視界が、少しずつ晴れていく。
目を擦り、血を拭って。サンは、なんとか目を開く。
「ソラっ!!」
全てはただ、彼女の無事を確認するためだけに。
「……サン、イリオス」
サンの視界に映ったのは。
「逃げろ」
「っ……!!」
左半身に大穴が開いた、ソラの姿だった。
「あ、あ……ぁ、あぁああ……!!」
いくら彼女でも、その内臓のほとんどを喪失し。左腕が吹っ飛んで、血を何リットルか撒き散らして。それでも尚、生きていられるのか。
答えは、消失していくソラの魔法を見れば容易にわかった。
「……無様なものだな。英雄よ」
トールは、ソラを嘲り。
「とはいえ。私も、人のことは言えないか」
口から、血反吐を吐いた。
彼もまた、右肩から腰のあたりまでバッサリと切断されており、ソラが闇雲に放った魔法の一部が彼を穿ったことを示していた。
「だがいくらお前でも、そうなってはもう助からない」
「……」
「足掻くなよ。安心しろ。この国には手を出さん」
視界が霞み、ソラは徐々に。徐々に、体勢を崩していく。
数千年もの間続いた生。その生涯に今、幕を引こうとしていた。
「あ……あ……」
その背後に、強烈な気配を感じ取るまでは。
「……サン?」
イリオスはサンの前に立ち、彼女を庇おうとしている。それはいい。否、それでいい。
だが、サンの様子は明らかに異常だった。
「が、グゥっ……! グルァアアア……!!」
魔力量が、無尽蔵に増え続けている。その体は雷に包まれ、《部分竜化》が、おそらく本人の意思とは無関係に発動していた。
「アァアア……!!」
命懸けで、ソラを救った。一度は取りこぼしかけたが、己の弱さと向き合い。ソラと向き合い。己の全てを捧げて。
ようやく。やっとの思いで手に入れた、ハッピーエンドのはずだった。
「ふむ……」
それをどこから現れたかもわからない、潰れかけのできもののような顔をしたジジイに邪魔立てされた。
理不尽な罵倒と暴力とを受け、挙げ句の果てにはソラの命さえも奪われようともしている。
何より。その戦いの最中、自分は手助けすらもできなかった。あれほど、必死に助けると誓ったはずなのに。
「《ぐ……る……》」
今、サンの胸中を満たすのは。
「《ぐぁ》」
生まれて初めて抱く。百パーセント純粋な、殺意。
「させないよ」
「かっ……!?」
だった。
「……殺すつもりで殴ったが」
トールがサンの後頭部を手動で叩き、気絶させる。が、その本来の目的はサンの首を落とすことである。
「羽化しようとしているのか?」
イリオスにもソラにも、トールの言葉の意味はわからなかった。ただ、わかっていることはただ一つ。
「やはりお前も、ここで殺しておくか」
イリオスは即座に、トールに掴み掛かった。
ウェイラから受け取った氷結魔法の弾丸で、自分ごと凍らせれば時間は稼げるハズだ。運が良ければ、殺せるかもしれない。
「鈍いな、お前は。その程度でぅっ」
しかし、それよりも。ソラの一撃の方が早かった。
「……驚いたな。効いたよ。その体で、まだそれほどの力が出せるのか?」
残った右の拳でトールを殴り、ふらつく体は己の分体で支えている。
誰から見ても、瀕死の重体。もう助かることはない。それは、ソラ自身でも分かっていて。
「サンに、手を出すな……」
だが、それでも体が動いたのは。彼女の、最後の悪あがきだった。
「……鬱陶しいな。もうお前は死ぬ。わかるだろう。自分の命が途絶えること程度」
「だから、なんだ……この程度の、傷……」
それは、まるで。
「もうなに一つ!! 妾から奪わせてなるものか!!」
呪われ続けた己の人生へ、中指を突き立てるような。
己の持つ生命の全てを使ってでも、サンとイリオスだけは。
「《
残される者たちだけは、決して死なせはしない。
そんな決意のもと、ソラは最後の固有魔法を発動する。
作り出すのは、ひたすらに出来損ないの模造品達。
もはや変身する能力を使うことさえもできず、ゾンビのように山ほどの己自身を生成しては、トールに攻撃させる。
「ぐ……!!」
その魔力が底を尽き、「魔力ではない何か」がゴリゴリと削られていく感触があった。
