三月三日。
朝からナザリックの空気は、妙に“整って”いた。
整いすぎている。
それが一番怖い。
執務室でアインズは、机に置かれた一冊の本を見つめていた。
『雛祭厄写起源異聞』
民明書房
(……これが原因だ)
バレンタインで学んだはずだ。
民明書房を“資料”として扱うと、必ず誰かが“運用”を始める。
(今回は“儀式”か……)
コン、コン。
控えめなノック。
「アインズ様、失礼いたします」
入ってきたのはセバスだった。淡々とした声が、最後の良心のように響く。
「セバス。始まってるか?」
「はい。玉座の間にて、雛壇の前で皆が待機しております。
また、ひなあられと菱餅、甘酒の準備も整っております」
(供物の準備はいい。問題は――厄写しだ)
「……デミウルゴスは?」
セバスは一瞬だけ目を伏せた。
「本を手に、既に待機しております」
「だろうな!!」
玉座の間。
巨大な雛壇が鎮座していた。七段。圧がすごい。
最上段には、豪奢な雛人形――ではなく、
“アインズ・ウール・ゴウンの紋章”が飾られている。
(……結局こうなる)
雛壇の左右には、アルベドとシャルティアが並んでいた。
並んでいるが、空気は並んでいない。
アルベドは満足げに見える。
シャルティアは微笑んでいる。
どちらも信用できない。
「アインズ様」
デミウルゴスが一歩前へ出た。
手には例の本。笑顔は爽やか。最悪だ。
「本日はひな祭り――女児の健やかな成長を願う日。
そして、厄を移し、清める日でもあります」
「“でもあります”って言うな。余計な要素を足すな」
デミウルゴスは目を細める。
「大図書館の文献――特に民明書房――により確認しました」
「確認しなくていい」
「雛人形は厄を受ける依代。
ならば、我らが受ける“厄”をここに集め、処理すれば――
ナザリックの運用はより円滑に――」
「運用って言うな!!」
(やっぱり運用に繋げた!!)
アインズが咳払いをし、仕切り直す。
「いいか。今日は祭りだ。
厄写しは……その、象徴として軽くやる。
“本気”でやるな。封印とか、隔離とか、処分とか――」
そこでアインズは言葉を切った。
自分の口が、フラグを立てた気がしたからだ。
(言ったらやる……言ったらやる……)
遅かった。
コキュートスが深々と一礼する。
「アインズ様。厄ガ危険物ト同等ナラバ、
隔離、封印、処分ノ選択肢ガ必要デス。
安全性ノ観点カラ、私ハ――」
「言うな」
「……封印ヲ推奨致シマス」
「言うなって言っただろ!!」
(もう言った)
パンドラズ・アクターの目が輝く。
「封印展示ですね!!」
「展示すな!」
「厄を吸った雛人形は、歴史的文化財です!
封印ケースと解説札を――」
「解説札やめろ!!」
セバスが淡々と補足する。
「展示する場合、人の導線が必要です」
「セバスまで乗るな!」
「失礼しました。あくまで想定です」
(セバスの“想定”が現実になるのが怖い)
厄写しの儀式は、形式だけ……のはずだった。
デミウルゴスが説明する。
「本来の作法としては、紙人形に息を吹きかけ、
厄を移し、川へ流す――などの形が一般的です」
(よし、紙人形流しなら安全だ)
「しかし」
「しかしは要らない!!」
「ナザリックには川がありません。
ゆえに代替案が必要です」
「代替案って言うな」
デミウルゴスは、紙人形を取り出した。
そして――誰も欲しくない提案を言った。
「よって、紙人形を“封印箱”に納め、
第八階層に保管するのが最適と考えます」
「最適って言うな!!」
(川に流すのと真逆だろそれ!!)
シャルティアが、くすりと笑う。
「ふふ……封印箱。
厄を閉じ込めるなど、少々色気がありんすねぇ」
「色気は要らない!」
アルベドがぴくりと反応する。
「厄を閉じ込める……?
ならば、シャルティアの厄を封じれば――」
「まあ、ひどいでありんすねぇ。
あなたの厄のほうが、よほど重いでありんす」
「何ですって?」
(やめろ、ひな祭りで殴り合うな)
アウラが雛壇を見上げて言う。
「ねえねえ、これ終わったらひなあられ食べていいよね!」
マーレも小さく頷く。
「た、食べたい……です……」
(癒やしがここにある……)
アインズはその癒やしを守るために宣言した。
「よし。厄写しは紙人形でやる。
封印箱は無し。第八階層も無し。
終わったらひなあられを食べよう。以上!」
「「「はい!!」」」
返事だけは完璧だった。
返事だけは。
儀式は始まった。
紙人形が配られ、皆が息を吹きかける。
アルベドは息を吹きかけながら、紙人形を抱き締める勢いだ。
「アインズ様の厄など、私が全て受けます……!」
「それはやめろ!」
シャルティアは優雅に息を吹きかけ、にっこり笑った。
「ふふ。
厄は外へ、福は内へ。でありんす」
(節分と混ざってないか?)
