A社1区 ― A社本社 会議室
長時間に及んだ会議も、ようやく終わりを迎えようとしていた。
長円形の机に並ぶ調律者たち。
その多くが椅子に背を預け、わずかに気を緩めている。
だが、議事進行役であるクモハタだけは、最後まで姿勢を崩さなかった。
クモハタ
「……さて、これ以上追加の議題が無ければ今月の定例会議は終わりにするけど」
彼女は一人ひとりの顔を見渡す。
「何か、議論したい者はいる?」
――沈黙。
誰も口を開かない。
この場にいる者たちは、都市の頂点に立つ調律者。
だが同時に、無駄な発言を嫌う合理主義者でもある。
必要なことはすでに話された。
それ以上の言葉は不要。
それが、この会議の空気だった。
クモハタは小さく頷く。
「……なら今月の定例会議はこれで終わり。
また一ヶ月後、よろしくね」
そして静かに告げた。
「――散会」
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その瞬間。
張り詰めていた空気が、一気に弛緩した。
ルリ
「あ〜〜〜!!ようやく終わったか!!」
椅子にだらしなくもたれながら大声を上げる。
「ったく、会議なんて退屈だぜ!アタシ頭使うの苦手なんだよ!」
テトが苦笑する。
テト
「はいはい、おつかれちゃん。相変わらずだね〜ルリは」
スージーが優雅に扇子を開いた。
スージー
「ふふ……でしたら処刑者にでもなればよろしかったのでは?
猪突猛進なあなたにはお似合いですわ」
ルリ
「あぁん!?」
空気が一気に険悪になる。
ルリ
「バカにしてんのかテメェ!」
スージーは微笑みを崩さない。
「事実を申し上げただけですわ」
ムクが面倒くさそうに手を振る。
ムク
「おいおい、喧嘩すんなら他所でやれって」
ルリは椅子から立ち上がる。
「上等だスージー!次の訓練で柱ぶち込んでやるからな!」
スージー
「出来るものならどうぞご自由に♪」
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その喧騒を横目に。
一人の少女が静かに立ち上がる。
マンハッタンカフェ
マンハッタンカフェは、小さくため息をついた。
「……はぁ、騒がしいですね……」
そのまま音も立てずに会議室を後にする。
すると後ろから声がかかる。
エリナ
「カフェさん」
振り返ると、B社2区担当のエリナが書類を抱えて立っていた。
「8区の管理業務の引き継ぎ、お願いできますか?」
カフェは軽く頷く。
「分かりました……」
そのまま二人は廊下へと消えていった。
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A社本社の廊下は静まり返っていた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、
ただ足音だけが響く。
やがてエリナと別れた後。
カフェは一人で歩きながら、ぽつりと呟く。
「……8区の担当がいないからといって押し付けられるとは……」
壁に指先で何かの紋様を描く。
それは誰にも見えない、奇妙な軌跡。
「……皆さんも、もう少し真面目に働けばいいのに……」
その時。
軽い足音が近づいてきた。
テミー
「やっほー、カフェ」
振り向くと、明るい表情の少女。
M社13区担当調律者。
テミーだった。
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テミー
「引き継ぎ終わったの?」
カフェは静かに答える。
「ええ……正式な後任が決まるまで私が8区を兼任することになりました」
テミーは苦笑する。
「大変だね〜、でもカフェってさ、調律者の中で一番真面目だしクモハタさんからも信頼されてるでしょ?」
カフェは少しだけ視線を逸らした。
「……私としては皆さんが真面目に働けば済む話なのですが」
テミー
「あはは……ごめんごめん」
少し間が空く。
カフェが問いかけた。
「……そういえばあの後、ルリさんたちは?」
テミーは肩をすくめる。
「騒ぎすぎてさ、クモハタさんに連れてかれてお説教タイム」
カフェ
「……そうですか」
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しばしの沈黙。
廊下の照明が静かに瞬く。
カフェはふと口にする。
「……テミーさんは調律の仕事について、
どう思っていますか?」
テミーは少し考えたあと、あっさりと答えた。
「うーん……仕事は仕事だからね。やることやらないと怒られるし、だからやる。それだけかな」
あまりにも単純な答え。
だが、それはある意味で真理だった。
カフェは小さく頷く。
「……そうですか」
彼女の目はどこか遠くを見ている。
「……私は」
「もう少し」
「理由を考えてしまいますね」
テミーは首を傾げる。
「理由?」
カフェは答えなかった。
ただ静かに歩き続ける。
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やがて。
テミーがぱっと明るい声を出す。
「そうだカフェ!この後暇?」
カフェ
「ええ……特には」
テミーはにやりと笑った。
「じゃあさ、コーヒー淹れてよ!カフェのコーヒー、めっちゃ美味いって噂なんだよね!」
カフェは少しだけ目を細める。
「……構いませんよ、今日は良い豆がありますから。ブルーマウンテンです」
テミー
「おお〜!高いやつじゃん!」
カフェは静かに頷いた。
「ええ……ゆっくり飲むととても良い味がします」
テミー
「じゃあ後で行くね!」
カフェ
「ええ、お待ちしています」
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二人は廊下の分かれ道で別れる。
テミーは軽やかに去り、
カフェは静かに自室へと向かった。
都市の頂点。
調律者。
禁忌を裁く存在。
その実態は――
日々の報告書。
退屈な会議。
どうでもいい口論。
そして。
ほんのわずかな休息。
カフェは自室の扉の前で立ち止まる。
「……テミーさんのために、菓子も用意しておきましょうか。」
ポケットから鍵を取り出す。
その先にあるのは。
都市の恐怖ではなく。
ほんのひとときの、静かな時間だった。