アストレアレコードまでなかなか辿り着けない今日この頃。
甥夫婦が死んだ。
そう聞かされたのは、アルマがまだ狩猟系ファミリアで各地を巡り活動していた時だった。
聖樹結界の担い手として才に溢れた兄の血を受け継いだ一人息子、そしてそんな青年と結婚したアルマの属するファミリアの元メンバーでもあった女エルフ。
未来ある若人であった彼らは、竜の鼾によって、いとも容易く踏み躙られた。
報せを聞き、すぐさま故郷に帰還した時、
残されていたのは
アルマは、その幼子を引き取る事にした。
元々、孫娘が産まれたこともあり、近い内に冒険者は引退するつもりだった。
何より、この子には導き手が必要だと思った。
「目は口ほどに物を言う」という極東の
齢三歳の子供があの目をする異状性。深い諦観と絶望、すぐさま死に転げ落ちてしまうのでは無いかという危うさ。
それをアルマは見逃すことが出来なかった。
アルマはまず、彼の居場所を作ることにした。
歳の近い孫娘のリューと引き合わせ、共に過ごす事で彼の現世への執着を生もうとした。
結論から言えば、これは上手くいった。
しかし、上手く行き過ぎたのかもしれない。
彼に芽生えたリューへの強い感情は、彼自身に正の影響だけを齎すものにはならなかった。
何があったのかは、詳しく本人らには聞けていない。
ただ、ある日を境に、彼らの関係にぎごちなさが見て取れるようになった。それだけは確かだった。
そして、その根本たる原因に関しては目処が付いていた。
一つはリューの潔癖が悪さをした可能性。グレイが彼女との接触機会を過度に気にするようになったこと、その度にリューが表情を
また、グレイの自己肯定感が育まれていなかった事も恐らく足を引っ張ったのだろう。
リューのそれは、過度な躾により反射の領域にある。
だが、例え一度拒否反応を示されても、辛抱強く握り続ければいいのだ。互いの温もりをを交換しあって、自分は安全なのだと、信じるに値するのだと覚え込ませればいい。
そうやって初めて私達は家族になる。ならなくては、いけなかった。
グレイは己自身に価値を感じていない。
自己評価には最低値を付けるだろう。
故に諦めてしまった。
リューの心に踏み入ることを。
リューと正面から向き合うことを。
「どうすればいいんだろうな。」
子育ての真似をするのは、アルマにとっても初めてで。
分からない事だらけだ。
「ただいま戻りました」「ただいま。アルマさん。」
物思いに耽っている内に件の二人が帰ってきた。
「今は見守るしかないか」
アルマはかぶりを振ると、いつもの調子で出迎える。
「おかえり、二人とも。今日は─────」
♦♦♦
正午。守り人の巡回が終わり、僕は祖父の元に、リューは両親の元に顔を出し、その後各自アルマ宅に。そんないつもの流れ、いつもの日常は実にのどかだった。
「お祖母様?!」
今日はどうやら、のどかではないらしい。
ドア越しに聞こえるリューの心から驚いたような叫びに、僕は少し歩調を早め、帰宅する。
「髪が、薄緑色に······染められたのですか?」
急ぎ開いた扉の先に居たのはリューと、それから、
「ああ、いめちぇんってやつだよ、いめちぇん。いいだろう?」
リューだった。
「ん?あぁ、お帰りグレイ。今日もお疲れ様。」
違う、
「なんだ?疲れているのか?そんなボケっとして。それとも、見惚れてるのか?」
こちらを覗き込む大叔母に焦り、思わず距離を取った。
心臓が跳ね回ってうるさい。
「ん?おやおやおや?」
それを見た大叔母がニヤつき出す。
こうなったこの人は、色々とめんどくさい。
「グレイは緑髪が好きなのですか?」
「リューの綺麗な金色の髪が一番好きだよ。」
自分の髪を触りながら尋ねるリューにノータイムで答える。是非もなし。
