい顔をしているだけである!
「へへーん!」
彼女は頭が弱い上に馬鹿だったのだ。
「とにかく。師匠の予知魔法は主にこっち。右目の視界が数秒後から数十秒後の自分の視界を映します」
「自分の視界? 右目って、隠れてたけど」
「師匠の左目は魔道具なんだ。だから見える。予知魔法の発動や魔道具であることを悟られないために隠しているんだよ」
「本体だけでも強いくせに、抜かりないやつじゃのぉ」
ウェイラの強さはその肉体、そして魔法に未来予知もそうだが、その抜かりなさ。
使えるものならば銃だろうと魔道具だろうと、人の心だろうと利用する。サンをダンジョンに誘導したのも、それ故だ。
相手は未来で自分をも超える化け物。一分の反撃の余地も与えないつもりだった。
「師匠は常にこれを発動している。正直、我が師ながら頭がおかしいと思うよ」
単純に考えて情報量は二倍だが、それだけではない。
ウェイラの予知は改変可能な未来を見せる。彼女曰く、未来というものは収束しているものでないため、超高精度な演算によって最高確率を見せているだけ、とのことだが。
とにかく、未来を見た彼女の行動によって常時未来は変わっているはずなのだ。常人なら、その情報量に脳がオーバーヒートをかます。
それでいて読唇術を使い会話の先読みさえできるほどの精度なのだから、恐ろしい。
「固有魔法って、詠唱がないとできないんじゃないの? んな常時発動とかバカなことできんのか?」
「それは……」
「詠唱時点から一定時間その能力を得ているのだろう。珍しい形ではないのぉ」
実際、ソラの固有魔法もそのような具合だ。
「つまり、じゃ。予知中に奇襲は効かぬ。詠唱を途絶えさせるが吉じゃのぉ」
「もちろん師匠もそんなことわかってるから、全力で抵抗しますけどね……」
それを踏まえた上で、ソラは作戦を決めていた。
かなりサンの成長性に期待する形になるが、勝ち目はある。なにより、彼女自身に可能性を見た。
彼女は、サンはおそらく、この中で誰よりも特別なのだ。
「……なぁ。未来予知って、本当に隙がないのか?」
「……え?」
「む?」
そんなことを考えながらサンを見ていると、ふと彼女がそんなことを言ったので、二人揃って頓狂な声を出した。
「う、うん。そのはずだよ。師匠の未来予知は、そのままなら絶対当たる。それをあの肉体で使うから、基本的には隙がない……はず……」
「んー……そうかな……」
「なんじゃ? なにが気になっておる?」
サンはウンウンと首を捻る。ソラよりもほんのわずかばかりに大きい胸の前で腕を組みながら。
大事なことなのでもう一度伝えるが、その胸はソラよりもほんのわずかばかりに大きい程度だった。
「だって、あの人さ」
そして続く言葉に、ソラとイリオスは。
「……言われてみれば」
「やはりおヌシ、馬鹿ではないんだのぉ。目から鱗じゃ」
「へへ、そうだろ!」
おそらく、サンだからこそ見つけられた隙。
それが戦いに活かせるかは怪しいところだと、ソラは思案する。不確定要素は排除するべきだ。
一方、イリオスは。
「……」
「ご主人?」
「いや、なんでも。大丈夫だよ」
他の考えを巡らせていた。
「……ま、そんなところじゃのぉ! 作戦は今晩にでも共有しよう! ひとまず、昼休憩は終わりじゃ!」
「え。肉が残って」
「阿呆、それは保存用じゃ。今は食えん」
「そ、そんな」
サンが泣きそうな目で見てくるが、ソラは首を横に振る。
「ご、ご主人……」
「……ダメだ」
そのままの表情で縋ってくるサンの口に、イリオスは自分の分の肉を詰めてやった。
彼女は大いに喜んで、そのまま午後の訓練に向かった。
「調子良いんだから」
まあ彼女には笑顔がよく似合うから、暗い顔をしているよりいいんだけれど。
サンに伝えればまた蹴られそうな言葉だが、妹はこれで喜んでいたという経験から、イリオスはこの手の言葉がスルスルと出てきてしまう。
ソラとこの地下ダンジョンまで逃げてきて、最初の頃。あんな表情をさせておくよりも、ずっとずっと良かった。
「師匠……」
───あなたのせいですよ、まったく。一体今どこで、何をしているんですか。
