一同が現実から逃げてから数刻。辺りはもう夕方だった。
万事屋で留守番していた新八は、赤い空を眺めてため息をついた。
「銀さんと黒羽ちゃん、戻ってこないな」
半日近くなっても、二人は戻ってこなかった。
連絡も一切なく、日もほとんど沈みかけていた。
「そうアルな……。銀ちゃんはともかく、もしかしたら黒羽の奴迷ってるかも知れないヨ。それか変な輩に絡まれてるかも知れないネ」
「確かにそうだね…。この町に着て日も浅いし」
欲望の町、かぶき町の名は伊達ではない。
新八がそう返すと、神楽は急いで玄関に向かった。
「私、探してくるヨ」
「あっ、待って、僕も!」
定春を連れて靴を履く神楽を、新八も慌てて追う。
その時、デスクの上の黒電話がジリリリンとけたたましく鳴った。
新八は一旦迷うが、銀時かも知れないと思って受話器を取った。
「はい、万事屋です」
そういや、こんなこと滅多にしてないな、とどうでもいいことを考えながら、通話の相手を待つ。すると、それは予想とは違う人物だった。
[ん? 新八か!?]
「源外さん?」
受話器の向こうの源外は、ひどく慌てているようだった。何かアクシデントでもあったのだろうか、と新八は思った。
[悪りーが緊急事態だ! 至急銀の字と代わってくれ!!]
「銀さんなら、出かけてますけど……」
[ったくこんな時に……。しゃ―ねーからすぐ銀の字に伝えてくれ!!]
訝しげに聞き返す新八に、源外は苛立ち交じりに言い放つ。
[例のベルトが盗まれた!!]
「ええ!?」
新八は思わず目を見開いた。驚かずにはいられない、洒落にならない内容だった。
「ちょっ……どういう事ですか!?」
[スマン! 俺が一時工房から目を離した隙に煙のように消えちまったんだ]
「いやいやいや! アレかなりヤバい代物ですよね!? どーすんですか、もし警察にでもバレたりしたら……」
電話を介して、互いに慌てる新八と源外。
なかなか来ない新八にしびれを切らし、神楽は半目で振り返った。
「おーい、どうしたアルかー、新八ぃ」
気だるげにそう尋ねた時だった。
ガラガラガラッ
「!」
いきなり戸が開けられ、大勢の黒服たちが殺到してきたのだ。
「うわっ!」
「ガルルルル!!」
神楽が飛び退き、定春が唸る声に、新八が「え?」と振り向いた。
そこにいたのは、よく知る顔だった。
「御用改めである! ちぃと調べさせてもらうぞ」
副長・土方率いる、真選組だった。
「い"っ!? 土方さん!?」
[何!? 鬼の副長が来てんのか!?]
電話の向こうで、源外が慌てた。
忘れられがちな設定だが、源外は将軍暗殺未遂の指名手配犯。警察に見つかると色々ヤバいのだ。
「何アルか公僕どもコルァ!! んな大勢で押しかけてきてんじゃねーよチンピラ警察が!!」
「…ちーと黙りなァ、チャイナ娘。今日はテメーと遊んでる暇はないんでぃ」
怒る神楽を、沖田がいつになく真面目な様子で押しのける。
強面の男たちがリビングに迫ってくる光景に、新八はあわわわと狼狽えた。
[新八! 悪りーが俺はしばらくドロンさせてもらうぞ!! うまくごまかしといてくれ!!]
