王都ローデイル。
かつて黄金樹の威光に包まれ、栄華を極めたこの都も、今や静寂と衰退の中にあった。
石畳はひび割れ、兵士たちは終わりのない警備に疲弊し、どこか諦めの空気が漂っている。
その最奥、黄金樹の麓にある「エルデの玉座」。
一人の巨人が、杖をつきながら孤独に立っていた。
ボロ布のようなローブを纏い、角に覆われた醜い顔を隠すように俯く男。
モーゴット。
世間にはその正体を隠し、「忌み鬼マルギット」として、あるいは姿なき王として、この都を守り続けてきた「祝福の王」である。
「……褪せ人どもめ。また、湧いて出たか」
モーゴットは遠くリムグレイブの方角を睨み、苦々しく吐き捨てた。
大ルーンを持たぬ卑しき略奪者たちが、また野心を燃やしている気配を感じる。
彼にとって、この玉座を守ることは呪いであり、唯一の愛の証明だった。誰からも愛されず、黄金樹に拒絶されたとしても、彼だけは黄金樹を愛し続けなければならない。それが、忌み子として生まれた彼の矜持だった。
その時だ。
ズゥゥゥ……ン
地響きが、足元から伝わってきた。
最初は地震かと思った。だが違う。振動源は地下深く、さらに言えば「黄金樹の根」そのものだ。
モーゴットは背後の黄金樹を見上げた。
そして、我が目を疑った。
黄金樹を覆い、誰も立ち入らせぬように封印していた「拒絶の刺」。
ラダゴン王の意志そのものである絶対の封印が、まるで恐れおののくように、あるいは歓喜に打ち震えるように、ざわめき始めたのだ。
刺が、ほどけていく。
燃やすことなど不可能なはずの刺が、自ら道を開けようとしている。
「な、何事だ……!? 黄金樹が、誰かを招いているというのか?」
モーゴットは狼狽した。自分がどれほど愛しても、決して扉を開かなかった黄金樹が。
直後、王都の空が暗転した。
太陽が隠れたのではない。黒い雷雲が、爆発的な速度で都の上空を覆い尽くしたのだ。
雷鳴が轟く。だがそれは黄金の色をしている。
ギャアアアアアオオオオオッ!!
劈くような竜の咆哮と共に、下層の雲海を突き破って巨大な影が舞い上がった。
四枚の翼を持つ古竜。その背に、金と黒の光を纏う「何か」が乗っている。
竜は王都の防壁を軽々と飛び越え、一直線にエルデの玉座へと降下してくる。
「古竜……! 都を襲うか、獣めッ!」
モーゴットは杖の中に隠された呪剣を引き抜いた。
敵だ。黄金樹を害する者だ。誰であろうと、我が命に代えても排除する。
彼は全霊の力を込め、空から迫る影へと跳躍した。
空中で呪血の剣を振り上げ、必殺の一撃を叩き込もうとする。
「去れッ! 野心の火に焼かれた愚か者よッ!!」
その刃が、竜の背に乗る男に届こうとした瞬間。
男は動じなかった。武器すら抜かなかった。
ただ、静かに右手を掲げただけだ。
カッッッ!!
黄金の衝撃波が弾けた。
モーゴットの巨体は、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、石畳の上を激しく転がった。
「ぐぅ、ッ……!?」
圧倒的な力。だが、殺意はない。
モーゴットはすぐに体勢を立て直し、獣のような唸り声を上げて敵を睨みつけた。
砂煙が晴れていく。
古竜フォルサクスが翼を畳んで降り立つ。そして、その背からゆっくりと、男が石畳に足を下ろした。
その姿を見た瞬間、モーゴットの時が止まった。
輝ける金髪。威風堂々たる肉体。
記憶の中にある姿よりも青白く、どこか冷たい空気を纏っているが、その魂の色を間違えるはずがない。
幼き日、忌み子として地下水道に捨てられる自分を、唯一、人間として扱ってくれた兄。
誰よりも強く、誰よりも優しかった、黄金の象徴。
「……まさ、か……」
モーゴットの手から剣が滑り落ち、硬い音を立てた。
男は――ゴッドウィンは、静かに歩み寄ってくる。
その双眸には、かつてのような温かさと、深淵を覗くような底知れぬ「死」の闇が同居していた。
「腕を上げたな、モーゴット。その老いた体でよくぞここまで都を守り抜いた。」
名前を呼ばれた。
「忌み鬼」でも「マルギット」でもない。真の名を。
ゴッドウィンの脳内には、異界の知識(データベース)としてモーゴットの全ての攻撃パターン、そして彼の悲しい生い立ちが鮮明に浮かんでいる。
