翌日の昼になっても、イリオスの姿は見えなかった。
ダンジョンに向かったのは、昨日の朝。早くだったから、真実を伝える時間さえなかった。
「……」
まあ、きっと夜になればひょっこり帰ってくるさ。「一日帰る日を間違えた」なんて言って、何事もなかったかのようにここに戻るんだ。
そしたら、今度こそ話をしよう。俺が元人間だってことを伝えよう。そしたら、あいつも協力してくれて。
「グウッ……!」
って、そんなわけねーだろ……! 何誤魔化そうとしてんだ俺は……!?
異常だ。今日まで数日、何があっても日が暮れる前には戻ってきた。なのに帰って来ないんならなんか異常があったに決まってんだろうが。
ダンジョンだぞ。あの化け物もいる。何が起こってもおかしくない。
「グルゥ……」
なのに、俺は馬鹿だ。なんで「また明日」が来ると思い込んでたんだ? 伝えたいことなんて、伝えられないことの方がたくさんなのに。
「……ウゥ」
……今なら、間に合うかな。ダンジョンに行けば、まだ生きてるかもしれない。会えるのかな。
「ッ……!」
でも、ダンジョンにはあんな化け物が。また、死にかけるような目に遭うかもしれない。人間にだって襲われるかもしれない。
怖い。
どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「サンちゃん? ここにいたんだね。ベッドで待ってたの?」
「グッ?」
「ほら、おいで。今日は私の部屋で寝ようね」
「……?」
ニィナさん。なんで、この部屋に?
「……イリオスさんから、お願いされてたんだ。僕に何かあったら、サンをよろしくお願いしますって」
「ッ……!」
……ああ、クソ。クソ、クソクソクソッ!!
「ガァアアアアッ!!」
「っ、サンちゃん!?」
ふざけんなっ!! クソ大馬鹿野郎が!!
助けられるかもしれないんだぞ、今なら! あんなに俺を大切にしてくれたのに、俺は恐怖だけでその恩返し一つすらやめようって言うのか!?
それで明日も飯食って、俺はそれで満足か!?
「ちょっと、サンちゃん!? ダメ!!」
なわけねぇだろ!! 糞食らえだ!! それで食べる明日の飯は美味しくない!!
見殺しになんてしてたまるか! できることだけやってやる、足掻いてやる!!
「グァアアッ!!」
外には出れる。逃げる目的じゃない、助けるためだから。
ダンジョンの位置もわかる。イリオスの匂いを辿っていけばいい。ダンジョンの中でもこれができれば、きっと。
「ウゥウウッ!」
「あ、おいこら!」
なんか今横に人がいた気がするけど、関係ない。
洞穴の中。徐々に地下へ向かう道を、駆ける。
……待った、徐々に地下?
「ッ、ウァアアッ!?」
なんっじゃこりゃ!? 地下なのに空が見える! しかも俺がいた森ってこれか! 意味わからん! でも今どうでもいいなそれ!
「グルルルァアアアアアアッ!!」
匂いは辿れる。待ってろ、イリオス。今助けにいく!