一方的に電話が切られ、ツーツーという待機音だけが鳴る。
固まる新八の前に、土方が立った。
「オイ眼鏡。あのガキはどこにいる? 聞きてーことがある」
低い声での質問に、新八は青くなりながら答える。
「えっと…、今買い物に出てて……、銀さんも出かけてて……」
「チッ……そうか。じゃあ次の質問だ。…………あのベルトはどこにある?」
「えっ」
新八の顔が引きつった。
ヤバい。瞬時にそう思った。
どこだもなにも、犯罪者のところに預けていたそれは、盗まれたのだ。
「アレアレ~? どうしちゃったんですかー? 万事屋さんよー」
ニヤリと黒い笑みを浮かべ、土方は新八を見下ろした。
これが、普段いいようにあしらわれている報復か。
新八はただ、だらだらと冷や汗を流して固まる他にできなかった。
*
黒羽が帰路についたのは、陽がビルの街並みの中に消えた時だった。
「……クソ、えらく足止め食っちまったな…」
赤い空を忌々しげに見上げ、黒羽は毒づく。
目当ての商品は手に入ったが、争奪戦に思った以上手間がかかった。そろそろ準備をしないと、暴食娘が騒ぐことだろう。まあ新八は自宅で食べるだろうし、銀時も基本ブラブラしてるだろうし放置だ。
そんなことを考えていると、何やら公園の入り口が騒がしいことに気付く。
思わず駆け足で近づき、耳をそばだてる。
「オイオイ、また件の変死事件かよ、怖いねー」
「もうこれで六件目だぜ。しかも今度は同時に8人だってよ」
その内容に、黒羽は以前スナックで聞いた客の話を思い出した。
―――あの時の話か……。
都市伝説みたいなもんかと思ってたのに……、マジだったのか。
思い返しながら、黒羽は言い表せぬ不安に尾を立たせた。
その時、小さな衝撃が黒羽を襲った。
ドンッ
黒羽よりも小柄な影が、すれ違いざまにぶつかってきたのだ。フードを深くかぶった、少年とも少女ともとれるソイツは、何かを抱えたまま走り去っていく。
「あっ、おい!」
黒羽は思わず手を伸ばしかけ、呆れた顔で下ろした。
「…ったく、最近のガキはしつけがなってねーな」
諦めの表情で帰路につこうとした時、ふと違和感に気付く。
「アリ?」
振り返って、小さな背中を目で追う。
人影の持つ大きなアタッシュケースには、何か見覚えがあった。
「…………」
じっと固まる黒羽。
「オイ、どーした」
そこへ、銀時がぶらりと近づいてきた。いつもの気の抜けた目で、妙に殺気立っている黒羽を見下ろす。
だが、黒羽は何も答えなかった。鋭い目で、道の向こうを睨むばかりだ。
さすがに銀時も、眉をひそめる。
「…おい、どうしたって」
「悪ぃ、銀さん! これ持ってて!!」
尋ねた銀時に買い物袋を押し付け、黒羽は突如駆け出した。
「んなっ…テメッ!!」
押しのけられて、よろめいた銀時は怒鳴りかける。だが、口を開いた時には、走っていく黒羽の背中がみるみる小さくなっていた。
銀時を置き去りに、黒羽は脇目も振らずに走る、走る。
フードの姿はもう見えないが、あの瞬間に嗅いだ僅かな匂いを頼りに、黒羽はその残滓を追い続ける。
大通りを駆け、橋を渡り、路地裏を抜ける。
ひどく匂いは薄い。だが、不思議と足は止まらなかった。
匂いが導いたのは、古い廃棄された倉庫だった。
大型のコンテナがいくつも残り、積み重なる中には、フォークリフトなどの重機が混じり、再び使われることなく、終わりの時を待っている。
黒羽は警戒を怠ることなく、ゆっくりと歩を進める。
カツン、カツンと足音だけが不気味に響く。
ぶら下がる足場を見上げれば、打ち捨てられたクレーンや、その向こうに穴だらけになった天井や窓が見える。そこから覗く空には、ほんのりと青紫色が混ざって、いくつか星が光っていた。
「……ここに来た、のか?」
黒羽は耳を澄ませ、鼻をひくつかせて、フードを探す。
慎重に、ゆっくりと歩を進め、時折背後を振り向きながら辺りを見渡す。すると、コンテナの上で何か黒い影が動いた。
「!」
