ネッ友(自称行き遅れ)の「結婚してくださいよ~」にOKしてみた翌朝、玄関に綺麗なお姉さんがいた   作:古野ジョン

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第3話 秘技! 録音ッ!

「試しに一か月、私をお嫁さんにしてみませんかっ」

 

 綾音さんは真っすぐな目で俺を見つめて、はっきりと言った。試しに一か月……という言葉が何を意味するのか、すぐに飲み込むことが出来ない。

 

「それって、どういう」

「言葉の通りですよ。十二月が終わるまで、仮の()()として暮らしてみませんか」

「夫婦って……」

 

 カレンダー上では明日から師走。要するに、試しに大晦日まで一緒に過ごしてみないか――と、綾音さんは提案しているのか。

 

「無理強いはしません。私だってちゃんとわきまえてます」

「は、はい」

「でも、もしひゅーがさんが受け入れてくれたら……」

「くれたら?」

 

 綾音さんは穏やかに頬を緩めた。まるで全てを包み込む女神のような、そんな笑顔。俺は圧倒されてしまい、身動き一つとれない。

 

「私っ、お嫁さんとして精一杯頑張りますからっ!」

「!」

「この人と結婚したいって、ひゅーがさんが思ってくれるくらい良いお嫁さんになりますっ!」

「綾音さん……」

「だから、私に一か月くれませんか。ひゅーがさんがどうするかは、それから決めてくれればいいですから……」

 

 突然降って湧いた話に、正直言って理解が追い付かなかった。俺は今、(おそらく)年上のお姉さんに押し倒されて……一か月間の同棲生活を提案されているのだ。客観的に見れば夢みたいな状況かもしれないが、自分の理性は落ち着けと言っている。

 

「ひゅ、ひゅーがさん?」

「えっと……」

 

 綾音さんの肩を優しく掴んで、ゆっくりと起こしてあげる。俺と綾音さんはお互いに正座のまま向かい合った。

 

 いくらネット上で交流があった人だからって、出会っていきなり同棲なんて正気の沙汰じゃない。でも、綾音さんは本気で提案してくれているんだ。だから……このまま断るのも、なんだか違う気がした。

 

「やっぱり、すぐには結婚なんか出来ないです。ごめんなさい」

「分かってますよ。私だって、ほんっとうに今日結婚出来るなんて……ちょっとは思ってましたけど」

 

 思ってたんかい。

 

「そ、それはともかく。綾音さんとはネットでずっとお話してきましたし、すごく良い人だってことも分かっています」

「ありがとうございますっ」

「だけど、僕にはまだ結婚がどういうものなのかが分からないんです。自分にパートナーが出来るとか、全然想像出来なくて」

「そうなんですね……」

「でもっ!」

「へっ?」

 

 俺は綾音さんの右手を掴んだ。もちろん、結婚なんか無理だと言い切って追い返すことも出来ただろう。だけど、この人の提案する通り――一か月の期間があれば、もしかして。

 

「一か月、僕にも時間をくれませんか!」

「えっ、ええっ?」

「何も知らない僕に教えてほしいんです! 結婚って何なんですか!」

「!」

「それに、綾音さんのことも全然知りません! 本名も、生まれも、お仕事も、何もかも分からないことだらけなんですっ!」

「ひゅーがさん……」

「だからっ――」

 

 柔らかい手をさらに強く握った。綾音さんがハッと俺の目を見つめる。俺はその目を見つめ返して、はっきりと口にした。

 

「その話、受けさせてください。一か月間、よろしくお願いします」

 

 その瞬間、綾音さんは目を大きく見開いた。まさか俺が受け入れるとは思っていなかったのかな。だとすれば驚くのも当然――

 

「……言いましたね」

「へっ?」

 

 綾音さんは微かに笑みを浮かべて、左手を差し出してきた。その上には直方体の機械のようなものが載っている。これって……ぼっ、ボイスレコーダー!?

 

「言いましたねっ! これで少なくとも一か月間はお嫁さんですよねっ!?」

「しまった! これも罠かっ!!」

 

 また隙を見せてしまった! この人、最初っから無理やりお嫁に来る気だったんだ! 真面目にあれこれ考えた時間を返してほしいんだけど!?

 

「やりましたっ! これでひゅーがさんとは夫婦(めおと)ですねっ!」

「ろっ、録音なんて卑怯じゃないですかっ!?」

「これが大人のやり方ですっ!」

「大人って言葉をWikipediaで調べてくださいっ!」

「も~っ、それにしてもいきなり手を掴むなんてダ・イ・タ・ンっ……!」

「昭和ドラマの女優みたいなこと言わないでくださいっ! ギャグにしても古すぎますっ!」

「ひどいっ! これでも令和生まれなんですよ!?」

「元号でサバを読む人初めて見ましたけど!?」

「とにかくっ!」

 

 綾音さんは一段と大きい声を張り上げた。その迫力に、一瞬にして固まってしまう。

 

「……あっ、綾音さん?」

「よろしくお願いしますね。指輪も何も、ないですけど……」

 

 そう言って、綾音さんは手を床につけて――深々と頭を下げた。一般人とは思えないほどの美しい所作。ついつい見とれてしまうほど、洗練されたお辞儀だった。

 

「こっ、こちらこそ! よろしくお願いします!」

 

 慌てて俺も頭を下げた。一か月で終わってしまうかもしれない結婚生活(仮)なのに、この人は律儀にも指輪が無いことを詫びてくれた。時折テンションがおかしいだけで……やっぱり、本来は謙虚な女性なんだろうな。

 

「あっ」

「ん?」

 

 顔を上げた綾音さんが、何かを見て声を上げていた。その視線の先にあったのは、さっき揉みくちゃになった時に飛んでいった婚姻届。

 

「これっ、どうしましょうか……」

 

 綾音さんは手を伸ばしてそれを取り、じっと眺めていた。

 

「あの……本当に結婚するかどうかは、一か月後に決めるってことでいいんですか?」

「そうです。出来れば、大晦日までに」

「分かりました」

 

 だとすれば、婚姻届は今すぐには必要じゃないよな。実際に提出するかどうかも分からないんだし、今持っていたところで仕方な――

 

「よしっ! 額縁に入れて飾りましょうっ!」

「!?」

「はいっ! A3サイズの額縁っ!」

「どっ、どこに隠してたんですか!?」

 

 めっ、目の前に額縁が出てきた!? っていうか婚姻届を飾るって何!? そして婚姻届ってA3だったんだ!?