コキュートスは真面目だ。
「厄移シ……完了致シマシタ。
投擲ハ――」
「投げるな! 流すんだよ!」
「承知致シマシタ」
(コキュ、何でも武器扱いにしようとする)
パンドラズ・アクターは、息を吹きかけた直後に言った。
「アインズ様。
この紙人形、保存してもよろしいでしょうか?」
「よくない!!」
「ですが、“厄を移した証拠”として――」
「証拠って言うな!」
儀式はなんとか終わった。
紙人形は一箇所に集められ、処理待ちになった。
(よし……これで終わりだ……)
終わりのはずだった。
デミウルゴスが、穏やかな声で言う。
「さて。ひな祭りは本日で終わります。
よって、雛壇の片付けについて――」
アインズは胸を撫で下ろした。
(片付けは大事だ。雛壇は邪魔だし、早めに――)
その瞬間、アルベドが口を開いた。
「片付けません」
「は?」
「雛壇を片付けると、婚期が遅れるのでしょう?」
「誰が言った」
シャルティアが、にっこりした。
「民明書房でありんす」
「お前らァ!!」
(民明書房、関係ないところにまで手を伸ばすな!)
アルベドは真顔で続ける。
「婚期が遅れる。つまり、私は“早めに”婚期を迎える必要があります」
「必要って言うな!」
「アインズ様と」
「着地するな!!」
シャルティアが扇子もないのに扇子が見える笑みで言った。
「まあまあ。
片付けないと婚期が遅れるのは、“人間の娘”の話でありんす。
わたくしたちは不死。婚期という概念は――」
「珍しく正論」
「ですが、アルベドが焦る姿は愉快でありんす」
「正論じゃない!!」
(煽りが本体)
さらに、デミウルゴスが追撃する。
「もう一点。
雛人形は厄を移す依代。
本日、厄を受けた雛壇を――どう処理するか」
「処理って言うな!!」
コキュートスが即座に一礼。
「危険物ト同等。封印保管ガ安全デス」
「言うと思った!」
パンドラズ・アクターが歓喜する。
「封印展示ですね!!」
「展示すなって言ってるだろ!」
「封印ケースに“厄レベル”を表記し、
年ごとの比較を――」
「比較するな!」
セバスが淡々と言う。
「廃棄する場合、焼却処理が現実的です」
「セバスまで処理案出すな!」
「失礼しました。あくまで選択肢です」
(選択肢が地獄)
ここで、アインズは悟った。
(ああ、これは……逃げられないやつだ)
雛壇を片付けると婚期が遅れる。
雛人形は厄写し。
厄を受けた雛壇は危険物。
保存したい。封印したい。展示したい。
全員の欲望が、奇跡的に噛み合っている。
(最悪の噛み合いだ)
アインズは、深く、深く息を吐いた。
「……よし。こうしよう」
皆が息を呑む。
「雛壇は“片付ける”」
アルベドが悲鳴を上げかけた。
「ですが」
「ですがやめろ!」
「ただし――片付ける前に、
“厄”は紙人形へ移した。雛壇に厄は残っていない。
よって危険物扱いは不要。封印も不要。展示も不要!」
パンドラズ・アクターが崩れ落ちる。
「そ、そんな……」
「そして片付けは、明日。
本日中は“飾りとして”そのままにして、祭りを楽しむ。
これでいいな?」
セバスが淡々と頷く。
「合理的です」
コキュートスも一礼。
「承知致シマシタ」
シャルティアはにこりと笑う。
「まあ……つまらぬ結論でありんすねぇ。
ですが、アインズ様がそう仰るなら」
アルベドは唇を噛み、しかし頭を下げた。
「……承知しました」
(珍しく引いた……?)
アインズが安堵しかけた、その瞬間。
デミウルゴスが、穏やかに言った。
「では、紙人形の処理は――」
「川に流す!」
「ナザリックには川が――」
「捨てに行け! 外へ! 外へ!」
「外へ……」
アルベドが反応する。
「外へ……? では私が“外”を担当し――」
「お前は担当するな!!」
(結局こうなる!!)
その夜。
執務室に戻ったアインズは、椅子に沈み込み、天井を仰いだ。
(祭りって……こんなに疲れるものだったか)
机の隅には、いつの間にか置かれた小さな札。
『次回:ホワイトデー対応検討』
「……」
アインズは静かに呟いた。
「やめてくれ」
返事はない。
だが、どこかでデミウルゴスが微笑んでいる気配だけがした。
無いはずの胃が痛む思いで、アインズは深くため息をついた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
一言でも感想いただけたらめちゃ喜びます…!
今回いちばんツボったところ、もしあれば教えてくださいw
「※番外編(第8話)を挿入しました:都市伝説『鮭の使徒』回です」