イリオスたちがソラの依頼を受け入れ、数日。
「ふむ……ふむ、ふむ……おお!」
鏡の前で、サンはしきりに頭を回していた。
そして、ピタリと動きを止めて。
「生えたー!!」
ウェイラに殴られてすっぽ抜けたはずの犬歯を見て、グッと拳を作って喜びを表現する。
「見て、ご主人! ほら! ほれ!」
「わかった。わかったから」
イリオスは一瞬新たな扉を開きかけたが、すぐさまにそれを閉じた。
ともすると、妹の亡霊が閉じてくれたのかもしれない。くだらないことを考えながら、彼も包帯を取り替える。
「うん、僕の方も……まあ、もう問題なさそうかな」
「本当か……? 筋肉が千切れかけてたって」
「見た目ほど深い傷じゃなかったからね」
まだ傷跡は残るが、この分なら綺麗さっぱり消え去るだろう。
危うく、ウェイラには傷物にされるところだった。息を吐いて、口元を綻ばせる。
「そんじゃ、いよいよ……」
「うん、改めて。本格的に、魔窟の異常調査だね」
久方ぶりに装備を身につけ、探索の準備。
すっかり慣れ親しんだ光景で、サンも段々と詰まることもなくなっていた。
「スンスン……ぬぅ。やっぱまだ血の匂いがする……」
「流石の嗅覚だね……僕は気にならないけど」
「ご主人はインナー変えたじゃんかよぉ」
ブツクサと言いながら、一歩外へ。
そうすればそこはすでに、探索者に溢れていた。
「なんか……俺がイメージしてたファンタジー、そのまんまって感じ」
「この世界でも珍しい光景なんだけどね。……血気盛んなことだよ」
遠くで猫獣人の少女と黒い戦士が言い争っているのを傍目に、イリオスはサンの手に掴まる。サンは一直線に外へ。
人混みを掻き分けるよりも、空を行った方が早い。
初日は周囲に驚かれたが、今ではもう日常の一幕程度だ。
「おう、サン! イリオス! 来たか!」
「ソラ! おっはー!」
「おはようございます」
「どうじゃ、傷の方は?」
ご覧の通り。サンはポージングを決めて健康体をアピールした。
イリオスは相変わらずの困り顔だ。すっかり保護者役が板についてきている。
「……なんだか、懐かしいのぉ」
「ん?」
「いや、なんでもあらぬよ。それでは、改めて……本日より、魔窟の異常調査を開始する!」
高らかに宣言し、ソラはビッと振り向いて魔窟に向かう。
「気合い入ってるなぁ」
「当然じゃ! こう見えて、国の危機なのじゃぞ?」
「魔窟の侵食現象……それも、原因不明の大規模なものですもんね」
それにしては、随分と緊張感がない。いや、むしろ。
「活気があるような……?」
「ああ……それはほれ。あれじゃな」
指差して示されるのは、とあるポスター。それは、街中の至るところに貼られていて。
「生誕祭?」
「うむ。救国の英雄、その生誕を祝う祭りじゃ。別にお婆様の誕生日、というわけではないが」
ようはクリスマスみたいなもんか。
漂ってくるいい匂いに浮かれ、サンはぼんやりとそんなことを考えた。
実際の在り方はかなり違っていたが、心持ちとしては近いのだろう。
「毎年この通りでは祭りが行われてのぉ。出店がいつも出ておる」
「出店!」
尻尾をピンと立たせて、彼女は途端に興味を持ち始める。
しかし、イリオスの面持ちは明るくなく。
「それは、なんというか……こんなことを言ってはなんですが、随分腑抜けていますね。緊張感がない、というか……」
侵食現象は危険で恐ろしいもの。この世界を蝕む、一種の災害だ。
魔窟の侵食現象ともなれば、その危険性は計り知れない。だというのに。
「無論、不安はあるだろう。だがの」
「あ、ソラ様!」
「っと、おお! モルスの倅か! 大きくなったのぉ! ほぉれ!」
「うわぁ! あんま変わんねー!」
「いてこますぞ童ァ!!」
できる限り高く持ち上げてから、ソラは子供を地面におろした。
「ったく生意気なことだのぉ!」
