日が昇って、昼頃。
「ううん……意外と少ないな……」
イリオスとサンは、図書館に訪れていた。
見渡す限り一面の本、本、本。あまりの情報量に、最初サンは吐き気を催した。
「勇者ステラに関する記述……」
イリオスが持ち出した本は上から、「魔法の体を作るもの」、「ダンジョン黎明期大観」、「悪竜と勇者の対立」、エトセトラ。
上の二つは身体強化魔法と探索者の起源について。
一見すると無関係に思えるが、ステラ周りに関する記述を紐解こうとすれば必要になるだろう、と用意したものだ。
「ほーら、サン。また寝てるよ」
「んがっ!? はぅあ、っと……危なかった……」
「いや、完全にアウトだ」
サンの横に座って、本を山積みにした。
念のためにと持ってきたノートには、びっしりと書き込みがされている。
「待ってればよかったのに」
「……んーん。頑張る」
今朝の出来事だ。突然、サンが図書館に来るなど言い出したのは。
気になったことができた。それだけを伝えて、詳しくは教えてくれなかった。
信頼されていないだろうかと、イリオスは少し落ち込んでみせたが、あまりそういうわけでもなさそうだった。
「……」
サンの本に目を向けて見れば、上から「あくりゅうでんせつ」、「黒いドラゴンの住まう場所」、「よみがえる悪意」、エトセトラ。
一番上の児童書は、真っ先に読んだようだった。下の方にも積み上がっているが、背表紙が反対側に向いていて判別不可能だ。
「サン、わからない言葉はないかい?」
「……ん? あ……ない……意外と読めてる」
「へぇ」
一冊を終えるのにとんでもない時間がかかってはいるが、意外にも解読はできているらしい。
曰く、この世界に来てからこの世界の文字や言葉がわかる、とのことだったが、その影響なのだろうか。
「……サンも大概、不思議が多いな」
固有魔法といい、言葉といい、肉体といい。
正直、勇者よりも余程謎や不思議が多いだろう。
「ぼふぁっ!!」
「あらら」
とは言え、目の前で爆ぜている彼女を見ると、そんなことも忘れてしまいそうになる。
そんなサンを肴に、先程持ってきた本を開いた。
「……」
かなり古い話なだけあって、年代や著者によって解釈に大きな違いがある。
数年違うだけの本でも今までの内容がひっくり返されていたり、かと思えばまた元通りになったり。読んでいる身としては、ふざけるなと絶叫したいところだ。
「冷却魔法……」
ひんやりとさせた手を額に当てていると、サンが「ずりー」と言わんばかりに横に来て、手を引ったくっていった。
なんだか近所の犬を思い出すなぁ、と、小さな《スター・トレイル》を出し、ページを捲らせる。
無論、集中していないわけではないが。一体いつぶりにか、穏やかな時間が流れていた。
「ご主人、もうちょっとちべたく」
「はいはい」
「わー……」
サンも今日は、随分と体調が良さそうだ。
あの日からでは一番、というわけではないが、むしろ変にテンションが高い方が妙な危なっかしさを感じる。
総じて、最も落ち着いている。要は、普段通りの健全さといったところだ。
「よっし、充電完了。行ってくる」
「頑張って」
その数十秒後に爆発音が聞こえたのを、イリオスはなかったことにした。
それからさらに一時間、二時間……五時間が経って。
「ご主人。お腹すいた」
「ん……わ、暗っ。もうこんな時間か」
「うん。ごはん」
いつの間にやら、外も暗がり始めている。随分と長いこと集中していたようだ。
「なーなーご主人。行こーよー」
「待って、あとちょっと、これだけ……」
サンの集中力も限界そうだ。少し早いが、夕飯にしてもいいかもしれない。
