TS従魔のダンジョン攻略記!   作:おにっく

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解離の始まり(Division:ZERO)

 不老の解除の研究。などと言っても、最初の頃は、それはそれは愚直なものじゃった。

 

「なー、レインや……妾もう頭痛くなってきたんじゃが……」

「では、ソラ様はおやすみ下さい。私はもう少し文献を調べてきます」

 

 不老の秘宝。秘術。伝説。あるいは、生物学。医学。そんなものを片っ端から調べ上げていく、終わりの見えない戦い。

 そのほとんどは信ぴょう性に欠けるもので、あまり意味のある作業とは思えなかった。

 

「レイン、おヌシも少しは」

「いえ。私に休んでいる暇はありません。睡眠と食事を削れば、二倍の時間は使えます」

「……」

「単純計算で、五十年が百年分です。それだけの時間があれ、ばぁっ!? なんですかソラ様!? 結婚ですか!?」

「違うわ、ど阿呆」

 

 それでも諦めずに続けるレインが、どうにも危なっかしくてのぉ。

 

「おヌシが死んだら、意味がないだろうが……少しは休め……」

「……では、この棚の後にお食事をいただきます。脳に文献を保存すれば、食事中でも考察が進む」

 

 著しい記憶力。幼いながらおヌシが才を発揮していたのも、妾の嘘に気づいたのも、それが理由だろう。

 同時に、残酷なことだとも思った。弟の腐臭も、肉が崩れ落ちていく様子も、おヌシは余す所なく記憶してしまうのだから。

 

 しかし、おヌシは。

 

「ソラ様との時間が、私の幸福を彩ります。故に、私はあなたを好きになったのです」

 

 強かった。妾より、ずっと。

 

「……うまいか?」

「ええ、とても」

 

 妾よりも上品に食器を扱い、一晩で数百倍の文献を記憶し、妾に耐えきれない痛みを乗り越えておヌシは進む。

 ひどく、差を感じて。速さの違いを感じて。焦った。

 

「おヌシ、また身長が伸びたな」

「そうですか? 成長期だからでしょうか」

「……もう、抜かされてしまったな」

「私としては、嬉しい限りです。これであなたを抱き上げることができる」

「おう、やってみろや」

「うぐぐぐぐ……!」

 

 そうして、おヌシが十三歳になった頃。

 

「方針は決まりました」

 

 いつも通りの食事中。決断を下すように、おヌシはそう言った。

 

「……なんじゃ、あれか? 放置してるボードゲームの次の手でも」

「違います。……それもありますが」

「あるんかい」

 

 何か確信めいたものを感じて。少し期待して逸る心。

 落差で落ち込むのはごめんだと、グッと堪えたのじゃ。

 

「あなたの不老について。まず、不死というわけではないのでしょう?」

「うむ、そうだな。実際、幼い頃は何度か死にかけた」

 

 魔王との最初の戦いでは、数ヶ月ほど気を失った。あの頃は弱かったからのぉ。

 じゃが、今の妾では。

 

「しかしあなたは、強すぎて死ねない。……何より、そんな終わりは私が認めません」

「……」

 

 いくつか、思いついてはいたのだろう。妾を殺す方法を。

 それをしなかった理由はたった一つ。レインは、妾を殺したかったわけではない。同じ時間を、生きたかっただけだから。

 

「ですので、あなたの寿命を普通の人間のそれに変える。あるいは、無理やり老化させる。この二つが、主な解決方法だと考えました」

「無理やり、老化……不老なのにか?」

「本来、完全な不老は存在しない。これが、文献から私が導き出した結論です」

 

 食事を終えて口元を拭い、レインは得意気に語った。

 途中で止まっていたボードゲームを持ち出し、棋譜を進めた。

 

「そりゃ、そうじゃろうがのぉ」

「実際、あなたという反例が存在する。そう言いたいのでしょう?」

 

 パチリ、パチリと。盤面が進んでいく。

 

「その通り。私が語った結論は完璧なものではない」

「……」

「既存の科学を打ち破る一手が存在する」

 

 そして、ヤツの隙をついて王手を返し。

 

「魔道具。それに、固有魔法か」

「……その通り」

 

 予想外であろう一手としてやった。

 彼は少し困った様子で顎下に手を当て、考えていた。

 

「既存の科学法則を捻じ曲げ、全てを崩壊させる。それが固有魔法であり、魔道具であり、ひいては魔法でもある」

「妾ですら、まだまだわからぬことの方が多いからのぉ。早よ次の手を打たんかい」

「ちょっと待ってください。大人げないですよ」

 

 そして、しばらく悩むそぶりを見せ。

 

