ヂェーヴィチ協会西部支部
ヂェーヴィチ協会西部支部の一室は、いつもと変わらぬ穏やかな空気に包まれていた。
つい数時間前まで都市の中枢であるハナ協会本部にて、12協会の長たちによる緊迫した会議が行われていたとは思えないほど、ここには日常の温度が戻っている。
だが、その「日常」は決して以前と同じものではない。
タマモクロス「……それで、協会と正式に約束を結んだんか?」
壁に寄りかかりながら腕を組むタマモクロスが、じっとオグリキャップを見据える。
その視線には、軽口の奥にある確かな警戒と責任が宿っていた。
オグリキャップ「ああ、ちゃんと守るつもりだ。」
対するオグリキャップは、いつも通りの調子で頷いた。
そこに迷いはない。ただ、当たり前のことを当たり前に言っているだけのような顔だった。
ナイスネイチャはそのやり取りを見ながら、小さく息をつく。
ナイスネイチャ「でもさぁ……オグリさんのこと、協会にバレちゃったか〜……」
椅子の背もたれに体を預けながら、どこか困ったように笑う。
ナイスネイチャ「これからは今までみたいに自由には動けないよ?大丈夫?」
オグリキャップ「約束は守るから大丈夫だ。」
あまりにも単純で、あまりにも揺るがない答え。
タマモクロスは思わず額を押さえた。
タマモクロス「……あんたは相変わらずやな」
だがその声音には呆れだけではなく、どこか諦めにも似た信頼が混じっていた。
ネイチャは苦笑しながら肩をすくめる。
ナイスネイチャ「まあ、アイネス協会長にも言われてるしさ。タマモさん、オグリさんの見張り役、よろしくね」
タマモクロス「おう、任しとき!」
軽く拳を握るタマモクロス。その瞳には決意が宿る。
タマモクロス「オグリはもっと自分で考えれるように……いや」
一瞬言葉を止め、ちらりと本人を見る。
タマモクロス「……お前さんはそのまんまでええわ」
オグリキャップ「?ああ」
意味は分からないが、とりあえず頷くオグリキャップ。
ネイチャはその様子を見て、思わず小さく笑った。
――その数日後。
空気が変わるのは、ほんの些細なきっかけからだった。
オグリキャップ「ネイチャ、今から8区に行ってきてもいいか?」
その一言に、部屋の空気がわずかに引き締まる。
ナイスネイチャ「……8区?」
ネイチャの目が細まる。
ナイスネイチャ「都市の北東部だよね。なんでまた?」
オグリキャップ「ヴェルギリウスに呼ばれた。会いたいと言っていた」
その名前が出た瞬間、ネイチャの表情が明確に変わった。
ナイスネイチャ「……赤い視線に?」
都市でも指折りの危険人物。
伝説の元1級フィクサーですら「最も危険」と評した存在。
ナイスネイチャ「理由は?」
オグリキャップ「久しぶりに会いたいと。私も会えるのは楽しみだ」
無邪気ですらあるその言葉に、ネイチャは深く息を吐いた。
ナイスネイチャ「……オグリさん、約束覚えてるよね?」
オグリキャップ「協会との約束か?」
ナイスネイチャ「そう。特色クラスと会うときは単独行動禁止」
少し間を置いて、はっきりと言う。
ナイスネイチャ「守れる?」
オグリキャップ「もちろんだ」
即答だった。
ナイスネイチャ「なら――タマモさん、同行ね」
タマモクロス「任しときや」
こうして、二人は8区へ向かうことになる。
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H社8区――鴻園。
箱庭のように整えられた中華風の街並み。
だがその美しさの裏に潜むのは、都市特有の歪んだ秩序だった。
その郊外を、オグリキャップとタマモクロスは並んで歩いていた。
タマモクロス「なあオグリ、ほんまにここで合っとるんか?」
オグリキャップ「指定された場所だ」
迷いはない。
だがタマモクロスは周囲を警戒し続けている。
タマモクロス「なんか胡散臭いなぁ……ほんまに信用できるんか?」
オグリキャップ「以前会った彼は優しかった」
その言葉に、タマモクロスは苦笑する。
タマモクロス「……あんたの“優しい”は信用ならんねん」
その時だった。
「失礼、ヂェーヴィチ協会のオグリキャップさんで間違いないでしょうか?」
静かに現れた白髪の女性。
ファウスト「私はファウスト。リンバスカンパニーの者です」
淡々とした口調。感情の起伏が見えない。