イリオスはまだ。彼女への情を捨てきれていない。否、捨てれるはずがない。
あの時間は、確かに本物だったから。師弟愛を、無償の愛を与えられていたから。
「情けをかけるのなんて、強者だけの特権だぞ。か」
最初の頃。まだ魔物を殺せなかったサンに伝えた言葉。
情けなんて、今の自分にはかける余裕さえない。なんて情けない。
「……午後の訓練も頑張るか」
だったら、前に進まなくては。せめてその足を止めてしまわないように。
彼はまた、ダンジョンの中を歩き始めた。
一方、ソラとサンは場所を移していた。
「サンよ。昼飯の時に言ったことを覚えているか?」
「ん、えっと……今日の肉は香草と焼くことで香りを閉じ込めて」
「違う!」
まず飯なのかと、ソラはサンの脳天にチョップをかます。
特段威力はなく、レインやスノウの教育的指導にも重宝した小技だった。
「竜人の体を使いこなす練習だのぉ。とは言っても、こちらは日常生活で練習してもらうがな」
「……?」
「まあ、とりあえず……見せた方が早いかの」
ゆっくりと腰を低くするソラ。左手を前に出し、右手は腹の横。
完成された、きちんとした「武」の構えに、サンは少し慄いた。
「かかってこい。組み手じゃ。ヌシは身体強化魔法を使っても良いぞ」
「ぬしは、って……ソラは使わないのかよ。怪我するぞ」
「かかかっ! 青二才が、一丁前に妾の心配か?」
「腰痛くしちゃうだろ、おばあちゃんなんだから」
「おう、上等じゃ。昼飯全部吐き出させてやるからのぉ。覚悟しておけ」
それはそれとして、ここまで舐められるのはいただけない。
思い切り煽りを入れながら、サンは身体強化魔法と共に殴りかかる。
「ふむ、動きは悪くないのぉ。武の経験があるのか?」
「昔ちょっとやってたくらい!」
「うむ、なかなかだ。だが」
振りかぶった彼女の拳を、ソラは左手でいなし、右手を鳩尾に捻り入れる。
「っ、おっも……!?」
が、サンもそれは予想済み。同じく右手で拳を防ぎ、そのまま腕を起点に一回転。
一回転して、踵落とし。
「へっ!」
左手は伸び、右手は掴んだ。入る。
そう、確信した故の笑み。
「な」
それが崩れるのは早かった。
ソラは翼でサンの蹴りを防ぎ、そして。
「ほれ、詰みじゃ」
彼女の下顎を、尾で打つ。
「ぐぇ……う……?」
顎を打たれた彼女は脳みそが揺れ、動くことができなくなる。
───チンはなくなっているのにこっちの
くだらないことを考えながら、彼女はゆっくりと起き上がる。
「腕が、五本……?」
「そういうわけじゃ。竜人には相応の格闘術があるというわけじゃのぉ」
翼と尻尾。自由自在に使いこなせば、それぞれが腕として、手として機能する。
意識外からの攻撃。これがどれほどのアドバンテージを得るか。
「でも、格闘術とかそういう規模の戦いじゃなくね……?」
「阿呆、人間一人殺すのに大砲を持ち出すか? ただの一度でも、無力化さえできれば良い。……それに、あやつも相当弱っているはずだしのぉ」
ソラの必殺技。《ドラゴンブレス》。
無視していたが、あれは無傷で済むほど甘い技ではない。加えて、《輩殺しの刃》を刺される直前、尻尾で腹を穿ってやった。
魔法も使えず、決して軽傷でもなく。サンが強くなれば、殴り合いが成立する程度には弱体化しているはず。
「というわけでのぉ。基本的には筋トレじゃ筋トレ。筋肉は全てを解決するからのぉ」
「うわ、脳筋だ」
「何も詰まってないよりはマシじゃろ」
竜人の体だ。鍛えれば倍率は無類。何より、サンの潜在能力は高い。
「……ん? ……あ! 今俺のこと馬鹿にしたか!?」
「やはり阿呆だのぉ」
頭の方は才能が皆無だが。
イリオスの方も、少し鍛え直せば上の段階まで上がって来れるだろう。そこからさらに引き上げて、戦いを成立させる。
「とはいえ、ヌシの場合重り程度では効果が、のぉ。だから、じゃ。岩を削れ」
「岩を?」
「うむ。罠作りに必要だからの」
そのうち、温泉が発掘され次第イリオスにもやってもらう予定だが、これが一番効率がいい。
ウェイラをはめるための罠を作りながら、鍛錬にもなる。一挙両得なのだ。
「必殺技はいつ作るのさ」