「あ、ありがとうございます······」
「なんだ、私との関係は遊びだったのか?お姉さん、悲しいよ」
よよよ、と目の下に手を置く大叔母。なんだ、この人。今日やたらとめんどくさいぞ。
「···グレイ?」
「いや、違うから。そういう事実は無いから。本当に。」
だから、その冷たい目をやめてリュー
その後、ぎゃいぎゃいと一悶着あった後、
僕たち三人はコタツを囲んで、みかんを食べた。
驚くほど和風、こっち流で言えば極東風だが、全部大叔母の趣味らしい。
靴を脱いで揃えるし、箸の使い方も上手いし、いただきますとごちそうさまを欠かさないし、物を大事に使い続けるし、もう、転生者の僕より日本人なんじゃないかと思えてならない。
今だって、やけに器用に二つ目のみかんの皮を剥いているし。
対照的に、机を挟んで反対側にいるリューなんか、皮が散り散りになっているし、果肉に傷が入っているし、爪の間が黄色になっている。
リューの
戦闘の時はあれだけ器用なんだけどなぁ。
「わ、笑わないでくださいグレイ!」
意識せず、口が吊り上がっていたらしい。
ごめんごめん、と謝るもリューはみかんを丸ごと口に入れて拗ね込んでしまった。
大丈夫かな、あれ。
こうなったリューは中々動かないので、視線を大叔母に移す。
彼女は何故か、僕達を少し寂しげに見つめていた。
僕と目が合うと、なんでもないと笑って誤魔化す。
違和感が鎌首をもたげた。
そのまま大叔母を目で追っていると、大叔母の鮮やかに変わった薄緑の髪。その中に、ふと、白が混じって見えた。そんな気がして。
「アルマさん」
僕はその場で立ち上がった。
大叔母の本来の髪色は鏡のように眩い銀髪だ。
色は似ている。
もしかしたら見間違いかもしれない。でも、なにか嫌な予感が背に張り付いてやまない。
「どうした?グレイ」
「…今から、二人で話せますか?」
「あー、さっきのは冗談だからあまり本気にされると、」
「アルマさん」
僕の声音に、視線に、雰囲気に何か感じとったのか、大叔母は表情を引き締め、指で奥の部屋を指し示した。
「そっちで聞こう」
「あの!」
その時、横からリューが声を張り上げた。
「それは、私が居ては出来ない話なのですか?」
その瞳は、不安気に揺れていた。
「さあ、それはグレイ次第だ。どうなんだ?」
決まっている。ここでリューに話すわけにはいかない。聞かせるわけにはいかない。
「···ごめん、リュー」
それでも彼女は納得出来ていないようで。
「理由を教えて下さい」
「できない」
「何故ですか」
「なんででも」
「グレイ、あの時の事を気にしているのなら···」
「関係ない」
「でも、」
「リュー!!」
掻き消すように、声を上げてしまう。
「お願いだよ。リュー。」
呻くように、懇願するように、僕は言った。
「わかり···ました。別室にいます。」
居間を出ていくリュー。その様子を見送りながら、大叔母は僕に尋ねた。
「よかったのか?」
「···良いんです。僕は彼女から、自由を奪いたくない。」
「知る事もまた自由だ。寧ろそれを今、君は奪ったんじゃないか?」
「知識は光であると同時に、影でもある。
一度知れば、もう何も知らなかった頃には戻れない。影に縫い付けられてしまう。
リューには、これ以上何かに縛られて欲しくないんです。」
「ま、それに関しては同意見だな。あの子は良くも悪くも純粋だから。君にも、本当はそう育って欲しかった。」
「それは······ご期待に添えずすみません。」
「いいさ。目のキラキラした君なんて、もはや君じゃないしな。少し淀んだ
「貶
「ああ、少しね。」
「そこは嘘でも否定して欲しかったな」
「それで、グレイ。本題だ。君は何が訊きたい?」
「───アルマ・リオン、貴女に時間は、あと幾つ残されているのですか」
♦♦♦
