降り頻る雨の日だった。
「……」
ガチャリ、と扉が開く音で、彼女は落ちていくように階段を走った。
扉の前で何やら話している老人を押し除けて、飛び込むように顔を出した。
びしゃびしゃになっている二人を見て、少女はいくつか心配の言葉をかけたが、それきりだった。
首を右へ、左へ、ぐるっと一周走らせて、もう一度二人に目線を合わせた。
「……!」
崩れながら謝罪する、もう一人少女の前で。彼女はだんだんと、笑顔を消していった。
崩れ切った口角はギュッと閉じられて、ある時弾けた。
雨粒がただ、彼女たちの声を、哀韻を包んで。何もかも、溶かしてくれていた。
◇
ソラさんの葬儀は、速やかに執り行われた。
国を上げて、彼女をあの世に送り出す。国葬というものだった。
「サン。行ってくるよ」
「……うん」
サンは、外に出れなかった。
棺桶の中の彼女は、随分と身綺麗に整えられていた。
一体、どれだけの魔道具が使われたんだか。ぽっかりと空いた風穴まで、塞がれていて。
「何が、独りだった、ですか……」
こんなにも愛されていたのだ。それをきっと、彼女もわかっていた。
わかっていたからこそ。それが彼女にとっては呪いとなって、その心を蝕んでいったのだろう。
「……ありがとう。ソラさん。あなたのことは、絶対に忘れません」
いつぶりにか、仲間を喪った。あの時みたいに、涙は流れなかった。
まるで、自分の心がなくなってしまったみたいだと思ったけれど。悲しさを、受け入れられていないだけだった。
「ありがとう。サンのことを。俺を、助けてくれて。あなたは、化け物なんかじゃない。格好いい、英雄です」
花を添える、その直前だった。
「げほっ……えほっ……」
サンが息を切らして、後ろに立っていた。
「ごめ、ごしゅじん……やっぱり……さいご、だから……」
「……ああ。おいで」
よほど、急いでいたのだろう。花も受け取らず、真っ直ぐに僕のところまで向かってきたのだろう。
一本の花。ソラさんの髪飾りに使われていたものと同じそれを、共に備えた。
わずかに触れた彼女の体は冷たくて、真っ白で、固くって。彼女はもう、本当に死んだのだ。
英雄は。ひとりぼっちで泣いていた少女は、もういない。この世界の、どこにも。
「……」
ざぁざぁと降る雨は、天が彼女のために涙を流しているようだった。
「帰ろうか。サン」
「……うん」
「ちゃんと、お別れは言えたかい?」
「言えなかった……」
「そっか」
喪服に身を包んで、いつもよりもおとなしい彼女が印象的だった。
傘も刺さずに、びしょびしょに濡れていて。涙も誤魔化せるだろうに。必死に堪えていた。
「お待ちください。サン様。イリオス様」
ふと、ラルウさんに呼び止められた。
サンは置いて行こうとしたけれど、彼女が弱々しくも必死に抵抗するもので。仕方なく、ついてくることを許可した。
「……イリオス。サン」
「あ……」
呼ばれた先は、大きな家だった。スノウが出てきて、そうか。ここが、レインさんの家か。
「ごめんっ……!!」
サンが、すぐ目の前に出て。スノウに、深く頭を下げた。
「ごめんな、スノウ……ソラ、助けれなくって……約束、守れなくって……俺が、俺がバカでドジでマヌケで弱かったから……ごめん……ごめんなっ……!!」
「……サン。それはもう、前も聞いた」
スノウは、縮こまったサンにしゃがんで身長を合わせた。
彼女の頭を、ゆっくりと撫でてくれた。
「ババ上は……お母さんは、きっと難しかった。サンとイリオスが生きて帰ってきてくれただけでも、十分嬉しい。だから、私のことは気にしないで」
「でも……約束、した……したのに……」
「うん。けど、二人ともきっと必死に頑張ってくれた。だからお母さんは、私に言葉を遺してくれた」
強がりだ。
「ありがとう、サン。イリオス。まだ、心の整理はつかないけれど。私は、愛されていたみたいだから。それで、いいの」
「……!」
そんな顔をして。なにが、「いいの」だよ。
そう言ってやりたかったけど。その仮面をひっぺがす権利は、俺にはない気がした。
「ソラ様の遺言に従って、レイン様のお部屋を案内いたします。こちらへどうぞ」
部屋に一歩立ち入ると、ずらっと本が並んでいた。
星屑の勇者様も上下巻揃っていて、きっとこの人が生きていたのなら、話が合ったのだろう。
「遺品を整理しているときに、こちらが見つかりました。参考までに」
預けられたのは、一枚の紙。
一番上の項目は、分かり切っていたことだからどうでもいい。真ん中、魔道具については、やはりソラさんが使っていたのもので最後のようだった。
……そして、最後は。
「レイン様が集めた異世界への情報と、魔道具の情報。それらは、この本にまとまっているはずです」
「……ありがとうございます」
ブックバンドを解いて、本を入れた。そのとき、ソラさんから預かったレシピが落ちた。
「……これ、スノウに」
「いえ。そちらの本は、同じものをソラ様から預かっています。お気遣いなく」
……きっと、ソラさんはわかっていたのかもしれない。自分がそのうち、死んでしまうことを。
だから僕らに情報を残して、ラルウさんにレシピを残した。なんていうのは、きっと都合のいい妄想だった。
「よければ、少しこちらで休んでいかれてはいかがでしょうか。きっとその方が、お嬢様も喜ばれます」
「……いえ。僕たちは、旅を続けなければいけない」
ソラさんに助けてもらった命の分まで。前に、進まなければいけない。