ファウスト「ヴェルギリウスのもとへご案内します」
タマモクロスが一歩前に出る。
タマモクロス「……目的は?」
ファウスト「今はお話しできません」
即答。
だが視線は一切逸らさない。
タマモクロス「……ちっ」
舌打ちしつつも、タマモクロスは引いた。
タマモクロス(今は様子見や……)
やがて案内された先にあったのは、異様なトラック。
その内部は外見とは裏腹に、明らかに異質な機構で満ちていた。
ファウスト「ポータルです」
ファウストが言う。
ファウスト「本社へ直接移動します」
そして、開かれる“扉”。
常識の外側にある空間。
タマモクロスは眉をひそめる。
タマモクロス(……ほんまにヤバい会社やな)
それでも、二人は踏み込んだ。
---
次の瞬間、世界は切り替わっていた。
リンバスカンパニー本社。
現実感の薄い空間。
だが、そこに立つ人物だけは確かに“現実”だった。
ヴェルギリウス「……久しぶりだな、キャップ」
低く、落ち着いた声。
赤い瞳の男――ヴェルギリウス。
オグリキャップ「ああ久しぶり、ヴェルギリウス」
オグリキャップの表情が、ほんの少しだけ柔らぐ。
オグリキャップ「会えて嬉しい」
その言葉に、ヴェルギリウスはわずかに目を細めた。
ヴェルギリウス「……そうか」
一瞬だけ、影が差す。
オグリキャップ「ラピスやガーネットは元気か?」
無邪気な問い。
それに対して――
ヴェルギリウス「……ああ」
ほんの一瞬の沈黙。
ヴェルギリウス「元気だ」
それが嘘であることを、タマモクロスは直感で理解した。
タマモクロス(……こいつ、何か抱えとる)
だがオグリキャップは気づかない。
オグリキャップ「またみんなで食事がしたいな」
その言葉に、ヴェルギリウスは微笑む。
ヴェルギリウス「……ああ、そうだな」
優しく、そしてどこか痛ましい微笑みだった。
タマモクロス「……で、今日はなんの用や?」
タマモクロスが割って入る。
タマモクロス「オグリに危ないことさせる気なら――」
ヴェルギリウス「分かっている」
即座に遮るヴェルギリウス。
ヴェルギリウス「キャップの信頼は裏切らない」
その言葉には、確かな重みがあった。
そして、静かに続ける。
ヴェルギリウス「俺の仲間に会ってほしい」
オグリキャップは迷わず頷いた。
オグリキャップ「分かった」
そのあまりにも真っ直ぐな返答に、タマモクロスは頭を抱える。
タマモクロス(ほんま……あんたは……)
だが同時に理解していた。
この少女は変わらない。
変わらないからこそ――
「灰色の怪物」と呼ばれるのだと。
リンバスカンパニー本社――LCE部署研究棟。
そこは「研究施設」と呼ぶにはあまりにも無機質で、そしてどこか冷たかった。
壁も床も天井も、無骨な鉄の質感をそのまま剥き出しにしており、人の温もりを拒絶するような空間が広がっている。
その中心に、異質な集団が対峙していた。
片や、都市に名を刻む「色付き」――特色フィクサー。
片や、寄せ集めのようでいて、どこか歪に完成された「囚人」たち。
ダンテ【……ヴェルギリウスが会わせたい奴がいるからって来たけど……】
ダンテの頭部の時計が、かちり、と小さく鳴る。
言葉としては聞こえないはずのその音を、囚人たちは問題なく理解していた。
イサン「……あなや」
イサンがぽつりと呟く。
その視線は、目の前の二人――オグリキャップとタマモクロスに向けられていた。
ファウスト「ドンキホーテさん、一旦落ち着いてください」
ドンキホーテ「ふおおおおお!!」
ファウストの制止も虚しく、ドンキホーテは目を輝かせて前のめりになる。
ドンキホーテ「ヂェーヴィチ協会の!特色フィクサーが!ふたりも!!これはまさしく奇跡でありまする!!」
良秀「……ほう?」
煙草をくゆらせながら、良秀が興味深そうに細めた目で観察する。
タマモクロス「ウチはタマモクロス。こっちはオグリキャップや」
タマモクロスは軽く顎を上げながら名乗った。
対照的に、オグリキャップはただ静かに一歩前に出る。
オグリキャップ「オグリキャップだ。よろしく頼む」
それだけだった。
だが、その一言に妙な“重み”があった。
ムルソー「青白の稲妻と灰色の怪物……」
ムルソーが淡々と分析する。
ムルソー「いずれも長期にわたり色を維持しているベテラン。脅威度は高いと推測される」
