妾が目覚めた固有魔法。その発音は、『でゔぃじょんぜろ』。
不思議な言葉じゃった。知らない言葉のはずなのに、するりと意味が入ってくるような。
「つくづく、数奇な人生じゃ」
生まれながらに、そうだった。妾はおかしな言葉を、知らない言葉を扱う。
おかげで、言語習得には著しい障害があった。実際、勇者に教えられるまではきちんとした言葉が扱えなかったからのぉ。
『ソラ』という名前も、そう。これはきっと、妾であって妾でない何者かの記憶なのだろう。
前世。という、奴なのかも知れぬ。
とにかく、詠唱にしろ名前にしろ能力にしろ。固有魔法というものは、自分で決めることができるものではないらしい。
天からの贈り物といったところか。人ならざるもの、例えば、神であるとかがいて、そこから与えられたと考えても仕方ない。
「……そういう、魔法か」
だとすれば。神という奴は、随分意地が悪い存在だと思った。
妾が目覚めた固有魔法、《『でゔぃじょんぜろ』》。その能力は、二つ。
一つ。自分自身の複製を作る能力。二つ。己の体を、自由自在に変化させる能力。
「……」
前者はさておいて。すぐさまに、後者を使った。
いきなり老けては不気味だろう。徐々に、徐々に。少しずつ、老いて生きたい。願わくば、彼らと共に。
見た目だけのハリボテで、実際に妾が老いているわけではない。誤魔化しでしかなかったのだとしても、彼らと共に姿を変えたかった。
一つ目の能力の方は、イマイチ使い道がわからなかった。
しばらくの試行錯誤の上、もう一つの能力と併せて他者に成り替わることは可能だと判明した。
「……虚しいだけ、じゃな」
ペアの体を取らせ、抱きしめた。じゃが、その記憶は妾に還元される。あまり意味のない行為だった。
匂いも、音も、見た目も、暖かさも、その全てがまったく同じ。じゃが、中身が違う。中身は、妾じゃ。一人芝居の人形劇でしかない。
「解除」
どうせなら、死者を蘇らせる魔法でも与えてくれれば良いものを。こんな残火で暖を取れなど、随分な話ではないか。
「いつになったら老いれるのかのぉ」
結局使い所など特になく、強いて言うのなら妾自身が強くなった。
名の通り、際限のない力。自分自身のコピーに、さらに自分をコピーさせる。ねずみ算式に、無限に妾自身が増えていく。
今ならきっと、魔王も倒せる。圧倒することができる。そう、思った。
「……いや」
じゃが、やめた。
魔窟がこの国の財産になっていた、という理由もある。封印が強力で、上手く扱えば兵器になるというのもある。
しかし妾は、ただ。ペアが生きた証を、この世界から消したくなかったのじゃ。
「ソラ様!」
それから、百年ほど経った辺りで。隣国が侵攻してきた。
結果は圧倒。文字通り、一騎当千の戦力。なんの勝機を感じたのだと、思い切り蹴りを入れてやりたかった。
「……」
じゃが同時に、危険も感じた。自惚れるわけではないが、この国は妾に依りすぎている。
もし妾がいなかったならば、この国は敗北していたかも知れぬ。
「うむ」
ちょうど良い機会だと思った。
捨てよう。今に至るまでの、全てをリセットしよう。
妾は、自分の死を偽ることにした。寿命死として。
やり方は簡単じゃ。『でゔぃじょんぜろ』で自らの複製を作り、そやつを徐々に老いさせればいい。見た目だけだがの。
「子育てで忙しかった頃に比べれば、気が楽じゃのぉ」
妾は姿を隠した。国の奥地。山の上で、霞を食うような生活を続けた。
一度、本気で死ぬことも考えたが。強くなりすぎたこの身が、それを許さなかった。
百年ほど経って、ついに妾は妾を殺した。これで、完全に一人じゃ。
……正直な話をすると、疲れていた。人との関わりに。
彼らはすぐに死んでしまう。永年を生きる妾にとって、その別れは慣れるものだった。
けれども、辛いものは辛い。年を追うごとに、訪れる墓標の数が増える。
一体幾つの死屍累々の上で生きていかなければならない?
