オグリキャップ&ナイスネイチャサイド
F社6区、裏路地。
「裏路地」と呼ばれてはいるものの、見た目だけなら普通の下町。古びた建物が並び、道幅は狭く、壁には年月を感じさせる汚れがこびりついている。だが、人が暮らしている気配は確かにあり、路地の奥からは夕食の支度を思わせる匂いも漂ってくる。
もちろん、巣と同じ意味で安全なわけではない。
けれど、指の支配下にある以上、少なくとも無秩序そのものではなかった。暴力も死も身近にある。だが同時に、そこには裏路地なりの秩序があった。
その一角を、オグリキャップとナイスネイチャが並んで歩いていた。
ナイスネイチャは周囲をさりげなく見回しながら、小さく息をつく。空気が違う。西部支部のある地域とも、他の区とも、また少し違う閉塞感があった。人の視線が少ないのに、誰かに見られているような気配だけが残る。そんな場所だった。
ナイスネイチャ「……オグリさんの実家ってこの辺?」
そう聞くと、オグリキャップは迷うことなく前方を指差した。
オグリキャップ「ああ……ここだ」
それは古びたアパートの一室だった。築年数は相当経っているのだろう。外壁は色褪せ、階段の手すりも少し錆びている。決して立派な建物ではない。だが、不思議と荒れた印象はなく、誰かが丁寧に暮らしていることが分かる佇まいだった。
オグリが扉の前に立ち、ためらいなくインターホンを押す。
ピンポーン。
少し間があって、扉の向こうで物音がした。足音。鍵の外れる音。そして、ゆっくりとドアが開く。
現れたのは、芦毛のウマ娘だった。
落ち着いた雰囲気をまとい、年相応の疲れは見えるものの、その目元には柔らかさが残っている。オグリとよく似た色の髪。だが、表情にはオグリにはない、長く生きてきた者特有の警戒と諦観が滲んでいた。
「はい、どなた様……」
そこまで言って、彼女は目を見開いた。
「……オグリ?」
オグリキャップは、ほんの少しだけ表情を和らげる。
オグリキャップ「ああ、久しぶり母さん」
その言葉を聞いた瞬間、母親の顔に安堵が浮かんだ。
だが、それは次の瞬間には別の色に変わった。
「なんで6区に……? まさかF社に……!」
声が強張る。
オグリは首を横に振った。
オグリキャップ「行ってない。今日は休暇だ。まっすぐここに来た」
その答えを聞いて、母親は目に見えて肩の力を抜いた。
「そ、そうなのね……良かった……」
それから、オグリの隣に立つナイスネイチャへと視線を移す。
「そちらは……?」
ナイスネイチャはすぐに軽く会釈した。
ナイスネイチャ「ヂェーヴィチ協会西部支部長のナイスネイチャだよ。オグリさんの上司」
「あっ……ヂェーヴィチ協会の……」
母親は慌てて頭を下げる。
「どうも、オグリの母です。娘がお世話になっています」
ナイスネイチャ「いやいや、全然平気だよ」
ネイチャはいつもの柔らかい口調で笑う。
ナイスネイチャ「オグリさん、頑張り屋でいつも助かってるよ〜」
その言葉に、母親はほんの少し目を細めた。
「そうなんですか……オグリ、頑張ってるのね」
オグリキャップ「もちろんだ」
オグリは迷いなく頷く。
オグリキャップ「母さんとの約束だからな」
その言葉に、母親の表情がわずかに揺れた。
「っ……約束……うん、そうね。約束……」
何かを飲み込むような間があった。
オグリは不思議そうに首を傾げる。
オグリキャップ「……どうしたんだ母さん? どこか痛いのか……?」
「ううん、なんでもないの」
母親はすぐに微笑んだ。だが、その笑みは少し無理をしているように見えた。
「オグリ、貴女が元気なら……それでいいわ」
オグリキャップ「そうか、分かった」
本当にそれで納得したらしい娘を見て、母親は困ったように、そして愛しむように目を細める。
「……ねえオグリ、良ければしばらくゆっくりしていく? お菓子ぐらいなら出せるわよ」
オグリキャップ「本当か!」
ぱっと目を輝かせる。
オグリキャップ「ありがとう母さん!」
「ふふ……貴女は本当に変わらないわね……」
それから母親はネイチャに向き直る。
「ネイチャさんも良ければどうぞ」
ナイスネイチャ「おっ、ありがとうございます」
そうして二人は部屋の中へ通された。
