第六階層・桜庭園――の隣、森の開けた空地に、あり得ないものが立っていた。
竹。
いや、竹というより――柱。
「……でかくない?」
アウラが素直に言った。
「……でかい……です……」
マーレも素直に言った。
アインズは、もっと素直に思った。
(でかすぎる)
そこに掲げられた鯉のぼりは、もはや“のぼり”ではない。
空を泳ぐというより、空を占領している。
アインズは横で満足げなデミウルゴスを見た。
「……これは、何だ?」
デミウルゴスは爽やかに答えた。
「鯉のぼりです」
「見れば分かる!!
なぜ、こうなる!!」
デミウルゴスは、当然のように言った。
「子どもの健やかな成長を願う行事です。
ならば、祈願対象――アウラとマーレに相応しい規模が必要かと」
「規模を最適化するな!!」
セバスが静かに咳払いした。
「……デミウルゴス殿。
“相応しい規模”の前に、安全基準が必要です」
(セバス、神)
デミウルゴスが頷く。
「承知しています。
風の流れ、固定具、落下物対策――すべて確認済みです」
(嫌な予感しかしない“確認済み”)
コキュートスが一礼した。
「固定具ノ強度ハ私ガ確認シマシタ。
問題アリマセン」
(コキュまで噛んでる!?)
アルベドが微笑む。
「素晴らしいですわ。
アインズ様の慈悲が形になりました」
「俺の慈悲じゃない!!」
シャルティアが扇子をぱたぱたさせる。
「まあまあ……大きいほうが映えるのは確かどすえ。
……ただ、風が強ぅなったら、また“花見”みたいになりまへん?」
アインズは即座に頷いた。
「なる」
(断言)
そこへ、アウラとマーレが手を引き合って前に出た。
アウラが目を輝かせる。
「ねえアインズ様!
あれ、私たちの鯉? すっごい!!」
マーレも小さく笑う。
「……うれしい……です……」
(よし。今日の目的は達成だ。
この笑顔さえ守れれば、俺は勝てる)
アインズは心の中でガッツポーズした。
だが、ナザリックはナザリックである。
デミウルゴスが爽やかに続けた。
「喜んでいただけたようで何よりです。
では、次の段階に移ります」
「次の段階?」
「はい。
端午の節句には“勝負”が必要です」
「必要じゃない!!」
デミウルゴスは“ちまき”の籠を差し出した。
……普通の、ちまきだ。ひとまず安心。
「これは食べ物です」
アインズが釘を刺す。
「もちろんです」
デミウルゴスは爽やかに頷いた。
(珍しく素直……?)
「ただし、“食べ終えるまでに鯉が何回はためくか”を数える競技を――」
「競技にするな!!」
(楽しいことを競技にすると疲れるんだよ!)
だがアウラが乗った。
「えっ、楽しそう!
私、数える!」
マーレも小さく頷く。
「……かぞえる……です……」
(天使が自発的に遊ぶなら、それはもう止められない)
アインズは渋々頷いた。
「……よし。ただし“競技”ではなく、遊びだ」
デミウルゴスが微笑む。
「遊び――つまり、訓練ですね」
「違う!!」
数え始めた瞬間、鯉のぼりが――はためいた。
バサァッ。
空気が鳴る。
アウラが叫ぶ。
「いち!!」
マーレが小声で続ける。
「……に……」
バサァッ。
「さん!!」
「……よん……」
(普通にかわいい。癒しだ……)
だが、そのとき。
風が、少し強くなった。
鯉のぼりが、バサバサバサッ!!
空が“布の音”で満ちる。
アウラが興奮した。
「うわっ!すごい!
いま何回!? 十回くらい!?!?」
マーレが混乱する。
「……わ、わからない……です……」
(やめろ!数えきれないと泣くぞ!)
アインズは即座にデミウルゴスを見る。
「……風量、上げたか?」
デミウルゴスは爽やかに言った。
「上げていません」
(信用できねえ)
セバスが静かに言う。
「風向きが変わりました。
自然現象です」
(セバスが言うなら本当だろう)
……だが、ここで終わらない。
パンドラズ・アクターが、嬉しそうに提案した。
「風向きが変わったなら!
鯉のぼりの“泳ぎ方”も記録し、分類しましょう!
“鯉泳法”として!」
「分類するな!!」
(分類はデミの好物だぞ!)
デミウルゴスが目を輝かせた。
「良案です。
そして分類は、民明書房的快感――」
「言うな!!」
ここで、コキュートスが一礼した。
「アインズ様。
私ガ対応シマス」
コキュートスが前に出る。
巨大な鯉のぼりの支柱へ近づき、固定具を確認し、静かにロープを引いた。
風を受ける角度が、少しだけ変わる。
バサバサが、バサ……バサ……と落ち着いた。
アウラが叫ぶ。
「おおっ!?落ち着いた!
コキュ、すごい!!」
マーレも小さく拍手する。
「……すごい……です……」
(コキュ、神。
武器の手入れだけじゃなく、風も手入れできるのか)
コキュートスは真顔で言う。
「調整ハ手入レデス」
(言い方が職人)
鯉のぼりが落ち着いたところで、アインズは改めて言った。
「よし。今日は、これでいい。
鯉のぼりを見て、ちまきを食べて、散歩して終わりだ」
デミウルゴスが頷く。
「素晴らしい。
では最後に“成長祈願の儀礼”を」
「儀礼を入れるな!!」
(頼むから普通に終わらせてくれ)
しかし――アウラが言った。
「えっ、祈願ってなにするの?」
マーレも小さく首を傾げる。
「……おいのり……?」
(天使が興味を持ったら、もう止められない)
アインズは、深呼吸して答えた。
「……簡単だ。
健やかに育て、と願うだけだ。
誰も苦しくない。怖くない。普通のやつだ」
アルベドが目を潤ませる。
「アインズ様……!」
シャルティアもにこやかに頷く。
「まあまあ……アインズ様が言うなら、
それが一番どす」
セバスが静かに言う。
「良い締めです」
(よし。平和に終わる)
デミウルゴスが、爽やかに言った。
「では、皆で声を揃えて――
“アウラとマーレの武運長久を”」
「武運を混ぜるな!!」
アウラが首を傾げる。
「ぶうん……?」
マーレが不安げに言う。
「……こわい……です……」
(ほらぁ!!)
アインズは即座に修正した。
「違う。
“健やかな成長を”だ。いいな」
デミウルゴスが頷く。
「承知しました。
“健やかな成長”――つまり、より強く、より賢く――」
「つまりをやめろ!!」
それでも。
その日の端午の節句は、なんとか終わった。
巨大鯉のぼりは空を泳ぎ、
アウラとマーレは笑い、
ちまきは“食べ物”のままだった。
(勝った……今日は勝った……!)
アインズが心の中で勝利を確信した、その瞬間。
デミウルゴスが爽やかに言った。
「来年は、鯉のぼりの種類を増やしましょう。
“青鯉”“赤鯉”の意味も体系化し――」
「来年を持ち出すな!!」
無いはずの胃が痛む思いで、アインズは深くため息をついた。
(端午の節句……終わった。
だが、“終わったこと”が終わらない……)