「ソラ様、今年の生誕祭! 俺、親父の手伝いするんだ! だからさ、店にきてくれる?」
「うむ、もちろんじゃ!」
「よっしゃ!」
突然の出来事で、イリオスはぼんやりと子供を眺めるしかできない。
「なんかさ、侵食現象が起きてできないかもー、って……親父はそう言ってるんだ……」
「案ずるな! 妾がいつも通り、バッチリ解決してやるわ!」
「だよな! 頼んだぜ、《英雄》様!」
子供は、本当に何の心配もなく。疑う余地の一欠片さえもなく。
ただ、ソラならば解決してくれる。そう、純粋に信じていた。
「いつか俺も探索者になって! 手伝ってやるからさ! そん時までに好い人見つけろよな! じゃっ!」
「余計なお世話じゃど阿呆!! ……はぁ……すまんな、遮って」
「いえ」
「……見たじゃろう?」
何を。と、聞き返すつもりにはならない。
「皆、不安は感じている。だが、信じてくれているんじゃよ。だからこそ、それを示すように……こうして、明るく振る舞っているのじゃ」
「……」
あの少年が、全てを悟らせた。
決して恐怖が消えたわけではない。不安がないわけでもない。
ただ、《英雄》のために、守ろうと戦う探索者のために。笑顔だけは、絶やさないように。
「ごめんなさい」
「良い。……妾の一家は、皆《英雄》。故に、妾はここに生き場所を見出している」
ソラは足を止めて、街を見渡した。
「この国に生きる者全てが、妾にとっての。竜人としての誇りなのじゃ」
彼女は、強い想いを秘めた瞳を閉じて。
「ま、妾の代で一家は終わりかもしれんがのぉ! どうじゃ、サン。ヌシが帰れなければ、そのうち妾の次の《英雄》にでも」
「おっちゃん、焼き鳥ひとつ!」
「はいよ!」
「聞けい!」
いつの間にか軽食に興じていたサンを引きずって、魔窟まで向かった。
魔窟の周囲は探索者に溢れており、仮の拠点が設営されている。
「う……」
「大丈夫かい?」
「わり、ちょっと……」
数あるテントの一角からは血の匂いが漂っており、サンはそれに耐えきれずイリオスのマントにくるまった。
どれだけ良く取り繕おうと、これが紛れもない現状。現在の魔窟の様子である。
「……」
ウェイラとソラが開けた大穴は、すでに塞がれかけていた。
異常にダンジョンの一部が飛び出ている。
露出した部分では無数の魔物がうじゃうじゃと這い、食い合うその様子は不気味なことこの上ない。
水で溶けかけたかさぶたみたいだな。見て、サンはそんなことを考えた。
「というか、この音……」
「うむ。……今も、戦っている者たちがいる」
今なお、迷宮からは魔物が湧き出ており、それを放置すればいずれはそこまでダンジョンが広がる。
この国そのものがダンジョンに乗っ取られてしまわないように。何より、人が住まう場所に被害が出てしまわないように。探索者は皆、命懸けで戦っているのだ。
───きっともうすぐ、ソラ様が事態を解決してくださる。
どこかで、そんな声が聞こえた。
「……期待には応えてやらねばのぉ」
「ソラさん?」
ソラはてくてくと、まっすぐ歩いた。その先にはだんだんと、魔物の大群が見えてくる。
直線距離で向かえば激突は免れない。
内部に入れる探索者は、魔物たちを乗り越えられる一握り。それができなければ戦力外である。
「ウォロロロロロ……!!」
襲いかかって来た巨大な猫の魔物を前に、ソラは。
「道を」
手を差し出した。
「開けろ」
直線上に放たれる、真空の塊。圧力が全てを奪い取り、一番手前の魔物の体を貫いて、さらに奥。
魔窟まで、一本の道を作り出した。
「聞けぃ!! 皆の者!!」
大きな声だった。地平線を越えて遥か彼方まで通りそうな、爆発的な声。
「妾は《英雄》、ソラ・シーカー! これより侵食現象を収束させるべく、ダンジョンに乗り込む!」
その声は、戦場にいる者たちにもはっきりと届き。
