二月十四日。
朝からナザリックは、妙に静かだった。
静かすぎる。
それが一番怖い。
執務室でアインズは、机の上の書類を一枚も読めないまま固まっていた。
(来る……来る……来る……)
昨日の前哨戦で、確信してしまったのだ。
この日は“女性が意中の男性に想いを贈る日”というだけではない。
ナザリックでは、
「アインズ様へ忠誠を“形”にして捧げる日」
として、勝手に再定義されている。
(どうしてこうなる……)
コン、コン。
控えめなノック。
控えめなのが逆に怖い。
「アインズ様、失礼いたします」
入ってきたのはセバスだった。
淡々としている。救い。
「セバス。外はどうだ」
「はい。玉座の間にて、守護者一同が整列しております。
また、使用人側も“配布手順”を整えております」
「……配布手順?」
セバスは一瞬だけ目を伏せた。
「デミウルゴス殿が、“混乱回避のため”と」
「……なるほど。混乱回避は大事だな」
(混乱回避の名目で、混乱の準備をしている気がするが)
「なお――」
セバスが淡々と付け足す。
「ツアレが、こちらをお預かりしておりました」
差し出されたのは、小さな包み。
「……これは?」
「はい。ツアレから、アインズ様へ。
“感謝の気持ち”とのことです」
アインズは固まった。
(え? 俺?)
(いや、待て。ツアレはセバスに……)
「……セバス。お前宛ではないのか」
「いえ。ツアレはこう申しておりました。
『アインズ様のおかげで、私たちは救われました。
ですから、まずアインズ様へ』と」
「……そうか」
(セバスの癒やしイベントが、俺に吸われた!!)
無いはずの胃が、別の意味で痛んだ。
玉座の間。
扉が開くと同時に、視線が一斉に突き刺さる。
アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ、コキュートス、パンドラズ・アクター。
そして、整列した使用人たち。
(重い。視線が重い)
デミウルゴスが一歩前へ出る。
「アインズ様。
本日は“バレンタインデー”――女性が想いを贈る日。
そして、我らがアインズ様へ日頃の感謝と忠誠を捧げる日です」
「忠誠を捧げる日って言うな」
「民明書房によれば――」
「言うな!!」
アインズのツッコミは、開始一分で上限に達した。
「まずは、贈与の順序です」
デミウルゴスが掲げたのは、札。
『贈与順:階層守護者→使用人→その他(例外あり)』
「例外って何だよ」
「例外は、ツアレです」
「何で!?」
セバスが淡々と説明する。
「ツアレは、あくまで“ご本人の意思”で」
(ナザリックがツアレを制度に組み込むのやめろ)
「では、最初に」
アルベドが一歩前へ出た。
その手には、巨大な箱。
箱が、でかい。
箱が、重い。
箱が、危険。
「アインズ様。
私の想いの全てを、ここに」
「箱に詰めるな!!」
アルベドはうっとりした声で続ける。
「中身は、チョコレート……ではありません」
「え?」
(意外とまとも?)
「チョコレートは“形”に過ぎません。
真の贈り物は――私自身です」
「やめろォ!!」
アインズのツッコミが玉座の間に響く。
「受け取れませんか?」
「受け取れない!!」
アルベドの目が潤む。
「……アインズ様……」
(あっ、泣くやつだこれ)
「落ち着け、アルベド。
俺は……いや、私は、皆の忠誠を受け取っている。
十分だ。十分すぎる」
「十分すぎる……!」
アルベドは“十分すぎる”を肯定の言葉として受理した。
受理するな。
次に、シャルティアが優雅に進み出る。
「アインズ様。
本日は甘い日でありんす。
ならば、わたくしも甘く――」
手にしているのは、小ぶりだが上品な箱。
アルベドの箱と比べて、逆に怖い。
「……中身は?」
「もちろん、チョコでありんす。
ただし、“わたくしの血”は一滴も入っておりんせん」
「そこを強調するな!!」
シャルティアはにこりと笑う。
「アルベドは……“重い”贈り物をなさる。
ですが、わたくしは“軽やか”に」
「軽やかに煽るな」
「そして、後味は長く残る。でありんす」
(結局重いじゃねえか!!)