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室内はこぢんまりとしていた。広くはない。だが、不思議と窮屈さを感じさせない。きちんと整えられた家具、小さな棚、控えめな装飾。質素ではあるが、どこか温かみがあった。
そして何より目を引いたのは、食料の蓄えだった。乾物、保存食、菓子、缶詰。多すぎるというほどではないが、一人暮らしにしては明らかに量が多い。
居間に通され、菓子が並べられると、オグリはさっそく手を伸ばした。
オグリキャップ「もぐもぐ……ふふ、美味しいな」
「オグリは本当に食べることが好きね」
母親はそれを見て、少しだけ頬を緩める。
「幸せそうで良かったわ」
ネイチャは菓子をつまみながら、室内を見回した。
ナイスネイチャ「……オグリさんの実家だけあって、食べ物をこんなに蓄えてるんですね」
「オグリがいつでも帰ってきてもいいようにしてるからね」
その言葉に、オグリはすぐに顔を上げた。
オグリキャップ「ありがとう、母さん」
「……ねえオグリ」
母親は静かに言った。
「しばらくネイチャさんと話があるから、貴女はそのお菓子、好きなだけ食べてて」
オグリキャップ「? 分かった」
オグリは特に疑問も持たず、また菓子へと意識を戻す。
「ネイチャさん、ちょっと席を外しましょう」
ナイスネイチャ「あっ、はい」
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別室はさらに狭かった。居間よりも生活感の薄い空間。椅子が二つ、机が一つ。母親は扉をそっと閉め、ネイチャに向き直った。
その瞬間、さっきまでの穏やかな母の顔は消えていた。
「……ネイチャさん」
声は静かだったが、その内側には明らかな緊張があった。
「あの子は今……どんな様子ですか?」
ナイスネイチャは、少しだけ考えてから答えた。
ナイスネイチャ「正直、なーんも変わってないよ」
苦笑交じりに言う。
ナイスネイチャ「今の状況もよく分からないまま、いつも通り配達して、飯食ってる。」
母親は目を伏せた。
「そうですか……」
そしてゆっくりと息を吐く。
「あの子は誰よりも良い子で、優しい子です。私の教えたことを守って……いえ、根本は私の言うことだけを守ってる」
「約束は守る。ルールは守る。人は名前で呼ぶ。友達は大切にする……」
「たったそれだけが、あの子の全てなんです……」
ネイチャは少しだけ眉を下げる。
ナイスネイチャ「まあ……自由奔放な行動に振り回されることも多いですけどね。
何しろ、オグリさんにとっての“友達”がほぼ都市の上位層なもんで……」
「……私が悪いんです」
母親はぽつりとそう言った。
「あの子にもっと警戒心を教えておけば……いえ、きっと教えても、よく分からないまま育ったでしょう……」
ネイチャは小さく首を振った。
ナイスネイチャ「まあ……それがオグリさんの良いところでもあるから……」
「でもあの子は……私との約束を守るために、自分のことを考えないんです」
母親の声は、少しずつ震えを帯びていく。
「その上、他人を全部同列に扱う……しかも強いから、止まることを覚えなかった……
都市で生まれたことだけが、唯一の不幸です……」
ネイチャは黙ってその言葉を聞いていた。
軽く流せる話ではなかった。
ナイスネイチャ「それでも、オグリさんは幸せそうですよ」
しばらくして、ネイチャはそう言った。
ナイスネイチャ「私から見ても、優秀な部下ですから。」
母親は少しだけ笑った。だが、すぐに真剣な顔に戻る。
「……ネイチャさん、オグリのこと、絶対に守ってください。特に……F社からは」
ネイチャの表情が変わる。
ナイスネイチャ「……F社ですか。オグリさん、F社となにか関係が?」
母親は少しの間、黙っていた。
そして、もう隠しても仕方がないと決めたように、ゆっくり話し始める。
「……F社は、私と夫……亡くなったオグリの父親が働いていた翼なんです」
ナイスネイチャ「えっ?」
ネイチャは目を見開く。
ナイスネイチャ「ってことは元々、ご両親は翼の社員だったんですか!?」
「……はい」
母親は頷いた。
「F社は社内恋愛禁止だったんですが……どうしても離れられず、秘密裏に交際をしていて……