最後に読んでいた本とページ数を書いて、それぞれの場所へ本棚を戻しに向かった。
「な、ご主人。なんかわかった?」
声に従って振り向くと、サンがふよふよと浮きながら話しかけてきていた。
ここは四階。一階から飛んで一気に来たのだろう。
「あんまり図書館で飛んじゃだめだよ」
「いいじゃん別に。あ、それしまってやるよ」
「どうも」
なるほど、梯子を使わなくてもいいのは便利かもしれない。次はサンに任せるとしよう。
画策しながら、二人で協力して本を戻し続ける。
「そうだな……ステラさんについて。彼女は、やはり異なる言語体系を有していたらしいこと。それは、成長と共にわかってきたこと。とか、かな……」
「ふーん……普通の言葉と一緒に話せるようになったってこと?」
「そういうこと。幼少期は普通の子だったらしいけど……」
この世界の諺や特別な言い回し。例えば、「胸を借りる」だとか。そういった者は、彼女の発した言葉に由来している。
それだけではなく、この世界そのものの技術や文化にも多大なる影響を及ぼしている。
「異世界からの転生者で、サンほどでないにしろ記憶を残していた。そう言われても、あまり不思議じゃないかな」
「ふーん……じゃあ俺のほうがすごいな」
「張り合うものではないんじゃないかな……?」
確かにサンは前例のない存在だが、だからといって誇るものでもない。むしろ、本人からしても嘆きたいところだろうに。
最後の本をしまい終えて、イリオスはサンに連れられて地面に降りた。
なんだかんだ、サンに空を運んでもらうのは習慣になっている。あまりいい癖とは言えないかもしれない。
「サンの方は?」
「んー、俺? 俺は……そんなに、かな……」
「……?」
あまり、期待した成果は得られなかったらしい。
「そっか。それじゃあ、次は僕も手伝うよ」
「……うん」
サンは、何かを覆い隠すように。ぎゅっとノートを抱きしめた。
「……大丈夫か?」
「何が?」
ケロッとして見せたが。ほんのわずかに、顔色に翳りが見えたような。
「それよかご主人、今日は肉が食べたい。焼肉」
「いつもじゃない」
しかしそれは、すぐに彼女の発言で打ち消されてしまう。
焼肉。脂が腹にきつい自分にはあまり良さがわからないが、サンはよく提案してくる。
基本的になんでもよく食べる彼女だが、主な好みはやはり肉なのだ。
「魚、魚、今日こそ魚ニャー」
「ミーニャの嬢ちゃん、あんまり急ぐと危ねぇぞ?」
「いいじゃない、今日くらい……と、あ。ロリコンニャ」
そうして歩いていると、イリオスは謂れない罵倒を浴びせられた。
「誰がですか!! ……こんばんは、ミーニャさん。バウさん。パーシァさん。ノワールさん」
「おぉ、坊主。奇遇だな。サンの嬢ちゃんも」
「み、ミーニャさん! 失礼ですよ、出会い頭に!」
「ロリコンにロリコンって言って悪いわけないニャー」
───なんだこの、雑な弄りは。
イリオスは一瞬青筋を浮かべたが、頭を振ってすぐに収めた。
ソラといいスノウといい、やれ人をロリコンだのなんだのと言ってくるが、そんな事実はないのだから気にする必要はない。
真のロリコン、ではなく、年下趣味は、己の師のようなやつのことを言うのだ。
どうか彼女らに一目ウェイラを見せてやりたいところだと、イリオスは後ろ髪を掻いた。
世界のどこかでウェイラの血管が数本引きちぎれたことなど、イリオスに走る由もないことだった。
「いけません、そんな邪推は! 見てください、イリオス様もサン様も困っているではありませんか」
「そいつ昨日サンと寝てたニャ」
「……え?」
───何故、それを知っている?