◇
そんなサンの覚悟は露知らず。イリオスは、ダンジョンの中にいた。
───まずったなぁ。
無意識に自嘲して、天を仰ぐ。映るのは、真っ黒な天井のみ。
「あんなのがいるなんて」
ぼやきながら、今にしてみれば最初の失敗はあの時だったな、と思い出す。
サンを見つけたこのダンジョン。小規模なダンジョン群があるだけのこの地域にしては、随分と広い。それもそのはず、あのダンジョンボスをみれば納得というものだ。
異形。その一言に尽きた。
「まあ、正体は察しがついたけれど」
イリオスとて、決して弱くはない。しばらくは、戦闘を繰り広げた。しかし、途中で気付いたのだ。この魔物を殺すのはまずい、と。
理由は単純明快、サンのためだった。ダンジョン内の魔物は、完全攻略されればダンジョンの崩壊に伴って死ぬ運命。
サンも、その一匹だ。
「違うよなぁ……」
と、いうわけでもない。ダンジョン内の生物は、基本的に人間を襲うことを優先する。
従魔契約によってある程度無理やり操れるが、あれは抵抗することも可能だ。ただし、続ければ最悪死ぬ。サンが最初危険な状況だったのは、それが原因。
しかしサンは、イリオスを襲うそぶりは見せなかった。
加えて、先んじてしてあった「《人を傷つけるな》」という命令に逆らって、苦しむそぶりもみせない。
本来ダンジョン産の魔物は徐々に調教していくものだが、サンにはそれが必要ない。
つまりサンはダンジョンで生まれたわけでなく、迷い込んだ魔物なのだ。
「って、先に気付けたらよかったんだけどね」
それに気づくことができず、動揺でブレた剣先。ダンジョンボスの猛攻。とどめとばかりに、崖下に突き飛ばされ。
「全く、勘弁願いたいよ」
その下にいた、大量の魔物。それらを鏖殺して、洞穴に避難し。彼はようやく一息ついていた。
「っ、つつつ……」
軋む体に、痛む傷口。食料は少し余分にとってある。一晩仮眠をとって、ようやく体力も回復してきた。
「……」
もう、一休み。考えて、首を横に振る。
宿に帰れば、サンが待っている。そう思うだけで、気力で体を動かすことができた。
「よし、っと。どれ、もうひと頑張り」
奮起して、洞穴から出た直後。
「ァアアアアアアアア!!」
「ん?」
上方から、叫び声。魔物の鳴き声。
「っは、サンっ? あぅっ!」
「グァアアア……!」
上から落ちてきた自身の従魔に激突されて、彼は二つの意味から頭を抱えた。
◇
危なかった、崖で足滑らせて死ぬかと思った……!
つーかこの翼は飾りかっつーの! 飛べんし!
「さ、サン? どうしてここに!?」
「ガッ!」
でもそのおかげでイリオスと会えたし、結果オーライか。
……生きてた。よかった。しかも、思ったより元気そうだし。大怪我してるかと思ったけど、返り血の部分も多いし。
ほんとに、心配したんだからな。死んだら会えなくなっちゃうんだから。わざわざ助けに来たんだからな!
「ガッ、ガガッ! グガッ、ギャア! フンッ!」
「……ははっ。ひょっとして、怒ってるか? 助けに来てくれたんだな。ありがとう」
「グゥッ!」
よし、伝わった。人間言葉を通さなくても伝わることは多いのだ。さっきと真逆のこと言ってるけど。
「登場の仕方はあんまりだったけどね」
「ウゥ……」
それを言うな。頭同士でぶつかったけど、二人とも無事でよかった。
……いや、なんで無事なんだよ。やっぱ俺って頑丈なのかな。
「ごめんよ、心配かけて。もう大丈夫。帰ろう」
「ガァッ!」
イリオスの肩に乗ってそのまま移動していると、地面には大量の魔物の死体が。
……うわぁ。えぇ、これ全部こいつがやったの?
「……あっ……い、いや、その、ね? 彼らいきなり襲ってきたから、流石に僕も自己防衛というか、その……サンを切ったりはしないよ?」
「ガゥ……」
そこじゃねぇよ……この量を剣一本で捌き切ったことに怖がってるんだよ。なんなんだこいつ。
「サン、喉乾かないか?」
そう言って、イリオスは手のひらの上に水を作った。
どこから取り出したのか、カップに入れてそれを差し出した。
「グルァア……」
魔法だ、すっげー。こういうのを魔法って言うんだよな?
生き物の体にある魔力を使って、他の科学法則を無視する。魔法は魔法だけで法則が独立してるような感じだ。
「グゥ……?」
水を飲み終わっちゃったから真似しようと思ったけど、出ない。
っかしーな、確かにあの時はこうやって念じるだけで……。
「グギィイアアアアアアアアッ!!!」
「ッ……!」
なんて、そんな思考は、一瞬で霧散した。
あの声だ。あの化け物が、いるんだ。今、後ろに。
「グゥッ……!」
イリオスは疲れてるはず。ここは、俺が守らないと……!
あの時の魔法……! 出ろ、出ろ出ろ出ろ出ろ……!
「グゥウウウウウウウッ……ウ、ゥウ……!?」
出ない、どうして。
「ああ、心配いらないよ。彼の正体はもうわかった」
「グゥッ!?」
安心させるような手つきで、イリオスが撫でてくる。許可なく撫でるな。いや、それはよくって。正体?
