ツヴァイ協会本部 仮眠室
静寂。
機械音すら遠い。
---
バンブーメモリーはベッドに腰掛けていた。
「……静かっすね」
ぽつりと呟く。
「仕事してる時は……考える暇なんてなかったのに……」
手を見る。
わずかに、震えている。
---
「……あたし……協会長なのに……」
視線が落ちる。
「一人だけ休んでて……いいんすかね……」
返事はない。
当然だ。
ここには誰もいない。
---
「……ツヴァイのみんな……守れてるんすかね……」
沈黙。
そして。
---
「……あたしの存在意義って……なんなんすかね……」
---
『……ねえ』
---
「っ!?」
顔を上げる。
「だ、誰っすか!?」
誰もいない。
だが──
---
「大丈夫よ」
すぐ隣で囁かれた。
柔らかく。
甘く。
逃げ場を塞ぐように。
---
「怖がらなくていい」
「あなたは、ただ少し疲れているだけ」
---
「……誰、っすか……」
声が、かすれる。
---
「私はあなたのことを、よく知っているわ」
---
その声には敵意がなかった。
それどころか。
理解している。
すべてを。
---
「頑張ってきたのね」
「ずっと、ずっと」
「誰かを守るために」
---
「……っ」
胸が痛む。
逃げ場がない。
---
「でも」
声が少しだけ、低くなる。
---
「全部は守れなかった」
---
「そうでしょう?」
---
「……」
否定できない。
---
「南部支部」
「報告書」
「“ロスト”の文字」
---
「……あなた、全部覚えてるでしょう?」
---
やめろ。
そう思う。
だが、口が動かない。
---
「あなたは優しいから」
「全部、自分の責任にしてしまう」
---
「……違うっす」
反射的に否定する。
---
「人手が足りないからで……都市の構造の問題で……」
---
「ええ、そうね」
あっさり肯定。
---
「あなたのせいじゃない」
---
「……」
一瞬。
楽になる。
---
だが。
---
「なのに」
---
「どうして、あなたが苦しんでるの?」
---
言葉が詰まる。
---
「背負わなくていいものまで、背負ってる」
「壊れるまで」
---
「……」
---
「ねえ」
---
「もう、いいのよ」
---
その一言。
それだけで。
心が、大きく揺れた。
---
「……よく、ないっす」
かろうじて絞り出す。
---
「どうして?」
---
「だって……ツヴァイは……盾っすから……」
---
「盾」
彼女は繰り返す。
---
「素敵な言葉ね」
---
「でも」
---
「どれだけ守れた?」
---
「どれだけ守れなかった?」
---
視界が歪む。
浮かぶ。
名前。
顔。
血。
---
「……やめるっす……」
---
「あなたは知ってる」
「全部は守れないって」
---
「だったら」
---
「その役割、降りてもいいんじゃない?」
---
「……降りる……?」
---
「ええ」
---
「守らなきゃいけない、なんて思わなくていい」
「苦しまなくていい」
---
「もっと、楽になれる」
---
甘い。
あまりにも。
---
「……楽に……」
---
「そう」
---
「全部、手放していい」
---
「責任も」
「役目も」
「罪悪感も」
---
「あなたは、もう十分頑張ったもの」
---
「……」
手が震える。
---
(楽になれる)
---
「……それで……いいんすか……?」
---
「いいのよ」
---
「だって」
---
「あなたはもう、壊れかけてるもの」
---
「……っ!!」
---
何かが、軋む。
決定的に。
---
「違うっす!!」
叫ぶ。
だが。
弱い。
---
「だったら証明してみせて」
---
「あなたの盾に価値があるって」
---
「それとも──」
---
「全部、無駄だった?」
---
「……ッ!!」
---
崩れる。
意識が。
---
「選びなさい」
---
「壊れて楽になるか」
---
「それとも」
---
「苦しみ続けるか」
---
(アタシは──)
---
「っ!!」
---
その瞬間。
バンブーメモリーは立ち上がった。
---
「はぁ!!はぁ!!」
扉を蹴るように開ける。
逃げる。
考える前に。
---
(やめるっす!!)
(アタシはまだ……!!)
