翌日の朝。
「サン。それに、スノウも。おはよう、よく眠れたかな?」
「おはよーご主人……ふぁ……」
「おはようイリオス。魔窟でも朝と夜が来るんだね。とても不思議。朝食は何を食べる?」
「パンとサラミ。それとスープ」
明らかにしんなりとしているサンを横目に、イリオスはカップに残ったコーヒーを飲み干した。
サンがそれを見てうげぇ、という顔をするので、彼はいつも通り砂糖のたっぷり入ったコーヒーを受け渡す。
「あー、甘い……脳みそに糖分が染みる……」
「……理解不能。コーヒが甘いわけない。あんなのは泥水と同じ。サンは大人」
「砂糖いっぱい入れてんのー」
最初のうちは強がってブラックで飲んでいたが、対ウェイラの訓練の辛さで彼女は強がりをやめた。その余裕がなくなったのだ。
「どれ」
「あ」
「ゔぇ……舌の上に不幸の味が広がっている……地面を舐めている気分……こんなのがおいしいわけない。サンは騙されている」
「うまいのに」
スノウとしては足りなかったようだが、サンのコーヒーは砂糖がスプーン二、三杯分は入っている。
彼女はこれがとても好きで、朝の燃料代わりにしているのだ。
じんわりと体が温まるのを感じながら、サンは溶け残った砂糖をスプーンで食べた。
「お嬢様には、こちらはいかが?」
「む、ホットミルク……こんなところで牛乳が手に入ったの? 保存も難しいハズ」
「お願いして、持ってきてもらったんだ。昨日の夕飯に使った余りでね」
イリオスとサンは探索者の中でも活躍はめぼしく、その手の融通は結構効く。
スノウは満足げにカップに口をつけ、その間にイリオスはサンに話しかけた。
「サン、眠いかい?」
「ん……昨日あんま寝れんかった……スノウにめっちゃ色々聞かれた……」
具体的にはダンジョン攻略のこと。ソラのこと。サン自身のこと。イリオスとの関係についてなど、諸々。
少し大人ぶりたいお年頃、スノウにとってサンの話は身近な未知に溢れていた。それは、とても彼女の心を踊らせたのだ。
「お疲れ様、サン」
「さんきゅ……朝飯多めにちょーだい」
「仰せの通りに」
コソコソと話す二人の様子を見て、スノウはむーっと頬を膨らませ。
「……朝から相引きなんて、いい度胸。しかも私の目の前で。既成事実。帰ってくるまでに噂を広めておく」
「やめんか」
構って欲しさに茶々を入れ始めたところを、ソラのチョップで止められる。
「ババ上! おはよう!」
「なぁにがおはようじゃ。反省しておるのか? まったく……」
「した。とてもした。だから攻略にも連れて行って欲しい」
「ダメじゃ」
───反省しとらんのぉ。
後でスノウへのお説教を確定させつつ、彼女の頭を撫でて肩に担いだ。
「っと、少し重くなったのぉ。今日の昼には迎えが来る。きちんとそこで帰るのじゃぞ」
「むぅ……はーい」
所謂、肩車の形。随分手慣れているように見えて、サンは幼い頃のスノウを幻視した。
そんな様子を見ていると、ソラはこちらを向いて。
「それより、昨日伝えたこと。覚えているな?」
「……はい」
「おゥ」
そんな彼女の言葉に、イリオスは半信半疑。サンは特に気にする様子もなく。それぞれ答える。
トールは信用できない男だが、行き詰まっているのも事実。
裏付けがないわけでもない。であれば、一度これを実行してみるのもやぶさかではない。
「うむ。それでは、飯を食ったら早速探索に行くぞ」
「押忍!」
そんな彼女の判断は、果たして。
◇
数時間後。三人は、ダンジョンの中を進んでいた。
「っぷ……う、ぐぅうう……!」
「ご主人、お水。よく冷やしてっから」
「ありがと、サン……」
イリオスの体調は相変わらず。
新たに《広域型探知魔法》と名付けたその魔法は、イリオスにとって大きな負担となる。
