魔王。数千年の間シーカスケイヴを蝕み続けた、魔窟の王。
魔王、というのは、当時の勇者たちによって付けられた名であり、当然ながら個体名でも、種族名でもない。
それでもその名が使われ続けている理由は、ただ一つ。
「グゥウウウウ……」
正体不明。
「相変わらず、不細工め」
既存のどの魔物とも特徴が一致しない。
剥き出しになった骨のような口は、嘴に牙が生えたように露出しており、常に腐臭が漂っている。
狼のような、あるいは爬虫類のような四つん這いの動きで、その爪は足の設置面よりもはるかに大きい。
目は顔になく、代わりに真っ黒な毛に覆われた全身から生えてくる。
変幻自在の尾は三本揃っており、警戒するように動いていた。
「ソラ……おれも……」
「おう、案ずるな。妾に任せて休んでおけぃ」
体中の目は、全て
自身の巨体に比べれば矮小な存在。それでも、思い出してしまう。
「ルゥオオオオオオッ!!」
数千年前。二度に渡る大敗。かけられた屈辱。
憤怒と恐怖が混じり合った憎悪で、魔王は尾を動かした。
「っと……!」
鞭はそのしなりによって、先端速度はマッハを超える。たとえ人間が扱うものであろうと。
その人間とは格別した能力差がある彼が……性別があるわけではないが、便宜上彼、が、扱ったとすれば。速度も威力も、隔絶している。
「……!」
三本の鞭で乱打し、自らを封じるダンジョンを崩壊させながら、魔王は攻撃を続ける。
反撃は、ない。
そう、所詮この程度。この程度で終わるはずなのだ。人間如き。彼は満足げに、唇のない口元を歪めた。
「おう、それだけか」
しかし、土煙が晴れ。クレーターの中に一点、無傷の土地があった。
「グルァアアア!!」
彼はキレた。そう、この人間。この人間だ。
数千年前の大男も、その後に来た貧弱そうな男も。全て、この竜モドキのせいで殺せなかった。あんなにも弱かったのに。殺し甲斐があったのに。
「おーおーキレとるキレとる!」
ソラの嘲笑を受けて、彼はさらに憤りを深いものにした。
笑顔の意味がわかるわけではないが、嘲られているのがわかったからだ。
───サンの手前強がってはいるが、キッツイのぉ。
一方で、ソラは冷や汗をかいていた。
《輩殺しの刃》で魔力と魔法を制限されている今、魔王の力はソラよりも僅かに上だと、彼女はそう予想する。
攻撃はかろうじて弾いたが、右手がヒリヒリと痛い。ウェイラが来てから、数百年負っていなかった傷をよく受けるようになった。
「早めにかましておくかのぉ」
魔王の姿が、瞬間的に消える。次の瞬間、爪が目の前まで迫っていた。
「《
その勢いを殺し、止める。ソラの目には、視えている。
そんなのは想定内だ。言わんばかりに、彼は口を大きく開いた。
「グルァアアア!!」
「《ドラゴンブレス》」
全てを溶かし散らす黒い液体と、高温により輝く熱線。二つのブレスが衝突し、衝突地点で爆ぜる。
ソラ一人ならば回避は容易いが、後ろのサンを守るためにも受け切らなければならない。
「ギィ……!」
彼自身を覆う目玉から体液が射出され、周囲に蜂の巣状の風穴が開く。酸性のそれは、蒸発して周囲を覆い始めていた。
「気流を操れる妾相手に、大悪手もいいところじゃ」
ソラは手を横に切り、すると彼女の周りで空気が止まる。
風が魔王とソラ、そしてサンを球場に包み込み、周囲の空気は不可侵となって弾かれた。
「《
本来中身の空気を排除し、相手を真空に閉じ込める極めて攻撃的な魔法だが、今回は防御手段として転用。これで、毒霧の影響は排除された。
しかし魔王もただ、それを黙って見ているわけではない。
「グゴォオオオオオオオ!!」
あの小娘。あの、小娘だ。もう一匹の竜モドキ。あれを庇っている。
自らの記憶に残った、最後の戦いと同じ。守る対象が、弱点がいるならば、それを壊してやればいい。
悪辣な思考で、彼は身体中の目を三日月のように歪めた。
「許すと思うか?」
しかし。
「グッ……!?」
強い。こいつは。数千年前よりも。はるかに。
「グゥギギイァガガグァアアア!!」
もどかしさと苛立ちで、彼はただ暴れた。
暴れ散らかした。溶けて半液体状になった周囲の地形がぐちゃぐちゃになり、内部はミキサー状に掻き回される。
「やかましいッ!!」
しかしそれもソラに頬を殴られ。無理矢理に止められる。
