ヂェーヴィチ協会本部、協会長室。
部屋の中央に置かれた机の上には、今日もまた書類が積み上がっていた。
物流報告、支部連絡、事故申請、経費申請、他協会との連絡書類。
その中に混ざっている一通の報告書が、今この部屋の空気を完全に止めていた。
報告を終えたナイスネイチャとタマモクロスの前で、アイネスフウジンが固まっている。
文字通り、ぴたりと。
アイネスフウジン「……は?」
それだけだった。
ナイスネイチャとタマモクロスは顔を見合わせる。
まあ、そうなるよね、という諦めと納得が混ざった視線だった。
ナイスネイチャがまず口火を切る。
ナイスネイチャ「えっとまあ……そういうわけで……」
タマモクロスが腕を組んで続ける。
タマモクロス「オグリの出生の謎が分かったんや」
ネイチャが資料を指先で叩きながら整理するように言う。
ナイスネイチャ「要するにオグリさんは、F社理事ネイティヴダンサーの孫娘。つまり令嬢で……」
タマモクロスがそこにさらに重い一言を足した。
タマモクロス「両親が駆け落ちしよって、裏路地で育って、そこから特色まで成り上がって、今や都市の情報インフラになりつつあるウマ娘ってわけや」
沈黙。
長い沈黙。
アイネスは瞬きすら忘れたような顔で、二人の話を頭の中でどうにか整理しようとしていた。
だが、整理できるはずがなかった。
やがて、ぽつりと呟く。
アイネスフウジン「……オグリちゃんは……良い子なの」
ネイチャが即答する。
「うん」
タマモクロスも頷く。
「せやな」
アイネスはさらに確認するように続ける。
「可愛いの」
「可愛いね」
「可愛いな」
「純粋なの」
「純粋だね」
「純粋や」
「いっぱい食べるの」
「食べるね」
「めっちゃ食うな」
「頑張ってるの」
「頑張ってるね」
「頑張っとる」
「天然なの」
「天然だね」
「天然やな」
そこまで言ってから、アイネスは急に顔を上げた。
アイネスフウジン
「……令嬢?」
ナイスネイチャとタマモクロスが、まるでコールアンドレスポンスのように揃って答える。
「「令嬢」」
アイネスは椅子に座ったまま、わずかに後ずさる。
アイネスフウジン
「令嬢って……あの、翼クラスの組織同士の会食とか、偉い人たちが集まるパーティとかに出席して、政治的な話とかもする、あの令嬢?」
「その令嬢」
「その令嬢やな」
アイネスフウジン
「ドレスとか豪華な服着て、お紅茶飲んで、優雅で、気品があって……?」
「まあそんなイメージだねぇ」
「せやな」
アイネスフウジン
「場合によっては後継候補にも指名される?」
「そうだね」
「そらそうや」
アイネスはついに机に両手をついた。
アイネスフウジン
「……その令嬢?」
「「その令嬢」」
アイネスフウジン
「オグリちゃんが?」
「「オグリ(さん)が」」
アイネスフウジン
「理事の孫娘?」
「「孫娘」」
アイネスフウジン
「翼の?」
「「翼の」」
アイネスフウジン
「翼って都市を支配してる翼?」
「「都市を支配してる翼」」
アイネスフウジン
「二十六しか存在できない?」
「「その翼」」
アイネスフウジン
「……F社?」
「「F社」」
アイネスフウジン
「理事?」
「「理事」」
アイネスフウジン
「理事って翼の幹部で都市の権力者で一番分かりやすく“すごい偉い人”のあの理事?」
ネイチャが頷く。
「その理事だねぇ」
タマモクロスも重ねる。
「その理事や」
アイネスは、もう半泣きみたいな顔になっていた。
アイネスフウジン
「オグリちゃんのおばあちゃん?」
「「おばあちゃん」」
そこで、アイネスはきっぱりと言った。
アイネスフウジン
「……違うの」
ネイチャが冷静に返す。
「違わないねぇ」
「違うの」
「違わないよ」
「違うの」
「違わへん」
「違うの」
「違いません」