ここにいたい気持ちはある。けれど、サンは。
「……ご主人?」
「……ううん。なんでもないよ」
きっとサンは、ここにいる限り自分を責め続けるだろう。
彼女のためを思うなら、早くこの国を離れたかった。なにせ、国葬の時期を待つためにかなりの時間滞在している。
「左様ですか……お嬢様は、あなた方に懐かれていたのですが。特に、イリオス様は……最近、よく訪れてくれていましたし」
「けれど、いつまでもここには居られない。それに、スノウは……ひとりぼっちでは、ないでしょう?」
「……ええ。私も、他のものたちもついております」
「イリオス、生意気。私は別に一人だってへこたれない」
いつから、そしてどこから聞いていたのか。スノウは、ひょっこりと顔を出した。
サンは、俺の後ろに隠れてしまった。
「……ねぇ、サン」
「あ……うん……」
「お母さんの最期は、どんなのだった?」
代わりに、答えてやろうと思った。けれど、サンはそれを遮って。
「俺たちを、守ってくれた……最後まで、この国のために戦ってた……格好、よかった」
「……うん。そっか」
何か、決意を固めたような表情をして。スノウは、滲んだ涙を拭った。
「二人とも、せめて今晩は泊まっていってほしい。お別れの時間が欲しいの」
「……うん。わかった」
きっと彼女は、ソラさんが思っているよりも、ずっとずっと強かった。
◇
一晩明けて。サンとイリオスは、玄関に立っていた。
「本当に、お世話になりました」
「全くその通り。たくさんお世話をした。だから、また国に来るべき。恩返しをしてもらう」
「はは……うん、わかったよ」
スノウの言葉が、要するに「またこの国に来て欲しい」ということだとわかって。ツンデレに慣れていたイリオスは、にっこりと微笑んだ。
「それでは、また」
「うん。じゃあね、イリオス。サン」
「……うん」
サンは一晩を共に過ごしてまだ、スノウと目を合わせれずにいた。
「……サン」
もう、二度と出会えるかもわからない。せめて、挨拶だけでも。そんな意図を込めて、イリオスは背中を叩く。
ニィナのように、通信の魔道具でやり取りをすることはできるだろう。けれど、面と向かって会えるのはこれが最後なのかもしれないのだから。
「……スノウ。その……え、と……おれ……そら、は……」
言葉に詰まるサンに。スノウはただ、サンを抱きしめて。
「私と、友達になってくれる?」
「……え?」
「また、会いに来てくれる?」
「……う、ん」
「じゃあ、また約束」
額と額を合わせて、お互いに見つめ合った。
「私は、信じるから。それができたら、サンはもう自分を責めないでほしい。これも、約束」
「……うん」
スノウは、サンのポケットに連絡先を忍ばせた。
「私は……お母さんが死んでしまったことは、悲しいけれど。それでも、生きていくしかない。だから私は、お母さんの命を抱えて生きていく」
一番辛いのは、彼女だろうに。
「……サン。だからサンも、死んじゃ嫌だよ?」
やっぱり、スノウは強いな。イリオスは、そんなことを考えた。
「……うん。元気でな、スノウ。今度こそ、祭り……行こうな」
「うん」
少しだけ、前を向いて。イリオスとサンは、どこかへ向かっていった。
その旅路の行き着く先は、果たしてどこになることか。
「お母さん……二人を、守ってあげて」
ぐちゃぐちゃになった心の中で、スノウはそっと祈った。
二人の姿が見えなくなるまで、目を閉じて。
「お嬢様……ご立派でございました」
「うっさい、こっち見るなヒゲ……!!」
二人の姿が見えなくなった瞬間。その隙間から、いっぱいの涙を流して。
「うぁあぁあああああ……!! パパ上……ババ上ぇっ……!!」
「……ええ、ええ。爺やがついております。私の胸ならば、いくらでもお貸しいたしましょう」
スノウは、最初の報告の時以外涙を見せなかった。
その理由は、ただ一つ。自分が、サンたちの旅路で重荷になってしまわないように。
あの世で見守るソラが、心配してしまわないように。
「……雨は、まだ降っておりますよ。きっとまだ、誰も見ておりません」
「うんっ……うんっ……!!」
「すぐに前は向けないかもしれません。ですが、それまでは私がそばにおります」
「……爺や、若い頃こうやって女食ってた?」
「なんてことを言うのですか」
まったく、親子揃って。ラルウは、ふっとため息をついた。
まだ、実感が湧いていないのもあるのだろう。ふとした瞬間に、悲しみが溢れることもあるのだろう。
だが、きっとこの子なら大丈夫だ。それまでは、自分が支えればいいのだから。
「爺や。私、私ね」
「はい」
「探索者になる」
「は?」
突然の宣言に、ラルウは耳を疑った。
「次の英雄になるのは、私」
「ほ……本気ですか?」
「もちろん本気。私は冗談は言わない」
スノウの目は、真剣そのものだった。
「お母さんの遺志を継ぐ。あの人が見てきたものを、私も見てみたい。それが、死を受け入れることだと思うから」
「……厳しい道のりになりますぞ」
「わかってる。楽をするために言ってるわけじゃない」
その手には、一枚の紙が握られていた。
イリオスからこっそり盗み出して写した、とある人物の連絡先。
「それで、私は……お母さんみたいに、誰かを助けれる探索者になる。だから、爺や。着いてきてくれるよね?」
その、姿に。言葉に。
───ラルウ! おヌシ、妾に着いてこい!
