「ん……ぅ……」
修行開始から、わずか一ヶ月。
戦闘時間は、十分に満たない。
「あぁ、サン……目が覚めたんだね」
「ご主人……?」
ソラは魔力のほとんどを損耗。しばらくは空を飛ぶことさえできない。
イリオスは右肩の皮が裂け、全身に激しい打ち身。また、声が枯れたようにガラガラとおかしな音を出している。
サン。最も重症。腹部へ強い攻撃が加わったことにより内臓に傷、雷による火傷、裂傷。歯牙破折、他亀裂、打撲痕多数。
「っ、ウェイラは!?」
「もう大丈夫」
ウェイラ。左半身に軽度、広範囲の火傷。内臓機能の低下。回復の見込みあり。
「僕たちの勝ちだ。もう、大丈夫だよ」
イリオスの頭に置かれた手。それを幕切れに、戦いは静かに。雪解けのように決着した。
「っ……!」
「とは言っても、ほとんど情けをかけられた形だけどね」
照れ隠しに後ろ髪を掻きながら、イリオスはにっこりと笑いかける。
「私の負けだ。もうそいつは殺さねェよ」
「な」
「すまなかったと伝えておいてくれ。あばよ。……
それが、ウェイラの最後の言葉だった。
問い詰めようと走っても、彼女はすぐにどこかへ跳び去ってしまった。
「喜べん状況じゃのぉ……戦いは実質的に負けじゃ」
「でも、サンは生きてる。だから、僕の勝ちです」
「……ふっ。それもそうじゃの」
半年ぶりに再開した、師からの贈り物。勝利を噛み締めて、イリオスは手のひらいっぱいに守り抜いたものを感じていた。
「ご主人や。どうして俺は膝枕をされているのかな」
「しばらくは安静。魔法で冷やしてるから、そのままでいてね」
「またこんな感じかよぉ……」
イリオスの教えを無視して、サンはパッと起き上がり。
「ちょ、サン」
「もうほとんど治った。……あと、俺ウェイラを追いかける」
「え?」
「ほぉ」
そんなことを宣うので、イリオスは当惑を。ソラは興味を。それぞれ示す。
「本気かい? サン」
「だってまだ納得してないんだ」
「良いではないか。行け行け、そして決着をつけてこい」
「ん」
「煽らないでくださいソラさん!」
ソラはサンの目の中に、確信と決意を見。そして、任せることに決めた。
しかし、イリオスとしては賛成などできようはずもない。
百回戦ったら、百回負ける。あれはそういう戦いだった。
次ウェイラがサンを殺しにきたら、守り切れるかわからない。
「……殺されちゃうぞ。怖くないのか?」
「怖い。ご主人もついてきて。それならへーき」
「……大体、場所なんて」
「わたくしが案内いたしましょう」
背後から、胡散臭い声。
いつも通りニヤつきながら、アニスが登場する。
「わたくしは情報も売買するのでございますよ。きっちり料金はいただきますが、どうされます?」
「人の仲間を危険に巻き込むな。大体、なんでお前に師匠の居場所がわかる?」
「俺が払う」
「ちょ、サン!」
イリオスが肩に手を置くと、サンは振り返った。
その丸い猫のような目で真っ直ぐ視線を交わした。宝石のような瞳は、まるで吸い込まれるように純粋で。
「……ああ、もう。わかったよ。その代わり、危なくなったら強引に帰るからね」
「ありがと、ご主人」
「それでは、交渉成立でございますね!」
アニスは、パチン。と、手を叩いた。
彼、あるいは彼女。は、とある魔道具を差し出す。球体状のそれは中にわずかな赤い液体が入っており、それは重力に逆らってガラスに張り付いている。
「こちらは相手の血を利用し方向を示す魔道具にございます」
「ありがと、アニス」
「仕組みとしては血に対して回復魔法をかけることにより……と、行ってしまわれましたか」
サンは飛ぶ。魔窟の中を。この一ヶ月過ごしてきた、その場所を。
残りの魔力を絞って、捻り出して。傷の痛みに耐えながら。
「いた!」
ようやくウェイラに追いついたのは、魔窟を出た後。街中でのことだった。
「……いや、驚いた。この未来は見えなかったぜ」
ウェイラの未来予知は、すでに効果が切れている。
「何の用だ?」
「よくも殺そうとしてくれたなこのバーカッ! 年増! ゴリラ! アホ! マヌケ! ゴリラ! えっと……ゴリラッ!!」
「……」
「でも俺は生き残ったもんねマヌケ!! だから俺の勝ち!! 二度と図に乗るなよ!?」
