退屈な決着であった。
「う……」
そんな感想を胸中に、ダンジョンの壁をぶち抜き。風の魔法で、サンとイリオスを浮かせる。
多少、本気を出した程度でこの始末。なんの勝算があってここに来たのやら。
大方、スノウからのお願いだろう。楽観的にも程がある。
ソラの予想は、その大体が当たっていた。
「……まだ……だ」
唯一、見誤っていたものがあるとすれば。
「まだ、俺は負けてねぇぞ……! ソラぁ……!」
サンの諦めの悪さだろう。
「なんじゃ。意識があったのか」
雑に風魔法でそこら中に叩きつける。それだけで、サンは抵抗することさえできずに傷を増やすばかり。
「まだ……まだ……!」
「……なぜじゃ」
なぜ、そこで止まらない。そうも諦めが悪い。死んでしまう、人の身で。
恐怖もなく、敗北の予感さえなく。ただ、ソラは。少しばかり、狼狽えていた。
「……約束、した」
あちこち体が痛み、視界は狭窄して、心臓の鼓動が裂くように跳ね上がっている。
「お前を連れ戻すって、スノウと約束したから……!」
「何を酔っている」
冷徹に、冷酷に、冷笑した。
その程度の目的意識。所詮、出会ってあまり時間の経っていない赤の他人。
「物語のヒーローにでもなったつもりか?」
自分の知らない世界に来て。才能を持っており。命を賭けた戦いに身を投じ。
自分自身が主人公であるかのように陶酔して、無様を晒しているだけだ。
「……」
実際、その通りで。指摘されて、初めて自覚して。強い羞恥を覚えた。
「だからって、いい歳こいたおばさんが……悪役なんて、やるのも……褒められた、もんじゃ……ないでしょう……?」
「あ?」
何も言い返せないサンに変わって。イリオスが声を上げた。
英雄症候群であれば彼はサンより数年先輩。恥も矛盾も、とうの昔に切り捨てた。
「おヌシもか、イリオス」
二人して、まだ立ち上がってくる。これはソラからしても、完全に想定の範囲外。
だが、決着はとっくについた。であるから、別にだからどうという話でもない。
彼女の感情は、動かなかった。
「ご主人……」
「……この子はただ、あなたを想い。スノウを想い。己の現実的な力で無い頭を振り絞り、意地と根性であなたに声をかけている。最後の最後まで、取り戻そうと足掻いている」
「……」
「それをそんなちんけな言葉で切り捨てるなんて、僕がさせない」
少しばかり、話を聞いてやろうか。という気分に、ならないこともなかった。
いや、ずっとそうなのだ。できることならこのまま《デヴィジョンゼロ》を解除し、サンとイリオスに着いて行って、スノウにポカポカと殴られて。それでおしまいにしてやりたい。
けれど、そんなことはできなくって。だから少しばかり、彼らに期待していたのだ。
「……なぁ、ソラ」
自分と心を結んだ彼らなら、自分の本心を汲み取ってくれるのではないかと。
スノウのためと足掻く彼らなら、何か自分を動かせるだけの言葉を持つのではないかと。
弱いままでウェイラを打ち破った彼らなら、いつか自分を打ち倒せるのではないかと。
「お前の過去を見たよ。ちょっとだけ」
「……」
ああ。《デヴィジョンゼロ》は、そのように発動したか。どこか俯瞰的に、ぼんやりそんなことを考えた。
ソラの心は、動かなかった。
「お前が何に苦しんでたのかは。忘れてたってのがなんなのかは。なんとなく、わかった」
それでもサンは、淡々と言葉を続けて。
「多分、今回の出来事とそれは。無関係じゃないと思う」
彼女自身、なぜ自分がこんなにも必死になっているのかわからなかった。自分で言葉にして、やっとはっきりとわかったのだ。
スノウからのお願いだから。それだけではない。サンから見て、ソラが。
「お前が、苦しそうな顔してたから」
そんな、ソラのことを。
「お前のこと、助けたいんだ」
ああ。それが、自分の動機か。そうだ。助けてやりたくなったのだ。
ちっぽけでも弱くても小さくても幼くてもボロボロでも。尊大で強くて大きくて老齢していてきらきらと輝いた彼女を、無力なりに助けてやりたかったのだ。