誰かを看取るのは、もう御免だった。
それに比べれば、孤独に生きる方がずいぶんマシじゃ。
随分マシ、だったが。ふとした瞬間に、絶望を感じる。
「うむ。随分、魔窟も成長したのぉ……大丈夫かあれ?」
例えば、国は数百年で滅びるとされている。シーカスケイヴは国として残ったが、政権の方はかなり移ろったのぉ。
あるいは、人類。何千年後かに滅んだって、おかしくはない。この世界は、常にダンジョンの脅威にさらされているのだから。
さらに言うのなら、この星。数十億から数百億の年月で、太陽に飲み込まれるのだと言う。それより早い段階で、人間が生きれる土地ではなくなる、とも。
そんな遥か未来の荒野で、妾は一人取り残されるのか? 孤独の身で、永遠に。
誰にも知られず、朽ちていくのか?
「っ、はぁ……! はぁ……!」
そんな悪夢を、よく見る。
恐ろしい。怖くて怖くて、仕方がない。一人、生き続けることが怖くて仕方がない。
考えるだけで、体から震えが止まらない。
「……あ。あー……いー……」
一人でいると、発声を忘れる。
「んん。良い天気じゃ。朝飯は何にしようか」
側から見れば狂ったように思えるかもしれないが、むしろ逆。正気を保つための作業だった。
「ふむ。繊細なコントロールはなかなか難しいのぉ」
「いいから早よぅはじけぃ。……次からガラスを使うのはやめておくか」
……最初は、一人だった。
「見ろ、これ! 双六と言うらしいぞ! なかなかに面白い遊びじゃないか!?」
「おま、街に出たのか!?」
「違わい! こんなところに迷い込むおかしな奴がおったんじゃ!」
「そろそろ拠点も変えねばかのぉ」
その次は、二人。
「見ろ、これ。トランプ? と言うらしい。はいからなもんじゃ」
「ふむぅ? なるほど、絵柄と数字がそれぞれあるのか」
「これはなんじゃ?」
「切り札というか意味らしいぞ?」
三人。
「しかしそうなると、もう少し人数が欲しいな」
四人。
五人、六人、七人、八人、九人、十人。
「……やめじゃ」
十五を超えて、ようやく。己の狂気に気付いた。
自分自身を使って、人と関わったような気分を味わう? よほど悩乱していなければ、そんなことを誰が思いつく。
「しずかじゃ」
真の恐怖は、『でゔぃじょんぜろ』を解除した後にあった。
しんとした静けさ。技を使い慣れることにより、複製体が得た記憶の還元をせき止めていた。
しかし魔法を解除したことにより、行き場をなくしたそれらが妾に詰め込まれる。頭がおかしくなりそうだった。
「だれか……だれか、おらぬか……?」
いつぶりにか、戸を開いた。
ふらりと、シーカスケイヴに。街に、向かった。山道を歩いた。
「だれ、か……」
妾の残った正気が、かろうじて姿を変えさせた。
模ったのは青い髪の少女、だったと思う。自分でもよく覚えていない。
「ね、ねぇ君!? 大丈夫!?」
ふらふらと歩いていると、一人の青年……女子が話しかけてきた。
「あ、あ……!」
何年振りかの、人との会話。
「……う、うああぁあああ……!」
涙が溢れて、何も話せなかった。
「うぁあああああああん!! あぁあああああああ!!」
「ど、どうしたのもー! 迷子!? おいで! お姉さんが一緒に探してあげる!」
『でゔぃじょんぜろ』の効果は弱まり、ツノと尾と翼が隠せなくなった。が、そんなことを気にしている余裕もなかった。
「この山は、天女様が住んでるんだよ」
「……」
迷子ではない、成人した立派なれでぃであると誤解を解いて。いや、解けなかったが。
とにかく、彼女は家に快く迎えてくれた。
「昔お父さんが崖から落っこちちゃった時に、助けてくれた人がいてね? その人は空を飛んで、麓まで送り届けてくれたんだって」
妾にとっては、懐かしい話じゃった。
お礼にと双六をくれた、あの者だろう。なぜあんなところにいたのかは、まだわかっていない。
「お父さん、ダンジョンの行商人やってたんだ。山の中にできたダンジョン……っていうデマに騙されてたらしいよ」
「間抜けめ……」
「あはは……あんまり否定はできないかも。天女様にも、おんなじこと言われたって」
当時は普通に失礼じゃったな、妾。拗らせていた中二病が再発しかけていたのだろう。
……まあ、間抜けは間抜けだし仕方あるまい。
「艶のある黒い髪と、透き通るような肌。ちっちゃいけど、とっても美しい女性だったって。初恋だったらしいよ。お母さんに似てるって言ったらぶん殴られてた」
「ふふ……」
「あ、やっと笑った」
久方振りの人との会話は、楽しかった。
楽しかった、が。気付きたくないことに、気付いてしまった。
「……待て。今のは、おヌシの父の話なのか?」
「え? う、うん。というか、その話し方続けるの……?」
人の寿命は、何年だったろうか。
「それは……いつの、話じゃ?」
「え? うーん……三十年くらい前だったかな?」
「っ……!」
───たった、それだけ?