ある時、夫の母親……オグリから見れば父方の祖母に気づかれました」
ネイチャが恐る恐る尋ねる。
ナイスネイチャ「オグリさんのおばあちゃん……どんな人なんですか?」
母親は迷わなかった。
「……F社の理事です」
ナイスネイチャ「翼の幹部!?」
ネイチャは思わず声を上げる。
ナイスネイチャ「えっ何!? オグリさんって実はご令嬢だったの!?」
「……一応はそうなりますね。まあ、あの子の性格的に一見しただけでは絶対に分からないですよね」
母親は苦笑する。
「ただ当然猛反対されて、別れることを迫られました。
だから夫と一緒に退職願を叩きつけて、駆け落ちしました」
ネイチャは言葉を失った。
ナイスネイチャ「……それで裏路地に」
「はい、本当なら別の区に逃げたかった。でも、その時にはもうオグリを身籠っていて……遠出はできなかった。
だから、やむなく6区の裏路地に」
ネイチャの脳裏で、いくつもの点が繋がっていく。
ナイスネイチャ「……もしかして、人差し指の縄張りで暮らしてるのって……」
「指の支配下なら、翼でも容易に手は出せません」
母親は静かに答えた。
「しかも人差し指なら、金品がなくても指令に従えば最低限の生活は保証される。
だから人差し指の支配下に入ることにしました。幸い、指令も不可能なものは来ませんでしたから」
ナイスネイチャ「……オグリさんのお父さんは?」
その問いに、母親はほんの少し目を伏せる。
「身体の弱い人でした。オグリが生まれて、早くに病で亡くなりました。
その後は、女手一つであの子を育てることだけを目標にしてきました」
ネイチャはしばらく言葉を失ったまま、母親を見つめていた。
この人が、あのオグリキャップの土台を作ったのだ。
ナイスネイチャ
「……オグリさんがF社に関わるのを止める理由は」
「……今のオグリを都市中が狙ってることは知っています」
母親は静かに言う。
「だから、そのこと自体はもう割り切っています。でも、F社と関われば、オグリの祖母が利用しないはずがない。
あの人に、オグリを会わせたくないんです」
ネイチャは長く息を吐いた。
ナイスネイチャ「そういうことね……」
そして今度は、別の疑問を口にする。
ナイスネイチャ「それで、貴女が裏路地に住み続けてる理由は?」
「……私は翼を信用していません」
母親の答えは即答だった。
「オグリに、いくつかの翼から巣への移住の打診があったことは知っています。
でも、あの子が翼に利用されるくらいなら、私は裏路地で住み続けます。まだ指の方が信用できるので」
それから、少しだけ視線を柔らかくする。
「それにこの家は……オグリがずっと育ってきた場所ですから、守ってあげたいんです」
ネイチャはゆっくり頷いた。
ナイスネイチャ「……なるほど、そういうことなんですね」
母親は少し申し訳なさそうに笑う。
「正直、連絡先交換も止めたいですけど……もう、止められる段階ではないようなので、諦めてます」
ネイチャは少しだけ考え込んだ後、静かに言った。
ナイスネイチャ「……その上で意見を言うなら。できることなら、巣への移住は検討した方がいいですよ」
母親が目を見開く。
「えっ……」
ナイスネイチャ「貴女が死なないために」
その言葉は、母親の胸をまっすぐ射抜いた。
「オグリさんにとって、貴女は唯一無二の存在です。貴女が死んだら、オグリさんがどうなるか分からない。
だからまず、貴女の身の安全を確保した方がいい。人差し指だって、指令に従えなければ殺す組織ですから」
「……でも、翼は……」
ナイスネイチャ「ならA社の1区か、B社の2区、C社の3区への移住はどうですか?」
母親はさらに驚いた顔をする。
「頭、目、足爪は中立組織です。都市の禁忌さえ守れば、絶対に安全」
「それはそうですが……でもその三つは……」
ナイスネイチャ「ええ、住むには並大抵じゃない」
ネイチャは頷く。
ナイスネイチャ「都市の最上流階級だけが住める場所です。でも私は、それが一番良いと思いますよ。オグリさんの今の影響力を頼ることにはなるけど、移住権を取れる可能性はある」
母親は黙り込んだ。
長い沈黙だった。
ネイチャは続ける。