「ゥオオオオオ!!」
そんな彼を見て、ソラは少し落ち着いていた。
「弱っておるのぉ」
いくら化け物といえど、数千年間の封印。絶食、絶水と来れば、多少の衰弱はするのだろう。
しかしそれでおいてなお、この強さ。
魔力を過剰に使用してなんとか防いではいるが、向こうは余力を残している。このままでは、ジリ貧だ。
「……宣言通り。と、行くか」
故に、彼女は。
「《果てなき悠遠、満ち給え》」
一体、いつぶりにか。
「《横溢せし
彼女自身を縛り続けた呪い、そのもの。その力を、己の武器として顕現させる。
「《我が願いは、ただ一つ》」
徐々に高まっていく彼女の魔力に、魔王はようやく危機を理解し。
「《どうか、我が終焉に》。《引き裂かれることなき縁を》」
しかし、追撃は間に合わなかった。
「固有魔法。《
ソラの固有魔法が発動した、次の瞬間のことだった。
彼女の瞳は、無限に膨張し続ける宙のように引き裂かれ、真っ暗な瞳がきらきらと光を乱反射し、その目に星空を映す。
「さて、と」
構え。警戒を増した魔王を前に、ソラは指を突き出す。
「うつけめ。横じゃ」
しかし、その動作はブラフ。
「ガッ、ァアアアアアア!?」
自身の頭上から現れた無数のソラ・シーカーの魔法によって、彼は己の体を押し潰された。
「グガッ」
怒りで逆立つ毛。しかしその一本に至るまで、一切のソラ・シーカーに通らない。
一人が二人。二人が四人。四人が八人。八人が十六、三十二、わずかな時間でその数は千を超える。
「わからぬか、魔王よ」
彼は。理解した。
「お前の負けじゃ」
目の前にいるのは竜でも、人間でもない。
今まで自分が生きていたのは、生かされていたに過ぎないことを。
「ルァアアアアアア!!」
ふざけるな。彼が言葉を持ち合わせていたのならば、この言葉が適切なのだろう。
そして、彼自身。ただでやられてやるつもりなど毛頭なかった。
「グゥオオオオオオ!!」
「っと、これはまずいのぉ」
己の体そのものを変化させ、触れるものを皆崩壊させる。以前の勇者たちとの戦いでは、これが丸三日続いた。
己自身の魔力が、そして周りに満ちる生命が尽きるまで、全てを破壊し続ける。悪意そのものの権化。
「ァアアアアアア!!」
何より最悪なのは、その体質との噛み合い。
変幻自在の彼の尾は、本来の体積を無視して膨張を続ける。ダンジョン全てを埋め尽くすほどに。
「あ……れ……」
「サン、じっとしておくんじゃぞ」
ソラが「まずい」と言ったのは、その周りへの被害の話だ。
「そ、ソラ?」
「おーおー、動くな動くな」
「言っておくがおヌシ、瀕死じゃぞ?」
「すまんのぉ、妾のせいで」
己の分け身を一人。サンへと寄越す。それだけで数が一気に増え、彼女を守る布陣を作り始めた。
「新しさがないのぉ、貴様は」
「まさしく馬鹿の一つ覚えというやつか」
「不細工な上に下衆、さらに頭も悪いとは救えんやつめ」
「やはり貴様、今ここで死んでいけい」
同様の出来事が、魔王の側でも起こっている。
魔窟の頂天としての最低限の矜持か、ソラを数十人殺すことには成功している。
だが、それよりも圧倒的に。ソラの増殖の方が早い。
「ガァアアアアア!!」
無属性魔法の上位、重力魔法。その、さらに上位。闇魔法を行使して、彼は殲滅を図る。
「百人程度でなんとかなるの」
だが、魔法の同時使用。同じく闇魔法を駆使し、重力と重力。光すらねじ曲げるほどの、大きな力のぶつかり合い。
相殺して、消しとばしてみせた。
「が……!?」
唖然。
数千年前、この娘にこんな力はなかった。容易に殺せてしまう程度の存在だった。だというのに、今。
「おぉ、また妾が三人ほど死んだか」
「これは困ったのぉ」
「では三百人ほど増やしておくとしようか」
殺しても。
「ほれ、早う来たらどうなんじゃ」
「こうしている間にも妾は増え続けているぞ?」
「女子にリードされて、情けなくないのか?」
殺しても。
「おい。動け」
「戦いがいのない奴め」
「これでは弱いものいじめをしているようではないか」
「憐憫の感情など一寸ばかりも湧かんがのぉ」
殺しても。殺しても。殺しても。
「どうした?」
「っ……!!」
殺しても、殺しても、殺しても、殺しても、殺しても殺しても殺しても殺しても。終わりが見えない。