「考えてみれば、不老は身近にあった」

 

 予想外の手を返される。

 

「妾のことか?」

「いいえ」

 

 そして、間髪入れずにその対策へと走り。

 

「ダンジョンです」

 

 そこで、手が止まった。

 

「ダンジョン、だと?」

「ダンジョンの消失は確認されています。一般に、仮説として魔力の濃度が影響していると考えられていますね」

 

 つらつらと、自慢話をするように並び立てていた。

 

「ですが、中身のダンジョンボスは老いません。加えて、魔王のダンジョン。あれは、数千年の間生き延びています」

「おまっ……なぜ、そのダンジョンを」

「古い文献に載っていました」

 

 魔王の存在は、今や秘匿されている。人々には、恐怖の対象でしかないから。

 それだというのに、レインは自力で辿り着いて。

 

「……ソラ様。ソラ様は、今のその麗しい見た目になるまでは成長していたのですね?」

「ああ。一応、子供の頃は……」

「……思えば、それもおかしな話なのです」

 

 そして、妾の時間をも追い越した。

 

「傷が治る。成長もする。であれば、細胞分裂が行われているはず。しかし老化がないということは、細胞が死してなお、総数が一定になるということ」

「む、むつかしいのな」

「要は、生物は徐々にでも老化か成長のどちらかはする、という話です」

 

 マジで何言ってるのかほとんどわからんかったが、要は妾の体はおかしい、ということらしい。

 そんなこと、言われずともわかっておったよ。

 

「脳や神経のように分裂を止めているのだとしても、機能の低下による限界も……まあ、掻い摘んでお話ししますね」

「なんだか悔しいのぉ……」

「つまりは、呪い。なのでは、ないですか?」

 

 じゃが、そこから先は。

 

「何者かにかけられたものか、生まれつきのものか、別の何かか。それは分かりませんが、あなたの体は恐らくダンジョンボスに近い」

「む……」

「そして彼らにも、魔道具は効きます」

 

 妾の手番で停滞した盤面から目を離して、彼は目線を合わせ。

 

「呪いを解く魔道具。あるいは、老いの魔道具。これらの持つ力がソラ様の呪いを上回れば、大いに可能性はあります」

 

 そんな、小さな可能性を示してみせた。

 それでも、ゼロだった今までよりは随分マシだと思った。

 

「……それは、よかったのぉ」

 

 同時に。期待外れだ、とも思った。

 それだけ。たったそれだけか。縋れる可能性は。縋れる、未来は。と。

 

「いえ、ここからですよ」

「ぬ……?」

「これはあくまで、分かりやすい例。アプローチはいくらでも思い付きます」

 

 じゃが、あやつは。

 

「例えば、呪いは宿主の魔力に依存する。それならば、ソラ様の魔力がない状態を保てば解呪されるはず。あるいは、別の肉体を作り上げ、そこにソラ様の脳を移し替える。これで緩やかに肉体は死を迎えます。他にも、再生を上回る老化は魔道具で起こすばかりではない。細胞の老化に関わる酸素やブドウ糖が起こす反応。それを補助する触媒があれば反応は急速に早まり、老化が再生を上回ることも考えられる。爪や髪の毛が伸びるのだから、細胞の死滅はあるということ。これがずいぶん分かりやすい。他にも、ダンジョンボスの不老の解析が進めばその方面からも攻撃できる。それに」

「ちょちょちょ、ちょい! 待てい! 長い!! 言われてもわからん!!」

「とにかく、諦めるなということです」

 

 妾と違い、挫けることなどなかった。

 

「私はソラ様を諦めません。ですから、ソラ様は私を諦めないでください」

「……」

「あなたの苦しみは、私が必ずおわらせますから」

 

 ただの一つの可能性も諦めず、その全てを模索して。

 

「ダンジョンが消失する。ダンジョンボスに終わりがあるのなら、あなたにも必ずそれは訪れます。あとは、私がそれを見つければいい」

 

 ああ、きっと。あの時だろうのぉ。

 

「約束しましたから」

 

 レインを信じ切ったのは。こやつなら、妾を終わらせてくれる、と。確信したのは。その時じゃった。

 

「……ならば、妾が後ろを向くわけにはいかんのぉ」

「ええ。どっしり構えていてください。そのくらいがちょうどいい」

 

 いつの間にやら、焦燥も消えていた。

 

「っと、地震……侵食現象か。すまん、レイン。席を外すぞ」

「ええ。お気をつけて」

 

 地震で崩れた盤面を差し置いて、席を立った。

 足取りは、ずいぶん軽やかだった。

 

 

 