ナイスネイチャ「……オグリさんを守るっていうなら、まずは貴女自身が安全に暮らせる場所にいるべきです。オグリさんが帰ってこられる場所は、貴女のいる場所だけなんですから」
母親は、ゆっくりと目を伏せる。
「……そうですね……私……何から何まで、オグリに助けてもらってばかりです……」
ナイスネイチャ「でも、貴女が無事にいるってだけで、オグリさんは毎日頑張ってますよ」
その言葉に、母親は小さく笑った。
「ええ、本当に……あの子は、私にはもったいない娘です……」
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その頃、居間では。
オグリキャップがひたすら菓子を食べ続けていた。
「もぐもぐ……」
一つ食べ、また一つ食べる。
「……母さんとネイチャの話は長いな……」
そう呟きながらも、別に不満そうではない。
ただ、目の前の菓子に真剣だった。
部屋の中は静かだった。
だがその静けさの裏で、灰色の怪物を巡る最も大きな謎の一つが、ゆっくりと輪郭を現し始めていた。
タマモクロスサイド
F社6区、巣。
そこは一目見ただけで、他の区とは違うと分かる場所だった。
街並みは整っている。舗装された道、規則正しく並ぶ建物、空を映すガラスの外壁。けれど、ただ近未来的というにはどこか奇妙で、メルヘンめいた意匠が混じっている。塔の縁や窓枠には妖精譚を思わせる装飾が施され、色使いもやわらかい。まるで童話の世界を、そのまま都市の技術で再現したような景観だった。
だが、その奥に立つ本社ビルだけは別だった。
装飾は洗練されているのに、どこか冷たい。華やかな街の中心で、そこだけが現実そのものの顔をしているように見えた。
タマモクロスはそのビルを見上げ、小さく息を吐いた。
タマモクロス「ここがF社の本社か……」
心の準備をするように一拍置く。
タマモクロス「よし、行くか」
エントランスに足を踏み入れると、空気が変わった。外の華やかさとは違い、内装は上品で落ち着いている。無駄に威圧的ではないが、あらゆる調度品が“金がかかっている”と分かる質感を持っていた。
タマモは受付へ向かいながら、思わず周囲を見回す。
タマモクロス「やっぱ翼なだけあってデカイな……N社とは違った意味で凄いわ……」
受付の女性は、訓練された笑みを崩さず一礼する。
「いらっしゃいませ。ご要件はなんでしょうか?」
タマモクロス「ヂェーヴィチ協会のタマモクロスや。配達に来たんやけど、案内してもらえるか?」
「かしこまりました。確認いたします」
しばらくして、受付は再び顔を上げた。
「タマモクロス様ですね。それでは6階の応接室でお待ちください。担当がすぐに伺います」
タマモクロス「……おおきに」
案内された応接室は、外の街並みの延長線上にあるような空間だった。優雅で、どこか幻想的で、それでいて確かに都市的な機能美がある。N社のような張り詰めた白さとも、親指のような威圧感とも違う。F社の持つ独特の“余裕”が部屋全体に滲んでいた。
タマモは椅子に腰掛け、部屋の内装を見回した。
タマモクロス「……N社はカッチリしとったけど、ここは比較的メルヘンチックやな……それでいて都市らしさもある……」
そう呟いたところで、扉が開いた。
「待たせたな」
低く落ち着いた声だった。
タマモが反射的にそちらを向き、そして言葉を失う。
入ってきたのは芦毛のウマ娘だった。
明らかにオグリキャップ本人ではない。年齢も雰囲気も違う。だが、その面立ちのどこかに、そして纏っている空気の端々に、オグリと同じものがあった。血筋、とでも呼ぶしかない似た気配が、確かにそこにあった。
タマモは一瞬、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
タマモクロス「あ、あんたは……?」
「私はF社理事のネイティヴダンサー。今回の依頼主だ」
翼の理事。
その肩書の重さを改めて意識しながら、タマモは慌てて配達の手続きに意識を戻す。
タマモクロス「……あんたが依頼主か。じゃあ受け取り確認するで」
ネイティヴダンサー「ああ。すぐに済ませよう」
ネイティヴダンサーの動きには一切の無駄がなかった。書類の確認、荷物の照合、受領手続き。そのどれもが慣れ切っていて、理事という肩書が飾りではないと分かる。