生物を殺すことこそが、彼にとっては史上の喜び。理性も知性もない、殺戮兵器そのもののような生物。
「が、ァ……ヒィギァアアアアアア!!」
そんな彼の目は、もはや。断末魔のような恐怖で、埋め尽くされた。
「ぐ……」
「っと、音もか」
「全く、もっと体を鍛えるのじゃぞ?」
「いつか妾を殺してくれるのだろう?」
「……お、おう……がんばる……よ……?」
そんな様子を見て、サンは早速先ほどの宣言に自信がなくなっていた。
確かにいつか殺してやるとは言ったが、そのビジョンがあまりにも見えない。一人の時点でサンよりもずっと強いというのに。
「わとっ、と……」
「ん? おお、イリオスか」
「巻き込まれかけていたからの。連れてきたぞ」
「というか、何を魔王に挑もうとしとるんじゃ。阿呆か、おヌシは」
「ご主人!」
どこからか訪れたソラの群れに連れられて、ポイ、とイリオスがサンの前に投げつけられる。
「っ、サン!!」
「わ、たっ、たたたっ……?」
「よかった……! 無事だったんだな……!! ごめんよ、そばにいてやれなくって……!!」
「いて、苦しいよぉ……大丈夫だって……」
サンを見つけてすぐ、イリオスは彼女を抱きしめた。
彼もまたサンを追うように地下へ向かい、そこで魔王と大量のソラを目撃した。
サンの姿が見当たらず、ともすれば殺されてしまったのではないか。そうでなくとも、彼女が逃げる時間を稼ぐために魔王とソラの気を引かなくては。
そんな思いから魔王に戦いを挑んでいたところを、無理やりソラに引っ剥がされたという遷移だ。
そんなイリオスの深い心配が伝わり、一旦はサンも抱擁を受け入れてやることにした。
「おーおー、お熱いのぉ!」
「ここは火の魔物のダンジョンだったか?」
「妾を熱するとは中々のダンジョンじゃ」
「つーかいてぇって!! 離せ!!」
したのだが、老人特有のデリカシー無し、つまりはデリカ死な茶化しを受けて、サンはイリオスを強く突き飛ばした。
「ごめんよ……というかサン、傷だらけじゃないか。それに、とてもフラフラしてる」
「大丈夫だよ。そこのソラにボコスカ殴られただけだし」
「す、すまなんだ……」
お返しと言わんばかりにソラを弄り返すと、彼女はバツが悪そうな顔をして縮こまる。
「……ストーカーが回復の魔道具を持ってるかもしれない。呼んでみよう」
どんな結論に至ったかはわからないが。戻ったのだ。いつも通りの、二人に。
一歩引いた状態でイリオスは安心したように笑い、アニスを呼んでみる。が、来ない。いくら変態でも、流石に魔王のダンジョンまではついて来られなかったのかもしれない。
「できる限り回復の魔法はかけておくが……あいつを処分し終わったら、すぐに国に帰るとしよう」
「しっかりとした治療が要るからのぉ」
「あれを倒したらって……あれのことですか……?」
イリオスは、魔王の方を指さした。
どういうわけかサンとその周辺は一切の被害がないが。そこから一歩でもはみ出れば、天変地異。この世の終わりのような有様だ。
「ああ。もうすぐ終わる」
それでもウェイラとソラの戦いより被害が少ないのは、魔王のダンジョンの強固さと、ソラが本当の固有魔法で周囲への被害を抑えているから。
そして、それもすぐに必要はなくなる。
「しぶといのぉ。魔王」
「ぐ……が……!!」
魔王は、すでにボロボロだった。所々ではその太く荘厳な骨が突き出ており、大きなものだけでも三箇所の裂傷が見え、腹圧内臓がはみ出ている。
しかしそんな傷も、徐々に回復しつつあった。あと数分もあれば完治するだろう。
《輩殺しの刃》の影響もあり、《
本来であれば限りなく無限に等しい増殖だが、今においてはソラ本体にも影響が出始めていた。
ただでさえすり減った魔力、更なる消耗を回復する手段がない現状。
ここで決め切らなければまずい。
「魔窟の王よ。貴様に敬意を表し、この技を送ろう」
「グガァアアアアア!!」
そうしてソラは、さらにその増殖の数を増やす。
理由は、単純。一人では
「……」
《
それを利用して創り出すのは、遥か昔に絶滅した足される生物。
「よぉく見ておくのじゃぞ、サン」
───これが、おヌシの到達地点じゃ。
骨、内臓、血管、肉、皮、鱗、毛の一本に至るまで。全てソラ・シーカーによって再現された、白金の竜。