だからこそ、目の前の弟がいかに高潔で、いかに報われない道を歩んできたかを知っていた。
「ゴッドウィン、兄上……? 死んだはずの、貴方様が……何故」
「死んださ。一度はな」
ゴッドウィンは弟の目の前まで歩み寄ると、その震える肩に手を置いた。
モーゴットの体表面にある「呪い」の角。触れれば呪われるとされるそれに、ゴッドウィンは躊躇なく触れた。
バチバチと黒い火花が散る。
ゴッドウィンの持つ「運命の死」の力が、モーゴットの「忌み」の呪いと拮抗し、ねじ伏せていく。
「穢れた忌み子に触れてはなりませぬ! 私は、黄金の陰で生きるべき者……」
モーゴットが身を引こうとするが、ゴッドウィンはその腕を強く掴んで離さなかった。
「誰が決めた? 二本指か? 父か? それとも、お前自身か」
ゴッドウィンの声には、王としての絶対的な響きがあった。
「私が許す。私が認める。お前のその角も、呪われた血も、この都を守るために流されたものだ。ならばそれは、誰よりも美しい黄金の証だ」
「兄、上……ッ!」
モーゴットの目から、大粒の涙が溢れ出した。
数千年の孤独。誰からも褒められず、誰からも愛されず、それでも守り続けてきた王都。
その全てが、今、たった一言で報われたのだ。
彼はその場に崩れ落ち、兄の脚に縋り付いて慟哭した。老人のようなしわがれた声で、子供のように泣いた。
ゴッドウィンは、泣きじゃくる弟の頭を撫でながら、視線を黄金樹の根元へと向けた。
拒絶の刺は完全に開ききり、内部への道を示している。
(さて……感動の再会は済んだ。だが、仕事は山積みだ)
ゴッドウィンの中で、冷徹な「思考」が回転を始める。
ゲームの知識によれば、この後、プレイヤー(褪せ人)は各地の大ルーンを集めてここへ来る。
だが、俺がいる以上、その手順は不要だ。
今の俺は「エルデの王」として黄金樹に承認されている。
問題は、地方で暴走している他の兄弟たちだ。
特に、ケイリッドで腐敗と戦い続けているラダーン。そして、地下でミケラを監禁しているモーグ。彼らを放置すれば、世界は安定しない。
「立て、モーゴット」
ゴッドウィンは弟を立たせた。
「私はこれより、この歪んだ世界を平定する。まずは黄金樹の中にある『黄金律』の状態を確認するが、その後すぐに遠征に出る」
「遠征……どちらへ?」
涙を拭い、モーゴットは騎士の顔に戻っていた。
「ケイリッドだ。ラダーンを終わらせる」
ゴッドウィンの瞳に、冷たい決意の光が宿る。
「そして、お前の双子の片割れ……モーグの元へもな」
モーグの名が出た瞬間、モーゴットの顔が強張った。
「モーグ……あの愚か者は、地下に潜り、独自の王朝などと妄言を……」
「ああ、知っている。そして奴がミケラを攫ったこともな」
「なんと……!? ミケラ様を!?」
モーゴットは驚愕した。彼の手持ちの情報網でも、ミケラの失踪の犯人までは特定できていなかったのだ。
ゴッドウィンは頷く。
「すべて見通している。……モーゴット、お前には王都の守護を任せたい。だが、今までのように影としてではない」
ゴッドウィンは指を鳴らした。
空から雷光が落ち、モーゴットのボロ布を焼き払う。
代わりに、黄金の魔力で織り上げられた、王の側近に相応しいマントと甲冑が彼の体に具現化した。
「これよりお前は『王の手』だ。堂々と陽の下を歩き、私の名代として都を統治せよ」
モーゴットは自身の新しい装いを見下ろし、震える手で胸に手を当てた。
そして、深く、深く頭を垂れた。
「御意……! この命尽きるまで、兄上と共に!」
ゴッドウィンは満足げに頷き、踵を返して黄金樹の内部へと歩き出した。
その背中には、かつて刻まれた「死の呪痕」が、今は王の紋章として黒く、誇り高く輝いていた。
歴史の歯車が狂い、そして正しい位置へと嵌め直されていく。
最強のデミゴッドの帰還を告げる鐘の音が、王都ローデイルに高らかに鳴り響いた。
【第2話 完】
黄金樹内部でのラダゴン(マリカ)との対面、あるいは最初の遠征へ。
一方、リムグレイブで目覚めた褪せ人は、ゴッドウィンの発した「全土への布告」を聞くことに……?