侵食現象の大元。その特定は、容易ではなかった。
「っぷ……う、ぉええっ……」
「ソラー、ご主人がギブ」
「ぬぅ……一度休憩と行こう」
そもそも、イリオスの《集中型感知魔法》は長持ちするものではなく。
そしてその範囲を広げた場合、彼には大きな負担がかかるのだ。
オリジナルの魔法であるとはいえ、ソラにも真似できない魔法ではない。
しかし脳のキャパシティは話が別。彼女は本来そこまで頭がいい方ではなく、脳の処理能力は低い。生きた時間と経験でそれを補っているだけだ。
また、ソラは実戦で戦力として必要となる。
故に、この魔法を最も効率的に運用するのならばイリオスに使わせることが求められるのだ。
「三時間か……長く保ったの。よくやった、今はしばし休め」
「いえ……まだ、まだ……二十分で、復帰します」
「わかった、三十分待とう」
イリオスの負担を減らすべく、無事なダンジョンには異常を感知するための魔道具を設置してある。
今の世界ではありふれた、侵食現象を感知する魔道具。
侵食現象の際、ダンジョン内の魔力量が大幅に増えることを利用している。
だが、感知出来るのはあくまで侵食現象のみ。その原因の特定には至らない。
念の為撮影の魔道具も設置はしているが、魔物にも反応してしまうため目ぼしい成果は得られていない。
「サン。今のうちに間引くぞ」
「あいわかった!」
イリオスがダウンすると、ソラとサンはダンジョンの攻略に向かう。
侵食現象による影響を可能な限り減らすため。実際、外部への影響はずいぶんマシになった。
探索者に余裕が生まれ、魔窟内に潜れる人間は大幅に増加。人海戦術で魔窟内の対処と原因究明にあたる。
事態は時間が経つほどに好転していった。
「むー……やっぱむっずいな、これ。なーソラ、コツとかねーの?」
「ない。練習あるのみじゃ」
「ぬぅ」
サンは修行の続き。
その成長曲線は衰えを見せず、今で尚順調に強くなっている。この調子なら、大きな戦力として数えれるだろう。
「っ……う……」
「おやおやイリオス殿、わたくしの助けが必要でございましょうか?」
「いま……よゆうが、ない……」
「……全く。仕方がございませんね」
イリオスの介抱はアニスが担当。
彼、もしくは彼女。は、ここのところ姿を見せていなかったが、イリオスの前でのみ現れるようになった。
曰く、怪我をしていたとのこと。
「……うむ。今日は一度拠点に戻るか」
数日ごとに、ソラたちは中継拠点に戻る。
ダンジョン内ではほとんど休息が取れず、ソラにとってそれは本来さしたる問題ではないが、魔窟においては話が別。
特に、侵食現象が発生している魔窟では。
「食事は……俺が……」
「あー良い良い。休んでおれ」
「はーいご主人は寝とこうなー」
強制的におみ足に脳天を打ち付けられ、イリオスは眠るように気絶する。
侵食現象の対処が始まってからは、よく見る光景である。
「なんでこう無理しようとするかね」
「
「ふーん……」
───ご主人も、色々あるんだなぁ。普段は完璧に見えるのに。
複雑な感情をごちゃ混ぜにしながら、サンはイリオスの髪をちょいちょいといじった。
髪質はしっかりとしていて、それが彼女にとっては少し意外に思えた。
「ほれ、あまり悪戯をしてやるな。飯の配膳を手伝うぞ」
「はーい」
侵食現象の縮小により、食糧を内部に運搬できるようになる。
臨時拠点は魔窟内の攻略済み、ダンジョンでなくなったスペースに位置させており、これはダンジョンに長時間人を留めて新たな侵食現象を起こさせないための対策だ。
「お、この前の娘さんじゃないか。探索者だったのか」
「あ、焼き鳥のおっちゃん。おっちゃんもか」
拠点では多くの探索者が集まっており、自然と知り合いも増えていく。
今意識を失ってはいるが、それはイリオスにとって満足な結果と言えた。自分以外にも、頼れる人間をこの世界に作って欲しかったから。