「皆、よく戦った! よく耐えた! 今この場にいる、その全員が紛れもなく英雄である!!」
魔物たちでさえも、その動きを止めてしまうほどだった。
「国を! 家族を! 友を! 仲間を! 守るために戦え! 死んで誉を成すなど糞食らえじゃ!! 大義の名の下に、血脈を沸き立たせよ!! 腐ったバケモノどもを誅殺せよ!! 」
ビリビリと、戦場に声が響き渡った。
「戦え!!」
静寂は、すぐに戦闘音で打ち破られた。
だが、その言葉が。どれだけ希望となっただろう。原動力となっただろう。
「ま、こんなものかのぉ」
「すっげぇ……」
これが《英雄》の在り方だ。言葉ではなく、ここに示してみせた。
名演説も良いところ。この戦場で死人が出ない? そんなはずはない。
シニカルに、イリオスはそんなことを考える。だが、これが探索者の在り方。この国の在り方なのだろう。
「この程度の事態、いくらでもあったわ。妾が見事に解決してしんぜよう」
「《スター・トレイル》」
「《飢竜集雷拳》!!」
サンの電気を纏った刃が、空中の魔物に突き刺さる。直後、雷に撃たれ。
「俺たちも役に立つからな!」
「一刻も早く、事態を解決させましょう」
「……! うむ!」
それをもって、二人の決意を受け取ったソラは、ダンジョンの中へ入り駆け出した。
「この数日の間に、ある程度事前調査はしておる」
サンとイリオスの追従を確認しつつ、ソラは改めてこの数日。
その成果を報告するべく口を開く。
「その結果として、侵食現象は魔窟の西側。連盟支部の方面を中心に発生していることがわかったのぉ」
「西側を……」
「原因は未だ不明じゃ。妾と小娘の戦闘の影響かとも思ったが、おそらくそれも違うのぉ」
そも、ソラは侵食現象が発生してしまわないように気を遣いながら戦っていた。探索者への被害も同様だ。
驕れるほどの実力と実績を身につけたソラであるからこそ、それは違うと断じることができる。
「いくつかのダンジョンを攻略したが、様子としては普段以上。むしろ活気に満ち溢れているほどじゃったからな」
「なんだっけそれ。ダンジョンを下手に追い詰めるなー、みたいなやつ?」
「うむ、そうじゃ! よく勉強しておるのぉ」
ダンジョンの侵食条件の一つ。ダンジョンボスを追い詰め、死亡していない状態のままで放置する。
最後っ屁と言わんばかりに、彼らは侵食現象を発生させてくるのだ。もっとも、この場合ダンジョンは自然消滅することも少なくない。
しかしだからこそ、「今回の原因は違う」とソラは判断できる。
「というかさ、一個だけ質問いい?」
「許す」
「侵食現象が発生してるダンジョン全部攻略するんじゃダメなの?」
───サンらしい質問だなぁ。
と、イリオスは後ろ髪を掻く。
的を射ているけれど、それだけではうまくいかない。そうなっていない理由がある。
彼女はお世辞にも頭が良くはないが、この世界について知らないからこそフラットな目で見ることができる。
一見すると奇想天外にも思えるそれは、彼女の強みだろう。
しかし、今回は話が別。
「一度に大量のダンジョンを攻略すれば、そのダンジョンは崩壊する。そうするとどうなるか、わからぬか?」
「……あ……大惨事」
「その通り。魔窟が崩壊するんだよ」
小規模であればそれでもいい。
しかし、魔窟そのもので発生していると言って良いほど大規模な侵食。それをやってしまえば元も子もない。
「加えて、魔窟は特殊での……」
「特殊?」
「まあ、その辺の話は後でしてやる。今はとにかく、対処療法しかできることがないのぉ」
特に周囲に被害を与えるような、魔物を発生させる侵食。あるいは、広がりすぎたダンジョン。
それらを剪定して攻略しつつ、原因を探る。地道だが、それしかできることはない。
ソラにかかれば、ダンジョンそのものの攻略。ダンジョンボスの討伐など容易。
しかし今欲しいのは、侵食現象の大元のヒント。