 

 三年後。おヌシは、探索者連盟の職員になった。

 

「やはり、情報は大事だ。それに、顎で動かせる人間も欲しい。権力が、欲しい」

「権力って、おヌシのぉ……」

「十年もかけずトップに立って見せましょう」

 

 レインはその宣言を実現してみせるのだが、その時の妾は知る由もなかった。

 ついでに、その分忙しくなったからと、妾に代役を頼むことなど。《デヴィジョンゼロ》で自分のフリをしろなど、こっちの苦労も知らずにのぉ。

 

「見てください、ソラ。これがあなたの細胞ですよ」

「ほぉ……なんか不思議な気分じゃ」

「骨の髄まで可愛らしい」

「キモっ! キモなのじゃ!」

 

 妾とレインが住んでいた家、だったところは、研究所のようになっていた。

 最低限の質でも人材が欲しいと嘆いていたので、《デヴィジョンゼロ》でそれらは提供した。

 レインは妾に負担をかけるのを嫌がっていたが、知ったことではなかった。

 

「これはなんじゃ?」

「サブプランです。使う時は来ない。……来るならば、よほどの天変地異でしょう」

 

 妾の不老が解除できずに、自分が死んだ時。その時に向けて、念の為の研究も進めていたようだった。

 弱腰だと思ったが。数ヶ月もせずに辞めたのを見て、本当に念の為でしかなかったのだろうと思った。

 

「やはり。あなたの細胞は、分裂可能回数の上限がとても多い。極めて緩やかながらも、細胞自体は古くなるようです」

「むぅ……なんかちょっとゾワゾワするの、見てると」

「これは不老ではありません。超長寿、略して超寿ということですね」

「やかましいわ」

 

 なにせ、おヌシの研究は順調じゃったからのぉ。

 

「つまり、呪いの主体は細胞分裂の限界の方……これを打ち消せれば……あるいは、低下させれれば……?」

「これ捨てとくからのぉ」

「あ、待ってください。そういったものは処分に規定が」

 

 数年に一度は、必ず何かの成果があった。必ず、進歩があった。

 

「ソラ。そのシードさんという人の研究内容はご存知ですか? 魔道具なら、彼女に頼りたい」

「……おうともよ。墓参りのついでに、案内してやるわ」

 

 ……彼女の研究を使ってくれると。まるで、彼女が蘇ってくれたかのようで。嬉しかった。

 

「ふむ……やはり、これならば人工の魔道具でも……」

 

 そして、研究が始まって。十五年が経った頃。

 

「む……?」

 

 ふとある時。やけに髪が伸びやすかったり。あるいは、体が汚れやすいことに気づいた。

 

「おぉい、レイン」

「ソラ? どうかしましたか?」

「なんかのぉ」

「……!」

 

 それを報告すると、あやつはやけに喜んでいて。

 

「細胞の死滅が、早まっている……!」

「へ?」

「やはり、このアプローチで正解でしたか!」

 

 妾にはよくわからなかったが、とにかく老化を早めることに成功した。ということらしかった。

 

「細胞分裂の限界を抑える……つまりは、解呪の研究はあまり現実的でありません。ですが、これなら……」

 

 あとはその速度をさらに早め、ついでに死んだ細胞をどうするか考えればいい。

 それさえできれば、あとは。

 

「これであなたも、私と共に老いることができるはずです!」

「……な、あ」

「そ、ソラ!?」

 

 初めての、目に見える成果だった。

 

「いや、すまん……すまなんだ……なんだか、足に力が入らなくて、と……お……?」

「……ソラ」

 

 一体何度、おヌシに泣かされたことじゃろうな。罪な男よ。

 

「おい……おい、なんじゃ……すまん……すまんのぉ……」

「……いえ。大丈夫。まだまだ、これからです」

 

 ただ、その全てが。喜びに満ちた、暖かいもので。

 

「私があなたを殺せた時。その時に、たった一度笑いかけてさえくれれば。私はもう、残りの人生に……何も、要りません」

「……ふ、ふふ。結婚はせんぞ」

「ぬ……流れでいけると思ったのですが」

 

 後から分かったことだが、おヌシは妾の不妊についても調べていたらしい。結局、こちらはどうともならなかったようだが。

 

「大丈夫。大丈夫じゃ。悲しくて泣いているわけではないから」

 

 おヌシは結局、最後まで気づかなかったのぉ。

 おヌシの隣にいる間だけは。ずっと、心の底から笑えていたというのに。

 

「ただ……終わりが見えて。気が抜けてしまった。栓が抜けてしまった、だけなんじゃ」

 