「来い。魔王」
「ガァアアアアア!!」
その巨体が、大口を開け。
「《シン・ドラゴンブレス》」
その技を最後に、魔窟の王は。再生の核ごと半身を吹き飛ばされ、死亡した。
「……はっ! ふぅ……ふぅ……」
直後、ダンジョン中からソラが消える。一人を除いて、全てのソラが。
「だ、大丈夫!?」
「おぅ、気にするな。ちょっと無茶やっただけじゃ……」
脂汗を浮かべながら、ソラはなんでもないと笑ってみせた。
魔王を倒すためには仕方なかったとはいえ、いよいよ魔力を使い過ぎた。
加えて、他のソラの記憶がフィードバックされ彼女を襲っている。いくら彼女でも、何千、何万に渡る死の記憶を受けては無傷とはいかなかった。
「……またのぉ。勇者。ペア。みんな」
何より。彼女にとってここは、仲間たちとの思い出の場所でもあったから。
「……」
それを見て、サンはそっとソラの側に座り込み。しばらくは、そのままその場所にいた。
◇
戦いから、少し経って。サンは、イリオスにことの顛末を説明していた。
「……君も、無茶をするようになったね」
誰に似たんだか、と呟いたイリオス。ソラは「絶対おヌシじゃ!」と心の中で叫んだが、口にすることはなかった。
サンの願い。元の世界に戻りたい。それは、ソラの不老を無くすまで叶えられることはない。
「……わかってる」
それを覚悟して、サンは決めたのだ。
ソラに終わりを。共に旅をし、彼女の願いを叶えてみせると。
だからこそ、ソラは受け入れた。サンの言葉を。
不安もある。恐怖も、当たり前に拭いきれない。
「もう少しだけ、生きてみるよ」
だが、信じてみたくなったのだ。もう一度だけ。誰かを。
「だからソラも旅の仲間に入れてよ。いいだろ、ご主人?」
「僕としては、心強いばかりですが……」
「国のことは案ずるな。今の妾では弱りきって頼りないかもしれんが、分け身を置いていく。……スノウは、寂しがるだろうがのぉ」
《
だからこそ、ソラの作り出した偽物はこの国中に潜んでいたのだから。
「……まずは、たくさん謝らねばの」
スノウにも、ラルウにも、モルスやその倅にも。
「しかし、人格の方はどうしたものか」
問題は、まだある。
もう一つの人格について。今はソラの中に押さえ込んでいるが、いつ暴走してもおかしくない状況だ。
「あ、それは俺一個考えある!」
うんうんと頭を悩ませていると、サンがズンビッバと手を挙げた。
二人の視線が集中する中、サンは。
「ソラがご主人の従魔になればいいんじゃね?」
「……え?」
「な……」
そんなことを堂々と言い放ってみせた。
「さ、サン? 何言ってるの?」
「従魔にすれば俺みたいに操れるだろ? それで、今回みたいなことしないように命令すればいいじゃん。アニスあたりがまた持ってるだろ」
「そりゃ……確かにそれなら、なんとかなるかもしれないけど……」
「世間体とか、一人も二人も変わんないだろ?」
「変わるよ!?」
変わるし、そもそもそういう問題ではない。そんな意図を込めて、ソラの方を見てみると。
「くっくっくっ……かかかかかっ! そうか、そうか! それは確かに悪くないアイディアじゃ! おい、イリオス! アニスとやらのところに急ぐぞ!」
「え、えぇ!? いいんですか!?」
「あー、構わん構わん。どうせおヌシはサンに手も出さんヘタレじゃろうし」
笑った理由がわからず、イリオスは困っていた。
しかし、それもそうだろう。自分が死を選ぶほどに悩んでいたことを、こんな馬鹿馬鹿しい発想で解決してきたのだから。
「……のぉ、サン。ありがとうのぉ」
まだまだ、問題は山積みだ。考えなければならないことも、たくさんある。
だが、サンとなら。イリオスとなら。三人でなら。きっと、旅の果てに……それぞれの、望む未来を。
「それじゃあ、これからよろしくの! 主殿!」
「やめてくれませんか!? もっと他にも考えましょうよ!?」
そんなことを考えながら、談笑し。元通りになった彼らは、笑いながら国に向かった。
◇
「漸く、隙を見せたな」
諸事情につき、投稿が大幅に遅れました……申し訳ござません。
しばらく執筆が難しい環境になるので、今後も遅れることがあるかもしれません。何卒、ご理解いただけますと幸いです。