正月三が日。
エ・ランテルの街は、普段よりも少しだけ浮き足立っていた。
「初売り……か」
執務室で報告書に目を通しながら、アインズは呟いた。
自分の元の世界では、正月の恒例行事。店が特別に品を出し、福袋が並び、人々が少しだけお祭り気分になる――そんな風景。
(……ここでも、似たようなことが起きるのか?)
コン、コン。
控えめなノック。
「アインズ様、失礼いたします」
入ってきたのは、セバスだった。いつもの通り、淡々としている。
その“いつもの通り”が、今のアインズには救いだった。
「セバス。街の様子は?」
「はい。正月の祝いの余韻が残っております。
商人たちは“初売り”として、普段より安価に品を出しているようです。
また、“福袋”なる仕組みも見受けられます」
「福袋……」
(説明してないのに、もう単語が出てくる時点で嫌な予感がする)
「……で、誰がそれを言い出した?」
セバスは一瞬だけ目を伏せ、いつもより少しだけ言いづらそうに言った。
「デミウルゴス殿でございます」
「だろうな!!」
アインズは、無いはずの胃がキュッとなるのを感じた。
ほどなくして、デミウルゴスが執務室に現れた。
笑顔が清々しすぎる。
「アインズ様。初売りと福袋について、ご報告と提案がございます」
「提案は要らない。報告だけにしろ」
「かしこまりました。では報告です」
(言い方だけ従順なのが逆に怖い)
「初売りとは、年始の商いの活性化を目的とした――」
「そこまでは普通だな」
「――“民心の安定化”にも寄与する、有効な行事です」
「ほら来た」
アインズは即座にツッコんだ。
「お前の口から“民心”が出た時点で、だいたい危険なんだよ」
デミウルゴスは悪気なく頷く。
「そこで、福袋です」
「福袋な……あれは中身がランダムで――」
「はい。“中身が未知”であるにも関わらず、人が群がる」
「言い方が物騒だな」
「つまり、人は“未知の幸福”に金を払う」
「物騒だな」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。
「この心理を活用すれば、統治はより円滑に――」
「活用するな!!」
アインズは遮った。
(頼むから、初売りを統治に繋げないでくれ……)
そこへ、扉が開く。
「アインズ様ぁっ!」
アルベドが入ってきた。
正月が終わってもテンションは落ちない。むしろ上がっている。
「初売りですって!?
アインズ様のお召し物、装飾品、そして玉座の間の――」
「改装しようとするな」
「福袋も買い占めて参りましょう!」
「買い占めるな!!」
その後ろから、ふふ、と甘い笑い声。
「まあまあ、アルベド。そんなに焦らなくてもよいでありんすよ」
シャルティアが、優雅に扇子もないのに扇子が見える仕草で入ってくる。
「福袋というものは、“運試し”の趣もあるとか。
ならばわたくし、アインズ様の幸運を引き当てて差し上げましょう、でありんす」
「“アインズ様の幸運”って何だ」
「もちろん、わたくしがアインズ様の隣に居ること、でありんす」
「話が重い」
アルベドが即座に反応する。
「それは私です」
「いいえ、わたくしでありんす」
(正月の空気、どこ行った)
さらに、廊下から元気な声。
「ねえアインズ様! 初売りって、安くなるんでしょ!? ね、行こうよ!」
アウラだ。
その後ろでマーレが小さく頷く。
「ぼ、ぼくも……本が……安いなら……」
(この二人だけが健全だ……)
そこへ最後の仕上げ。
「アインズ様!」
パンドラズ・アクターが、期待に満ちた瞳で一歩進み出る。
「初売り……限定品……福袋……!
ああ、コレクター魂が燃え上がりますね!」
「燃え上がらなくていい」
「福袋の袋、保存状態が命です。折れや皺は厳禁――」
「袋を主役にするな」
アインズは頭を抱えた。
(あれ? 俺は“街の正月っぽい雰囲気”を見て、ちょっと懐かしむだけのつもりだったんだが?
どうしてナザリック総出の作戦会議みたいになってる?)