反射的に振り向き、身構える。
だが、そこにいたのは、ただの一匹の鼠だった。
「…なんだよ。脅かすなよ」
黒羽は脱力し、ため息をつく。
その時、ギシッと金属がきしむ音がして、鼠が逃げた。
黒羽も無警戒時にそんな音を聞いてギョッとし、引きつった顔で音がした方にまた身構えた。
「探しているのは、オイラかイ?」
子供のような、老人のような不思議な声が届いた。
そこにいたのは、ずっと追っていたフードの持ち主だった。
そいつはフードを外し、灰色の髪とその上の丸っぽい耳を露わにした。同時に、尻近くから細長い尻尾が現れる。
「…またケモ耳かよ。流行ってんのか?」
「他人のこと言えないだロ」
黒羽の耳を翠色の目で見て、ソイツはにやりと笑った。
どこか悪戯っぽいその笑みを、黒羽は半目で睨みつける。怪しすぎる。
「お前、何者だ?」
「難しイことを聞くネ? 誰も自分のコトなんて分かっちゃいないゼ? 名前や種族や経歴なんテ、タダの名称に過ぎないンだかラ」
「いや誰もんな哲学的な答え求めてねーから!!」
予想外の答えに、逆に黒羽は焦った。なぜこんなところで、人間の自己について語り合わなければばらないのか。なんだこの面倒臭い奴は。
「あー…じゃあ、アレ。名前! 名前教えろ!!」
多少慌てながら、黒羽はビシッと指を突き付けた。
「フム。地球人やほかの惑星の者にはオイラの名前は発音しづらくてネ……。気軽にネズミと呼んでくレ」
「……乾 黒羽だ」
一応の礼儀と、黒羽も名乗り返す。
だが、ネズミは笑って「知ってるヨ」と答えた。
黒羽は険しい表情で身構えたまま、ネズミは鋭く睨み続ける。
そんな彼女に、ネズミはある物を見せる。
「そう邪険にするなヨ。…探しているのハ、これだロ?」
「!!」
ネズミが見せたのは、黒羽が使ったベルトの入ったアタッシュケースだった。
目を見開く黒羽に、ネズミはアタッシュケースを地面に置いて見せた。
「悪いネ。どうしてもお前ト、話をする必要があったんダ。これを盗ってきたのハ、タダお前をここに連れてくる口実サ」
「……何の用だ。…っつーか」
そこで黒羽は、ネズミを思いっきり胡散臭いものを見る目で見つめた。
「……お前によく似たいや〰〰な奴を思い出すからあんま話したくないんですけど」
「なんだト?」
すると、ずっとニヤニヤ笑っていたネズミは初めて不機嫌そうな顔になった。
「失敬ナ。あんなタテジマと一緒にされたくないネ」
黒羽はその言葉で、一層警戒を深めた。
「やっぱり知り合いかよ……。どーりで同じ匂いがすると思ったら」
「イヤ、言っとくけド、知り合いだけど友達じゃないヨ?」
黒羽は疑いの目を向けたまま、一応警戒を解く。
あの男は腹の立つ男だったが、敵ではなかった。話だけは聞こう。
「で? 何の用なんだ? 銀さんにまた力貸せって言いてーのか?」
「…いや、そっちじゃないネ」
ネズミは一旦言葉を切ってから、ふいに目元をほころばせた。
「……?」
「…恩師の娘に、一目会いたかっただけサ」
訝しげに見つめる黒羽に、ネズミは優しい口調で言った。
それはまるで、長い間探し続け、ようやく見つけた大切なものを見た時のような、本心から喜ぶ儚げな微笑みだった。
「……! お前、お袋の……?」
黒羽は目を見開いて、目の前の小さな人物を見つめた。
思わず言葉を失くし、双方に沈黙が流れる。何か言おうと、黒羽が口を開く。
その時、パラパラと目下に、小さなガラスの破片が落ちたのに気付いた。
そして、黒羽の頭上を大きな影が覆った。
「!!」
獣の直感で、黒羽とネズミは瞬時に飛びのいて距離を取った。
その直後、巨大な灰色の何かが、二人がいた場所に落下し、高く砂煙を巻き起こした。コンテナの上に跳んだネズミが、驚愕の表情を浮かべた。
「……!! まさかっ…」
「何だァ、今度は!?」
黒羽がむせ返る中、煙が晴れていく。その中で、二つの目が白く光る。
そして小さく、声が聞こえた。
「………………ようやく、見つけた」