「ご主人、ご飯」
「……ん……ああ、そんな時間か」
サンの第一優先は食事である。だがそんな彼女も、イリオスが起きるのを待ってから飯を食う。
───彼と見上げる夜空なら、そこまで悪いものではない。それが食事をうまくする。
「……なんか勝手なナレーションをつけられた気がする」
「ん?」
ソラが心の中でそっと付け加えたモノローグを、サンは敏感に察知した。
と、これが現在の彼らの一幕。
魔窟における侵食現象。その対処にソラが当たってから、早二週間が経過していた。
「……長い、の」
収まらぬこの未曾有の事態。原因はおろか、手がかりすらない。
ただ時間と体力だけが浪費されていく。
いくら探索者が多いこの時代と言えど、人材は有限。この調子で侵食現象が続けばいずれは押し切られ、そして。
「ぬぅ……」
ここでソラの心に、初めて恐怖と焦りの色が浮かんだ。
「ソラ?」
「っ、おお。サンか」
しかし一方で、サンやイリオスのように、この極限で大きな成長を見せる者もしばしば。
何より、侵食現象が縮小しつつあるのも事実。希望の芽はある。言い聞かせるように頬を叩いて、前を向いた。
「どうした?」
「……えー、と……なんつーかな……」
「……?」
歯切れの悪いサンに、ソラは疑問符を浮かべる。
するとサンの脳天に立つアホ毛から、小さな手がにゅっと出てきて。
「やっはろババ上。会いにきた」
「……す、スノウ!?」
「人の頭に登んなよぉ……」
疲れ切った様子のサンとは対照的に、たいそう元気そうな様子のスノウ。
来ちゃった。とでも言いたげに、彼女はサンから降りてはにかんでみせた。
「なぜここにいる?」
「ババ上がぎっくり腰してないか心配で来た。もういい歳のくせに、元気そうで何より」
「どつきまわ……いや、待て」
なぜここにいる、という質問の意図はそこにない。
動機でなく、手段を問うているのだ。
いくら魔窟の侵食現象が縮小したとはいえ、ここは未だに危険地域。
つい先日噴火した活火山に足を踏み入れるようなもの。本来、人類が立ち入っていい領域ではない。
確かに、スノウは最低限戦える。強くはないが、自衛の力程度はある。
だが、それでもダンジョン攻略には実力不足。どうやって、ここまで。
「どうして魔窟に入れた?」
「ああ、そういうこと。背の高いジジイが連れてきてくれた」
「ジジイて」
「……そいつは」
直後。
「私だ」
スノウの後ろ。テントの入り口から顔を出したのは、白髪の老人。
「サン!! スノウを連れて奥へ行け!!」
「え」
「行け!!」
戦場よりもより威圧的な、そして感情的なソラの言葉。
ただならぬ気配を察知し、サンはまるで誘拐犯のようにスノウを抱えて外に走る。
「待て」
瞬間、老人の体は
「貴様は、動くな……!! そこで手を挙げておけ……!!」
それは喉元に突きつけられた刀によって制された。
腕はすでに二人の方へ伸びており、スノウを抱える紫電の目と視線が交錯する。
「……冗談だ。行くといい」
両手を挙げて、降参のポーズ。しかしソラは、そのまま薄皮まで首を切る。
「おい。言われた通りにしたぞ」
「動くなとも言っただろう」
───動かなくても、手を挙げろと言ったとして切った癖に。
要はただの嫌がらせ。それをわかって、老人は仕方ないと反論をやめた。
「早く言われた通りにしなくていいのか」
「っ……!」
サンは、テントを出た。老人の姿が見えなくなるその瞬間まで目を離せず。瞬きもできなかった。
目を閉じれば、次の瞬間にでも自分の真横にいそうな。そんな、無意識の恐怖から。
「……本当に、そっくりだな」
サンが立ち去り、老人は刀に手を当てる。
ググ、と力を込めればすぐに刀は砕け、ソラはこともなさげにそれを捨てた。