 

「知りませんか? 婚姻届と額縁は淑女の七つ道具なんですよ!」

「あとの五つは何なんですか!?」

「五徳ナイフですっ!」

「ずるいっ! ちゃんと設定練りこんでくださいよっ!」

「よしっ、セット出来ました! これっ、どこに飾りますか?」

「なんで飾るのが既定路線なんですか!?」

 

 俺が唖然としている間に、綾音さんは婚姻届を額縁に入れてしまっていた。そんなペラ紙が入るようなの、どこのホームセンターに行けば売ってるんだろう。いや、文具店? 画廊? 額縁ってどこで売ってんだ?

 

「うーん、届きません……」

「あ、綾音さん!?」

 

 しょうもないことを考えていると、綾音さんがいつの間にか鴨居のところに額縁をかけようと背伸びしていた。小学生時代に俺が獲ってきた賞状やら何やらの横に掛けようとしているらしい。

 

「むっ、無理ですって! 危ないですよっ!」

「くうっ、この身長が恨めしいです。私が八頭身だったら今すぐ結婚するって、ひゅーがさんが言ってくれたのに……」

「そんなこと言ってないですけど!?」

「じゃあっ、手伝ってくださいっ!」

「えっ?」

「抱っこしてください。……それなら届きますよね?」

「い、いいですけど……」

 

 綾音さんに怪我されても困るので、仕方なく立ち上がった。既に壁の方を向いてスタンバイしている綾音さんの後ろに立って、脇の下から手を入れる。

 

「もっと腰の方を持った方があげやすいんじゃないですか?」

「えっ、でも」

「遠慮しないで、思い切り抱きかかえてください。別にっ、それくらいで何も思わないですから」

「じゃ、じゃあ……」

 

 恐る恐る、腰の近くに手を回す。わっ、柔らかい。本当に触っていいのかな……。

 

「大丈夫ですよ。ひゅーがさんは、私の旦那さんですよ?」

「そっ、そうですけど! 本当に結婚するって決めたわけじゃ……」

「もー、意地っ張りですね。じゃっ、持ち上げてくださいっ」

「はっ、はいっ」

 

 言われるがまま、綾音さんの腰を両手で抱きかかえるようにして……持ち上げた。自分の胸板と背中が密着するようで、思わずドキっとしてしまう。

 

「えーと、金具がこれで……」

 

 一方で、綾音さんはまるで気にせずに取り付け作業をしていた。大人の女性はこれくらいで動揺しないってことか。……いや、婚姻届を飾るという狂気の行動を冷静にこなしている方がもっとすごいな。

 

「よしっ、取り付け出来ました!」

「早っ」

「もう下ろして大丈夫ですよー」

「……」

「ひゅーがさん?」

 

 ふと、あることが頭をよぎった。そういや、これって()()なんじゃないか? 結婚式でよくある、ケーキに入刀するような……。

 

「これ、初めての共同作業ですね」

「……えっ!?」

「わっ!?」

 

 その瞬間、綾音さんがジタバタと暴れ出して……再び、俺たちは揉みくちゃになるように床に転げた。ついさっき飾った額縁を下から見上げるように、俺たちは床に横並びになる。

 

「だっ、大丈夫ですか!?」

「~~~ッ!」

「あっ、綾音さん!?」

 

 身を起こして隣を見ると、綾音さんが顔を隠して身もだえていた。どっ、どこか怪我した!? 顔でも打っていたら本当にまず――

 

「へっ、変なこと言わないでくださいっ!」

「えっ?」

「きょ、共同作業とか……不意に言われたからビックリしたんですっ!」

「綾音さん……」

 

 よく見ると、綾音さんは怪我をしたわけではなく……顔が赤くなってしまい、それを隠しているだけみたいだった。抱っこされるのは平気なのに、共同作業なんて言われただけでこうなってしまうとは。

 

「意外と乙女なんですね」

「いっ、いいじゃないですかっ! だって、その……」

 

 (おそらく)年上で余裕のある女性。綾音さんにはそういう印象を抱いていた。でも、こうやって恥ずかしがる一面もあるんだ。綺麗で高嶺の花みたいな人だと思っていたけど――可愛いな。

 

「綾音さん」

「はっ、はい?」

「初めて会ったばかりですし。まだまだ知らないことだらけですけど」

「なっ、なんですか?」

 

 綾音さんは顔を覆っていた手を除けて、こちらを向いてくれた。俺は、思ったことを言葉として紡ぎ出す。

 

「今日だけで、綾音さんの素敵な部分をたくさん知った気がします」

「……だっ、だったら今すぐあれにサインしてくださいっ」

 

 額縁を指さしながら、綾音さんは向こうの方を向いてしまった。

 

 不安なこともあるけれど、この人とならうまくやっていけるかもしれない。何の根拠もないけれど、そう感じた瞬間だった。

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