ネッ友(自称行き遅れ)の「結婚してくださいよ~」にOKしてみた翌朝、玄関に綺麗なお姉さんがいた   作:古野ジョン

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第8話 スポットライト

 中華屋で晩御飯を食べたあと、俺たちは帰途に就いた。街灯の照らす暗い道を進んでいると、左隣の綾音さんが満足そうに声をあげる。

 

「いや~、よく食べましたね~!」

「餃子五皿って、そんなにお腹減ってたんですか?」

「わっ、私一人で食べたわけじゃないもんっ!」

「いやでも、四皿分くらいは綾音さんが食べましたよ」

「いいじゃないですかー! いっぱい食べるお嫁さんは嫌いですかっ?」

「そうとは、言ってないですけど……」

 

 綾音さんがあざとく俺の顔を見上げてきたので、ついつい目をそらす。すると、左腕に着けた時計が目に入った。早めの夕食だったし、まだ十九時前か。

 

「ひゅーがさんっ」

「はい?」

 

 その時、綾音さんがちらりとこちらの様子を窺ってきた。わざとらしい口調で、さらに話を続ける。

 

「こんな暗い道を歩くの、すっごく怖いんですよ~」

「住所特定される方がよっぽど怖いですけど」

「そうじゃなくてっ! 旦那さんなら、こういう時にすることがありますよね~?」

 

 右手を出してきて、じいっと俺を見てくる綾音さん。……繋いでほしいのかな。

 

「さっきみたいに空振りは無しですよ」

「何の話ですか?」

「じゃあ……」

 

 左手をそっと動かして、綾音さんの手を握った。小さくて柔らかな手だけど、少し肌が荒れているようにも感じる。普段から台所仕事を多くこなしているのだろうか。

 

「どっ、どうしたんですか?」

「へっ?」

「そんなにじっくり触られると、恥ずかしいんですけど……」

 

 綾音さんはやや頬を赤らめ、俯いていた。まさかノンアルビールのせいではあるまいしな。いつもは余裕のある感じなのに、こんなことで照れてしまうなんて……ギャップがあって可愛らしい。

 

「いえ。綾音さん、ゴム手袋でかぶれたりします?」

「へっ?」

「うちの給湯器、古くてお湯が出にくいのもあって。買っておきますよ」

「……」

 

 きょとんとした顔で、綾音さんは俺のことを見上げていた。この人は俺のために食事を作ってくれると言っているんだ。台所は古いままだし、せめてそれくらいは用意してあげたい。

 

「……ひゅーがさんは、優しいんですねっ」

「綾音さん?」

「こんな手を握らせちゃって、申し訳ないなって」

「いえ! そんなつもりじゃ」

「分かってますよ。気遣ってくれたんですよね」

「ええと、その……」

「ひゅーがさんくらいの歳のときはこんなに荒れなかったんですけどね。やだなあ……」

 

 綾音さんは寂しそうな表情を見せた。いつもは前向きな人だし、弱音を漏らすなんてらしくないなあ。励ますのは簡単だけど……もっとこう、一発でいつもの元気を取り戻す方法はないかな。えーと……。

 

「綾音さん」

「はい?」

 

 静かにこちらを向いて、首をかしげる綾音さん。やっぱり、この人には溌剌としていてほしい。だから――

 

「やっぱり、僕より年上だったんですね」

「あっ」

 

 綾音さんはしまったと言わんばかりに口元を押さえた。いや、たぶん年上なんだろうとは思っていたけど。この人が自分ではっきりそうと言ったことはなかったし――

 

「うっ、うるさいっ! 今更年上だからなんだって言うんですかっ! 分かってたくせにっ! 改めて言うことないでしょっ!」

「いやでも、前は十六歳だって――」

「そっ、その時は十六歳だったんですっ! 時間が経てば歳を取るのは当たり前だって、大学でも習うでしょ!?」

「一年に何回誕生日会を開く気なんですか!?」

「もうっ! 理屈っぽい人は嫌いですっ!」

「あっ、綾音さん!?」

 

 俺の手を振りほどいた綾音さんが、小走りで逃げていく。慌てて追いかけようとすると、道の先にいた綾音さんがこちらに振り返った。体の後ろで手を組んで、茶目っ気たっぷりに――俺に向かって言い放つ。

 

「しわくちゃのおばあちゃんになる前に、お嫁に貰ってくださいねーっ!」

 

 街灯に照らされる綾音さんの姿は、まるで舞台に立つ女優のようだった。居ても立っても居られず、俺は地面を蹴って走り出す。

 

「おばあちゃんになっても、綾音さんは綾音さんですよーっ!」

 

 自分の気持ちを叫びながら、()()()()の背中を追いかけたのだった。

 

***

 

 家に帰った俺たちは、こたつに入って休むことにした。二人して天板に顔を突っ伏し、じっと動かずにいる。綾音さんはというと、幸せそうに顔をとろけさせていた。

 

「やっぱりこたつは温かいですねえ……」

 

 家の中でも礼儀正しい姿勢でいることが多かったけど、だんだんリラックスしてきたのかな。これから一緒に暮らすのだから、この人にとってはここが「家」なんだ。だったら気を張ることなく、存分にくつろいでいてもらいたいな。

 

 安らぐ綾音さんの姿を見ていると、自分の心も和んでいくような気がする。存在しているだけで他人を幸せにできるなんて、不思議な人だなあ。

 

「も~、ここから出られませ~ん……」

 

 ゴロンと姿勢を変えながら、ゆる~い声を出す綾音さん。ここから出られないって、一生こたつに住むつもりなのかな。……あれ? よく考えたら、重大なことを忘れていた。

 

 綾音さん、今日はこのまま泊まる気なんだろうか……?

