ナザリックに、静かな朝が来た。
アインズは執務室で、久しぶりに“普通の”書類に目を通していた。
魔導国の税収。物流。治安。職人の陳情。外交の小さな調整。
(……いい。これだ。
イベントじゃない。儀礼じゃない。紙束は紙束でも、ちゃんと仕事の紙束だ)
その瞬間、アインズは気づいた。
(……いや、紙束が好きになってきたの、やばいな)
コン、コン。
「アインズ様、失礼いたします」
(……)
入ってきたのはセバスだった。
それだけで、今日が勝ちの可能性が上がる。
「本日の予定について、ご報告がございます」
「言ってみろ。……“何もない”はずだ」
セバスは淡々と答える。
「はい。
本日は、季節行事に該当する催しは確認されておりません」
(よし!!)
アインズは心の中でガッツポーズをした。
しかし、セバスは続けた。
「……ただし、各守護者が“念のため”に会議を希望しております」
「念のため、をやめろ!!」
(何もないのに“念のため”会議するな!!)
会議室。
各階層守護者が集う場に、妙な緊張感が漂っていた。
まるで“何かが起きる日”を待ち構えるかのように。
アインズは玉座――ではなく、いつも通りの席に座った。
(今日は玉座に座るとイベント感が出る)
セバスが司会を始める。
「本日の議題は――“議題がない”ことの確認です」
(セバス、神)
だが、デミウルゴスが爽やかに手を挙げた。
「“議題がない”ということは、議題の潜在化を意味します」
「意味しない!!」
(何もないって言ってるだろ!!)
アルベドが微笑んだ。
「アインズ様が休まれる日……
つまり、我々は“何もしない奉仕”を――」
「奉仕にするな!!」
シャルティアが扇子を口元に当て、にこやかに言う。
「まあまあ……せやけど、今までの流れやと、
“何もない日”ほど、後から爆発しますえ?」
「爆発させるな!!」
(フラグを立てるな!!)
コキュートスが一礼した。
「私ハ、静カナ日ニ武具ノ手入レヲ行イマス。
アインズ様ノ休息ヲ妨ゲマセン」
「よし、良い心がけだ」
(コキュ、良心)
パンドラズ・アクターが控えめに言った。
「私も……今日は倉庫の整理を……」
(お?珍しくまとも)
「……“保存対象”を分類して、展示案を――」
「展示案をやめろ!!」
(結局それか!!)
アインズは深く深く息を吸った。
「いいか。
今日は何もしない。
何もしないことが、最善だ」
デミウルゴスが頷く。
「承知しました。
では“何もしない”を徹底するための管理体制を――」
「管理するな!!」
(何もしないの管理って何だよ!?)
セバスが静かに言った。
「デミウルゴス殿。
“何もしない”は、管理すると崩れます」
(セバス、神)
デミウルゴスが少し考え、爽やかに答えた。
「……理解しました。
では、私が率先して“何もしません”」
(不安しかない)
会議は解散した。
アインズは執務室に戻り、書類をめくる。
(勝った……今日は勝った……)
しばらくして、扉が静かに開いた。
「アインズ様」
アルベドが現れた。
(負けた)
「何だ」
アルベドは微笑む。
「何もしない日、ということですので……
お茶会の準備は致しません」
「そうだな」
(よし)
「代わりに、無言で同席いたします」
「同席するな!!」
(何もしないって言っただろ!!)
さらに扉が開く。
「まあまあ……アインズ様、静かにしてますえ」
シャルティアも入ってきた。
「静かにしてるなら出ていけ!」
「それはそれで寂しゅうありません?」
「寂しくない!!」
(俺の休息は“孤独”なんだよ!!)
しばらくして、また扉が開く。
「アインズ様。失礼します」
デミウルゴスだった。
(やめろ)
「何だ。今日は何もしないって言っただろ」
デミウルゴスは爽やかに言った。
「はい。
ですので報告だけです」
(報告はするのか)
「街の方で、“鮭の使徒”の噂が再燃しているようです」
「なぜ今!?!?」
(イベントじゃない日に限って都市伝説が動くな!!)
デミウルゴスは続ける。
「住民が勝手に“祝祭の前触れ”と受け取り、
勝手に飾り付けを始めています」
「勝手に飾るな!!」
(民が自走してる!!)
アインズはこめかみを押さえた。
(いや、落ち着け。これはイベントじゃない。
ただの噂だ。後始末は……後日でいい。今日は休む)
「……よし。今日は放置だ。
明日、必要なら対応する」
セバスが扉の外から静かに言った。
「賢明です」
(セバス、神)
デミウルゴスが爽やかに頷く。
「承知しました。
では私は、本日“何もしない”ために――」
「ために、の先を言うな!!」
(また何か始める気だろ!)
夜。
アインズはようやく、一人になれた。
(……静かだ……)
机の上には、処理済みの書類。
イベントの資料ではない。
民明書房の抜粋でもない。
“普通の仕事”の成果だけが残っている。
(……平和だ)
その瞬間、廊下の奥から、デミウルゴスの声が聞こえた。
「皆様!
“何もしない日”が成功した記念に、来年も――」
「来年を持ち出すなァァ!!」
無いはずの胃が痛む思いで、アインズは深くため息をついた。
(休息とは……戦い……)
それでも。
今日、アインズは――少しだけ、休めた気がした。