ナザリック地下大墳墓・第九階層。
執務室の机上に積まれた書類を眺めながら、アインズは低く唸った。
「……年末か」
エ・ランテルの暦に合わせて統治を進める以上、“節目”というものは避けられない。
だが、アインズの脳裏には、まったく別の節目が浮かんでいた。
(前回、クリスマスの雑談を拾われて、ああなったんだよな……)
“聖夜祭翌日”の後始末は一応収束した。
したはずだ。
したことにしておきたい。
その矢先。
コン、コン。
控えめなノックのあと、扉が開く。
「アインズ様。失礼いたします」
入ってきたのはデミウルゴスだった。
笑顔が完璧すぎる。嫌な予感しかしない。
「……どうした」
「はい。年末につきまして、“大晦日”と“正月”に関する運用方針を――」
「運用って言うな」
アインズは即座に釘を刺した。
デミウルゴスは、悪気ゼロの笑顔で頷く。
「かしこまりました。では、“準備”です」
(言い換えても危険度が変わってないんだが)
「大晦日には、本来『一年の穢れを落とす』という考え方がございます。
その一環として行われるのが――『大掃除』」
「……大掃除か」
アインズは少しだけ安堵しかけた。
掃除なら、まだ平和だ。たぶん。
「はい。そこで、すでにナザリック全域へ通達を出しました」
「出すな」
「“穢れ”を残さぬよう、徹底した清掃を行う、と」
「徹底って言うな」
デミウルゴスは一冊の本を取り出した。
背表紙を見るだけで、アインズの無いはずの胃が痛む。
『歳末清算起源異聞』
出版社:民明書房
(また増えてる……)
「民明書房によれば――」
「やめろ、その枕詞」
だが、デミウルゴスは止まらない。
「『穢れ』とは、単なる塵埃だけではなく、
組織の内部に澱のように溜まる“怠惰”“慢心”“不正”の総称。
ゆえに大掃除とは、物理的清掃に留まらず、精神的清掃――
すなわち“粛清”を伴う――と」
「伴うな」
アインズは即答した。
「掃除に粛清を混ぜるな」
「もちろんです。ですので、粛清という言葉は用いず、
あくまで“改善”として――」
「言い換えればいいってもんじゃない!!」
アインズのツッコミが執務室に響いた。
(やめろ……年末の大掃除が“内部監査”とか“思想矯正”に進化する未来しか見えない……)
「アインズ様」
そこへ、もう一人の声。
アルベドがぬるりと入ってくる。
「大掃除と聞きまして。
アインズ様の御部屋は、この私が責任をもって清掃いたします」
「やめろ」
「特に、机の引き出しの奥、書類棚の裏、寝台の下――」
「寝台ないからな!?」
「隠しておられるのですね!」
「隠してない!!」
アインズは頭を抱えた。
(何をどう掃除する気なんだ……)
「フム……」
低い声が響く。
コキュートスが、いつの間にか扉のそばに控えていた。相変わらず気配が堅い。
「アインズ様。大掃除トハ、戦場ニ於ケル“補給線整備”ニモ通ズル重要ナ行事デス。
汚レヲ落トシ、装備ヲ整エ、次ノ戦ニ備エル……。
私ハ、警備部門ノ清掃ト整備ヲ引キ受ケマショウカ」
「……助かる。そこは頼む」
(コキュートスが唯一の良心に見えてくる……)
「アインズ様ぁ」
今度はシャルティア。
扉の陰から、楽しそうに顔を覗かせた。
「大掃除いうたら、“古いモンを捨てて新しい福を呼び込む”んどすえ?
ほな、要らんモンから片づけまひょ」
「要らんモンって何だ」
「そら、ナザリックに不要な“恋敵”とか――」
「掃除の対象にするな」
「冗談どす。……半分くらい」
「半分やめろ」
デミウルゴスは、全員が揃ったのを見計らったかのように、さらに続けた。
「また、大晦日には『除夜の鐘』という習俗がございます」
「……鐘?」
アインズは眉(骨だけど)を動かした。
「はい。民明書房によれば――」
「まだ言う!?」
『除夜の鐘とは、音響による煩悩駆逐術である。
特定周波数の鐘音を百八度打ち鳴らすことで、
人の精神に巣食う雑念を振るい落とし、清浄化を促す――』
「それ、だいぶ怪しいぞ」
「いえ、理屈としては――」
「理屈にするな」
アインズは即座に止めた。
(ナザリックで“音響による精神清浄化”とか始まったら、絶対ろくなことにならない……)
「ですので、今回は安全に配慮し」
デミウルゴスが真顔で言う。
「“百八回の鐘”の代わりに、
“百八回の点検”を実施します」
「点検?」
「はい。大掃除と併せて、
各階層の防衛設備・罠・物資の棚卸しを百八項目――」
「結局“運用”じゃねえか!!」
アインズの魂の叫びは、もちろん誰にも届かない。
だが胃は痛む。無いはずなのに。
「アインズ様」
パンドラズ・アクターが、いつもより控えめに一歩前へ出た。
「大掃除の一環として、展示室の整理も行ってよろしいでしょうか?
至高の御方々の遺品は、より美しく、より厳かに――」
「そこは丁寧に頼む。勝手に配置換えはするなよ?」
「承知いたしました! “現状維持を前提に最適化”いたします!」
「最適化って言葉、禁止にしないか?」
デミウルゴスが満足そうに頷く。
「では、これより“歳末大掃除”を開始します。
合言葉は――『穢れを落とし、清浄を迎える』」
「合言葉とか要るか?」
アルベドが両手を胸の前で組む。
「はい。アインズ様のために」
(なんで全部オレのためになるんだ……)
その日のナザリックは、かつてないほど活気に満ちた。
モップが走り、雑巾が舞い、鎧の隙間まで磨き上げられる。
罠の刃は研がれ、魔法陣は描き直され、備蓄は棚卸しされる。
そして――
「アインズ様」
夕方、デミウルゴスが最終報告に来た。
「大掃除は順調です。
なお、“穢れ”の定義につきまして、民明書房に追加記述があり――」
「もういい!!」
アインズは即座に遮った。
「穢れは塵と埃だけでいい! 不正とか慢心とか入れるな!!」
デミウルゴスは、一瞬だけ目を丸くして、すぐに微笑んだ。
「……承知しました。
では“精神的清掃”は、別日の議題に」
「議題にするな!!」
アインズは、無いはずの胃を押さえる気持ちで深くため息をついた。
机の片隅には、またしても赤いリボンの箱。
そして、その横には――なぜか小さな箒が一本置かれている。
(誰だ。サンタの次は掃除の象徴でも作る気か……)
アインズは、見ないふりをした。
大晦日は、まだ始まってすらいないのに。