A社1区。
A社本社、中層階に位置する会議室。
都市の支配者たるA社の本社は、外から見ても圧倒的な威圧感を放っているが、その内部もまた常人の感覚からは少し外れていた。
廊下も、壁も、床も、天井も。
黒を基調に、金色のハニカムパターンが刻まれている。
規則性があるはずなのに、見ているとどこか生物の巣穴めいた不気味さを覚える意匠だった。
その中層階の一角にある会議室には、長円形の長机が置かれている。
そしてその席に、金色のハニカム模様が刻まれた黒いコートを羽織った女たちがずらりと並んで座っていた。
細かな差異こそあれ、全員が同系統の衣装。
統一感があるのに、まとまりきらない圧がある。
その光景は、外から見ればさながら悪の組織の幹部会議のようだった。
いや、実際問題、都市の住人から見れば大差ないのかもしれない。
その会議の中央で、クモハタが静かに手を叩く。
クモハタ「うん、24人全員揃ったね」
柔らかな声音だったが、それだけで室内のざわめきはぴたりと止まった。
クモハタ「じゃあ始めようか」
するとすぐに、机の向こう側から面倒くさそうな声が飛ぶ。
ルリだった。
ルリ「待てよ。まだ定例会議の日は先だろうがよ」
肘をつき、いかにも不機嫌そうに頬杖をつく。
ルリ「なんで招集が掛かったんだ?」
その問いに、テトがにやりと笑う。
テト「まあぶっちゃけ……」
テミーが元気よく言葉を引き継ぐ。
テミー「灰色の怪物だよね〜」
何人かが、ああやっぱり、という顔をした。
驚きはない。だが納得もしていない。そんな顔だった。
クモハタは特に否定せず、卓上に表示された資料を指先でなぞる。
クモハタ「そうだよ、ひとまず彼女の経歴をおさらいしよっか」
投影された情報が切り替わる。
灰色の怪物。
オグリキャップ。
特色フィクサー。
裏路地育ち。
ヂェーヴィチ協会所属。
複数協会幹部、特色、指、翼と接触。
情報インフラ化進行中。
F社理事の血族。
読み上げられるたびに、空気が妙な方向に重くなっていく。
数分後。
説明が一通り終わったところで、最初に口を開いたのはルリだった。
ルリ「理解できねえ……」
心底嫌そうな顔をしている。
ルリ「なんでこんなやつが今や都市の中心に立とうとしてるんだ……?都市はなんでこんなやつを選んだ……?」
ムクが椅子にもたれながら肩をすくめる。
ムク「ま〜、訳わかんないよな〜」
ヨロミが資料に目を落としたまま、堅い口調で言う。
ヨロミ「灰色の怪物は6区の出身です。ノルさんに責任があるのでは?」
ノルがすかさず眉をひそめた。
ノル「いやいや。あーしだって訳わかんないんだよ。なんであーしの担当区域からこんなん出たんだって話なんだけど〜?」
ギンがどこか達観したように呟く。
ギン「そうですね……Destinyだったんでしょうね」
ノルがすぐさま反論する。
ノル「運命の一言で片付けないでほしいんだけどな〜」
ジェナが静かに手を組み、長々としたい気配を漂わせながら口を開いた。
ジェナ
「時に、クモハタさん。今日の招集における灰色の怪物の関連性とは、単なる情報共有に留まるものではないと推測しますが、その本旨はいかなるものでしょうか」
周囲の何人かが、また始まった、という顔をした。
だがクモハタは慣れた様子で頷く。
クモハタ「そうだね」
そして、さらりと爆弾を投げた。
クモハタ「まずこの中に、灰色の怪物と連絡先を交換したいと思ってるものは、正直に挙手」
数秒の沈黙。
そのあと、半数を大きく超える手が上がった。
マンハッタンカフェは少し遠い目をした。
エリナは額に手を当て、ユリネはため息をつく。
クモハタは数をざっと見渡し、苦笑した。
クモハタ「……わかったよ。改めて言うけど、調律者が一個人と直接連絡先を交換するのは好ましくない。だから皆は我慢してくれ」
フミが露骨にしょんぼりし、ジュリがやや不満げに目を細める。
ジュリ「ですが……」
ジュリは淡々とした声で言う。
「我々としても、彼女個人は興味深いのです。禁忌に違反することなく、ここまでの存在感を得るなど……通常の人間の領分を超えています」
エリナが即座に釘を刺した。
エリナ「皆さんの気持ちは理解しますが、我々はあくまで禁忌違反を処罰する執行官です」
ユリネも静かに続ける。
ユリネ「ですので、個人的な繋がりはできるだけ作らないようお願いします」
ヨロミがそこで真面目な顔のまま、とんでもない提案をした。
ヨロミ「……なら、オグリキャップをA社に迎え入れては?」
何人かがぴくっと反応する。
ヨロミ「ちょうど調律者の席も一つ空いていますし」
その瞬間、会議室の空気が少しだけ張った。
だがクモハタは即答した。
クモハタ「却下。それをした時点で、彼女の人間らしさと価値がなくなる。百歩譲って専属フィクサーだよ。調律者だけは無理」
ヨロミは少しだけ残念そうに視線を下げる。
ヨロミ「そうですか……」
クモハタはそこで空気を少し柔らげるように続けた。
クモハタ「まあ、いずれはオルフェーヴルを交渉窓口として連絡先を交換させる。何かあれば間接的に接触できるようにはするから、安心してくれ」
その言葉に、フミがぱっと顔を上げた。
フミ「! やったー!」
エリサも腕時計を確認しながら小さく頷く。
エリサ「ふむ……それなら構わないでしょう」
ルリは舌打ちした。
ルリ「チッ……なんでどいつもこいつも、あんなガキんちょを気に入ってやがんだ……」
会議室の隅で、マンハッタンカフェが小さく呟く。
マンハッタンカフェ「……やれやれ……」
クモハタはそれを聞き流しながら、穏やかな口調で場をまとめる。
クモハタ「まあ今日は、他にも灰色の怪物について自由に話し合う機会としてセッティングした。何かあれば色々言ってくれ」
それを合図に、会議室は再びざわめき始めた。
A社。
都市の支配者。
頭。
その中枢たる調律者たちですら、一人の特色フィクサーについてここまで真剣に、そして半ば困惑しながら議論している。
それ自体が、オグリキャップという存在の異常さを何より物語っていた。
特色で。
裏路地育ちで。
天然で。
健啖家で。
人付き合いの才能があって。
情報インフラになりつつあり。
翼の血族で。
しかも、本人はそれを一切理解していない。
普通なら途中のどこかで禁忌に触れるか、組織に囲い込まれるか、潰される。
だが彼女は違った。
禁忌には触れず、都市の中で「個人」のまま膨れ上がり続けている。
それが、調律者たちにとってさえ不気味だった。
クモハタはそのざわめきを聞きながら、ふと窓の外に目をやった。
1区の整然とした街並みが遠くに広がっている。
クモハタ「……まったく」
小さく笑う。
クモハタ「困った子だねぇ」
だがその声には、嫌悪よりも、奇妙な愛着のようなものが滲んでいた。
会議室ではまだ、怪物を巡る話し合いが続いていた。
都市を支配する頭の中枢でさえ、今や「灰色の怪物」をどう扱うかで揺れている。
それはつまり――
オグリキャップが、もはや一フィクサーの範疇を越えているということだった。