ネッ友(自称行き遅れ)の「結婚してくださいよ~」にOKしてみた翌朝、玄関に綺麗なお姉さんがいた 作:古野ジョン
通路を抜けると、母屋と渡り廊下で接続された離れがあった。綾音さんの部屋はここにあるみたいだな。やや新しい建物みたいだけど、後から建てたのだろうか。
「こちらへ」
「は、はい!」
女性の手招きする方に向かうと、そこには簡易的な玄関があった。戸を開けてもらうと、そこには数段の靴箱が置かれている。
「お上がりください。履物は下駄箱の方へ」
言われるがまま、履いてきた革靴を脱いで収納する。玄関から離れの中に上がると、真っすぐな廊下の向こうに部屋がいくつかあるのが見えた。襖で仕切られているみたいだな。
「綾音様の部屋はこちらです。どうぞ」
タンタンと足音を響かせながら、廊下を歩いていく。ボロアパートの我が家と違って、床材が軋むようなことはない。さすがお金持ちの家だな。
――ふと、我に返った。綾音さんは俺が来ることを知らないはず。いきなり会いに来ても、果たして受け入れてくれるのだろうか? 心配するには今更すぎるけど……もし、追い返されてしまったら。
「ん」
その時、先導していた女性が立ち止まった。廊下に姿勢良く正座して、襖の中に向かって声を掛ける。
「綾音様、婚約者の方がお見えになりましたが」
「……えっ?」
この声、たしかに綾音さんだ。この襖の向こうにあの人がいる。あと一歩、あと一歩進めば……また会えるんだ。
「ばあや、どういうこと?」
「春木場日向様がお見えになっております。綾音様の婚約者だと」
「どうして……」
やっぱり困惑しているみたいだな。だけど綾音さん、あなたが一か月前にしたのと同じことですよ。
「綾音さん、聞こえてますか」
「……」
「突然押しかけてすいません。会いに来ました」
返事はない。突然の出来事に驚いているのか、それとも俺と話す気がないのか。
「ばあや、聞こえる?」
「えっ?」
「はい、聞こえております」
綾音さん、どうして俺に返事してくれないんだ。どうして俺じゃなくて女性に声を掛けて――
「車を手配して、その方を仙台に送ってほしいの」
「えっ!?」
「よろしいのですか?」
仙台って……ここまで来て追い返されるのかよ!? なんでだよ、結婚してくれって押しかけてきたのは綾音さんの方じゃないか……!
「あ、綾音さん! どうして会ってくれないんですか!?」
「ばあや、その方にはお引き取りいただいて。くれぐれも手荒な真似はしないように」
「はあ、かしこまりました」
「綾音さん!!」
襖は一ミリも動かない。綾音さん、どうしてそこまで頑なに俺を拒むんだ。他に結婚出来ない理由があるならそれでもいい。せめて……直接会ってお別れをしたい。あんな書き置きだけで終わるには、あまりにも辛すぎる。
「春木場様、今日のところはこれにてお帰りください。タクシーを手配しますから」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 僕っ、本当に綾音さんと――」
「綾音様の言いつけですので。さあ、玄関の方へ」
「そんな……!」
女性に袖を引っ張られるようにして、半ば強引に連れられる。あと一歩まで迫っていた綾音さんが、どんどん遠くなっていく。
「綾音さん……!」
襖の方に手を伸ばしてみても、ただむなしいだけ。このまま帰っていいのか? 何もせず、ただタクシーに乗ってとんぼ返りするだけなのか? そんな冗談、小説のネタにだってなりはしないよな。だったら、一か八か……!
「さあ、お引き取りください。綾音様はあなたには――」
「綾音さんっ!!」
「なっ……」
人生で一番大きな声を張り上げた。俺の袖を引っ張っていた女性は、呆気に取られてその場に立ち尽くす。その隙を見て女性の腕を振り払い、綾音さんの部屋の方へと走り出す。
「おっ、お待ちを! まさか無理やり――」
引き止めるつもりなのか、女性が慌てて追いかけてきた。俺だって乱暴な真似はしたくない。そんなことをすれば綾音さんに嫌われるに決まっている。だけど――
「僕の家にっ、パンツ忘れていきましたけどーっ!!」
「……あらあら」
女性は口元を押さえて、ぽかんと俺の方を見つめていた。どうせありきたりなことを言っても出てきてはくれないだろうし……ハッタリに頼るしかない。でもなあ、いくらなんでも子どもじみていたか――
「そっ、そんなわけないでしょーー!!?」
「綾音さん!?」
出てきた!? こんなしょうもないハッタリで!? いやっ、それより綾音さんの恰好が……!
「ばあや! なんで通したの!」
「婚約者の方を追い返すわけには」
「そうだけど! 連絡してくれてもいいじゃない!」
「綾音様、いつも内線に出られないじゃありませんか。どうせかけても無駄かと」
「仕事中は集中してるの! ああっ、もう~~……」
綾音さんは廊下に出てきて、その場にへたりこむ。俺だって予想だにしなかったよ。山形でも群を抜く実業家、袖崎家の長女。そんな上流階級のお嬢様が、まさか――
「なんでこんな格好の時に通しちゃうのっ!」
うさ耳をつけたもこもこのパジャマを着ているなんて、な……。
「……綾音さん?」
「なに!?」
「似合ってますよ、それ」
「う、うっさい!!」
廊下に座り込んだまま、泣きそうになっている綾音さん。一週間ぶりの再会が、まさかこんな締まらない雰囲気になるとは思わなかったけど……それはともかく。
「あ~もう、なんで来ちゃったんですかあ……」
「えっ?」
「パジャマだし、お化粧もしてないのに……。こんなの見られたら、もうお嫁に行けないじゃないですかあ……」
綾音さんはうなだれてしまった。……言われるまで、すっぴんだったことに気づかなかった。この人、天性の美人さんなんだなあ。
「大丈夫ですよ、綾音さん」
「何がですか!?」
近くにしゃがんで肩に手を置くと、綾音さんがこちらに顔を向けた。お嫁に行けない、なんて言う必要ないのにな。
「僕がお嫁に貰います。今日はそのために来ました」
「へっ?」
風呂敷包みをほどいて、中から額縁を取り出す。そして綾音さんに差し出して――はっきりと言った。
「――サイン、いただけますか」
綾音さんは何も答えないまま、姿勢を改めてこちらに向き直る。そして正座したまま、肩越しに女性に声を掛けた。
「ばあや、しばらく向こうに行ってて」
「かしこまりました」
女性はすぐさま母屋の方へと歩き出す。俺たちは黙って見つめ合い、互いに動かない。しかし、足音が聞こえなくなった頃……綾音さんが額縁を受け取り、そっと横に置いた。
「あ、綾音さ――」
次の瞬間、上半身がもこもこのパジャマに包み込まれた。綾音さんが腕いっぱいに力を込めて、俺のことを抱きしめてきたのだ。柔らかい感触と、久々に感じる温もりが……俺の心を癒していく。
「……綾音さん?」
「ばか」
「えっ?」
「ひゅーがさんのばか。なんで来ちゃったんですか」
「なんでって、それは――」
口を開こうとしたのに、綾音さんの胸で塞がれてしまった。思わずドキッとしていると、寂しそうな呟きが上から聞こえてくる。
「あなたに会ったら、諦められないじゃないですか……」
窓の外には、いつの間にか雪が降り始めていた。