 おヌシはその頃、三十路の手前。宣言の年月まで、あと三十年以上もあった。

 一日、一日。次の日が楽しみになるというのは、ずいぶんと久しぶりのことだったと思う。

 

「むぅ。また髪が伸びてしまった」

「いっそ、結んではいかがですか? よく似合うと思います」

「……そうか?」

 

 それから、何年もの間。研究は、順調だった。

 

「ソラ。私もそろそろ、四十になります。いい加減、お互い身を固めてもいい年齢だと思いませんか?」

「ダメじゃ!」

 

 その答えは、もう半ば意地だった。

 骨の髄からおヌシに溶かされていたよ。おヌシのことを思うだけで、年甲斐もなく胸の底が熱くなった。

 

 数千年の孤独。深い迷宮を彷徨っていた妾に、光を刺しに来てくれた。

 

「ええ。知っています」

 

 我ながら、孫も同然。息子も同然。そう思っていただけなのに。

 ずるい。ずるいよ、おヌシは。

 

「……は?」

 

 こんなにも惚れさせておいて、先に逝くなど。卑怯じゃ。

 

「いや、まて……どういう、それは……」

 

 その日は、ダンジョンから帰った時点で。嫌な予感がした。連盟の一員が、妾を探していたから。

 だが、信じたくなかった。聞きたくなかった。

 

「レイン様が、襲撃され……危篤です……」

「っ……!!」

 

 この身が、それを許さなかった。

 

「だれじゃ」

「え?」

「誰がやった」

「それは、今調査中で」

「わかった」

 

 《ディヴィジョンゼロ》で、国を埋め尽くした。

 できることなら、この手で葬りたかったが。それよりも、おヌシに会いたかった。

 

「……レイン」

「ああ、ソラ。帰って来られたのですね」

 

 ダンジョンから戻って、案内された場所にいたレインは。細く、しわがれておった。

 

 血色が悪く、目にはクマはできている。痩せこけて、老人にでも変わり果ててしまったようだった。

 

「れい、ん……なんじゃ……なにが、あった……」

「ふふ……あなたに、この姿を見られたくはなかった」

 

 手を取ると、肌の感触は弱々しくて。これが、嘘ではないのだと分かってしまった。

 

「なにが、あったんじゃ。なぁ」

「……連盟に恨みを持つ何者かか。あるいは、他の者のせいでしょう」

「違う……その、姿じゃ……」

 

 自分の中で、答えは出ていた。

 

「研究の成果を……利用、されたのか……?」

「……気づかせたくは、ありませんでしたね」

 

 彼は、観念したように語った。

 ちょうど、その頃。強制的に《デヴィジョンゼロ》が解除され、容疑者の姿が分かった。

 

「トール……?」

 

 見覚えのある男もいたが、どうでもよかった。

 

「レイン……か、解呪の魔道具がある! 待っておれ、それならば」

「無理ですよ。そんなやわな作りにはなっていない。それに、解呪しても魔道具で起こった結果は消せない」

「……」

 

 今、死にゆくレインを前にして。そんなことは、心底どうでもいい。

 

「本当は、会わずに逝くつもりでしたが。あなたと、最期の時間を過ごしたかった」

 

 あやつは、悲しそうな笑顔で笑った。

 自分の死に恐れをなしたからではない。

 

「すみません。約束を守れなくて」

「……なに、を……いい。いいよ、そんなこと……いいんじゃ……いい……」

 

 引け目を感じたから。

 

「いいから、なぁ……レイン……」

 

 また、妾を。

 

「おいていかないでくれ……」

 

 独りにさせることに。

 

「頼む……後生じゃ……この老婆の、たった一つの願い事じゃ……呪いなんぞ、解けなくてもいい……! だから、どうか……!」

「……ごめんなさい」

 

 憤ることも。悲しむことも、できなかった。

 恐れることしか。逃避することしか、できなかった。この身の無力と。この、現実から。

 

「……」

 

 さめざめと泣きながら、あやつに縋り続けた。

 困ったように、ひどく枯れた声で、レインは口を開き。

 

「ソラ。あちらの部屋へ」

「……?」

 

 いきなり、そんなことを言うもので。つい、従ってしまった。

 何かそこに、希望があるのではないかと。じゃが。

 

「あ、だ、だ」

 

 そこにいたのは。

 

「……!」

 

 籠の中に入れられた、赤ん坊。

 

「連盟が、保護していた子供です」

 

 レインの言いたいことは、すぐに分かった。

 

「ふざけるな……」

 

 同時に。怒りが湧いてきて。

 

