最初に目についたのは、大きなマントだった。白色のそれは、これでもかと存在感を主張している。
丸みを帯びた青い髪はほとんど切り揃えられていて、ほんの少しだけ襟足が長い。明るくて、薄くて、淡い空色だった。
あと左耳にピアスついてる。
一番特徴的なのは、その穏やかな目。髪よりも濃くて、青よりも緑に近い気がする。
なんというか、道端で子犬拾って「ははっ、びしょびしょだなお前」って言っててもギリ許されそうな顔してる。
「グルル……」
「ああ、ダメだよ。まだ動いちゃ……って、言ってもわかんないもんなぁ」
でもその一方で女殴ってるって言われても納得する。人を顔で決めつけるのは良くないけど。
「どれ」
「ッ!」
男が一歩、こちらへ寄る。俺も一歩後ろに下がる。
「……」
「……」
寄る。下がる。寄る。下がる。
「ガァッ!」
遊んでやがるなこの野郎!
「あははっ。ごめんよ、怖がらせたね」
俺の怒りを理解したのか、男は可笑しくなったように笑った。
そのあとふいっと目を逸らして、それがなぜだか少し安心した。
「まだ少し落ち着かないだろうし、休むといい。僕もここにいるけれど」
男は壁の端を通りながらゆっくりと椅子に座って、バンドで十字に結ばれた、革製の四角いポーチから本を取り出した。
それだけに目線を向けて、黙々と読み始める。使い古された本に見える。
何度も読んだだろうに、飽きないのかな。古本なのかもしれない。
「……」
で、結局ここはどこなんだよ。そう思って周りを観察する。狭くて、簡素な部屋。
クローゼットなどの家具があるけれど、その中身には服がほとんどない。それから、男の横に置かれた大きなカバン。ホテルや宿だということがわかる。
じゃあ、あれか。ぶっ飛ばされて意識飛んで、そんでその間にここまで……助けてくれた、のか?
「グゥー……?」
でもさっきは探索者、だっけ? あいつらに襲われたし……じゃあこいつは探索者じゃないってこと? それともあれか、子供は殺せない主義みたいな……?
あちこち手当てされてるし。
「グル……?」
というか俺、よく生きてたな。ひょっとしてこの体、すごく頑丈なんだろうか。
今はそうじゃなくて、えぇと、何考えてたっけ。
「ア……」
そうだ、お腹すいてるんだった。
「ああ、ご飯か。食えそうか? ちょっと待っててな」
腹の音に気づいたのか、男はスッとその場を離れる。飯だ。これは多分飯だ。期待ゲージが高まる。
いや、無警戒が過ぎる気もするけど……ひとまずは助けてくれたってことで間違いない。眠ってる間になんでもできたんだ。わざわざ殺そうとしたりはしない、はず……。
……ダメだ。「飯を食いたい」に思考が引っ張られて、自分の判断に自信がない。
「ほれ、『サン』」
と、戻ってきたか。どれどれ、中身の方はー?
「ここ、置いておくからね」
男の置いた器の方へ行くと、そこには。
「グル、ゥ……」
水はいい。うん、ありがたい。でもなんというか、飯の方。これは、あまりに素材の味がすぎるというか……レタスっぽい野菜の上に、鶏っぽい肉。ササミっぽい?あと多分、芋っぽいものが。
……出された食事に文句は言うまい。
スッゲー質素だとは思うけど、飯は飯だ。熊肉を生で食うよりマシ。
というか、作ってもらったんだから感謝すべきだろう。
ありがとうございます、いただきます。
「……」
食べた結果、超うまいなんてことはなく。全体的にうすあじ。
「グゥ……」
「お、おいしくなかったかな……?」
と、何見てんのさ。人が食うところをジロジロ見てるんじゃないよ。
「わ、わかったよ。ごめんってば」
怒りを込めた視線が伝わったのか、男は再び本に集中した。
お腹に少しずつ、食べたものが溜まっていくのがわかる。
「ウゥ……」
……なんかさ。目が覚めたらいきなりわけわかんねぇことになってて。しかも襲われるし。切られるし。操られるし。死にかけるし。
大変、だったな。
「グゥウウウウウウウ……!」
生きてる……よかった、生きてて。
「お、食べ終わったか。えらいぞ、『サン』」
あとさっきから『サン』って言ってるの、これは俺の名前のつもりなんだろうか。
奇しくも、前世のあだ名と同じ。『
なんでそんな名前にしたかね。あれかな、なんか雷出てたし『サンダードラゴン』からとって『サン』とか? ああでも、これは英語だし違うか。知ってるはずないもんな。
「……というかサン、口の周りすごく汚れてるな。どれ、おいで。拭いてやる」
「グルル……」
「いや、今更唸られても……」
危ない。完全に警戒が解けてた。まだこの男が鬼畜変態ケモナーな可能性も捨てきれてないんだ。
あの四人組といい、黒い男といい、この世界の人間は
「お、自分で拭いたのか。利口なやつ」
とにかく、しばらくは要警戒。観察期間としよう。
◇
と、息巻いてから、数日。
「あら、サンちゃん。お散歩?」
「グゥー」