それでも尚、ソラは増え続ける。ただの一瞬たりとも止まることなく、尽きることなく。
「ただでは、死なん……!!」
持ち得る魔力を全て出し尽くし、魔法を構える。
己自身を巻き込む、ただひたすらに相手が死ぬまで自爆特攻を続けるためだけの魔法。
「貴様も道連れじゃ!! トール!! 国のため、友のため、娘のため!! 貴様はこの世界には残しはせんぞ!!」
トールとて、傷は浅くない。
無尽蔵に増えたソラの攻撃を受け切る術はなく。
「……つくづく、驚かせられるよ」
故に、彼は。
「仕方ない」
彼の選択は。
「ここは、一度撤退するとしよう」
逃げることであった。
「……は?」
「その娘の首輪は、しっかり握っておくんだな」
体が揺らぎ、消えゆくトールを見て頓狂な声を上げるイリオス。
そんなイリオスの手の甲を指さして、彼は完全に姿を消し。完全に、気配が消える。
「……く……そ……!」
直後、気が抜けたようにソラの固有魔法が解けた。
彼女も、とっくに限界だったのだ。
「……ざ、けんな」
ただ、一人残され。イリオスは。
「ふざけるなよ、クソ野郎ッ……!!」
ただ、己の無力を噛み締めることしか。
◇
……最近、気絶してることが多い気がする。なんでまたこんなことになってんだ。
「そら……」
そうだ、ソラ。ソラを、助けに。
「ソラッ!!」
どのくらい気を失ってた? ソラはどうなった? トールは?
俺はなんで気絶してた? どうして、今。
「目が、覚めたかの」
「っ、ああ! よかった!! よかった!!」
ソラの声がする。それはつまり、無事っつーことだ。
よかった、ソラが無事で。これで、スノウとの約束も果たせる。一緒に旅ができる。
やっぱり、お前は最強だ。
「やかましい……傷口に、ひびく、わ……」
「……え?」
なんで、ソラ。横になってんだ。
なんで、腹に。そんなでかい、穴が空いてんだ。
なんで、そんな。死にそうな顔、してんだ。
「……ぁ……あ、ぁあぁああああああ!?」
血の匂いがする。血の匂い、血の匂い、血の匂い、血の匂い。命が消えていく匂い。
内臓が飛び出てる。急げ、急がないと。
「間に合えっ!! 間に合えっ!!」
「お、い……」
「だい、だいじょ、大丈夫! 大丈夫だよソラ! 俺、俺さっ、いっぱい魔法練習したんだ!! 大丈夫、回復魔法!!」
なんで、こんな抑えてんのに、血が止まんない。内臓、戻んない。
こんな、これじゃあ。このままじゃ、ソラが。
「……のぉ、サン……聞いて、くれんか……?」
「いや、いやだ! 大丈夫、ぜってぇ治す!! お前を死なせない!! スノウが国で待ってる!!」
手が、どんどん赤くなってく。ソラは、もっと赤い。
そんな色、お前には似合わないよ。早く、元に戻してあげないと。
「そら、そうだ、デヴィジョンゼロ!! あれなら治せるだろ、なあ!?」
「無理、じゃ……もう、力が……足らぬ……」
違う、そんなことない。まだ間に合う。
大丈夫。あんなボロボロになって、あんな瀕死になって、やっと手に入れたハッピーエンドなんだ。絶対、壊させたりしない。
「……サン」
「ご主人!! 手伝って!! っ、そうだ魔道具!! 魔法でもいい!! こんな世界なんだ!! 蘇生魔法とか再生の魔道具とか、なんか、あるだろ!?」
「蘇生の魔法なんてものはないない。魔道具も、今ここには」
「っ、嘘つけっ!!」
違う、ふざけんな、認めねぇ。絶対認めねぇ、こんな結末。
助ける。助ける、助ける、助ける、助ける。
「止まれ……止まれっ……止まれよぉっ……!!」
「……だから、サン。聞いてやろう。今は、ただ」
「っ……!!」
なんで、こんな。
「すまんの。サン」
「ちが……あやまん、なよ……いい、いいよ! 気にしてねぇよ、もう!! 確かにボッコボコにされたけど、俺ってば頑丈だし!?」
「違う、そうではない……」
「大丈夫!! ちゃっちゃと治して、国に帰ろうぜ!! そうだ、魔王の魔道具とか!! そうじゃなくたって、俺がダンジョン攻略して」
「サン」
……なんで、そんなこと言うんだよ。
「なぁ、ソラ……」