その分感知範囲は広く、ソラの五感による索敵をゆうに上回るほどだった。
「全く、末恐ろしい話じゃ」
サンに背中をさすられながら、肩を借りて一歩一歩前に進んでいく。
情けない姿だが、彼とて必死。見栄えに気を使う余裕などなかった。
「ごめんな、サン……この前は思い切り……」
「いいよ、もう気にしてない。あんまかかんなかったし」
以前イリオスは吐いた。情報量の限界だったのだ。
サンと対応は穏当もいいところ、慈愛に満ち溢れており。
───もぅ。お兄さまは、本当に仕方のないお兄さまです。
それが余計に、妹と重ねさせた。
「……」
一度だけ。彼女の名で、サンを読んでしまった、
サンは気にしていなかったようだが、それはイリオスの心を大きく蝕んだものだ。
「ほーれご主人、気張れっ。後もうちょい」
「ああ……ありがとな、サン」
頭痛を堪えて、目を閉じて。意識を第六感に向け続ける。
無論直感などではなく、魔法で感じることができるようになった新たな感覚に。
「……まだ見えぬか」
すでに攻略の開始からは数時間が経過している。
「そろそろ休憩しないとキツそうだな、ご主人……」
この作戦はダメだったか。ソラが己の失策を嘆いた、次の瞬間。
「……っ!」
イリオスの体が、跳ねた。
「ど、どしたご主人!? 吐くんか!? 『ハクナ・マタタ』!? 一回下ろすから」
「違うよ!!」
どこのライオンのキングだと言うツッコミもなく、イリオスは最高レベルに集中していた。
感知範囲、ギリギリのギリ。ほんの端奥に見えるのは、人間の形。
「サン、《僕を抱えて走れ》!」
「っ、あいよ空条承り太郎!!」
《命令》で急がせるほどの手がかり。
近づけば近づくほど、感知した人間のシルエットはより鮮明になっていく。
「ぐ、ぅ……!」
その場所は、イリオスとサンが次に現れるならここだろう、とあたりをつけていた場所。
ダンジョン内の同業者は大体の位置を把握しているし、発信機を持たせている。件の、攻略に際しての保険だ。
その発信機に、反応がない。つまり、この形は。
「っ……! サン! ソラさんに連絡!!」
「わかった!!」
「こいつは、絶対におかしい……!! でも、わかった! こいつが犯人だ!!」
サンとイリオスに対し、ソラは別行動を図っていた。
「っ……!! 来たか!!」
それも、ダンジョンのほとんど反対側で。
トールの残した言葉。ソラのそばに犯人が現れるのか。
その言葉を元に侵食が発生したダンジョンを見ると、傾向が掴めた。
「どうなっておる……!」
ソラたちの向かった場所周辺では。侵食現象が、あまり発生していない。
ランダムな事象に見えたそれは、実は規則性を持っていた。
なぜソラによって侵食現象の位置が変化するのか。それは簡単、警戒されているのだろう。
では、なぜその者はソラの向かう先がわかるのか。
その全てを、そソラは棚に上げた。仮説は必要なく、ただ必要なのは検証。
イリオスとサンには自分に伝えずダンジョン攻略を行うよう命じて、連絡が来れば即座に向かえるようにしていたのだ。
「サン、このダンジョンだ!」
「……」
「追いついた!」
そして、今。一同はここに会する。
「……あっちだ! いたぞ!」
イリオスは、《スター・トレイル》でサンを誘導。同時に、切り付ける。
それと同時に、ソラは風の魔法を展開した。
「貴様は、何者じゃぁあああああああ!!」
「っ……!」
ようやく露になった、犯人の姿。
「……は?」
それは。
「レイン……?」
スノウの父に。彼に、そっくりで。
次の瞬間、時間は止まった。止まったように、誰も動けなかった。
「あ、待っ……! クソッ!!」
次の瞬間、バリンと魔道具の割れる音がして。
その時にはすでに、レインの姿はそこになかった。
「どうなって、おる……」
そんなソラの声が、彼女自身の中で木霊する。