その時の、率直な感想じゃった。
三十年。たったの、三十年。あの悠久にも思える孤独の日々が、ほんのそれだけしか経過していない。
一体何度月が沈み、日が登ったと思っている? どれだけの時間、恐怖に孤独なまま耐えたと思っている?
「う……っ……!」
皆が死んだ後。どれだけの間、その状態が続く?
妾は。どれだけ、孤独に耐えればいい?
「大丈夫?」
「……あ、あ……大丈夫、じゃ」
「……よし! おいで! 今日はおねーさんの家に泊めてあげる!」
「え……」
よほど、ひどい顔をしていたのだろう。女子は、妾を家に泊めると言い出した。
「そんな顔してたらほっとけないよ。帰るお家、ないんでしょ?」
「いや、妾は……」
誰の返事もない荒屋を。帰る家と、呼べるだろうか?
「……うむ。ありがとう」
「それでよし!」
ただの、現実逃避じゃ。それだけに過ぎない。
……だが、人は現実から逃げて生きている。皆そうじゃ。皆、何かに縋って生きている。
「私、シード! 君は?」
「……ソ……いや。『スカイ』……スイ。スイ、じゃ」
「スイ? 変わった名前!」
妾は……人に、縋りたくなった。
それからの数十年間は、色付いていた。
「スイ! 明日魔窟に行くよ!」
「は? おま、正気か?」
「んー? ビビってるのかなぁ?」
「《ドラゴンブレ」
「ぎゃー!? ストップストップ!! ごめんね!?」
あやつも魔窟で行商人を始めたらしい。妾は、その護衛を生業とした。
昔は魔窟に潜る人間など、自殺志願者か英雄志願者程度のものだったが。今は違うらしい。
全ての探索者の憧れ、何より生きるための金脈。
ペアの残した全てがこの国を豊かにしたと知って。なんだか、誇らしかった。
「だからって行商人を下に見過ぎだと思うの!」
「はいはい、そうじゃのぉ」
「思ってなーい!」
美しい日々じゃった。
「おヌシ、結婚はしないのか?」
「うぇ、えぇえええ!? いやぁ、私はそのぉ……そういうのは向いてないってゆーかー……」
「おぉい! そこのおヌシ! そう、おヌシじゃ! こやつがおヌシをな」
「わ、わきゃー!? ふぁ、《ファイアボール》!! あぁ!? ごめんなさい!?」
勇者たちといた頃。ペアたちといた頃。今までの出会いの、全てを思い出した。
「ふむ、結婚か。……認めんぞ!! まずはおててを繋ぐところから始めるが良い!」
「……え、えぇと」
「もう、その段階ではないというか……」
「……おま、おめでたか!? おめでたなのか!? ふざけるなそんなもん妾は絶対認めんぞまずは数年間は適切な距離を置いて」
「違うっての!! し、静かにしろって感じの《ファイアボール》!!」
妾にはできなかったが。孫を見ているような気分だった。
「こ、こうなれば……かかってこい!! 妾を打ち倒して見せよ!!」
「もー! なんでスイはいっつもそんな感じなの!!」
……孤独に過ごしていた時とは違い。あっという間に時間が過ぎて行った。
「よくやった! よくやったシード! 見ろ! 元気な女の子じゃ!! 可憐じゃのぉ!! おぉ……!」
「ふ、ふふ……なんでスイが泣くの……」
まるで、本当の家族のようで。
「私も、そろそろ引退かな」
「お母さん、もう歳だもんね」
「こーら、母親にそんなことを言うんじゃありません。スイにはもっと言っちゃダメだよ」
「だってさ、スイおばさん」
「《ドラゴンブレ」
その縁に、妾も入れてもらえたようで。
普通の、人間に戻れた気がした。人間になれた気がした。
「今度、結婚するらしいよ。あの子」
「ま、まじか!? はっやいのぉ!?」
「スイも好い人見つけなよ」
「やかましい!」
……そう、その時間は。本当に、あっという間で。