ウェイラも、そしてイリオスも。白い目線を向けていた。
戦闘中の冷気よりも冷ややかなものを感じて、サンは咳き込み。
「ほんとはさ。勝ったらこう言ってやろうと思ってたんだ」
スン、と。冷静な目を向けた。
「俺が世界を滅ぼすとか知らねぇよ。俺何も悪いことしてないじゃん。元の世界と体に戻りたいだけなのに、ふざけんなって」
「……」
吐露した気持ちは、今でも変わらずサンの中を渦巻いている。
「あのままやってたら、多分俺たちが負けてた。殺されてたよ」
思い出すのは、最初の攻撃。
今回の戦闘ではない。それより、ずっと以前のもの。最初にダンジョンのはるか彼方にまでぶっ飛ばされた時の。
───ほォ、意外だな。土手っ腹に穴を開けたつもりだったんだが。
「未来予知があるんだろ? だったら、俺があれじゃ死なない未来くらい見えてた」
いつぞや、サンが未来予知の弱点。不完全さを指摘した、その出来事。
彼女は今。この戦いの決着をもって、確信した。あれは未来予知の不完全さなどではない。
「あんた最初から、俺を殺すつもりなんてなかったんだろ。ご主人を殺すこともできなかった。そんな覚悟なかった」
「っ……!」
「ただご主人に会いにきたけど、未来がわかっちゃったから。何もしないわけにもいかなくなっちゃったんだろ」
「ちょ、サン」
そんな傲慢。自分がそんなにも師に思われているだなんて傲慢、持てようはずもない。
「ご、ごめんなさい師匠。サンが変なことを」
というより、そんなこと言って鬼がキレぬかが心配だ。
火消しをしようと、卑屈な笑みを向ける。
「クッ……ハハッ……」
しかし。
「……あァ。そうかもな」
「え……」
彼女はずっと。たとえ世界と天秤にかけてさえ、イリオスのことだけを。
「な……」
「師弟は似るって言うし」
サンに対し、イリオスがそうしたように。
「だからってめっちゃ怖かったことは変わんねぇし!! 許してはやるけど!! 根に持ってやるんだからな!! バァーッカ!!」
口をいーっ、と広げて、舌を出しながらサンは逃げ帰った。
イリオスを、そしてウェイラを。気遣っての行動だった。
「……師匠」
「私は帰る。今度こそ、じゃあな。……せいぜい、長生きしろよ」
「あの、師匠!」
背を向けて行こうとするウェイラを、イリオスは引き止めた。
ウェイラはただの一度も、「またな」と言ってくれなかった。だからこのままでは、もう二度と会えない気がして。
「その、すみませんでした! いきなりなあなたの元を去って! ……まだ恩返しさえ……一つもできてないのに」
「いィよ。師匠なんてのはそんなもんだ」
わかっている。イリオスが少なからず、自分を師と認めてくれたことくらい。
それでも、自分は選ばれなかった。自分では彼に不足だったのだ。何かが。
もう、これ以上合わせる顔もない。半ばいじけたような。あるいは、罪悪感や無力感のような感情が、そこにあった。
「その、僕は実は……師匠のところを去ったのには、理由があって!!」
「……ん? いや、おい待て」
だから、次の言葉に振り返ってしまったのも。これはもう仕方ないことだろう。
「その理由は別に知ってるぞ?」
「え? でも師匠、なぜ何も言わずに私の元を去ったって……」
「そりゃ一番聞きてェのは「何も言わずに」の部分だ。あの手紙、読んだだろ?」
「手紙?」
何か、反応が妙だ。ウェイラは、イリオスの耳元に手を伸ばした。
一人前として認めた証である魔道具。それに触れて、一枚の封筒を取り出して。
「え……? これ、魔道具だったんですか……?」
周りにはふわりと、薔薇の香りが漂った。
「いや、言っただろう……私と同じものをくれてやるって……」
「その、見た目的な話かと……実際、銃はそうじゃないですか」
「そりゃ希少で用意できなかったから……つーかお前、弾はどうしたんだよ」
「え、こっちの大陸では手に入らなかったので……最初に込められてた六発分を……」
今回の戦闘で使わなかったのもそれが理由ですと付け足しながら、イリオスは滝のように汗を流した。
激怒した獅子が今すぐに自分を噛み殺してもおかしくないからだ。
「クッ……は、ハハッ……ハハハハハッ!!」