彼女の、面影を見た。
「……ええ、はい。たとえ地獄の果てまでも、お供いたしましょう」
もとより、そうするつもりだというのに。わざわざグレていた過去で脅しをかけてくるなど、あの人は。
遺言の可笑しさに笑いをこぼしながらも、腕を鳴らす。久々に、力を振るう時が来たようだ、と。
「まず、基礎体力を作る。そしたら、この人に連絡してみよう。どのくらいかかるか、わからないけど」
「ええ。大切なことです。……しかし、これは一体どちらの?」
「わかんない。イリオスの師匠だって、サンは言ってた」
「はて……?」
こうして、スノウは歩き出した。前を向いて。彼女の足跡を追って。
スノウはいずれ、この国の新たな英雄として名を馳せることになるのだが。それはまた、別の話だ。
◇
国を出た。だんだんと、魔窟が遠ざかっていく。
あの地にもう、英雄はいない。魔王もいない。それでも、そこで暮らす人々は生きていく。
きっと今日も探索者たちは魔窟に潜り、荒んだ心を震わせて、自分を鼓舞して前へと進む。
この国に住む人々の笑顔を、守るために。英雄の証を、この地に残すために。
「……さよなら。シーカスケイヴ」
生誕祭は、時間を空けて開催するらしい。
きっとソラさんは、それを望んだと思う。そういう人だったから。
……まだ雨は、止まないけれど。いつか、晴れ渡ってくれますように。
「……」
馬車の中で、会話はなかった。サンは、随分と疲れ果てているようだ。
……体ではなく。心の方が。
「……なぁ、ご主人。昨日の紙、どんなのだった?」
昼飯の時、サンはようやく口を開いた。
ちょっとだけ、調子が戻ってきたみたいだ。それでいい。少しずつ。少しずつでいいんだ。
「そうだな……サンにも、見せておくべきか」
ソラさんから受け取った紙を、サンに差し出した。
「これ……」
一つ目の部分は、千切って消した。サンにはまだ、知られたくないから。
いや、できればずっと。知ってほしくない。
「ソラ……」
彼女は、ふと。涙を溢した。
「あ……ごめっ……ちが、くて……スノウの、前は……そこで、泣くのは、違うって……だから、我慢、してて……」
「……ああ。そっか」
「ごめん……ごめんな、ソラ……! 俺はいっぱい、お前に助けてもらったのに……! 俺は……!!」
近頃の彼女は、ひどく不安定だ。師匠に命を狙われていた時よりも、さらにひどい。
「ご主人……俺、悔しいよ……!! 強く……強くなりたい……!! あのクソ野郎をぶっ飛ばせるくらい、強く!」
「……ああ。そうだな。強くなろう。二人で、一緒に」
それでも、俺たちは旅を続けなきゃいけない。
ソラさんが生きていたことと、死んだことを抱えて。生きていかなきゃいけない。
……それに、第一候補だったソラさんが死んでしまった。
誰か、別の人を探さないと。
「そのためにも、旅を続けないとね」
「うん……次は、どこにいくの……?」
ソラさんが残してくれた紙に書かれていたのは、奇しくも俺がよく知る場所で。
「悪竜の伝説が残る場所。御伽話の国。ファンタジアだ」
ああ、つくづく。数奇な人生だ。
「……ねぇ、ご主人」
もしかしたら、お天道様が罰を与えているのかもしれない。
「ご主人は、死なないでね」
だって、そうだろう?
「ご主人が死んだら、俺の旅はひとりぼっちだよ……?」
「……ああ。約束する」
こんな嘘を積み重ねるでしか、こいつを支えてやれないんだから。
2,3章と続いたシーカスケイヴ編はこれで終わりです。
次話から四章、従魔と悪竜編に入ります。