---
D社4区 裏路地
気づけば。
そこにいた。
針葉樹が並ぶ、薄暗い裏路地。
---
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。
---
『どうしたの?』
---
「やめるっす!!」
膝をつく。
頭を抱える。
---
『受け入れるのが怖いのかしら?』
---
「もう何も言うな……!」
---
『あなたのしてきたことは……無駄だったのかしら?』
---
「無駄じゃないっす……!!」
---
「ただ……守れない方が多いだけで……!」
---
『なら』
『その盾に意味はあるの?』
「……っ」
『守れない盾は、ただの重りじゃない?』
「違うっす……!!」
「守れるようになれば……意味はできるっす……!!」
『……どうやって?』
「それは……」
---
答えられない。
沈黙。
---
『……教えてあげる』
「……えっ」
『壊れてしまえばいいのよ』
「……壊れる……?」
『そう』
『あなた“だけ”の姿になって』
『全部、守れるようになればいい』
「全部……」
『そうすれば』
『誰も失わない』
『誰も苦しまない』
『あなたも、苦しまなくていい』
---
「……は……はは……」
---
涙が、零れる。
「……そうっすか……もう……悩まなくていいんすね……アタシは……」
ゆっくりと、顔を上げる。
「全部、守れるようになるんすね……」
その瞳は。
もはや、“盾”ではなかった。
針葉樹の影が揺れる。
静かな裏路地。
息だけが、荒く響いている。
---
バンブーメモリーは膝をついたまま動かない。
「……全部、守れる……」
その言葉を、何度も反芻する。
---
『ええ』
あの声が、優しく肯定する。
---
『あなたなら出来る』
---
「……あたしなら……」
手が、地面に触れる。
震えている。
---
(守れなかった)
(守れなかった)
(守れなかった)
---
頭の中で、声が重なる。
報告書。
名前。
顔。
死。
---
「……違うっす」
絞り出すような声。
---
「これからは……守れるっす……」
---
『そう』
---
『そのために、変わるのよ』
---
「……変わる……」
---
『あなたの“限界”を、壊して』
---
何かが、胸の奥で軋む。
---
ドクン。
---
心臓が大きく鳴る。
---
ドクン、ドクン。
---
「……ぐ……っ」
胸を押さえる。
呼吸が乱れる。
---
(重い)
---
何かが、内側から膨れ上がる。
---
(盾が……重い……)
---
これまで背負ってきたもの。
守れなかったもの。
守ろうとしたもの。
---
全部が、圧し掛かる。
---
「……こんな……重さ……」
---
『それがあなたの“盾”よ』
---
声は、優しいまま。
---
『でも、もう重くないわ』
---
「……え……?」
---
『壊せばいいもの』
---
その瞬間。
---
バキッ
---
何かが、折れた。
---
「っ!?」
---
胸の奥。
心のどこか。
---
“守れなかった自分”を否定していた何かが。
---
音を立てて、崩れた。
---
「……あ……」
---
視界が、歪む。
---
(守れなかったのが悪いんじゃない)
---
(守れないものが、悪い)
---
「……あ……あ……」
---
理解してしまう。
---
「……そう、っすよね……」
---
今までの自分の前提が。
ひっくり返る。
---
「守れないなら……」
---
声が、変わる。
---
「守れる形にすればいい」
---
ギシ、ギシ、と音がする。
骨か、装備か、概念か。
もう分からない。
---
腕が、軋む。
何かが、覆い始める。
---
黒い、重厚な質感。
鉄とも石ともつかない“盾”。
---
皮膚に食い込む。
いや、融合していく。
---
「……ああ……」
---
痛みはない。
代わりに。
---
圧倒的な“安心”があった。
---
(これなら)
---
(全部、防げる)
---
背中から、何かが展開する。
---
巨大な盾。
幾重にも重なった、防壁。
---
だがそれは。
外を守るものではない。
---
内に閉じ込めるもの。
---
「逃がさない」
---
ぽつりと呟く。
---
「守るっす」
---
「全部」
---
「全部、守る」
---
その声には、もはや迷いはない。
---
瞳が、鈍く光る。
---
かつての熱血は消え。
代わりに。
---
絶対的な“防衛機構”がそこにあった。
---
『素晴らしいわ』
---
声が、満足げに囁く。
---
『これであなたは、もう苦しまない』
---
「……はい、もう、誰も失わないっす」
---
一歩、踏み出す。
---
地面が沈む。
重い。
あまりにも重い。
---
だが、その重さは。
---
“盾”としての完成を示していた。
「ツヴァイは……」
---
ゆっくりと、顔を上げる。
「あなたの盾っす」
---
その言葉は。
もはや誓いではない。
絶対命令だった。