アイネスはとうとう頭を抱えた。
アイネスフウジン
「……オグリちゃんは……ただのウマ娘なの……」
タマモクロスは、微妙に反論しづらそうな顔で答える。
タマモクロス
「ウマ娘ではあるな」
ネイチャも苦笑する。
ナイスネイチャ
「まあそこは否定しないけど……」
アイネスは必死に言葉を探しながら続けた。
アイネスフウジン
「これはオグリちゃんじゃないの……」
「オグリさんのことですよ」
「まごうことなきオグリやな」
アイネスフウジン
「……あの子、今日も食堂でおにぎり食べてたの」
「食堂の米、かなり減っとったな」
「でも可愛かったの」
「まあ癒されましたね」
「癒されたな」
アイネスは小刻みに首を振る。
アイネスフウジン
「……令嬢?」
「「令嬢」」
アイネスフウジン
「お嬢様?」
「「お嬢様」」
「……違うの」
アイネスの声は、もう泣き言に近かった。
「オグリちゃんはオグリちゃんなの。そんなに背負わせたら、あの子潰れちゃうの」
ネイチャが少し困ったように笑う。
ナイスネイチャ「多分本人は何も分かってないと思うけどね」
タマモクロスが即座に頷く。
タマモクロス「『そうなのか』で終わるやろな」
それが余計にアイネスの情緒を刺激した。
「だからなの!」
机を軽く叩いて立ち上がる。
アイネスフウジン
「本人が分かってないから余計にダメなの!オグリちゃんが背負えるものじゃないの!特色で、情報インフラで、各組織に狙われてて、その上で翼の理事の孫娘って……!属性が多すぎるの!」
ネイチャは小さく「それはそう」と呟き、タマモクロスも「ほんまにな」と同意した。
アイネスは深呼吸を一つして、それから少しだけ声を落とした。
アイネスフウジン「……可哀想なの」
その一言で、部屋の空気が少し変わる。
さっきまでの半分ギャグみたいなやり取りの奥にあった本音が、ようやく顔を出した。
ネイチャもタマモも、今度はすぐには返事をしなかった。
アイネスは静かに続ける。
アイネスフウジン
「オグリちゃんは、自分が何を背負わされてるか分かってない。それなのに都市の方は、勝手にあの子の上に意味を積み上げていく。特色だから、情報網だから、理事の孫娘だから、利用価値があるからって……でも、あの子はただ……母親との約束を守って、配達して、食べて、友達を大事にしてるだけなの」
ネイチャが腕を組みながら、少し真面目な顔で言う。
ナイスネイチャ「……うん」
タマモクロスも低く答えた。
タマモクロス「せやな」
アイネスは机に置いてあった報告書を抱え込むようにして言った。
「だから守るの。令嬢だろうが、情報インフラだろうが、特色だろうが、オグリちゃんはオグリちゃんなの。ヂェーヴィチの子なの。それだけは、絶対に変えさせないの」
その言葉には、協会長としての責任感と、一人の年上としての庇護欲と、ほとんど親心みたいなものまで全部混ざっていた。
ネイチャはやれやれという顔で微笑む。
ナイスネイチャ「……ほんと、協会長っていうより保護者だよねぇ」
タマモクロスは、そんなアイネスを見て少しだけ肩の力を抜いた。
タマモクロス「まあ、でも……それでええわ」
アイネスは鼻をすすりながら言う。
アイネスフウジン「オグリちゃんには……もうこれ以上、属性盛らないでほしいの……」
タマモクロスがぼそりと返す。
タマモクロス「無理やろな」
ネイチャもすかさず追撃する。
ナイスネイチャ「多分まだ何か出てくるねぇ」
アイネスフウジン「やめてなのぉ!!」
協会長室に、珍しく情けない悲鳴が響いた。
その頃、当のオグリキャップ本人は西部支部の食堂で、次の巨大おにぎりを手に取りながら首を傾げていた。
オグリキャップ「……今日は母さんの家のお菓子も美味しかったな」
何も知らない怪物は、今日も平和だった。