思った以上に何も起こらない。食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日だ。
あの男の情報についてわかったことといえば、名前くらい。『イリオス』と言うらしい。それと他には、昼間はダンジョンに行ってるらしいこと。
「このお家の中と、お庭だけね。気をつけるんだよ」
それと、宿屋の女の人と少し仲良くなった。というか、イリオスがいない間俺の面倒を見てくれる。名前は「ニィナ」。この世界ではありがちな名前だそうだ。
と、まあこんな感じで集まってくるのは、この世界についての情報ばっかり。
宿屋の様子から察するに、家電じゃないけど似たようなものはある。
少し構造が単純だから元いた世界よりは発展してないけど、魔法とかいうので色々便利になってるらしい。その影響か、街並みは古い感じだ。
「ハー……」
あの四人組が言ってたことも、少し意味がわかってきた。
魔道具は、ダンジョンを完全攻略すると手に入る不思議なもの。物理現象を無視したことが起こるらしい。
それぞれのダンジョンには中核になる強大な魔物がいて、それを倒すことが完全攻略にあたる。
ダンジョンは自然発生して、どこにでもできる。地上で発生すると、普通の森とかと見た目で区別がつかないこともある。
一応、中には生き物が多く、かつそれらは積極的にダンジョン外の生き物を襲うから、それで区別がつくらしい。
相変わらず、ファンタジーにも程がある。ちょっとワクワクもするけど。すごくゲームっぽいというか、現実なのに現実味がない。
「ガァアア……」
ってことは、あの俺を操った男が使ってたのも魔道具ってやつなんだろう。杖みたいなの。それはまあ、もういい。今更いいとして、だ。
「グッ」
鏡を見て、自分の首元を見つめる。鎖のような模様が、ぐるっと一周巻き付けられていた。
あの男の魔道具の効果。一回きりではなかったらしい。
この前、飯を食ったあとの時のことだ。イリオスに散歩に連れて行かれそうになった。それはもう、首輪を持ち出して。キレそうになった。
で、外に逃げようとした時、言われたのだ。
「あ、こら! 《止まって》!」
とね。一瞬で体が動かなくなりましたとも。
要するに、俺はあの男に操られてしまったらしい。最悪すぎる。
……ただ、俺が散歩を嫌がってるのを妙に思ったのか、それ以降は首輪をつけようとするのはやめた。その代わりに、「《逃げる目的で外に出ないこと、必ず家に戻ること》」と命令を賜って、宿屋の中と庭で運動をすることになった。
まあ、つまり。操られてるとはいえ、結構俺の意思は汲んでくれるのだ。
「あ、サンちゃん。イリオスさん帰って来たよ。出迎えてあげて」
「グゥ……」
「嫌そう……」
こんな感じで、イリオス以外の命令に強制力はない。どうして命令する力があの男にあるのか。
黒ずくめの男とは明らかにガタイが違うから、二人が同一人物って線はない。イリオスの方が細身だ。
「ああ、サン。ただいま」
「ガー」
「イリオスさん、お帰りなさいい」
「ニィナさん。ただいま。ごめんなさい、サンの面倒見てもらっちゃって。ご迷惑はおかけしませんでしたか?」
「ええ、すっごくいい子で……」
つまり新たに魔道具で操られたか、他の方法で命令できる権利を自分のものにしたか。
なんにせよ、悪用する気はなさそうだ。
「よいしょ、っと。そろそろ寝るか。サン、おいで」
「グゥウ……」
「ははっ、嫌か」
こうして、特に理由のない場面では俺の感情を優先してくれる。
命令をする場面はたった三つ。俺が誰かを傷つけようとした時、逃げようとした時、俺自身が危ない時。
「なぁ、そろそろ撫でるくらいは……」
「ウゥ」
俺の顎より下の位置から、ゆっくりと手を差し出される。ある程度の距離を保って、それ以上は動かない。
「……」
信用できるかわからなかったから、俺がこの世界の言葉を理解できることも、喋れなくてもコミュニケーションの手段があることも、まだ隠してる。
隠していた、けれど。
「ンー……」
こちらを安心させようとしているのはわかる。俺を害する気がないことも、助けてくれたことも。
「グル」
それに、イリオスのこともそんなに嫌いじゃない。自らの優しさを、時間と誠実さで示してくれた。俺は、それを信じてみることにする。
「っ……!」
だから、まあ。明日から、意思疎通をきちんとするとしよう。そうすれば、俺のことも手伝ってくれるかもしれない。
でも、今日は眠い。また明日。
「ありがと、サン。おやすみ」
「ウゥ……」
うん、おやすみ。
◇
なんて、そう思って。後回しにしたのが、悪かったのだろう。
「遅いね、イリオスさん」
「ルゥ」
風の強い日だった。いつも通り、昼間彼はダンジョンへ行ってしまって。
「ご飯、先食べちゃっていいよ」
「……」
変わらず薄味な料理が、いつも以上に味を感じることができなくて。
「……ちゃんと、帰ってくるよね?」
その日、イリオスは帰ってこなかった。