「スイ……お母さんが、最後に話したいって」
「……う、む」
光のように、駆け抜けて行って。
「スイ……そこに、いる?」
「……おう。おる。おるよ、シード」
「ふ、ふふ……相変わらず、私より……おばさんみたいな、喋り方……するんだね」
どれだけ大切にしても。手のひらから溢れて行ってしまう、蛍火だった。
「……ねぇ。天女様」
「な……!?」
「気付いてないと思ったの……? バレバレだよ……」
どうやって気付いたのやら。シードは、妾の正体に気付いていたらしい。
いつからだ、と問うてみると。
「最初……わー、って、泣いてた時かな……お父さんが、言ってたの……その人は、すっごく寂しそうな顔してて……ほっとけなくて……けど、もう会えなかった、って……」
「……そう、か」
なぜ、言ってくれなかった。そう、聞いたら。
「だって、スイ……ううん。ソラ……ソラ様、なんだよね。ずっと、辛そうな顔、してたから……」
「……それ、は」
「ごめんね……私じゃ、間に合わなかったみたい……」
間に合わなかった。って、何が。
「ソラの不老を、無くしてあげたかった……だから、魔道具を探したくて……行商人、に……」
「っ……!」
「まあ、最近は……ずっと研究、ばかりだったけど」
何やら、コソコソしているのは知っていた。じゃが、そんなものだとは……夢にも、思わなんだ。
「ごめんね……私は、早過ぎたみたい……せめてもう、十年……百年……ううん……できることなら、もっといっぱい……一緒に、生きて、あげたかったなぁ」
「それは、そうだろう……できることなら、皆、生きたいに……」
「死ぬのは、怖くはないよ」
死ぬのが怖くない。皆、死のきわにはそう言う。
勇者も、ペアも、ゼルキナも、その子孫も。
「たくさんの人に恵まれた。後悔のないように駆け抜けた。けれど……やっぱり君のことだけが、心残りだなぁ」
皆、口を揃えてこう言うのだ。
「ごめんね……先に、こんなにおばさんになっちゃって……」
「……かかかっ……妾から見れば、まだまだ小娘じゃ」
強がって見せたと言うに。あやつは、それも見透かして。
「先に逝っちゃう私を、許してね」
「おい……おい、やめろ……」
優しく、孫に接するように撫でられて。子供のように、ポロポロと涙が溢れてきた。
「……ね、お願い……」
「やめろ……! やめろ……!」
耳が腐るほど、聞いたセリフ。
「生きてね……スイ……私がいなくても、元気でやるんだよ……?」
「……」
それを聞いて、妾は。
「おうともよ……! 約束じゃ……!」
いつも、強がって。安心させて、逝かせてやろうと努めて。
「できれば、子供たちのこと……たまに、見てあげて……幸せ、に……」
「……おう……!」
シードはその晩、死んだ。
妾は、再び英雄になった。理由は、自分でもわからない。
……彼女の子らに頼み込み、シードの名を使った理由など。自分でも、わかるはずがない。
それからまた、数百年が経つ。出会いと、別れを繰り返す。その毎日。
妾の選択肢は、二つ。
あっという間に過ぎ去る、たくさんの苦痛を味わい続けるか。
無限にも感じられる、地獄のような孤独を味わうか。
「……約束、じゃからな」
シードの子孫が途絶えるあたりで、妾は再び老いたふりをした。
再び別人になり代わり。今度は、元通りのソラの名を名乗った。
……もう、孤独でいたくなかった。二つの痛みを比べて、どちらかと言うとマシな方を選んだ。それだけの話じゃ。
ただ、惰性と義務感で生きる毎日。うっすらとした人との繋がり。雨漏りで喉を潤すように暮らしていく。
「……む?」
そんな日々が変わったのは。おヌシと出会ってからじゃったのぉ。
「なんじゃ、ガキ」
「ごはんください」
レイン。