手続きが終わると、タマモは荷物から手を離した。
タマモクロス「……確かに渡したで。おおきに」
ネイティヴダンサー「こちらこそ」
ネイティヴダンサーはそう言ってから、ふと視線を細めた。
ネイティヴダンサー「……青白の稲妻は、いつも灰色の怪物と一緒だと聞いていたが。今日は一人なのか?」
タマモは一瞬だけ言葉を選んだ。
タマモクロス「あ、ああ……あいつ、今日は体調不良なんや」
言った瞬間、自分でも苦しい言い訳だと思った。だが、ネイティヴダンサーは追及しなかった。
ネイティヴダンサー「む……そうか。なら仕方ない」
少しだけ残念そうに目を伏せる。
ネイティヴダンサー「会えるかと思っていたが、運が悪かったか」
その反応に、タマモは逆に違和感を覚えた。
タマモクロス「……なんやあんた。オグリのこと知っとるんか?」
ネイティヴダンサーは少し黙ったあと、静かに問い返した。
ネイティヴダンサー「……聞きたいか?」
その声音に、タマモは嫌な予感を覚えながらも頷いた。
タマモクロス「……なんやあいつ、なんかやばい事情でもあるんか?」
ネイティヴダンサーは、ほとんど感情を表に出さないまま言った。
ネイティヴダンサー「……灰色の怪物。いや、オグリキャップは私の孫だよ」
タマモの思考が一瞬止まった。
タマモクロス「……は?」
次の瞬間、声が裏返る。
タマモクロス「ま、孫!? あんたオグリのばあちゃんなんか!?」
ネイティヴダンサー「そうだ」
ネイティヴダンサーは淡々と頷く。
ネイティヴダンサー「もっとも、あの子は知らないだろうが」
タマモクロス「てことはなんや!? オグリの奴、ボンボンやったんか!?」
ネイティヴダンサー「一応はそうなる」
タマモは目を丸くしたまま、しばらく言葉が出なかった。あの裏路地育ちの怪物が、F社理事の血を引いている。繋がらないようでいて、妙に繋がる話でもあった。
タマモクロス「……嘘やろ……なんで裏路地で暮らしてるんや……?」
ネイティヴダンサーは、そこで初めて少し遠い目をした。
ネイティヴダンサー「私の息子は、元々F社の社員として働いていた。コネではない。実力で入社した。ただ……翼の社員としては、出来が良い方ではなかったな」
その言い方は冷たいようでいて、どこか懐かしむ色が混じっていた。
ネイティヴダンサー「それでも、人となりは悪くなかった……そして、あの子に恋人ができた。同僚のウマ娘だった」
タマモは黙って聞く。
ネイティヴダンサー「当然、私は反対した。他の翼ならともかく、F社は社内恋愛禁止だ。それに、重役の子息と一般社員の恋愛となれば、立場の問題もある。認めない、と言った」
ネイティヴダンサーはそこで一度言葉を切った。
ネイティヴダンサー「……すると二人とも、そのまま退職願を出して駆け落ちした」
タマモは思わず感心したように呟く。
タマモクロス「……あんたの息子さん、なかなか思い切りええんやな」
ネイティヴダンサー「思い切りが良すぎた、その時までは長所でもあったが、あの瞬間に限っては短所だった」
ネイティヴダンサーの返答は短かった。だが、その一言に、怒りと呆れと後悔がまとめて押し込められているようだった。
ネイティヴダンサー「それが……オグリキャップの父親と母親だ」
タマモクロス「……二人を連れ戻す気はなかったんか?」
タマモの問いに、ネイティヴダンサーはすぐには答えなかった。
ネイティヴダンサー「……そこまでするなら勝手にすればいいと思った。半ば勘当だったな」
その声には、若い頃の自分への苦味が滲んでいた。
ネイティヴダンサー「だが、F社の裏路地で息子が早くに亡くなったと知って……初めて後悔した」
タマモは息をのむ。
ネイティヴダンサー「そして、あの子に娘がいることも知った」
タマモクロス「……なんや、オグリを連れ戻す気か?」
ネイティヴダンサー「本音を言えば、そうしたかった」
ネイティヴダンサーはあっさり認めた。
ネイティヴダンサー「だが、住まいが人差し指の支配下だった。容易に手は出せなかった」
タマモクロス「……指と戦うことになるからか」
ネイティヴダンサー「そうだ」