「……助けたい?」
この世界に来て、流されるままに生きていた。
シェイプシフターと戦ったのは強制されて。イリオスと共に歩んだのも成り行きだ。ウェイラに狙われて、ソラから修行を受けたのも自分の意思決定の上ではない。このダンジョンに来たのも、スノウの言葉があったから。
そんな彼女の初めての、自由意志による誰かへの献身。それは。
「勘違いも甚だしい……!」
「……え」
ソラの怒髪天を衝くだけだったと言えよう。
「ほんのわずかばかり、妾の過去を知った程度で理解者ヅラか? 貴様は、その程度で……」
ソラの感情を、一言にして表すなら。期待外れ、だ。
「口だけは、達者なやつめ」
その怒りを、そのまま魔法に込めるように。彼女の体は、豪速で吹き飛ばされた。
「その程度の強さで、よくもまあ出来もしないことをいけしゃあしゃあと」
イリオスが止める様子はなかった。反応できなかったのか、あるいは何か意図があってか。彼は動かなかった。
「……」
一瞥して、サンの元へと飛び去る。
彼女は、訳がわからないと。驚いた顔をしていて。それが余計に、ソラを苛立たさせた。
「なあ? もう一度言ってみよ。お前は今、なんだ? 妾に憐憫を垂れ腐り、あまつさえ「助けたい」だと? おい、ガキ」
「っ、そ」
「
「ぐっ……」
加減はする。殺しはしない。ただ、死にたくなるほど痛めつけるだけだ。
肉体をではない。心の方を。
「なんじゃ、おい、聞いてやる。何を見た? 過去を通し、妾の何を理解した?」
「え」
「言え!!」
「……!」
ざわめくように、全身の産毛がぶわっと逆立った。ここでサンは初めて、ソラがキレていることに気づいた。
意味がわからないながらも、サンは。まだ、立ち向かうだけの意思は持っていた。
「お前……お前が、最初は奴隷で。だんだん大事な人ができてって。でも、みんな死んじゃったとこ」
「で?」
「……で、って……」
「で?」と聞かれても。それが全てだろう。
死別は辛い、そんなことはわかりきっている。
「質問を変えよう。おヌシは大事な者を喪ったことがあるのか?」
「……」
ある。とは、言い切れなかった。ないとも言えなかった。
前世で、たった一度味わった死別。その経験だけで、大切な人間の喪失を語れる気などしなかった。
「想像したことがあるのか? この世界に一人、取り残される恐怖など」
「げぶっ……!」
だから、彼女は。贖罪をするように、ソラの拳を受け入れた。
「たかだか十余年の生で。何がわかる!!」
突然の激情に、サンは自分の腹がキリキリと痛むのを感じた。
恐怖のせいなのか、怪我のせいなのか。もはや判別もつかなかった。
「おヌシもいずれ味わう恐怖だ。竜人の身ならば。イリオスとは寿命が違う。奴は、おヌシより先に逝くぞ」
「っ……!」
「考えたこともなかっただろう」
違う。考えないようにしていただけだ。思えば、竜人の寿命を聞いた頃からそうだった。
だって考えてしまえば、常に別れが頭の端に居座る。そんなのは、辛い。だから、考えなかった、
「その別れを。妾は何度、積み重ねたと思う?」
「……」
想像の余地に溢れすぎていて。想像もつかない。
数千年。一体、人にとっての何年分だ? 頭の悪いサンでは、計算することができなかった。
「もう一度、宣ってみよ。貴様は、なんだ? 何を理解したんだ? 興味がある、答えてみよ。なぁ」
「……え……あ……」
「吃るな。答えよ」
それとは無関係に。何も、言えなくって。
「……大事な人が、死んじゃったら……辛い、だろ……?」
「ガキが」
言い訳のように振り絞った言葉は。神経を逆撫でするだけだった。
情けなくって、悔しくって。それでも、ソラが苦しんでいる。そのことだけしか、わからなかった。
「貴様に、なぁ。貴様に、わかるか?」
ソラは。
「わからないだろう」
思い出していた。
「死にたくないと足掻いている貴様に!! 死を願う妾の気持ちなど!! わかるはずもないだろう!!」
彼女の、痛みを。
◇
自分の何かがおかしいと気付いたのは。八百歳を超えたあたりであった。