朝、起きた時。サンは確かに、別のベッドで寝ていた。
扉の鍵は開いており、サンが目覚めたものだろうと勝手に思い込んでいた。
だがしかし、外から潜入した何者かの仕業なら。
「……ほ、本当なんですか!?」
そんなふうに、考え込んでしまったのがいけなかったのだろうか。
「え、いや……えっと……」
「い、いけませんよ! サン様はまだ子供じゃないですか!! なのにそんなその、そんなふら、不埒な……!!」
「ご、誤解です!!」
そう、本当に誤解なのだ。
ただ部屋に入ったらサンが抱きついてきて、押し倒されて、暖かい体温でぐっすり寝てしまっただけで。
しまった、あまり誤解でもないのかもしれない。
「がっつり同衾してたニャ」
「イリオス様!!」
───この猫畜生。人が必死こいて頭を回してるって言うのに。
珍しく荒々しい口調に戻りながらも、イリオスは疲れた頭を必死に回していた。
その結果、出力されたのは。
「な、なにもしてないですから!!」
この有様である。こんなことを言う奴が何もしていないわけがない。
だがしかし、こう主張するしかないのだ。何故なら、本当に何もしていないから。
「まあ待て、パーシァの嬢ちゃん。本当に誤解ってことも」
「サンはグッショグショになってたニャ」
「……あ、あるだろ? なぁ、信じていいんだよな坊主?」
「なんですかそれは!! 本当に知りませんよ!?」
イリオスは助け舟を求めて、サンを見る。
しかしサンは、雨でびしょ濡れになったことの何が悪いんだろう。あ、ちょうちょさんだ。おいしそうだなぁ。と、能天気に、他人事に考えていた。
「なんて、冗談冗談。昨日サンが雨なのに外にいてニャ。助けに行ったの」
「……お前なぁ」
「ごめんごめん。イリオスも悪かったニャ」
「……」
イリオスの中でミーニャの信頼度が一段下がった。
「でも、なんで一緒に寝てたのかは……あとで、ちゃんと説明してもらうからね」
「あ……は、はい……」
かと思ったが、カマをかけていただけのようである。
ミーニャは獣人だけあって、嗅覚が鋭い。
昨夜、何故かイリオスからサンの匂いが色濃かったことから疑いを入れていたが、見事に的中していた。
「っかしミーニャの嬢ちゃん、んなことがあったのか」
「少しおしゃべりしてから寝たんだよ。ねー、サン?」
「ん……ああ、うん……」
サンは捕食者の目つきをしながら、生返事を返した。
その目線は蝶々へと向けられており、尻尾はゆらゆらと揺れている。
「寒いからーって、君のマントを羽織ってたんだよ」
「通りで、ビッショビショに……」
一応変えはあるが、あまり変な使い方はしないでほしい。
今朝方干してきたそれの存在を思い出しながら、イリオスは軽く咳き込んで。
「それにしても、みなさんどうしてここに?」
「んー、ああ。それはねぇ……行きたいところがあって」
「……」
ああ、例の散財癖か。パーシァの全てを諦めた眼差しで、イリオスはそのことを察した。
ここから行った先に、確か商店街があったはず。目的地はそこだろう。
「よければ一緒にどう?」
「いえ、俺たちは」
「露店とかも結構あるよ。バハムート焼きっていうのが美味しいニャ」
「行こうご主人。すぐ行こう、すごく食べよう!!」
「……はいはい」
腕を引っ張られて、イリオスは呆れたように苦笑いをした。
◇
そうして、商店街に訪れたまでは良かったが。
「……バハムート、焼き?」
「バハムート焼き。私の分もいる?」
ミーニャに紙袋から手渡された件の食べ物を見て、サンは目を白黒させていた。
「……中身は?」
「豆を甘く煮た……『あんこ』だっけ? らしいニャ」
「俺の方は菜の花の漬物だな」
サンの手に握られているのは、きつね色にこんがりと焼けた、鱗を持った目の大きな魚で。
───たい焼きだ、これ。
何がバハムートだ馬鹿馬鹿しいと、サンは半ば八つ当たり気味にそれを食らった。
生き物の肉を期待していたというのに、落胆もいいところである。
「甘いですね……」
「なんだ坊主、甘いのは苦手か? こっちはどうだ?」
イリオスが微妙な顔つきになっていると、バウが自分のバハムート焼きを分けてくれる。
食べてみると中身は塩辛く、少し舌がピリッとした。
「うまいですね」
「だろ? 嬢ちゃん共はあっちの甘いのが好きだけどよ、俺はこっちの方がしっくり来るんだ」
次買うときはこっちにしてみよう。
そんなことを考えていると、さらにノワールが近寄ってきて。
「……俺のも、食ってみるといい」
「いいんですか?」
今までダンマリを決め込んでいたノワールが、始めて喋ってくれた。
とても喜ばしいところではあるが、あまり関わりもないのに口に食べ物を持ってくるのは如何なものか。