「今の、って……」
「レインじゃ……妾が見間違えるはずもない」
「そんな……」
サンとイリオスにも、そう見えていた。見えていたが、確信はしたくなかった。
「イリオス……間違いないのか? 本当に、今の男が犯人なのか?」
「……はい」
イリオスの《広域型感知魔法》に映ったのは、大量の魔物の反応が増え、そして消える様。
しばらく死体として残り、跡形もなく消えていく。あまりの不気味な光景に、彼は探知した瞬間鳥肌を立てた。
「どうなっておる……なぜ……なぜじゃ。レイン、なぜ……おヌシがかのようなことを、するはず……」
「……」
ソラの動揺も、無理もない。スノウ曰く、彼女たちの関係は数十年来のもの。
サンについてはスノウからこっそりと、かつてソラがレインから告白を受けた、と聞いている。
そんな恋人のような、親友のような、相棒のような相手。
それが、たくさんの命を奪いかねない犯罪行為の犯人だったなど。
「……すまぬ、イリオス。サン。せっかくの機会を無駄にした」
「いえ。……心中お察しします」
「次は、切る。両手足を落とす。話は、事情はそれから聞いてやる」
それでも、ソラの切り替えは早かった。
《英雄》であろうとする彼女の心が、血よりも濃い繋がりを絶つことさえ厭わせなかった。
「いや、おかしくね?」
サンの言葉があるまでは。
「何が可笑しい」
「いや、そうじゃねーよ。だってさ、レインって支部長だろ? こんな時間にいなくなってたら普通怪しいって」
「それは……その通りだが」
そんなもの、いくらでも言い訳はつく。あるいは、そういった魔道具を使っているか。
とにかく、それはソラにとって反証にはならない。
「スノウも言ってたじゃん。パパ上忙しそうだって」
「……だが」
「しかも、どーせこの後しばらくは現れないだろ。今まで会わなかったようにしてたってことは、戦って勝てるような実力もないんだろうし」
サンは特に言いづらさもなく。
「今から連盟行って本人に直接聞いてみよーぜ。やましいことあったらそれでわかんだろ」
あっけらかんと、そんなことを言ってのけた。
「それで犯人だったらそんとき考えればいいじゃん。まだ信じてやろーよ」
「……!」
サンの言葉には、裏表がなく。それが、妙にソラの心には突き刺さって。
「うむ……それも、そうじゃな。一度街へ戻ろう」
ほんの少しばかり、軽くなる。
イリオスがサンを好ましく思っているのは、きっとこんな理由だろう。
勝手に共感しながら、連盟へ戻るべく踵を返した。
◇
街へ戻ると、目に映る光景はまるでいつも通り。
侵食現象など何のことやら、と言わんばかりで。
「むぅ……もう少しいたかった」
「だ、め、だ。遊びじゃないんだよ」
「わかってる」
補給のついで、それからスノウを元いた場所に戻すためと偽って、ソラたちは魔窟を抜けた。
できれば、このまま足を進めずにいたい。そんなことを考えていると、存外早く連盟支部にはついてしまう。
「……サン。スノウの面倒を見ていてくれんかのぉ」
「……わかった」
「む。子供扱いしないで」
これから起きることは、ひょっとするとスノウにとっては酷かもしれない。
互いに言葉は交わさずとも感じ取って、ソラはスノウをサンに預けた。
「そう言うなって。そうだ、ウェイラと戦った時の話してやるよ」
「とても興味がある!」
サンの話をうんうんと聞き始めたスノウの姿を見て、ひとまずは安堵。
意を結するように、扉を開く。
「レイン! おるか!!」
そこには。
「ソラ。戻っていたのですね」
いつも通り。寸分も違わないレインの姿があった。
「……レインさん」
「おや、イリオス君も。少しお待ちください、お茶を淹れましょう」
「レイン、単刀直入に聞くぞ」