「逝ったか。ゼルキナ」
勇者との仲間にいた、もう一人の竜人。そやつがとうとう、死んだ頃。妾はかつてと変わらぬ姿のままだった。
老いることができないのは、理解していた。竜人は死の直前まで姿が変わらない。直前と言っても、四十年程度。そこで老化が始まる。
寿命は三百から八百歳。血に混ざった竜の種類で、大幅に寿命が変わる。
「妾も、もうすぐそちらに向かうよ」
遺骨は、空に撒いた。生まれつきの病により、ついぞ空を舞うことが能わなかった彼女の願いだった。
己の中で空を思い描いた。己の理想を飛び続けた。後悔はない。それが、彼女の最後の言葉だった。
「心地よいか? そっちの連中によろしくのぉ」
はらはらと溢れゆく灰燼が、景色の中に溶けてゆく。何度も、見た光景だった。
葬儀はつつがなくおこなった。あのセクハラクソジジイが死んだ時はひどく狼狽したものだが、いつのまにやら慣れている自分がいた。
「ふふ」
……慣れている自分が、恐ろしくてたまらなかった。
ふと、妾はいくつだったかと数えて。結構な時間がかかったが、八百を超えたあたりでやめた。
やけに妾の寿命は長いらしい。あり得なくはない範疇だが、そこで妙な違和感を覚えていたのもまた事実。考えないようにしていた。
それから、十年。二十年。三十年。
……百年。二百年が経っても、妾は老いなかった。
「あ、ソラ様! 今日はいい肉が入ってますよ!」
「……あ、おう。うむ」
馴染みの飯屋も、もう何度店主が変わったことか。
だというのに、妾は。あの日の幼い姿のまま、変わらずそこにあった。
老いない妾は不思議がられることはあっても、不気味がられることはなかった。その時ばかりは、英雄の称号に感謝した。
墓参りを済ませ、魔窟に潜り、飯屋に向かう。魔王封印の報酬に与えられた家で、夜を過ごす。その繰り返しの毎日。
「お暇を頂戴したく存じます」
ある日、使用人が入れ替わった。思えば、もう彼も数十年はこの家に勤めていたか。
「うむ。大義であった」
そう考えて、素直に受け入れて。ふと、前の使用人の顔を思い出した。
彼はまだ、生きているだろうか?
「……」
否だ。あの時点であやつは、六、七十歳。
しかしなんとなく気になって、問いただしてみると。
「なんと、お労しい」
彼は、なんだかとても優しい目になった。
「ソラ様。ソラ様、どうか。お聞きください」
幼い子供に接するように、彼は膝を折った。
「祖父は数十年前に空に向かわれました。父もです。父が亡くなってから、もう三十年は経つのです」
「……!」
まさか、その息子まで死んでいるなどとは露ほども思わず。ひどく、心がざわめいた。
「あなた様と私どもの命は、違うのでございます。あなた様が数年か、数ヶ月のように感じる数十年間で、私どもはあっという間に命を途絶えさせてしまいます」
涙ながらに語るそやつが、印象的だった。
「どうか、あなた様の孤独が終わりを迎えることを。私は草葉の陰から願っております」
その晩は一人で過ごした。
風の揺らぎが不愉快で、扉を閉め。入る月明かりが鬱陶しくて、カーテンを閉めた。
───あなた様と私どもの命は、違うのでございます。
……それでも、心のざわめきは取れなかった。
数日後、使用人……ラルクは死んだ。持病を患っていたらしい。
家を訪ねてわかったことだ。家族には、妾に伝えぬよう頼み込んでいたらしい。
奴は死期を悟り、自ら身を引いたのだ。どこか、野生の動物に近かった。
「ひどいことを言いおって。のぉ」
妾と他の者の命は違う。あまりにひどい言い様だ。
妾はただ、共に生きたいと願っていたというのに。「違う」の一言でねじ伏せられてしまう。
ずっとずっと、考えないようにしていた。考えないように、勤めた。
その、限界が訪れたのは。ゼルキナの息子が、老いた姿で現れた時だった。
「お久しぶりですね。ソラさん」
「な……あ……」
「ええ、ご覧の通りです。僕も、ついに」
妾が生まれてから。千二百年は、経っていただろうか。