距離感のおかしい騎士風の男に少し距離を保ちながらも、一口。
「熱っ……!? いや、うまい……!!」
中身は野菜と肉を刻み、おそらくニンニクや塩、酒、ソイソースで味付けをしたのだろう。
「……そうだろう。こっちも、おすすめだ」
ノワールが指差す先には、多種多様な具材たち。
サンから言わせればそんなものはたい焼きではないが、これはバハムート焼きなので問題なかった。
「肉ぅ……」
「はは! サンの嬢ちゃんには微妙だったか?」
「そうじゃないけど……肉の腹になってた……」
食べ歩きながら、イリオスたちは尚も歩みを進める。
そうして、たどり着いたのは。
「……なんですか、ここ?」
「夢を買う場所だよ」
「欲望と怠惰の温床です」
大きな門に、でかでかと書かれた文字。
フィッシュレース。不穏な文字に、イリオスは顔を顰める。
「……これって、ひょっとして」
「おっちゃん!! 一が七、二が一、三が五の三連単で三十一枚くれニャ!!」
「はいよ!」
いつのまにか奥まで移動したミーニャは、早速券を購入していた。
そこでようやく、サンも気づく。
「ギャンブルだこれ」
「帰ろう、サン」
「ちょおーっと待ってニャ!?」
踵を返そうとするサンとイリオスに近づいて、ミーニャは一枚の紙を差し出す。
先程ミーニャが宣言した通りの内容が書かれた、一枚の紙切れ。
「にゃふふ、二人にもラッキーをお裾分けニャ。おっと、お礼なんて」
「ご主人、破っていい?」
「いいよ」
「ギニャー!?」
サンが力を込め始めたそれを、ミーニャは急いで取り戻した。
「何するの!? これはたくさんのお金になるんだよ!?」
「まだなるかわからないですよ!?」
「なるの!! 私今日のために色々調べてるんだから!!」
パーシァは心底冷めた顔でミーニャを見ていた。
あの人、あんな顔できるんだなぁ。と、サンはどこか遠くでそんなことを考えた。
「い、いいじゃんいいじゃん!! 夢見たって!! みんなギャンブルを毛嫌いしすぎだよ!! そもそもこれは応援の意味もあるし!! 趣味で楽しむ分には文句ないでしょ!?」
「それで支払いができなくなってたのはどなたでしょうか」
「う……! い、いやでも!! 負けたってその分取り戻せばいいもん!!」
「見ろ、ご主人。あの目」
ミーニャの目は、黒く澱んでいた。深い沼に沈んでいる者の目である。
「と、とにかく! 一回見てみようよ!! これあげるから、ねっ、ねっ!?」
「……ミーニャの嬢ちゃん。毎度言ってるけどよ、趣味で楽しむなら単勝とかでもいいんじゃねぇかな……」
ちなみに三連単は一から三着をピッタリ当てることで、単勝は一着のみを当てるものである。
要は、ミーニャが通っているのは狭き門なのだ。
かく言うバウは、ちゃっかり十枚、七の単勝を買っていた。
「……まあ、一応貰っておきますね」
一応、興味がないこともない。
何せ、ステラが残した文化の一つなのだ。清廉潔白に思える勇者様は、意外にも俗だったらしい。
「でも、サンは入れませんよ。未成年ですし」
「え、そうなの?」
「ここはダメだニャ……大体の場所は大丈夫なんだけど……」
残念だニャ、可哀想にニャと、何故だか盛大に同情をかまされたサン。
少しばかりイラッとしながらも、グッと噛むのを堪えた。自分は目の前の、理性のない畜生とは違うのだ。
「サンは、俺と待っているか?」
「……え」
「私も、ここで待たせていただきますね……」
一瞬ノワールと二人きりになりかけてサンは濁音を出したが、パーシァの付き添いがあると理解しすぐにホッとした。
「サン、いい子にしてるんだよ?」
「子供扱いすんな!!」
最後にサンを揶揄って、フィッシュレースとやらの会場へ進む。
すると、途中でバウがそっと道を外れた。
「バウさん?」
「知り合いがいてな。ここでしか会えねえんだわ。ってことで悪いな、イリオスの坊主」
否、避難である。ミーニャはレースになると騒がしいのだ。
「何ニャ、みんなして」
「あはは……」
二人きりに、という事実に、少し気まずさを覚える。
しかし、こうなるのも必然だったのだ。
「まあでも、丁度いい機会かニャ」
サンは未成年であるが故、会場に入れない。すると一人で置いて行けない故、同伴者が必要となる。
バウは毎度ここに入るためまずない。そうなるとパーシァかノワールだが、ノワールが言い出せば好意を寄せているパーシァは残るだろう。
そしてバウも、最終的には逸れることになる。
「君に聞きたいことがあったから」
要するに。
「ねえ。あの子のこと、どうするつもりなの?」
「……え?」
こうして人目につかない場所に追い込んで、壁に短剣を突き立てる。
この状況に至るまでが、全てミーニャの予想通り。ということである。