「うむ」
「なおら、ないのか……? それ……」
「うむ」
「……たすから、ないのか……?」
「……うむ。だから、すまんのぉ。約束は、守れそうにない」
なんでそんな酷いこと、気づかせるんだよ。
「いい……いいよ、そんな……そんなの、約束なんて……また、またさっ! ……またこの国、来るから……そん時また、誘うからさ……そしたら、来りゃいいじゃん……」
「できぬ」
「……生きてりゃ、なんとか……だって……ソラ……」
「妾はもう、すぐに死ぬ。遺言を遺したい。生きているうちに、聞いてくれ」
ソラの血は、結局止まらなかった。涙が混ざって、薄くなって地面に染み込んだ。
手が冷たくなって、硬くなってきてる。力が抜けて、ずっしり重たい。
「……ソラさん。僕が伝えます。だから、今のうちに」
「うむ……うむ、ああ……助かるぞ、イリオス……」
何度か咀嚼するみたいに考えて、それでご主人だって、やっと気づいたみたいだった。
ソラ……もう、目が。
「まずは、スノウに……先に逝ってしまって、すまないと……色々と、偽りもあったが……おヌシとの時間は、幸せそのものだった……ありがとう……結婚相手は、レインのようなものを見つけるように……飯は三食、きちんと……好き嫌いはせず、毎夜きちんと眠るように、と……」
ソラの残す言葉を、俺のバカな頭でも忘れないように、ずっとずっと頭に入れた。
「それから、ラルウ……雇用主たる妾が消えるが……できれば、スノウのことを頼むと……贅沢な、願いだが……そうでなければ、あの世でおヌシの恥ずかしい秘密をバラすと……」
一個一個、会ったことがない人でも、その人の人となりが見えてくるみたいだった。
「モルスには……息子を、もう少し叱るように……家業さえできればいいというものでは、ないからの……」
だから、ああ。わかって、しまう。
「……あとは、おヌシたちにも……言いたいことが、あっての……」
ソラ。死んじゃうんだ。ほんとに。
「……妾が、死んだ後……スノウと、ラルウに話を通し……レインの、部屋に行け……恐らくだが、そこに……おヌシらの求める……情報が、ある」
「……ありがとうございます」
ご主人は、泣いてなかった。俺と真反対で。
酷いと思ったけど。文句を言いたかったけど。八つ当たりしたかったけど。ご主人の顔を見て、それもすぐにやめた。
「イリオス……おヌシには……伝えてあった、通りじゃ……少しは、己の欲望も拾ってやれ……おヌシも、まだ……子供でいていい、年頃じゃ……」
「善処します」
「か、かかっ! ……そこは、嘘でもわかったと言わんか……頑固者め……」
嫌だ。信じたくない。死んでほしくない。
だって死んだら、死んだら死んじゃう。死んじゃったら、人は死んじゃう。
「サン……」
「っ……」
「おヌシは……あー……もう少し、冷静になることを覚えねばのぉ……頭が良くなれとは、言わんが……短絡的な行動は、避けるように……」
「なに、いってんだよ……こんな、ときに……」
受け入れたくない。受け入れられない。
だって今こうして、話してるのに。もうお前に、二度と会えない。
「妾を旅に誘ってくれたこと……とても、嬉しかったぞ……暫くぶりに……夢、思い馳せた……」
「……俺も……俺も、旅したいよ……お前と一緒に、なぁ……?」
ご主人が肩に手を置いて。首を、横に振った。
もう、ソラは。声。声すら、聞こえてないんだ。
わかったから、急いで手を握る力を強めた。ソラは、ちょっとだけ反応してくれた。
「おぉ……すまん、すまん……ちょっと、寝かけてたわ……それで……なんじゃったか……」
それも、徐々に力が抜けていって。
「何を……何をしておったんじゃろうな……妾は……」
なんでか、現実味がない。ボーッとする。おかしい。
自分がここにいるはずなのに。なんか、テレビの前にいるみたいで。
「……人として生きることも諦め……逃げ……結局、また戻って……その、繰り返し……くだらん……そうとしか、言いようがない……」
「そんなこと……そんなこと、ねぇ!! お前に助けられた人間がいる!! 俺だってそうだよ……!!」