「では」
デミウルゴスが、いつもの爽やか笑顔で言う。
「街への視察は“安全面”を考慮し、
アインズ様ご本人が出向かれる必要はありません。
護衛と代理を立て――」
「お、それは珍しくまともな――」
「――購入資金を投入し、市場の動きを観測し、
価格形成を把握した上で、我々の影響力を――」
「やっぱりダメだった!!」
アインズは即座に遮った。
「市場掌握とか言い出すな!」
「“掌握”ではなく“理解”です」
「言い換えればいいってもんじゃない!」
セバスが一歩前へ出て、淡々と現実的な提案をした。
「アインズ様。必要最低限であれば、
アウラ様とマーレ様の買い物として、護衛付きで短時間の外出は可能です。
また、福袋は代理購入もできます」
(セバス……! 常識……!)
アインズは小さく頷く。
「よし。アウラとマーレ中心に、短時間。
福袋も“少数”だけだ。買い占めは無し。いいな?」
「「「はい!!」」」
返事だけは完璧だ。
(返事だけは……な……)
街の初売りは、予想以上に活気があった。
“魔導国”になっても、人は人。年始は浮かれるし、財布の紐も緩む。
「うわ、ほんとに安い! これ、弓の弦とかも安いじゃん!」
アウラが目を輝かせる。
「アウラ様、必要な物だけに――」
セバスが注意するが、アウラは聞いているようで聞いていない。
「マーレ! 本屋あったよ! ほら!」
「ほ、ほんとだ……!」
二人は素直に“買い物”を楽しんでいる。
その姿を見て、アインズは少しだけ安心した。
(……これでいいんだよ。こういうので)
……その瞬間。
「アインズ様」
背後から聞こえる、あの声。
(いるのかよ)
振り返ると、デミウルゴスが福袋の山を指していた。
「福袋ですが。
“当たり”が出れば民衆は歓喜し、“外れ”が出れば教訓となります。
つまり――」
「つまり?」
「“当たり福袋”をこちらで用意し、適切な対象に配布すれば、
街に幸福感を演出できます」
「演出って言うな!!」
「さらに、“外れ福袋”を――」
「それ以上言うな!!」
アインズは即座に止めた。
(頼むから、福袋を“統治道具”にしないでくれ……!)
そして、事件は起きた。
福袋を一つだけ、試しに買う。
それだけのつもりだった。
「では、どれに致しましょうか」
セバスが袋を指さす。
「一つだけだ。ほんとに一つだけ」
アインズが念押しすると、アルベドが微笑む。
「もちろんです。アインズ様のために、最高の一つを」
「お前が選ぶと重くなる」
シャルティアがふふ、と笑う。
「では、わたくしが。
アインズ様の幸運は、わたくしが――」
「重いって!」
結局、アウラが適当に掴んだ。
「これでいいじゃん! ほら!」
(平和だ……)
袋を開けると、中から出てきたのは――
赤い布。
白い布。
そして、どこかで見たような……白い毛。
「……」
アインズの骨の顔が固まる。
「アインズ様……これは……」
アルベドが息を呑む。
「……赤い布、白い縁……まさか……」
シャルティアが、甘く囁く。
「ふふ……“再び”でありんすねぇ。
サンタクロース、再臨でありんす」
「違う!!」
アインズは叫んだ。
「たまたま赤と白が入ってただけだ!!
運命とか言い出すな!!」
パンドラズ・アクターが目を輝かせる。
「アインズ様!
これは保存すべきです! 福袋の“当たり”の象徴として!」
「象徴にするな!!」
デミウルゴスが静かに頷く気配がしたので、アインズは振り向かずに言った。
「頷くな」
「失礼しました」
(危ない……)
その日の夜。
執務室に戻ったアインズは、椅子に深く沈み込んだ。
(初売り視察が、どうしてこうなる……)
机の上には、福袋の中身――赤白の布切れ。
その横には、すでに「保存用」と書かれた札。
「……誰だ、札を置いたのは」
返事はない。
だが、背中に視線を感じる。アルベドの熱い視線と、シャルティアの愉快そうな視線と、デミウルゴスの理性的な視線と、パンドラの収集家の視線。
(……正月って、こんなに胃が痛む行事だったか?)
無いはずの胃が痛む思いで、アインズは深くため息をついた。
そして、心の底から思う。
(次の季節イベント……怖い)