『何故だ!?』
アルマは掴みかからん勢いで、目の前にいる己の主神に問い掛けた。
『何故、私に魔法が発現したことを秘匿していた!答えてください、アルテミス様!』
アルマの詰問を受け止めながら、主神は冷静に応えた。
『アルマ、貴女に発現したのは魔法じゃない。
『だから、どうしたと言うのです!冒険者としてモンスターと戦うと決めた以上、私達は常に
『賭け金を預けるのと、失うのとでは大きく違う。
結局力が届かず、徒に魂を摩耗させることになるぐらいなら、知らないままでいた方がいい。私はそう思っただけだ。』
『っ、それでも!』
『ええ、いつかはきっと知ることになるだろうと、分かっていた。貴女が力を望むであろう事も。』
『だから、アルマ。貴女に、今までの生き方を捨てる覚悟はあるか?』
♦♦♦
さんをつけろ、さんを、そう言いながらも彼女は僕の言葉を否定しなかった。
ならば、僕の嫌な予感は、図らずしも当たっていた事になる。
老化の兆候。
髪色を染めたのも、最早隠しきれないと考えたからなのだろう。
最近の大叔母の言動に、以前ほどのキレが無いのもどこかおかしく感じていた。
少し空元気でさえあった。
こんな形で、答え合わせされたくなかった。
互いに沈黙が流れる。
「もって、数年だ。それが私に残された活動時間と言える。」
「なんで······貴女は王族のリヴェリア様とそう変わらない年齢だった筈だ。祖父とも二十は離れてる。老衰を迎えるにはあまりにも早すぎる···」
「そうだな。私はハーフでもクォーターでもない。混じり気の無い、ただのエルフだ。本来はもっと長く生きられただろう。」
「じゃあ、どうして······」
もう生きられない、などと言うのか。
そう僕が言い切る前に、大叔母はどこか苦しむような顔で言葉を吐き出した。
「────私は、兄さんのように特別じゃなかった。」
それは、奇しくもグレイの抱える劣等意識に似通ったもので。まるで、鏡合わせの自分を見ているようだった。
「それでも力を得るには代償が必要で、
その為に私が焚べたのは寿命だった。ただ、それだけの話。」
絶句する僕を傍目に、大叔母は言葉を紡ぎ続ける。
「私がエルフらしくないと、いつだか君は言っていたな。」
「それは、私がエルフらしさを嫌っていたからじゃない。······と、それは嘘になるか。エルフらしさに嫌気を差していたのもまた事実だからな。
でも、それは私にとってそう重要な事じゃなかったんだ。」
「───私は、人間らしく生きる他に無かった。
エルフらしく生きるには時間が足りない。でも、人間として生きるのなら、十分以上に生を全うできる。自身の終わりに立ち会った時、きっと満足気に笑うことが出来る。
そう信じて走り抜いた。」
まあ、当時の主神の受け売りなんだけど
そう言って彼女は笑った。酷く、満足気に。
「死が、怖くないんですか?」
「怖いよ。とても。……終わり際だからこそ分かる。
私の視界はもう、殆ど片側だけしか映らない。身体も思うように動かないし、最近は記憶の飛びが激しい。思考能力も落ちてきて、君にはもう敵わないだろう。」
「あぁ、怖い。
君やリューの先を見届けられない事が。
最期に誰の事も覚えていられないかもしれない事が。
本当に、怖い。」
「でも、不思議と後悔だけは無いんだ。未来への不安は沢山あっても、それだけは自分の中に無い、そんな気がするんだ。
たくさん、間違えてきた筈なのに······なんでだろうな。」
その綺麗な横顔には、嘘なんてひとつも見当たらない。
「もし、僕もそう生きれたら。貴女のように生きることが出来たなら。」
幸せに、なれるのだろうか。
後悔など無く、穏やかに、安らかに、歩みを止めることが出来るのだろうか。
「私が言うのもなんだが、それはとてもおすすめ出来た選択じゃない。」
