ネッ友(自称行き遅れ)の「結婚してくださいよ~」にOKしてみた翌朝、玄関に綺麗なお姉さんがいた   作:古野ジョン

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第32話 あと一歩

 通路を抜けると、母屋と渡り廊下で接続された離れがあった。綾音さんの部屋はここにあるみたいだな。やや新しい建物みたいだけど、後から建てたのだろうか。

 

「こちらへ」

「は、はい!」

 

 女性の手招きする方に向かうと、そこには簡易的な玄関があった。戸を開けてもらうと、そこには数段の靴箱が置かれている。

 

「お上がりください。履物は下駄箱の方へ」

 

 言われるがまま、履いてきた革靴を脱いで収納する。玄関から離れの中に上がると、真っすぐな廊下の向こうに部屋がいくつかあるのが見えた。襖で仕切られているみたいだな。

 

「綾音様の部屋はこちらです。どうぞ」

 

 タンタンと足音を響かせながら、廊下を歩いていく。ボロアパートの我が家と違って、床材が軋むようなことはない。さすがお金持ちの家だな。

 

 ――ふと、我に返った。綾音さんは俺が来ることを知らないはず。いきなり会いに来ても、果たして受け入れてくれるのだろうか? 心配するには今更すぎるけど……もし、追い返されてしまったら。

 

「ん」

 

 その時、先導していた女性が立ち止まった。廊下に姿勢良く正座して、襖の中に向かって声を掛ける。

 

「綾音様、婚約者の方がお見えになりましたが」

「……えっ?」

 

 この声、たしかに綾音さんだ。この襖の向こうにあの人がいる。あと一歩、あと一歩進めば……また会えるんだ。

 

「ばあや、どういうこと?」

「春木場日向様がお見えになっております。綾音様の婚約者だと」

「どうして……」

 

 やっぱり困惑しているみたいだな。だけど綾音さん、あなたが一か月前にしたのと同じことですよ。

 

「綾音さん、聞こえてますか」

「……」

「突然押しかけてすいません。会いに来ました」

 

 返事はない。突然の出来事に驚いているのか、それとも俺と話す気がないのか。

 

「ばあや、聞こえる?」

「えっ?」

「はい、聞こえております」

 

 綾音さん、どうして俺に返事してくれないんだ。どうして俺じゃなくて女性に声を掛けて――

 

「車を手配して、その方を仙台に送ってほしいの」

「えっ!?」

「よろしいのですか?」

 

 仙台って……ここまで来て追い返されるのかよ!? なんでだよ、結婚してくれって押しかけてきたのは綾音さんの方じゃないか……!

 

「あ、綾音さん! どうして会ってくれないんですか!?」

「ばあや、その方にはお引き取りいただいて。くれぐれも手荒な真似はしないように」

「はあ、かしこまりました」

「綾音さん!!」

 

 襖は一ミリも動かない。綾音さん、どうしてそこまで頑なに俺を拒むんだ。他に結婚出来ない理由があるならそれでもいい。せめて……直接会ってお別れをしたい。あんな書き置きだけで終わるには、あまりにも辛すぎる。

 

「春木場様、今日のところはこれにてお帰りください。タクシーを手配しますから」

「ちょっ、ちょっと待ってください! 僕っ、本当に綾音さんと――」

「綾音様の言いつけですので。さあ、玄関の方へ」

「そんな……!」

 

 女性に袖を引っ張られるようにして、半ば強引に連れられる。あと一歩まで迫っていた綾音さんが、どんどん遠くなっていく。

 

「綾音さん……!」

 

 襖の方に手を伸ばしてみても、ただむなしいだけ。このまま帰っていいのか? 何もせず、ただタクシーに乗ってとんぼ返りするだけなのか? そんな冗談、小説のネタにだってなりはしないよな。だったら、一か八か……!