そんな予想に反して、ウェイラは笑った。可笑しさが抑えきれなくなったように笑った。
火の魔法を発動して、手紙を燃やした。
「あ、ちょ」
「いいんだ。小っ恥ずかしいんだよ、察しろ」
ウェイラは照れ隠しに、後ろ髪を掻く。
「どうやら私たちは、随分滑稽なすれ違いをしていたらしいな。なァ?」
「え、えっと……」
「ほら」
代わりにと言わんばかりに、一枚の紙を渡す。
そこに書かれているのは、固定型通信の魔道具。その配列、いわゆる電話番号のようなもので。
「たまには連絡しろ、馬鹿弟子。いくつになっても、私はお前が心配なんだ」
「は、はい」
「それと、もっと飯を食え。風邪引くなよ。また、そう遠くないうちに会いに来る」
選ばれなかった。救えなかった。
そんなのは、どうやら自分の勘違いで。不器用すぎるが故に起こった過ちで。
「《洞の瞳は戯言なり》」
まったく、その通りだ。
節穴にも程がある。こんな簡単な間違いにすら気づけなかったのだから。
「《往時に届かぬ、滂沱の傷痕を残すのみ》」
そんな思い込みで、勝手に傷ついて。
「《されど》……」
───《されど、我が光芒はここにあり》
小さな声で呟いた。イリオスを、白髪が混ざった髪に隠れた右目で見た。
「《この身を捧げ、守り抜こう》。《残された轍に、目を向けるため》」
固有魔法。《
言葉にはせずに。ほんのわずかな、先の未来を予見する。
「……」
イリオスの頭に、手を伸ばした。拒絶されないのだとわかって。
それでようやく、ゆっくりと手を置くことができた。
「生きていてくれて、ありがとう。愛弟子」
「……はい。師匠も、お変わりなく綺麗です」
「ハッ! 相変わらず、くっだらねぇおべっか使いやがって」
これは、本心です。そう言う未来が見えて、言われるよりも先に手を引いた。
「師匠……その、行ってしまうんですか?」
「あァ。私のやったことは犯罪に変わりねェ。最低限、この国じゃ指名手配犯だろうしな」
「もう少しだけ、一緒に……」
「ったく、寂しんぼが」
コツンと、額通しを合わせた。
「悪いな。故郷で、仲間が、弟子が、師匠が……みんなが、待ってるんだ」
時計のような紋様が刻まれた右目と、翠色の美しい左目。その両方と、至近距離で目が合った。
「心配するな。また、会える」
ウェイラはフッと笑った。
凶悪生物である彼女に似つかわしくない、少女のような明るい笑顔だった。
「すまなかったな、サン。次会う時は飯を奢るよ」
「ッ……!?」
こっそりと見守っていたことに当たり前のように気づいて、彼女はひらひらと手を振る。
「お前が世界を滅ぼすとはもう思わん。だがその時は、私が止めてやる」
「……おうよ。俺に殺されないように気をつけろよな」
「ク、ハハッ! ……あァ」
そうして、ウェイラは魔窟を。シーカスケイヴを去った。
「
次を約束して。
「終わったかの?」
「っ、ソラさん。追いついていたんですか」
「まあな。無事終わったようで何よりじゃ」
思っていたよりも、随分と綺麗な結末になったがの。
ソラは、少し嬉しそうに微笑んだ。
「はぁあああああああ……疲れたぁ!! 久々に人工物踏んだ!! 俺地面大好き!!」
「おう、おう、存分に味わえ」
「サン、ばっちぃよ。……連盟に、報告に行かないとですね」
「そうだのぉ。だがその前に、腹が減った」
飯の気配を察知して、ガバっとサンは起き上がる。
彼女とて疲労困憊の重症だったが、それはそれとして飯を食わない理由にはならなかったのだ。
「飯! 俺も飯食いたい!」
「ま、報告なんぞ後回しでいいじゃろ。祝勝会はよるにするとして、いったん腹ごしらえじゃ」
「絶対ダメだと思いますよ……?」
まるで先程までの殺し合いが嘘のように、朗らかな雰囲気で話していた。
爽やかな風が吹き、日は祝福するように燦爛と照っている。
「少しくらい良いではないか。おヌシらはそれだけ頑張った」
魔国、シーカスケイヴ。
魔窟。魔物の巣が存在する、その国で。ほんのわずかな、幸せのひとときを。
「ついて参れ。おすすめの飯屋があるんじゃよ」
この国に潜む魔に触れる、その時まで。
これで2章、師匠編は終わりです。
次話から3章に入ります。