ホンル「へぇ〜、そんなにすごいんですね」
ホンルは相変わらずの軽い調子で笑うが、その目はしっかりと観察していた。
ヒースクリフ「でも見た感じ、普通じゃねぇか?案内人のダチってのは本当かよ?」
ヒースクリフが腕を組みながら言う。
オグリキャップ「ああ」
オグリキャップは頷く。
オグリキャップ「ヴェルギリウスとは何度か食事をした。大切な友達だ」
その一言に、空気がわずかに揺れた。
イシュメール「……眩しいですね」
イシュメールが目を細める。
イシュメール「都市では珍しいほどに」
ロージャ「うーん、なんか普通のウマ娘って感じ?」
ロージャが首を傾げる。
シンクレア「ほんとに……特色なんですか……?」
シンクレアは明らかに戸惑っていた。
ウーティス「見た目からは判断できないな」
ウーティスが冷静に切り捨てる。
ウーティス「だが、だからこそ警戒すべきだ」
グレゴール「まあ、見た目で判断するのはよくないってことだな」
グレゴールが苦笑する。
その時だった。
ダンテの視線がヴェルギリウスへ向く。
ダンテ【それで、呼んだ理由は?】
ファウストがそれを即座に翻訳する。
ファウスト「ダンテは、目的の説明を求めています」
ヴェルギリウス「……ああ」
ヴェルギリウスは短く応じると、オグリキャップへ視線を向けた。
ヴェルギリウス「キャップ、ひとつ頼みがある」
オグリキャップ「なんだ?」
即答。
迷いはない。
ヴェルギリウス「囚人たちを――今日一日、鍛えてやってほしい」
一瞬、静寂が落ちた。
タマモクロス「……は?」
タマモクロスが眉をひそめる。
タマモクロス「それ、あんたがやればええやろ」
当然の疑問だった。
だがヴェルギリウスは首を振る。
ヴェルギリウス「俺は立場上、直接手を貸せない。だが、任務は過酷になっている」
その声は淡々としているが、確かな重みがあった。
ヴェルギリウス「だから外部の特色に頼る必要がある」
タマモクロス「それでオグリ、か」
タマモクロスはじっと睨む。
タマモクロス「……リンバスカンパニーの目的は?」
沈黙。
ファウスト「言えません」
即答したのはファウストだった。
ファウスト「企業機密です」
タマモクロス「……信用できるかいな」
空気がぴりつく。
タマモクロス「オグリ、帰るで」
タマモクロスはきっぱりと言い切った。
タマモクロス「こんな連中と関わったらあかん」
その時だった。
オグリキャップ「……タマ」
オグリキャップが、静かに口を開く。
オグリキャップ「私は、ヴェルギリウスに協力したい」
タマモクロス「はぁ!?」
タマモクロスの声が荒れる。
タマモクロス「なんでや!?」
オグリキャップ「昔、食事をした時の彼は優しかった」
それはあまりにも単純な理由だった。
オグリキャップ「嘘もつかなかった」
そして、続ける。
オグリキャップ「それに」
一瞬だけ、オグリの瞳が真っ直ぐにヴェルギリウスを射抜く。
オグリキャップ「彼は、仲間を死なせないために頼んでいる」
沈黙。
タマモクロス「……っっっ!!」
タマモクロスは歯を食いしばる。
タマモクロス(ほんま……)
分かってしまった。
この少女は、そういうやつだ。
タマモクロス「……好きにせえ」
吐き捨てるように言う。
タマモクロス「でも報告はするで。ネイチャにも、協会にもな」
オグリキャップ「ああ、ありがとうタマ」
本当に嬉しそうに頷くオグリキャップ。
タマモクロスは頭を抱えたくなった。
オグリキャップ「で、何をすればいい?」
ヴェルギリウス「死なないやり方を教えろ」
ヴェルギリウスの答えはシンプルだった。
ヴェルギリウス「方法は任せる」
シンクレア「ざっくりすぎません……?」
シンクレアが青ざめる。
オグリキャップ「分かった」
だがオグリキャップは迷わない。
ダンテ【承諾するんだ……】
ヒースクリフがニヤリと笑う。
ヒースクリフ「で?何からやるんだ?」
その問いに――
オグリキャップは一歩前に出た。
オグリキャップ「まずは模擬戦だ」
空気が凍る。
ロージャ「……え?」
ロージャの声が裏返る。
オグリキャップ「君たちの実力を、私に見せろ」
静かに、だが確実に。
その場の全員が理解した。
――これはただの訓練ではない。
「生き残るための選別」だと。
無機質な研究棟の空気が、わずかに軋む。
怪物が、牙を剥こうとしていた。