「だが、そんなくだらん人生のかけらが……きらきらと……妾の全てを、彩っておる……所詮、人間は……死ぬまで、逃げ続けるしか……できんのかも、しれんな……」
どんな言葉をかけたって、もう。今度こそ。お前に、届かない。
だんだん、鼓動が弱くなっていってる。
「……まあ、そう考えると……この、じんせいも……そんなに、わるいものではなかった……しをねがう、このせいすら……」
呼吸が、小さくなってる。
「わらわは……」
「ソラ……!!」
最後まで、離したくなかった。一人になんて、させたくなかった。
「……ぉお……ありがとうのぉ……」
ギュッと抱きしめたソラが、ちょっとだけ笑ってくれたのは。気のせいじゃなかったらいいなって。
「のぉ……こんな、のろわれたじんせいでも……こうふく、だったよ……わらわは……」
弱々しかったけど、抱きしめ返してくれた。気が、した。
「しにたかった……しにたいと、ねがっていた……」
ご主人も、おずおずとだけど。ソラの手を、しっかり握ってた。
「……ふ、ふ……」
なんでか、ソラは。笑ってた。
「わらわ、は……なぁ……のぉ……?」
一筋。ソラは、涙をこぼして。
「……しにたく……ないのぉ……」
それが、最後の言葉だった。
◇
だらんと。手から、力が抜けた。
「……そら」
鼓動が、止まった。
「そらっ……」
目から、光が消えた。
「なぁ……おいっ……」
呼吸は、もう。ない。
「あ……」
死んだ。
「……あ……ああ……!」
ソラさんは、今。
「あぁああぁああぁあぁあああああ……!!」
サンの目の前で、死んだ。
「うっ……!! う、ぐぅっ……! あ、あぁ……!!」
サンは、泣いてた。そりゃ、そうだろう。俺だって、泣きたいよ。
───同胞に何をした!! 答えろ!!
出会い方は、最悪だったけど。
───退け。
恩人で。
───勝つぞ!
仲間で。
───おすすめの飯屋があるんじゃよ。
友達だった。
「ぐすっ……う、うぅっ……!」
それで、やっと助けたのに。助けれたのに。
あいつが。トールが。全部、奪っていってしまって。何もできなくって。
そんなの、辛いし。悔しいし。悲しいよな。
「サン」
けれど。
「ソラさんは、さ。ずっと、独りぼっちだって言ってた」
けれど、何もできなかったなんて。そんなことは、ないんだよって。
「……でも、サン。お前が助けてくれた。人生の、最後に。死にたくないって思える時間を、作ってやれた」
「……うん」
お前が頑張ったから、できたことがあるんだよって。
「サン。ありがとな。お前のおかげで、ソラさんの最後は孤独じゃなかったんだ」
「うんっ……!!」
そんな慰めしか、してやれない。
「ありがと……ご主人……でも、まだ……ちょっと……もうちょっとだけ……」
「……ああ……いいんだ、サン。いっぱいいっぱい、泣いていいんだ。今は」
「あ、あぁあああああ!! うぁあぁああああああ!!」
サンの背中を叩いていると。ふと、周りの光が。ソラさんの髪留めに集まった。
「え……?」
魔王の光の残滓と、ソラさんから漏れた光。二つが集まって。
「なに、これ……ご主人……?」
それはまるで。ダンジョンボスが、魔道具を作る様に似ていた。
《輩殺しの刃》と同じ。人間の持つ物が、魔道具になる瞬間にそっくりだった。
「……」
ふらふらと、サンはソラさんの遺体に近寄って。髪留めに触れた。
「っ……!!」
それだけで、サンの傷は治った。俺の体もじんわりと、癒されていく。
ソラさんの髪留めが魔道具になったのだと、すぐにわかった。
僕たちは、二人してボロボロだった。国に帰れるかさえ怪しい。
彼女が遺してくれたものだ。なんて、都合のいい解釈だろうか。
……ああ。酷い話だ。
「ふざけんな……」
さっき、これがあれば。ソラさんを、救えたはずなのに。
「ふざけんなっ……!! ふざけんなぁっ……!!」
求めてやまなかったものは。皮肉みたいに溢れてきて。奇跡みたいに輝いていて。
「いまさら、こんなものあったって……いみ、ないじゃんかよっ……!!」
神様は、ひとでなしだ。