それだけではない、と言わんばかりに、彼女は視線を伏せる。
ネイティヴダンサー
「翼は巣では自由に動ける。だが裏路地では、たとえ管轄区でも指との交渉が必要不可欠だ。
それに私自身、理事とはいえ好きに動ける立場ではない。
そうして先送りにしているうちに、あの子は特色になった。もう、翼として無理な手段を取れるような相手ではなくなった。
もし強引に動けば、母親に気づかれる。そして母親が一言でも言えば……オグリキャップはF社に敵対する。損害は確実だ」
タマモは苦い顔で頷く。
タマモクロス「……あいつ、情報インフラとか何とか扱われとるけど、実力もちゃんとあるからな」
ネイティヴダンサー「だから私は何もしない」
ネイティヴダンサーは静かに言った。
ネイティヴダンサー「……出来れば一目会いたかったが」
わずかに目を細める。
ネイティヴダンサー「母親が手を回したか」
タマモは苦笑する。
タマモクロス「……なんや、分かっとったんか」
ネイティヴダンサー「オグリキャップの頑丈さの情報は知っている。体調不良になるはずがない」
タマモクロス「……そういうことやったんか」
少し間があってから、ネイティヴダンサーがぽつりと問う。
ネイティヴダンサー「……オグリキャップは、どんな様子だ?」
その問いだけは、理事ではなく祖母の声だった。
タマモは少しだけ表情を和らげる。
タマモクロス「多分今頃、実家に帰省しとるはずや。支部長と一緒にな。どうせなんか食っとるやろ」
ネイティヴダンサー「……そうか」
その一言だけで、ネイティヴダンサーがどれほど安堵したかが分かった。
タマモクロス「……オグリがあんたの孫ってのは、誰が知っとるんや?」
ネイティヴダンサー「私の側近と、他の理事などわずか数名だけだ」
即答だった。
ネイティヴダンサー「セブン協会にも知られないように、徹底的に秘匿している」
タマモクロス「そうやったんか……」
ネイティヴダンサー「……あの子が元気なら、それでいい」
ネイティヴダンサーは静かに言う。
ネイティヴダンサー「馬鹿だったとはいえ、息子の忘れ形見だ。少なくとも蔑ろにはしない」
そして少しだけ皮肉げに、しかしどこか誇らしげに続けた。
ネイティヴダンサー
「それにしても……あの子が都市中の勢力と繋がるとは。
翼の重役の素質が、受け継がれてしまったか」
タマモは首を傾げる。
タマモクロス「どういう意味や?」
ネイティヴダンサー「翼の理事ともなれば、他の翼、指、協会との交渉力が必須だ。関係を築き、維持する能力が求められる」
ネイティヴダンサーの視線が少しだけ遠くを向く。
ネイティヴダンサー「……それを、あの子は無自覚のまま受け継いだ」
タマモは思わず天を仰いだ。
タマモクロス「……ああ。なんか納得いったわ」
確かにそうだ。オグリは何も分かっていないのに、人と繋がることだけは異常なほど上手い。あれが血筋なら、これほど厄介な話もない。
ネイティヴダンサーは最後に、静かに念を押した。
ネイティヴダンサー「オグリと私のことは他言無用で頼むぞ。特に……指や翼には気を付けるように。良くて、オグリを必ず守ると信頼できる者だけ。」
タマモは真っ直ぐ頷いた。
タマモクロス「分かっとるわ。信頼できるヂェーヴィチの支部長と協会長にしか言わん」
ネイティヴダンサー「ならいい」
ネイティヴダンサーは目を伏せる。
ネイティヴダンサー「……あの子をよろしく頼む。私は、もう関われないのだから」
その言葉は、理事としての判断でもあり、祖母としての諦めでもあった。
タマモクロス「オグリに危害が及ぶためか」
ネイティヴダンサー「祖母としてはな、同時に私はF社の幹部だ。故に理事の孫娘という交渉カードを他の翼や指に渡すことは出来ない。故にオグリとは赤の他人でいることしか出来ない。もし会うとしても、翼の幹部と特色フィクサーの他人としてだ」
タマモクロス「……なるほどな」
タマモクロスは、いつになく真面目な顔で言った。
タマモクロス「……任せとき、あいつは、あくまで一人のウマ娘や。都市がどう扱おうと、ウチが繋ぎ止めたる」
ネイティヴダンサーは、ほんの少しだけ微笑んだ。
ネイティヴダンサー「……感謝する」
それは、確かにオグリキャップへの愛情の証だった