 

「さあ、お引き取りください。綾音様はあなたには――」

「綾音さんっ!!」

「なっ……」

 

 人生で一番大きな声を張り上げた。俺の袖を引っ張っていた女性は、呆気に取られてその場に立ち尽くす。その隙を見て女性の腕を振り払い、綾音さんの部屋の方へと走り出す。

 

「おっ、お待ちを! まさか無理やり――」

 

 引き止めるつもりなのか、女性が慌てて追いかけてきた。俺だって乱暴な真似はしたくない。そんなことをすれば綾音さんに嫌われるに決まっている。だけど――

 

「僕の家にっ、パンツ忘れていきましたけどーっ!!」

「……あらあら」

 

 女性は口元を押さえて、ぽかんと俺の方を見つめていた。どうせありきたりなことを言っても出てきてはくれないだろうし……ハッタリに頼るしかない。でもなあ、いくらなんでも子どもじみていたか――

 

「そっ、そんなわけないでしょーー!!?」

「綾音さん!?」

 

 出てきた!? こんなしょうもないハッタリで!? いやっ、それより綾音さんの恰好が……!

 

「ばあや! なんで通したの!」

「婚約者の方を追い返すわけには」

「そうだけど! 連絡してくれてもいいじゃない!」

「綾音様、いつも内線に出られないじゃありませんか。どうせかけても無駄かと」

「仕事中は集中してるの! ああっ、もう~~……」

 

 綾音さんは廊下に出てきて、その場にへたりこむ。俺だって予想だにしなかったよ。山形でも群を抜く実業家、袖崎家の長女。そんな上流階級のお嬢様が、まさか――

 

「なんでこんな格好の時に通しちゃうのっ!」

 

 うさ耳をつけたもこもこのパジャマを着ているなんて、な……。

 

「……綾音さん?」

「なに!?」

「似合ってますよ、それ」

「う、うっさい!!」

 

 廊下に座り込んだまま、泣きそうになっている綾音さん。一週間ぶりの再会が、まさかこんな締まらない雰囲気になるとは思わなかったけど……それはともかく。

 

「あ~もう、なんで来ちゃったんですかあ……」

「えっ?」

「パジャマだし、お化粧もしてないのに……。こんなの見られたら、もうお嫁に行けないじゃないですかあ……」

 

 綾音さんはうなだれてしまった。……言われるまで、すっぴんだったことに気づかなかった。この人、天性の美人さんなんだなあ。

 

「大丈夫ですよ、綾音さん」

「何がですか!?」

 

 近くにしゃがんで肩に手を置くと、綾音さんがこちらに顔を向けた。お嫁に行けない、なんて言う必要ないのにな。

 

「僕がお嫁に貰います。今日はそのために来ました」

「へっ?」

 

 風呂敷包みをほどいて、中から額縁を取り出す。そして綾音さんに差し出して――はっきりと言った。

 

「――サイン、いただけますか」

 

 綾音さんは何も答えないまま、姿勢を改めてこちらに向き直る。そして正座したまま、肩越しに女性に声を掛けた。

 

「ばあや、しばらく向こうに行ってて」

「かしこまりました」

 

 女性はすぐさま母屋の方へと歩き出す。俺たちは黙って見つめ合い、互いに動かない。しかし、足音が聞こえなくなった頃……綾音さんが額縁を受け取り、そっと横に置いた。

 

「あ、綾音さ――」

 

 次の瞬間、上半身がもこもこのパジャマに包み込まれた。綾音さんが腕いっぱいに力を込めて、俺のことを抱きしめてきたのだ。柔らかい感触と、久々に感じる温もりが……俺の心を癒していく。

 

「……綾音さん?」

「ばか」

「えっ?」

「ひゅーがさんのばか。なんで来ちゃったんですか」

「なんでって、それは――」

 

 口を開こうとしたのに、綾音さんの胸で塞がれてしまった。思わずドキッとしていると、寂しそうな呟きが上から聞こえてくる。

 

「あなたに会ったら、諦められないじゃないですか……」

 

 窓の外には、いつの間にか雪が降り始めていた。

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