「そもそも侵食現象ってさぁ……えぇと、なんだっけ。中で生き物がいっぱい死んだり、あと大量のダンジョン産魔道具とか生き物がずっといると起きたり……それと?」
「長期間、ダンジョンに生物が入らない。ダンジョンを崩壊させすぎ。その辺りが主な原因だね」
この条件を満たせば必ず発生する。と、いうわけではないが。この条件を満たしていなければ基本的に発生しない。
現代ではある程度侵食現象の発生を予測できるが、それがない時代は人に優しい世界ではなかった。
「そう、それじゃん。こんな一気に発生するのっておかしくね?」
「それは……」
「サンの言う通りじゃ」
質問に吃ったイリオスに変わって、ソラが話を引き継いだ。
「ダンジョンは、人為的に侵食現象を発生させることができる」
しかし続く言葉は、イリオスにとっても意外なもので。
「そんなことが、可能なんですか……?」
「なんじゃ、知らなかったのか? まあ、この数年では事例はあまり聞かぬからのぉ……無理もない。むしろ、知らぬ方が健全じゃ」
───若い探索者と話す機会が減った弊害のぉ。
ソラはババ臭く呟いた。
「……この数年、めっきり数を減らしてはいるが。ダンジョンの侵食現象を意図的に発生させようとする輩たちがいる」
目的は不明。
しかし、多くは魔道具だろうと予想されている。
一般に、大規模なダンジョン。そして、強力なダンジョンボスの方が、より性能の高い魔道具を落とす。
故に、意図的にダンジョンを拡大させ、よりレアな魔道具を手に入れようと画策する。そんな輩が、本気でいるのだ。
「ここまで大規模な侵食現象は、例が少ない。そして、その多くは……」
「人為的な……」
「うむ。妾は、今回の件もその一例だと踏んでおる」
それでなお「原因不明」とする理由は単純。
犯人が見つからないのもそうだが、手口がわからない。
中でダンジョン外の生物を殺しているのであれば、そもそも死骸は残る。外よりは消えやすいと言え、数日は形を保つはずだ。
魔道具も見つからず、内部に長期滞在している様子もなく。
ダンジョンボスも弱っていなければ、ダンジョンが崩壊しているようにも見えない。
「そこで、じゃ。イリオス」
「はい」
「《集中型感知魔法》の範囲を広げれるか? 精度は落ちて構わぬ。人間と他の生物の区別さえつけば良い」
ソラの言葉から目的と意図を察し、サンに運ばれたまま魔法を発動。
目を閉じて集中すれば、数キロ圏内の生物は探知することができた。情報量の嵐に胃がむせかえるようだが、うだうだ言っている場合ではない。
「っぷ……なん、とか。数キロ、程度なら」
「……ふむ。素晴らしいの」
それだけの射程で、それだけの情報量を脳で処理する。相当な集中力を要するだろう。その苦痛は計り知れない。
「これからやる作業は単純。見過ごせぬほどの規模となったダンジョンを攻略しながら、侵食発生件数が集中している付近で不審な人物を探す。同時に、他の要因も探る。良いな?」
「りょ、うかい……です……」
「ご主人、大丈夫?」
「このくらい、へいきさ」
心配もあるけれど、どうか自分のそばで嘔吐しないで欲しい。
そんな気持ちを込めての質問だったが、イリオスにはその余裕がないようで、サンは軽い絶望を感じていた。
「長期戦になるぞ。腹を括れ」
「……押忍」
「はい」
同時に、思う。
ここに至るまで、たくさんの人間の想いがあった。たくさんの戦い方があった。たくさんの願いがあった。
「……」
それを踏み躙ってまでダンジョンを暴走させ、侵食現象を発生させるような人間。
果たして自分は、そんな人間を許せるのか? 否、サンの疑問はそこではない。
「なんでそんなことできんだよ」
一体、何の意義が。大義があって、そんなことをできるのか。
「……ふざけやがって」
静かな。だけれども深い怒りが、彼女の中へ沈んでいった。