「ふざけるなよ!! こんな、こんなもので!! 妾は……! 妾は、もう!!」

「……その子には、親がいません。私がなるつもりでしたが……じきに、死にます」

「言うな……! 言うな……!」

「抱いてやってください」

 

 レインの言葉を、無視した。そんなことをしてしまえば、また。情が湧く。

 

「だぁー。だ、だぁー」

「っ、触るな!」

「あー」

 

 レインは死ぬ。もう、いい。もう、うんざりした。

 

 もう、二度とだって。こんな苦しみは。

 妾は、もう。これから、独りで生きていく。死を目指して。

 

「あー。あー」

「っ……!」

 

 二度とだって。

 

「なんじゃ……人の気持ちも知らずに……」

 

 なのに、妾は。

 

「キャハハっ!」

「っ……! う、うぅうううう………! ぅううぅううううう……!!」

 

 抱きしめた子供からは、小さな命が溢れていた。

 若々しく、生命に満ち溢れていた。

 美しくて、優しくて。それだけで、救われたような気持ちになった。

 

「卑怯じゃ……! 卑怯じゃ、みんな……!!」

「……ソラ」

 

 さらに抱きしめると、赤子は泣いてしまった。

 

「おぉ、よしよし。大丈夫、大丈夫じゃ……な……?」

「だ、だ」

「かかかっ……!」

 

 涙を拭われて。可笑しな気持ちになった。

 

「……その子には、まだ名がありません。つけてやってくれませんか」

「おぉ、そうだのぉ……随分、冷たい手をしておる……肌は、真白じゃ……美しいのぉ……」

 

 外を見ると、空は曇っていた。チラリと、白いものが見え始めていて。

 

「……『スノウ』。おヌシの名は、スノウじゃ。雪という意味。それが、おヌシの名じゃ」

「……少し、私に似ていますね」

「阿呆、当然じゃ。父親にはおヌシがなるんじゃろう、のぉ?」

「……!」

 

 揺らしてやると、スノウは安心したように眠った。

 あの子に父親の死を見せずに済んだのは、幸いじゃった。

 

「ああ……なんという幸福だ。あなたと共に、親になれた」

「……」

「ソラ。あなたは結局、この気持ちを受け入れてはくれませんでしたね」

 

 あんな思いを、させたくなかったから。

 

「祖母のように優しく。母のように気丈で。姉のように理不尽で。妹のようにわがままで。娘のように愛しく。孫のように純粋で。そして、誰よりも美しい。あなたのことが、好きでした」

 

 それでも、あやつに格好悪いところは見せられん。

 あやつの願いは。妾が、誰かと共に生きることだったから。

 ずっと抑えていただけで。妾に生きて欲しいと、願っていたから。

 

「今でも、この気持ちに変わりはありません」

「……いいぞ」

「……え?」

 

 それに、あの世の仲間を安心させてもらわねばならんからのぉ。

 ……たとえそれが、妾を蝕む呪いになろうとも。

 

「婿に来い。其方と妾は、今より夫婦じゃ」

「……ああ……なんということだ」

 

 たとえ、それがあやつを……。

 

「そんなことを言われてしまうと。命が惜しい」

「……そうだろう。ああ、そうだろう」

「ええ……しかし、っ……?」

 

 それでも、妾は。生きていくための力が、欲しかった。

 

「……ひ、久方ぶりの口付けじゃからの……下手くそとか言うなよ!?」

「言いませんよ。とても柔らかかった。あなたの唇は、甘い味がするのですね」

「やっぱちょっとキモいな貴様!?」

 

 レインは、目を閉じた。白髪がさらに増え、抜け落ち。鼓動が、弱くなっていた。

 

「……ソラ、ありがとう。あなたのおかげで、私は幸せだった」

「おう。安らかに死ねぃ、旦那様」

「……なんて……甘美、な……」

 

 そして、最後に。

 

「生き、て……くだ、さい……いつか、おわる日まで……しあ、わ……せ……に……」

 

 結局、あやつも。今までの皆と、同じように。

 

「ふ……ふふっ……」

 

 ふと、手に抱いたスノウが。目を覚ました。

 

「うぇぇえええええええん!!」

「大丈夫。大丈夫じゃ。おヌシには、妾がおる」

「えぇえええええええん!!」

「大丈夫。独りじゃない。大丈夫」

 

 そう。その時からじゃ。

 

「えぇえええぇぇええええん!!」

「……だい……じょう、ぶ……」

 

 その時から、全てが始まった。

 

「えぇえぇええええええ!!」

「大丈夫」

 

 妾の限界が訪れた。

 

「レインもおるよ。ここに」

 

 妾の人格が、引き裂かれたのは。

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