「あなたは変わりませんね。ずっと、あの頃の姿のままだ。あなたは、僕の支えでしたよ」
「……」
「だからこそ、あなたのことが心残りだ」
認めざるを得ない、妾は。
「私にあなたがいたように。あなたと共に歩んでくれる誰かがいないことだけが、心残りだ」
妾は。
◇
そんな化け物にも、希望はあった。
「初めまして!」
ある時、国の外から来た男がいた。
国の、というか……いや、その頃はもう国になっていたんだったか。確か。
なんでも男は、この国まで出稼ぎに来た。まだ幼い自分でも、両親に充分な仕送りをするためにはここに来るしかなかったと。
「いやー、危なかったッスね! 死ぬとこっした!」
危なっかしくて、目が離せんかった。いや、本当に。溶岩に落ちかけた時とか、マジで。
……じゃが、そんな男だったからじゃろうか。俗世から距離を取り始めていた妾だったが、次第に引き込まれて行った。
「ソラぁ、最近俺に厳しくない……?」
「なーにを言っておる。置いていかれたくない、強くなりたいと言ったのはおヌシの方じゃろ」
「そうだけどさぁ」
いつからだったか、共にいるのが当たり前になった。人生に色がついたような気分だった。
……色づいたじゃなくて色ボケただけだろババアとかほざいてきた勇者の子孫は、魔窟送りじゃ。半泣きで帰ってきやがったのぉ。
まあ、ともかく。なぜあやつが、ペアがそんなにも必死だったかと言えば、魔王の復活への対抗じゃ。
勇者は、妾たちは、確かに魔王を封じた。魔窟によって。
しかし、それだけでは不十分だったのだろう。徐々に他のダンジョンを侵食し、その力を喰らって魔窟を侵食して行った。
「ダンジョンだけじゃない。魔道具で二重に封印しようと思うんだ」
だから、ペアのその案は。正直言って、かなり理想的だった。
「しかし、後世ではどうするんじゃ? 魔道具の力は無限ではないぞ」
「んー……周りのダンジョンの魔物から、吸収……だけだと、まずいなぁ。そうだ。魔窟に探索者を集めよう」
「ぬ?」
曰く、ダンジョンは永遠のものではない。だが、人間が出入りする限りは侵食が発生し、ダンジョンが増え続けるはず。
そのダンジョンに生まれた魔物を糧に、魔道具を発動し続ける。そんなものは不可能じゃ、と言おうとしたが。
「俺たちならできるよ。俺は頭使うから、ソラは魔王の足止めをお願い。頼むぜ、相棒」
数年後。再び、魔王封印の部隊。勇者パーティが組まれた。
妾とペアを筆頭に、勇者の子孫や隣国から訪れたエルフなど。数多の人間がいた。
なんだか、かつてのことを思い出して。少し、涙ぐんでしまったのだったか。
「はは、成功……どうよ、ソラ」
「ったく、おヌシは……本当、よく成長したわ」
犠牲はゼロ。見事に、魔王の再封印に成功した。
あやつはいつも予想外で妾を驚かせ、ついに不可能だと思っていた偉業まで成し遂げてみせた。なんと魅力的なのだろう。
……ひどい年下趣味だと笑われそうなものだが。あやつなら、良いと思った。
「のぉ、ペアよ。起きておるか」
「ん。どうしたの、ソラ、わっ」
「そ、そのな……!」
ずっとずっと、考えておったのじゃ。
「……お、おヌシが妾に惚れておったのはしっておるぞ……!?」
「……ば、バレてた?」
ゼルキナの子は、七百年生きた。ゼルキナは、八百年。
ならば、妾の子ならば?
「てっ、抵抗など考えるなよ……!? 妾に力で叶わぬのは知っておるじゃろ……!? こ……子種を寄越せ……!!」
「わぁ、なんて雰囲気のない……もうちょっと素敵なお誘いを受けたかったかな」
あるいは、妾と同じ時間を。
そんな企みは、すぐに途絶えた。
「……そん、な」
子を成せない。
「……すまない……すまない」
死という終わりを封じられた妾は、生という始まりを授けることもできない。
生まれ、死ぬ。当然の円環を封じられた妾は、もはや生き物と呼べるのだろうか?
「すまない、ペア……」
養子を迎え、ペアの死を見届け。その養子も、子を残せず死んだ。
「……皆、先に逝ってしまう」
その子の死を看取った翌日。固有魔法に目覚めた。