「サン、君が襲われたのはあの魔物だろう? ダンジョンボスだろうに、よく耐えたな。えらいぞ」
「グッ!?」
間違ってないけど、なんでわかるんだ……!?
そんな疑問を解消するよりも先に、イリオスは駆け出す。俺を肩に乗せたまま。
「うん、確かにこいつは怖い。見た目は化け物だし、このよう、にッ!!」
「ギギィイヤァアア……!」
「ダメージを与えても、完治してしまうからね」
ああ。やっぱりそうなのか。俺が雷で攻撃した時も、直ぐに反撃してきたし。
でも、だったら心配しかないんだけど!?
「でも、この世に傷を一瞬で治し続けれる生物はいない。気付いたよ、からくりがあるって」
「……!」
異形の攻撃を全て身軽にかわしながら、イリオスは徐々にその体を切り捨て、削っていく。
「こうして肉を切って、削るとわかりやすい。彼の体積は徐々に減っているんだ。つまり治っているのではなく、変形している。血があまり出ないのも、それを裏付けているね」
「ガァ……!?」
本当だ……少しずつ、体が小さくなってるような……!?
「ピンと来たよ」
イリオスの動きは、突然先程よりもさらに素早くなった。無数の斬撃で化け物を切りつけて。
「スライムの亜種。不定形の擬態型魔法生物、シェイプシフター。それが、こいつの正体だ」
それが人間の頭ほどのサイズになったところを、魔法の炎で焼き尽くした。
「ギャアアア!!」
……ちょっと、かわいそうだな。
というかこれ、俺が助けに来る必要なかったんじゃ。
そんなことを考えながらしばらく待つと、そいつの焼死体だけが残っていた。
「途中誰かが雷魔法を撃ったみたいだけれど……スライムの体表は導電性が高いから、あまり有効な手段とは言えないな。電気が地面に逃げる」
「ウッ」
はい、それ俺です。あまり有効な手段とは言えなかったらしいです。なんかごめんなさい。
「と、魔道具」
化け物、シェイプシフターの肉体はいつの間にか消えていた。そこには、手鏡のようなものだけが残されていた。
「……やっぱり、ダンジョンボスか。それを加味しても、やけに強かった気がするけれど」
「アァ……」
「ん? 気になるか?」
綺麗だな。野生動物だし、鏡なんて見たことないだろうに。なんで魔物から鏡が生まれるんだろう。
というか、じっくり実物の魔道具を見るのは初めてだ。ちょっとそれ見せてほしい。
「あ、こら! サン!!」
「ア?」
鏡に触れた瞬間。光が、視界を覆い尽くす。
「あ、ァアアアア!?」
体の感触が、鋭敏になる。
「ぅああああああ、あ?」
声が、高い。さっきまでの、唸り声じゃない。
「ううっ……!?」
そうしてしばらくすると、ようやく光も収まった。
「っと、眩しっ……なんなんだよこれ……」
「っ……!」
目を擦るとそこにはいつも通りの視界が、あれ? 色が普通だ。しかも、目を擦る感触が柔らかい。
……というか俺、今普通に喋ってなかった?
「……あー、おほん。マイクテス、マイクテス。ホンジツハセイテンナリ。おお!」
喋れてる! 指! 指ある!
体も! 鱗に覆われてた時と違って、しっかり触覚がある! 鋭敏だ!
「体、人間に戻ってる!?」
マジか!? なんで!?
ひょっとしてあれか、魔道具の効果!? 鏡だしなんかこう、真実を映し出す……的な!?
「あ……っ、サ……ン……?」
「んっ!」
イリオスの声だ。顔を見ると、すごく驚いている。そっか、流石にびっくりするよな。ドラゴンが人間になったんだもの。
でも、俺は元から人間だったんだぜ? 全部、話そう。これまでのこと。
「見ろよこれ、ご主人様!! 人間! 人間の体だぜ!?」
……いや待て。なんか今、おかしくなかったか?
そんな疑問への答えを出すより先に、イリオスは頬をほんのり赤く染めて。
「君……女の子だったのか……!?」
「へ?」
女の子? 誰が? ははっ、ナイスジョーク。
見ろよこの体。小さいけど柔らかい胸に、股間には何もなくて……何もなくて……?
「……おっ……俺、