彼女にとって、武器はあくまで戦力を視覚的に表したに過ぎず。鍛え抜いたその身が真の武器である。
「随分手荒な歓迎じゃないか、ソラ」
「『トール』……! なんのつもりじゃ……!」
老人。トールはそれをわかって、今尚手を挙げていた。
それでもソラに余裕はなく、睨み合い。痺れを切らし、先に口を開いたのはトールの方。
「あの子はお前を案じていた。連れてくるには充分な理由だろう?」
「ふざけるな!! ここがどんな場所か、わかっているだろう!!」
魔窟の危険性は、再三語られた通り。
断じて「家族が心配だ」、程度の理由で入ってはいけない場所だ。
「それ以前に……貴様の隣に、あの子を置いておけると思うか……!?」
「……まだ私は、信用できないかね?」
「当たり前だろう……!」
ソラの生きてきた年数。それに由来する勘が、告げている。
この男は、絶対に危険だ。と。
トールの経歴について調べたこともあったがおかしな点もなく、それが逆にどうしようもない気味の悪さを曝け出している。
そして何よりに、十年前のとある事件。
「あの一件が理由か?」
「っ……?」
「ふ……そうか」
かと考えたが。それは、トールの思い違いだったらしい。
だとすれば、ほとんど第一印象。思い込みでトールを嫌っているということになる。
だが、ソラはその違和感に気づかなかった。否、気づかない。長年に渡り。
「二度とあの子たちに近寄るな。狸爺」
「そう噛みつくな、女狐。足踏みをしている癖に、口だけは一丁前か?」
「……」
見抜かれている。
ソラにとってそのこと自体は、そこまで意外でもなく。不快なものでもなく。
だが、お前が一連の出来事、その犯人だったとしても自分は驚かない。そんな思いから、ソラは一層目つきを鋭くする。
「私は助言のために来たんだよ」
「そうか。貴様から受け取る助言などない。妾の前から消え失せろ」
「ならば勝手に話すとしよう」
脅し程度に殴りかかったソラ。トールは、彼女の拳をかろうじていなし。
「お前のそばに犯人は現れるのか?」
「は……?」
一瞬の動揺。その隙をついて、トールは姿を消す。
「っ、待て貴様ッ!! 何を知っている!!」
「また会おう。ソラ」
まるで最初からその場にいなかったかのように、彼は綺麗さっぱりなくなった。
代わりに、ビュウ、と拭いた風が、テントの中に入り込んできて。
「……」
侵食現象の発生区域。
それを書き留めたノートが、まるで確かめろ、と言わんばかりに捲れていた。
「はぁ……! はぁ……! ここまで来りゃ、大丈夫だろ……!」
「サン、苦しい」
「っ、悪い」
スノウを抱えて、サンは走り抜いた。一刻も早く、トールのそばから離れるために。
「……ところで。ここに来たのはわざと?」
「え……?っ、いやそういうわけじゃ……!?」
無意識にか、あるいは本当にたまたまか。
ここまでくれば安全。あるいは、ここならば安心できる。そう思える場所まで走って、そこはイリオスのいるテントの前だった。
「……ババ上……迷惑だったかな」
「……違うよ。あれは俺たちを守ろうとしてくれたんだろ。そりゃ心配にはなっただろうけど、それは別にして嬉しいに決まってる」
「そうかな。……そうだといいな」
なんだ、存外子供っぽくて可愛らしいところもあるじゃないか。
スノウの手を握って、それから自分のことは棚に上げて、サンはテントの入り口を開けた。
「ごしゅじーん! たのもー!」
「っ、と。サン。人の部屋に入る前に必ず確認を……あれ? お客さん?」
ここでようやく、サンは一息つく。
もうあの男の姿は見えない。なぜあんなにもソラが焦っていたのかはわからないが、これでスノウも完全だろう、と。
「うん。スノウここまで来ちまったって」
「そりゃまた、随分無茶を……後ろのおじさんは?」
───《電撃ビリビリ拳》!