「っ、でも······」
「なぁ、グレイ。君は特別側の存在だ。君はアレクセイとエリシアの子で、兄の孫息子で、聖樹結界の次の担い手であり、そしてその歳で常人離れした学習能力と思考能力、身体能力を持ってる。
態々、未来を投げ捨てる事なんて何の───」
「僕は”特別”じゃないッ!!」
その言葉だけは、グレイ・リュミルアにとって看過できなかった。
「僕が、”特別”であるものか!本当にそうだとしたら、僕はあの時····」
拒まれなかった筈だ。弾かれなかった筈だ。
彼女の温もりを、感じられた筈だ。
「分かった。落ち着け、グレイ」
「そもそも、
その血を引く僕が何だって言うんだ!僕の受け継いだ才などたかが知れている。そんな力では何も為せない。誰も守れない!終末を乗り越えることは、叶わない······もう一度失ってしまう!だから、僕は何を犠牲にしてでも──」
「グレイっ!!」
ハッと、目が覚めた。
大叔母の双眸は鋭く凍てつき、だがその瞳の奥に確かな炎が、怒りが見て取れた。
「それ以上、あの二人を愚弄するな。
でなければ、”恩恵持ちですら無い”君の事を今すぐにでも殺しかねない。」
「──ごめん、なさい。アルマさん。」
「謝罪すべきは故人へ向けてだ。全く、あの二人は随分と親不孝な息子を持ったな。」
「······」
その通りだ。自己否定の道具に彼らを使ってしまった。本当に、自分の愚かしさが嫌になる。
「グレイ、君がどれだけ自分で否定しようと、何を思おうと、少なくとも私にとって君は"特別"なんだ。だから、顔を上げなさい。グレイ・リュミルア。」
「それでも、と君が望むのなら。私の
「どういう……」
風の吹き回しなのか。
何より、そんな事が可能なのか。
「兄さんから聞いている。君は貪欲に、ただ戦うための力を求めていると。」
「それは…」
「君は昔の私にそっくりだ。自分には何もなくて、特別にはなれなくて、だから人より多くのものを捧げなければ何も得られないと信じ込んでいる。
今になって、あの
なるほど。これは見ていて本当に───腹が立つな。」
「…私は君に死んで欲しくなんてない。
力が要る時なんて、ずっと来ないで欲しいと思ってる。
けれど、世界は残酷で、君の両親のようにある日突然奪い取られてしまう。
力が無ければ何も守れない。君も知る通り、残念ながらこの世の真理だ。
だから、この呪詛を使う日が来たとしたら、
力を振るう時が来たなら、それは貴方の大切な人の為でありなさい。」
「森の守り人としてではなく、誰かの守り人でありなさい。」
アルマは、僕の手の甲を優しく包み込み、そう言い聞かせた。
「約束できる?グレイ」
ずるいな。それをされると拒めないって、知ってるくせに。
「約束するよ。───
「!?────あはははっ、その呼び方、初めて聞いたよ。」
「がぁ?」
瞬間、黒い炎が全身を灼いた。
細胞の全てが悲鳴を上げる。
炎は燃え広がり、やがては魂の端にさえ手を伸ばす。
何か、大切なモノを焚べ、消費し、燃やしている事だけが分かる。
「がぁ、ぐ、あ、あああああああああああああああああああああああああああアッ」
いたい、イタイ、くるしい、死ぬ、キエル、きえてしまう
己の生命を喪う感覚。それはどこか、懐かしい。
「本当に·····懐かし···いッ!」
生み出されるは黒き剣。
万物を貫く、絶対の一。
彼女の、そして
「呪いの名は【ティルヴィング】。確かに、君に託したよ」
ああ、託されたとも。貴女が与えてくれた全てを、僕は絶対に忘れない。
絶対に。
別におおおばさんは転生者でもなんでもなく、寿命消費型カースと色々譲渡する系のスキルを持ったただの現地民です。ただ、誰かさんのようにオラリオの代わりに極東に長らく家出していたというだけで。