ソラの様子にただならぬものを感じたレインは、浮かした腰をそのまま椅子に下ろした。
聞く体制に入ったのを見て、ソラは口を開き。
「今から二時間前。ヌシはどこで、何をしていた?」
「この部屋で、仕事を。何人かがここを訪れています」
「……」
ソラはその発達した五感で、嘘を見抜くことができる。
彼の言葉に、偽りはなかった。
「今朝、ダンジョンの中でおヌシにそっくりな人間を見た。そやつに心当たりはあるか?」
「私に、そっくりな……? いえ。何かあったのですか?」
続く言葉にも、嘘はなく。
「一連の侵食現象に、おヌシは関わっているか?」
「対処という形でなら。それ以外の関わりを、一切持っていません」
両者の青い目が交錯し合い、そして。
「ふぅううううう……よ、よかったのじゃぁああああ……!」
ソラは、一気に脱力した。
「そ、ソラ? どうしたんですか?」
「育て方完っ全に間違えたかと思ったのじゃ……どう詫びれば良いのかと……!」
「何の話ですか!?」
「え、えぇと……」
体に力が入らなくなってしまったソラに変わって、イリオスは事情を説明する。
納得した。そう頷いて、レインは二人を座らせて茶を出した。
「なるほど……それはそれは、不気味な話ですね」
「うむ……正直な話をすると、おヌシが犯人だと思っていた。すまぬ」
頭を下げるソラにたじろぎながらも、レインは顎の下に手を当てる。
髭をざり、と撫でながらも、先程受けた説明を噛み砕いて。
「いくつか、奇妙な点がありますね」
彼なりに、解釈を伝える。
まずもって、ソラの行き先を把握しており、それを避けていたという点。
次に、魔物を無から作り出していたという点。
最後に、レインと同じ顔をしていたという点。
イリオスとソラの意見も、概ね一致。
その現実味がない不気味さに、三人はどこかゾッとするものを感じた。
「ま、十中八九魔道具じゃろ」
しかし、ソラはひとまずそう結論づけた。
だとすれば、色々と辻褄が合う。同じ姿をしているのも、サンのように姿を変える魔道具の影響かもしれない。
それだけの性能の魔道具を持っているのも、侵食現象を意図的に引き起こして性能を上げた、と考えれば辻褄が合う。
「あるいは、生き別れの兄弟とか」
「いや、それはないな。レインは妾が拾った。両親もすでに他界しておる」
「私はアレらを親と思っていませんよ。母親は貴女だけです」
レインは過去、両親からネグレクトを受けていた。
あまり記憶も定かではないが、とにかく兄弟が生まれるような家庭ではなかったのは確かだ。
「その親に対しておヌシは……」
「いえ、それは……」
「……僕、サンたちの様子を見てきますね」
思い出話に華を咲かせ始めたのを見て、イリオスは部屋を後にした。
ひとまずは、レインが犯人でなくてよかった。安堵しながら。
「サン。スノウ」
「あ、イリオス。ちょっと来て」
椅子に腰掛けて並び合う二人を見て、仲がいいな。と、微笑む。
手招きに従って、そちらへと少し駆け足で急いだ。
「……?」
サンは、見覚えのある球体を手に持っていた。
ウェイラを追いかけるために、アニスから買い取ったもの。サンはそれを、信じられないという様子で見つめていて。
「っ……」
嫌な予感がして。身体中から、冷や汗がどっと溢れた。
「サン!」
「サンがこれを取り出した。そしたら動かなくなった」
この人探しの魔道具の使用条件。一定量の血。
《スター・トレイル》に付着していたそれで、すでに条件は満たしている。
「どうした……? 何が見える」
球体の中には、血が浮いており。それが、持ち主の居場所の方向へへばりつく。
ちょうど、磁石に砂鉄が引き寄せられるように。
「……なぁ。ご主人」
球体の中では、
「……どういうことだろうな。これ……」
そのうちの一つは。レインのいる部屋を向いていた。