「急くな。そうだのぉ……」
サンの体が出来上がるのはいつ頃か。おそらく。
「あの山くらい岩を運んだら、始めるかのぉ」
「……は?」
ソラが指刺したのは、決して小さくない山。
鍛錬でそのくらいの岩を砕いて、取って、そして運べ、と。ソラはそう言っている。
「何年後くらい?」
「一ヶ月以内」
───無理だろ。
そう言いたいが、できなければ死ぬだけだ。ソラは、目でそう伝えてきた。
「……わかったよ! やるよ! やれば良いんだろ!」
「うむ、その勢いじゃ! 来週には攻略したダンジョンがただの空洞になるからのぉ! そこから削るが良い!」
サンの遠く、先の見えない訓練が始まった。
◇
一日目。まずは岩を殴って砕く。そうして細かくしたそれらを運ぶ。
しかし、「それでは意味がないだろう」と最低限のサイズを決められてしまう。サン、絶望。昼飯と共に復活。
二日目。いい加減体の匂いが限界だった。川で水浴び。
どこからともなく現れたアニスが石鹸をくれたが、それはそれとしてアニスの性別はどちらなのだろう、と。次第によっては、グーで殴ることを決意した。
三日目。イリオスが水脈を発見。ソラの指示で、サンは温泉の発掘に協力。
途中、生き埋めになる。温泉開発は一時停止。
四日目。ソラの「早よぅ気付け」という助言を得て、イリオスが穴の側面を土魔法で固めることを提案。
これがなかなか理に適っている。魔法の練習になると同時に、穴を掘り進めることに成功。作業効率は大幅にアップ。ついでに、ふかふかの地面で休めるようになる。
サンはとても喜んでいた。
五日目。岩盤にぶち当たる。これがなかなか硬く、作業効率は大幅ダウン。
腕は常に鋭い痛みを発しており、まともに眠れもしない。
そんな中ぶち当たった壁に、少し心が抉れるのを感じた。
休憩時間にクミンに近い植物を発見。サンがイリオスに頼み込み、カレーの再現を実施。ソラ、虎の子の穀物を解放。米が底を尽きる。
その味は、お世辞にもカレーと呼べた代物ではなかった。それでもほんのわずかに、故郷を感じさせる味。
そんなカレーを、サンは食らった。泣きながら飯を食った。涙と汗で、塩味なんてほとんど感じなかった。尻尾ではうまくスプーンが扱えず、何度もこぼした。それでも、腹一杯食べた。
六日目。イリオスが不調。ソラの判断で、その日は休み。サンは一人訓練を続ける。
何も手応えがないどころか、訓練すらできない。ただ流れるだけの時間に、イリオスは焦りを覚える。
孤独な訓練へと逆戻りしたサン。一人で作業を続けていると、様々なことを考えてしまう。振り払うように、作業に没頭した。
途中、イリオスがソラの言いつけを破り訓練に戻る。止めなければと思いながらも、サンはそれが嬉しかった。
七日目。イリオスが完全復活。
そして、ついに。
「んっ……」
「サン、どうした?」
「いや、なんか……いま、おかしな音が……へぶっ!?」
顔面にお湯を受けるサン。それを拭いすらせず、イリオスと笑顔で顔を見合わせる。
「サン」
「おう!」
全力で岩盤を殴打。ヒビが入り始めた直後、サンがイリオスを抱えて飛行。直後、下から轟音が鳴り響き。
「あ、ごめんご主人間に合わなっ、どわぁああああっ!?」
「うおおおっ!?」
お湯に押し上げられる形で、サンとイリオスは地上……ダンジョンの中を地上というかはさておき、穴の外まで脱出した。
「うげ、へぶっ……!」
「大丈夫か、サン」
「っ、退けぃっ!! 少女漫画かっ!!」
「ごめんってば!! わざとじゃないの!!」
サンを押し倒す形になったイリオス。激痛が走る体に鞭打って、彼をことを持ち上げて退かした。
直後、目に映るのは噴出するお湯。口の周りを舐めるとほとんどは土の苦味だが、お湯はわずかにしょっぱい。
「っ……! やっ……!! たぁあああああああっ!!!」
ついに、温泉を掘り当てることに成功した。
「二人とも、よくやったのぉ!! 今日の訓練はもう終いじゃ!! あとは一日休むが良い!!」
「ってことは、つまり!!」
「うむ!!」
ソラは堂々と宣言する形で。
「風呂に入るぞ!!」
これでもかと迫真に休みを伝えた。