ナザリック地下大墳墓・第九階層。
年の瀬――大晦日の夜。
執務室で書類に目を通していたアインズは、ふと顔を上げた。
「……静かだ」
昨日まで、あれほど慌ただしかった“歳末大掃除”が嘘のように、今日は妙に落ち着いている。
落ち着きすぎていて、逆に怖い。
(嵐の前の静けさ、ってやつじゃないよな……?)
コン、コン。
控えめなノック。
「アインズ様、失礼いたします」
入ってきたのはセバスだった。
相変わらず礼儀正しく、表情は穏やかで、いつも通りだ。
「セバス。外の様子はどうだ」
「はい。大掃除は滞りなく完了しております。
また、備蓄の棚卸しと設備点検も、計画通り終えております」
「……“計画通り”か」
この言葉が、アインズにとって一番怖い。
ナザリックで「計画通り」は、だいたいデミウルゴスの「計画通り」だからだ。
「そして本日は――“除夜の鐘”の儀がございます」
「来たか」
アインズは、無いはずの胃の辺りを押さえたくなった。
「アインズ様のご指示通り、危険な解釈や過剰な運用は避け、
できる限り“穏当な形”に整えております」
「本当に?」
「はい。……できる限り」
(言い切れなかったな?)
そのとき、廊下から聞き慣れた足音。
そして、扉が開く。
「アインズ様! 準備が整いました!」
デミウルゴスだ。
完璧な笑顔。嫌な予感、確定。
「“穏当な形”って聞いてるんだが?」
「もちろんです」
デミウルゴスは、やけに爽やかに言った。
「“百八回の鐘”は、予定通り“百八回”で」
「そこは変えないのかよ」
「民明書房によれば――」
「言うな」
アインズの制止は、いつも半拍遅い。
「『百八とは、人の精神に巣食う雑念の総数であり、
その数だけ音で打ち払うことで、清浄なる新年を迎える』と」
「……それ自体は、まあ、そこまで変じゃない」
アインズが渋々頷いた瞬間。
「そこで」
デミウルゴスは、悪気ゼロで追撃する。
「鐘を百八回撞く係を、守護者で分担いたしました」
「分担……?」
嫌な単語が出た。
「はい。効率化です」
「やめろ、“効率化”って言葉を大晦日に使うな」
「なお、鐘の代替として、ナザリックの安全性を考慮し――
“鐘”そのものは設置しておりません」
「……え?」
(鐘を撞かないのに除夜の鐘?)
デミウルゴスが胸を張る。
「代わりに、“鐘に相当する音響儀式装置”を用意しました」
(ダメな匂いがする)
数分後。
アインズは、会議室……ではなく、玉座の間へ連行されていた。
そこには、巨大な“装置”が鎮座している。
大きな円筒。金属。魔法陣。配線のような何か。
見た目がもう、嫌だ。
「……何だこれは」
「アインズ様の世界の“鐘”を、ナザリックの技術体系で再現したものです」
パンドラズ・アクターが誇らしげに言う。
「名付けて――『煩悩駆逐式・共鳴魔導鐘(ナザリック・ベル)』!」
「名付けるな!」
アインズが叫ぶ横で、セバスが淡々と説明した。
「音量は調整済みです。
耳の弱い者、または聴覚の敏感な種族に配慮し、必要に応じて遮音結界も展開できます」
「セバスだけが頼りだ……」
アインズは、思わず本音を漏らした。
「……では、始めるぞ」
そう言って、アインズが儀式開始を告げようとした、その時。
「アインズ様! その前に確認がございます!」
アルベドが手を挙げた。
「確認?」
「大掃除の際、ナザリック内の不要物を整理したのですが――
“まだ捨てきれていない物”がございます」
「捨てきれないって何だよ」
「アインズ様の執務室に保管されている、古い資料の束です」
「それは捨てるな」
アインズが即答すると、アルベドはニッコリした。
「当然です。捨てるのは私が許しません」
「……えらく素直だな」
「ただし」
アルベドの笑顔が、少しだけ鋭くなる。
「“不要な贈答品”は別です」
「不要な贈答品?」
アルベドの視線が、玉座の間の片隅に積まれた箱に向く。
赤いリボンの箱。白いリボンの箱。金のリボンの箱。
リボンの物量が戦力。
「……誰だ、これ」
アインズが呻くと、シャルティアが上品に口元を押さえた。
「そら、アルベド。あんた、捨てようとしてはるんどす?
贈答品いうんは、気持ちでありんすえ?」
「気持ちなど、アインズ様に捧げれば十分よ」
「いや、気持ちを捧げるのも大概にしぃな」
(京都の火花が散ってる……)
パンドラズ・アクターが、そこで慌てて割って入った。
「アインズ様!
それらは“保管・展示”対象です! 捨てるなど言語道断!」
「お前、コレクター気質丸出しだな」
「当然です!