アルベドが即座に反応する。
「あなた、その言い方……!」
「ふふ。
嫉妬は、お顔に出ますわよ、でありんす」
(あっ、火花が散った)
「アインズ様!」
アウラが元気よく前へ出る。
「チョコって食べ物だよね? じゃ、これ!」
差し出されたのは、普通サイズの箱。
救い。
「ありがとう、アウラ」
「へへ! マーレもあるよ!」
マーレが小さく差し出す。
「えっと……ほ、本……じゃなくて……
ち、チョコ……です……」
「ありがとう、マーレ」
(ここだけ平和だ……)
コキュートスが進み出る。深く一礼。
「アインズ様。バレンタインデー当日ニゴザイマス。
私ハ、“贈与”ノ作法ト安全性ニ配慮シ、
破損シナイ贈答品ヲ用意致シマシタ」
差し出されたのは――硬そうな箱。
「……中身は?」
「保存食デス」
「チョコじゃないのか」
「チョコハ溶解ノ恐レガゴザイマス。
アインズ様ノ執務室ハ、温度変化ガ――」
「俺は食べないんだが」
「承知致シマシタ。
デハ、“非常時ノ象徴”トシテ保管致シマス」
「保管って言うな」
(でもコキュは真面目で助かる……)
パンドラズ・アクターが一歩前へ出る。
「アインズ様。
本日贈られた品の“保存・分類・展示計画”を策定しました!」
「策定するな!!」
「まず、アルベドの巨大箱は“危険物保管庫”へ――」
「危険物扱いするな!」
アルベドがキレる。
「危険物ではありません! 私の愛です!」
「愛は扱いづらい」
シャルティアが微笑む。
「愛は爆発するでありんす」
(やめろ、爆発を肯定するな)
そして、最大の地雷。
デミウルゴスが静かに言った。
「アインズ様。
ここで、“バレンタイン大佐”の真実について――」
「言うな!!」
「存在が確認できない。
つまり、国家規模で情報が秘匿されている。
つまり――“大佐は実在し、影で世界を動かした”」
「陰謀論が過ぎる!!」
「そして、“ギブミーチョコレート”の叫びは、
民が統治者へ“甘味=救済”を求めた歴史的記録――」
「そこまで真面目に分析するな!!」
デミウルゴスは微笑む。
「よって、チョコレートとは――救済の象徴。
救済を与える者は――」
アルベドが身を乗り出す。
「アインズ様……!」
シャルティアが甘く囁く。
「アインズ様……でありんすねぇ」
パンドラが目を輝かせる。
「象徴! 歴史! 保存!」
(終わった)
アインズは悟った。
この場にいる誰も、“止める側”ではない。
止められるのは、自分だけ。
そして、自分の胃は――無い。
その時。
セバスが一歩前へ出て、淡々と告げた。
「皆様。
アインズ様は、ご飲食なさらない。
ゆえに本日の贈答は“気持ち”として受理されれば十分です。
過度な強要は、アインズ様のご負担になります」
(セバス!!)
玉座の間の空気が、ほんの一瞬だけ正気に戻る。
アルベドが悔しそうに唇を噛む。
「……承知しました。
ですが、アインズ様の負担を減らすため、
私が“代理で”――」
「代理で食べるな!!」
シャルティアがくすりと笑う。
「まあまあ。
アルベドが太るのも一興でありんす」
「殺しますわよ!!」
(正気に戻った結果、戦争が始まりかけてる)
その夜。
執務室に戻ったアインズは、机の上に積まれた箱の山を見て、目を閉じた。
(……今日は無事に終わった。終わったはず)
そこへ、セバスが控えめに言う。
「アインズ様。ツアレからの贈り物、こちらに」
小さな包み。
それだけが、妙に軽く見えた。
「……ありがとう。後で保管……いや、置いておく」
(ツアレはセバスに渡したかっただろうに……)
無いはずの胃が、別の意味で痛む。
そして、机の片隅に置かれた一枚の紙が目に入った。
『ホワイトデー対応フローチャート(暫定)』
「……」
アインズは天井を仰いだ。
「待て。まだ二月十四日だ」
返事はない。
だが、どこかでデミウルゴスが微笑んでいる気配だけがした。
無いはずの胃が痛む思いで、アインズは深くため息をついた。
「……誰にも止められないな、これ」
ここまで読んでくださってありがとうございます!
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今回いちばんツボったところ、もしあれば教えてくださいw