宣言する間もおかず、サンは即座に後ろへ拳を放った。
まとわりつくような、腐った粘液のような気色の悪い気配。先ほど感じたそれと、全く同一の。
「ふむ……まだ幼体か」
「っ……!」
トールは。受けることすらしなかった。
ただ、その拳がまるで地面を殴りつけたようにピタリと止まり。サンはその奥に、惑星そのもののような頑強なナニカをイメージさせられる。
「……」
チャージ全開。《ドラゴンブレス》の用意はできている。
本能が全力で警鐘を鳴らすほどの、バケモノ。目的も意図も不明。ソラが「信用できぬ男」と形容したのも、今なら納得がいく。
「……今は、いい。今は、まだ」
パッ。
と、サンの手を離して。トールは、彼女の横をゆっくりと通った。
「ふむ……」
「っ……!」
イリオスの顔を、まじまじと見つめる。
先日は興味なし。という様子だったが。その注目は、彼の手の甲に向かっていた。
「
ソラの時とは違い、急ぐこともなく。朝、トーストを作りにキッチンに向かうように。トールは去っていった。
「ふっ……あ、あの人は確か……」
「そう……なんかトールとかいう……よく知らねーやつ……」
「サン、おててが痛い」
「あ、ごめんな!?」
緊張のあまり、スノウに気を配る余裕がなかった。
思い切り振り回していたことを謝罪しながら、サンはスノウに回復魔法をかけ。
「なんだあいつ!! 意味深なことばっかり言って去りやがって!! ちょっとはなんか説明しろハゲ!!」
「言い過ぎ! 別に禿げてなかったし! フサフサだったよ!?」
そして、ブチギレる。
「お前みたいなやつ漫画だったら絶対人気出ないタイプだからな!!」
「ひ、酷いね!?」
「ここにスノウ連れてきたのもあいつだし!! 俺あいつ嫌い!!」
「サン、手が震えている。恐ろしかった?」
スノウに指摘され、サンは自らの手がブルブルと震えていることに気づいた。
「いや……」
子どもの前で、情けない。そう思い余った手で制したが、どうやらそれは恐怖ではなく。
「なんつーか……なんだろ」
もっと別の、ナニカだ。
◇
それから、少し経って。
「いだ、いだだだだだだ……! ごめん、ごめんババ上……! 私が悪かった……!」
「全くじゃ! 魔窟には近づくなと常々言い聞かせておるじゃろう!」
スノウはお仕置きを受けていた。
当然である。まだ十歳とはいえ、していいことと悪いことの分別はつかなければその子の身が危ない。
火に不用意に触れる子どもを放置してはおけないのだ。
「それに、じゃ! 知らない大人にはついていくなと言っておるじゃろう!?」
「あ、あの人は知っている! 連盟に登録もしてるし、何度か姿も見た!」
「口ごたえするな! あいつはそれよりタチが悪いんじゃ!」
「いたい! やめて! グリグリ! やめる! やめろ!」
折檻を終えて。
「とりあえず、今後の大体の指針を伝えようと思う」
ソラは話を本題に戻した。
「いや無理。無理無理。今の見せられてそんな急に真剣にはなれない」
が、それはサンによって遮られた。
「スノウは明日の補給部隊に預けて帰すから今は良い。……スノウ、レインは知っておるのか?」
「パパ上は忙しい。お友達の家に泊まると書き置きを残してきた。拇印も押してある。えっへん」
「ほーこーらーしーげーにーすーるーなー……!」
「いぃいふぁぁああいぃぃ……!」
とりあえず、大ごとにはならなさそうだ。
今から帰せば余計に危険。それならまあ、今晩くらいならいいだろう。
「二度とするなよ。今日だけ許してやる」
「ごめんなさい……」
そう判断して、ソラは仕方なく。
本当に仕方なくだが、スノウがここで一晩を明かすことを許可した。
「サン、今日は一緒に寝よう」
「え……んー、まあいいけど」
一応男だが、相手は十歳そこら。
ロリコンでもペドフィリアでもないサンのブツは一才の反応を示さない。もうなくなってしまっただけとも言う。
「オホン」
「サン、そろそろ」
「あい」
ソラの咳払いに乗じて、イリオスがサンを嗜める。
いよいよ今後の指針とやらを話すのかと、ジッとソラの話を聞く姿勢に入った。
「うむ……それでは、明日以降なんだがの」
トールの話から推察した、侵食現象を起こす犯人。
これがうまくいけば、明日の午前中にでもそいつが見つかる。
そんなソラの思惑を覆い隠すように、夜は更けて行った。