 

「……」

「ひゅーがさん?」

「いや、なんでもないです」

 

 思わず綾音さんの方を向いてしまったから、怪しまれたみたいだ。いやしかし、実際どうするつもりなんだろう。「一緒に暮らしてみませんか」という話だったわけだし、泊まる気でいてもおかしくはない……よな。

 

 いやいや。そのつもりだったらもっと荷物が多いはずだ。着替えとか風呂の用意とかいろいろ持ってこないといけないわけだし。一応予備の布団はあるけど……綾音さんにはそれを伝えてない。この人のことだ、もし泊まる気があるならきっとどこかしらで布団を調達してきたはず。

 

 いやいやいや。単に着替えなんかの荷物は車に置いてあるだけって可能性もある。それに、綾音さんなら「夫婦なら一緒のお布団ですよねっ」とか言い出してもおかしくはない。つまり――

 

 一緒に寝るって、ことなのか……?

 

「嘘だろ!?」

「ひゅっ、ひゅーがさん!?」

「いえっ……なんでもないですっ」

 

 急に顔を上げたものだから、綾音さんを驚かせてしまった。まずい、平常心でいられない自分がいる。こんな綺麗な人と一緒に寝るなんて、人生で経験したことがない。いやいや……よく考えれば出会って二日目の男女なんだ。別に変なことは――

 

「そういえば、お風呂入らないんですか?」

「えっ!!?!?」

 

 どっ、どういう意味なんですか綾音さん!? 急に変なことを言わないでほしいんですけど!?

 

「な、なんでそんな……」

「いえっ、寒くないかなって。冬はちゃんと湯船に浸かった方がいいですよ?」

「そっ、そうですよね! 大事ですよねっ!」

「さっきから妙に落ち着きがないですけど、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です……」

 

 あっ、あなたが変なことを言うからじゃないですかっ! ……とは、言わないけど。こんなことで悩んでいる自分が情けない。経験不足だということをまざまざと自覚させられてしまう。

 

 せっかく綾音さんとの関係を築き始めたところなんだし、変なことをして不快な思いをさせたくない。だけど、()とはいえども夫婦なんだ。一緒に夜を過ごして何もしないというのも、それはそれで傷つけてしまうのではないか……?

 

「むむむむ……」

「ひゅ、ひゅーがさん?」

 

 考えを巡らせているうちに、自然と唸ってしまった。落ち着け、綾音さんが泊まるのかどうかさえ把握出来ればいいんだ。別に直接的に聞かなくてもいいはず。

 

「あ、綾音さんは」

「はい?」

 

 高鳴る胸の鼓動を抑えて、ゆっくりと深呼吸する。質問は簡単に。そう、シンプルに――

 

「綾音さんは、枕が変わると寝られないタイプですか……?」

「……へっ?」

 

 ……いったい何を聞いてるんだ俺は!? これじゃ何の情報も得られないじゃんか! あ~~どうしようっ! 綾音さんに何か聞かれても答えられな――

 

「あっ、あーっ!」

「へっ?」

「そうだっ! 私っ、そろそろ帰らないといけないんです!」

「えっ、えっ?」

 

 綾音さんはパッとこたつから出て、帰り支度を始めた。何が起こったのか分からず、呆気に取られていると――思わぬ発言が飛んでくる。

 

「家に猫ちゃんがいるのでっ、お世話しないといけないんです~~!」

「……ねっ、猫ぉ!?」

「すいません、これからもこうやって夜には帰ると思うのでっ!」

「は、はあ……」

 

 わたわたと荷物をまとめる綾音さんを、ただただ呆然と見守る。初めから泊まる気なんかなくて、家に帰るつもりだったのか。俺が真剣に悩んだ時間はなんだったんだろう……。情けないにもほどがある。

 

「じゃあっ、帰りますっ! また明日もよろしくお願いしますねっ!」

 

 綾音さんはコートを羽織りながら、急いで玄関の方に走り去っていく。……このままだと何か悔しいな。ネコチャンがいるなら仕方ないけど、せめて「帰りたくない」くらいのことは言わせたい。

 

「綾音さんっ、待ってくださいっ!」

 

 こたつを抜け出し、綾音さんを呼び止める。玄関に着くと、ちょうど扉を開けて部屋を出て行こうとしている瞬間だった。

 

「ひゅ、ひゅーがさん? 見送りは大丈夫ですよ、寒いでしょうから」

「いやっ、そうじゃなくて……そのっ、夫としてやることがあるんですっ!」

「へっ? 何が――」

 

 ――無我夢中で、綾音さんを抱きしめた。今日の昼、綾音さんは「帰ってきた奥さんを出迎えるとき、しなくちゃいけないことがありますよね」と言っていた。だったら、出かける妻を見送るときにも為すべきことがあるはずだ!

 

「どどどど、どうしたんですか!?」

「綾音さん、夜道の運転には気をつけてください。また明日も会いましょうね」

「きゅ、急にそんなこと言わないでくださいよ……」

 

 部屋の外から、冷たい風が強く吹き込んでくる。それでも、この人の体は温かい。綾音さんは顔を赤くして、何も言わずに身を任せてくれていた。

 

「ひゅ、ひゅーがさんはひどいです……」

「えっ?」

 

 ふと、綾音さんが口を開いた。呟くように、本当に小さい声で……一言。

 

「こんなことされたら、ひとりぼっちで帰るのが嫌になるじゃないですか……」

 

 何かを堪えるように、綾音さんが息を吐く。それは儚い白をまとって、空に消えていったのだった。

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