至高の御方々に関わる品、アインズ様に捧げられた品――
それは歴史であり、文化であり、資産です!」
「資産化するな」
デミウルゴスが、静かに頷く。
「なるほど。
贈答品の管理は、民心掌握にも――」
「そこに繋げるな!」
アインズのツッコミが冴える。
その頃、部屋の隅では別の地獄が進行していた。
コキュートスが、黙々と武具の手入れをしているのだ。
布で刃を拭き、油を差し、刃こぼれを確認し、また拭く。
拭き方が、儀式。
「コキュートス……何をしている」
アインズが声をかけると、コキュートスは深く一礼した。
「アインズ様。年末ノ大掃除ニ伴イ、武具ノ手入レヲ徹底致シテオリマス。
刃ノ曇リハ士気ノ曇リ。油ノ不足ハ補給ノ不足。
来ル新年ニ備エ、万全ノ状態ト致シマス」
「真面目だな……」
(真面目すぎて、逆に怖いが)
コキュートスは、さらに続けた。
「なお、民明書房ニヨレバ『刃ハ心ヲ映ス鏡』ト――」
「言うな」
「失礼致シマシタ」
(コキュートスは素直で助かる……)
いよいよ“除夜の鐘(装置)”の時間が来た。
デミウルゴスが静かに手を挙げる。
「では、百八回。分担通りに――」
「分担って、誰が何回だ」
アインズが恐る恐る聞くと、デミウルゴスはさらりと答える。
「アインズ様には“最初の一回”と“最後の一回”をお願いしております」
「最初と最後……?」
(めちゃくちゃ象徴化してるな?)
「アルベドが三十。シャルティアが三十。
コキュートスが二十。アウラとマーレがそれぞれ十。
パンドラズ・アクターが八。セバスが――」
「待て」
アインズは手を上げた。
「なんでパンドラが八なんだ」
「百八の端数調整です」
「端数って言うな」
「なお、パンドラズ・アクターは“八”に強いこだわりがあるため――」
「あるな」
パンドラズ・アクターが胸を張る。
「八は縁起の良い数字です! 末広がりですからね!」
「それは理解できるが、今それをナザリック規模でやるな」
そして、儀式が始まった。
アインズが“最初の一回”を担当する。
装置が低く唸り、
ゴォォン……ではなく、
ズゥゥゥン……という、腹に響く音が鳴った。
「……鐘っていうより、兵器の起動音だな」
アウラが小声で言う。
「大丈夫どす。雰囲気は大事やけど、迫力も大事でありんす」
シャルティアが、妙に納得しているのが怖い。
アルベドは、完全に感極まっていた。
「アインズ様が鳴らす“第一の音”……
ああ……なんと尊く……」
「尊くしなくていい」
アインズが抑えにかかるが、時すでに遅し。
デミウルゴスが、眼鏡を光らせる。
「第一の音は“始まり”の象徴。
最後の音は“終わり”の象徴。
つまり――アインズ様は、始まりと終わりを司る存在」
「司ってない!!」
アインズのツッコミが玉座の間に響き渡る。
(やめろ……除夜の鐘まで神格化が進む……)
百八回は、思った以上に長かった。
アルベドの三十回は、愛と執念が込められていて重い。
シャルティアの三十回は、妙に艶がある。
アウラとマーレの十回ずつは、途中から数を間違えそうになり、デミウルゴスが微笑みながらチェックしている。
コキュートスの二十回は、正確無比で軍隊の号令のようだった。
「アインズ様。二十回、完了致シマシタ」
「お疲れ」
「武具ノ手入レト同様、反復ニ意義ガゴザイマス」
「……それはそう」
最後にパンドラズ・アクターの八回。
なぜか一回一回、ポーズが決まっている。
誰に見せているのか分からないが、決まっている。
「アインズ様。八回、完了です!」
「うん。ありがとう。……ポーズはやめろ」
そして、最後。
アインズが“最後の一回”を鳴らす。
ズゥゥゥン……。
静寂。
「これにて、穢れは払われ――」
デミウルゴスが締めの言葉を口にしかけた、その瞬間。
ガタン。
誰かが、贈答品の箱を落とした。
「……あ」
パンドラズ・アクターが慌てて拾う。
アルベドがその箱を見て、目を細めた。
「……これ、誰の贈り物?」
シャルティアが、にっこり笑う。
「さて。誰やろなぁ」
空気が、一気に“戦”のそれになった。
「待て待て待て!!」
アインズは即座に割って入る。
「大晦日にやる話じゃない!
それは正月に持ち越せ! いや、持ち越すな! そもそも開封するな!」
しかし、守護者たちは、いまや別の方向で輝いていた。
(最悪だ……除夜の鐘で清浄になったはずなのに、煩悩が増えてる……!)
アインズは、無いはずの胃が痛む思いで、深く、深くため息をついた。
年は明ける。
だがナザリックの“イベント運用”は、終わりそうにない。