ヂェーヴィチ協会北部支部、支部長室。
普段なら、支部長室というものはもう少し事務的な空気に満ちている。
書類の匂い、机の上に積まれた案件、支部長の胃痛の気配。だいたいそんなものだ。
だが、今この部屋には、それらとはまるで違う異様な熱気が満ちていた。
カレン「おお〜! すっごくカワイイよオグリさん!」
カレンチャンの歓声が響く。
マヤノ「きゃあ♡ オグリさんカワイイ!」
マヤノトップガンも目を輝かせて拍手していた。
その視線の先にいるのは――
オグリキャップだった。
ただし、いつものヂェーヴィチ協会の制服姿ではない。
大きなリボン。
ふんだんにあしらわれたフリル。
裾に向かって柔らかく広がるドレス。
色味は派手すぎず、それでいて幼すぎもしない、上品な可愛らしさを意識したもの。
もともと整った顔立ちに芦毛の長髪という素材の良さがある。
その上で、本人の天然さと世間知らずさが服に妙な説得力を与えていた。
結果。
そこに立っていたのは、どう見ても――
純粋無垢で世間知らずな、どこか箱入りめいた令嬢そのものだった。
オグリキャップ本人だけが、その価値をまるで理解していなかった。
オグリ「む……動きづらいな……」
裾を少し持ち上げながら、率直な感想を述べる。
その一言すら、妙に似合ってしまっているのがひどかった。
少し離れた場所では、三人の保護者が完全に沈黙していた。
タマモクロス
「スゥーッ……」
ナイスネイチャ
「……ミ゜」
アイネスフウジン
「……」
そしてアイネスフウジンは、目をかっぴらいたまま必死に写真を撮っていた。
連写だった。
完全に連写だった。
マヤノトップガンがきらきらした声で言う。
マヤノ「ねえねえオグリさん! 試しに座っておにぎりでも食べてみて!」
オグリキャップは素直に頷く。
オグリ「わかった」
ふわりと裾を揺らしながら椅子へ向かう。
その動作一つ一つが、普段の雑なまでの自然体とは違って妙に慎ましく見えてしまうのは、衣装の力なのか素材の力なのか、もはや誰にも分からなかった。
ちょこん。
そんな擬音が本当に聞こえた気がした。
ドレス姿のオグリキャップが椅子に腰掛け、差し出されたおにぎりを両手で持つ。
そして。
オグリ「もぐもぐ……」
一口。
オグリ「……美味しいな」
そのまま柔らかく微笑む。
その瞬間。
タマモクロス
「アッ……」
ナイスネイチャ
「ミ゜」
アイネスフウジン
「_:( _* ́ཫ`):_グハァ」
支部長室の隅で、三人の情緒が音を立てて崩れ落ちた。
オグリキャップはそんな周囲を不思議そうに見回す。
オグリ「? みんなはどうしたんだ?」
カレンチャンは満足げに腕を組み、当然のように言った。
カレン「ああオグリさん、この人たちのことは気にしないで。ちょっと情緒が死んでるだけだから」
マヤノトップガンも頷く。
マヤノ「尊死だね〜」
オグリ「……?」
オグリはやっぱりよく分かっていなかった。
---
数時間後。
一通りの着せ替えと観賞と写真撮影と保護者の情緒破壊が終わり、ようやく支部長室は落ち着きを取り戻しつつあった。
マヤノトップガンが両手をぶんぶん振る。
マヤノ「協力ありがとうオグリさん! マヤたち大満足〜!」
カレンチャンも満面の笑みだ。
カレン「オグリさんのカワイイは、カレンにとってもすっごく参考になったよ!なにかあったらカレンも協力するからね!」
すでに元のヂェーヴィチ協会制服へ戻ったオグリキャップは、特に何事もなかったように頷く。
オグリ「そうか、感謝する」
その落差がひどい。
さっきまであれほど完璧な“令嬢”だったのに、制服に戻った途端、いつものオグリキャップなのだ。
カレンチャンが軽やかに振り返る。
カレン「それじゃあね!」
マヤノトップガン
「ばいばーい!」
二人が退室し、扉が閉まる。
その瞬間、部屋に残された面々の緊張が一気に解けた。
タマモクロスが深く息を吐く。
タマ「はぁ……危うく持ってかれるところやった……」
ナイスネイチャはまだ少し遠い目のままだ。
ネイチャ「オグリさんって……この世の楽園だよ……」
アイネスフウジンは胸元を押さえながら、真剣な顔で宣言する。
アイネス「……オグリちゃん、絶対に守るから!」
ちょうどそこへ、席を外していたダンツフレームが恐る恐る戻ってきた。
ダンツ「み、皆さん……妙にボロボロですけど、何かありました……?」
ネイチャが即答する。
ネイチャ「気にしないでダンツさん。守るべきものを改めて確認しただけだから」
ダンツ「そ、そう?」
ダンツフレームは納得していない顔のままだったが、それ以上は聞かなかった。
ネイチャが立ち上がる。
ネイチャ「……なら、そろそろ帰るよ」
アイネスもふらふらしながら頷く。
アイネス「アタシも本部に戻るから……オグリちゃんのこと守ってね」
タマ「当たり前や」
タマモクロスは即答した。
その横で、オグリキャップだけは相変わらずだった。
オグリ「もぐもぐ……」
どこから出したのか、また何か食べていた。
その頃。
セブン協会北部支部、支部長室では――
カレンチャンがソファに倒れ込むようにして幸福のため息をついていた。
カレン「はぁ〜〜〜! オグリさんほんとうにカワイかったな〜!」
その目はまだ夢見心地だ。
カレン「……ねえマヤノちゃん。もっとオグリさんのことカワイくしたくない?」
マヤノトップガンは即座に食いついた。
マヤノ「うんうん! マヤもカワイイオグリさんいっぱい見たいー!」
カレンチャンの目がきらりと光る。
カレン「ふふ、ならもっと属性を盛っちゃおうね!」
マヤノも身を乗り出す。
マヤノ「もしかして〜?」
カレンチャンは満面の笑みで言い放った。
カレン「オグリさんには、指にも属してもらうよ!」
マヤノトップガン
「賛成〜!フィクサーでありながら指なんて、そんなのちょー最高!」
カレンチャン
「当然、所属する指は〜?」
マヤノトップガン
「小指!」
迷いがなかった。
マヤノ「約束を重視してるし、他の指やフィクサー業、翼の社員なんかとも兼業可能な特異性!」
カレンチャンは手を叩く。
カレン「オグリさんにピッタリだよね!」
マヤノ「なら、小指にオグリさんの情報積極的に流すね!」
カレン「お願いマヤノちゃん!」
その時。
カレンチャンの端末が震えた。
カレン「……あれ、本部から通信だ」
マヤノが首を傾げる。
マヤノ「協会長からかな?」
カレンチャンは画面を見て、少しだけ口角を上げた。
カレン「うーん……気づかれちゃったかな」
マヤノトップガンは軽い調子で言う。
マヤノ「ううん、多分探りじゃないかな?」
カレン「分かった。それならこっちも対応できるね」
通話を繋ぐ。
トランセンドの声が聞こえてくる。
トランセンド『やっほ〜、カレン』
カレン「トランさんどうしたの? カレンになんか用?」
トラン『いやねー、さっきも連絡したんだけど、いないみたいだったからもう一回したの。……どこに行ってたの?』
カレンチャンはにこやかに答える。
カレン「マヤノちゃんと一緒にカワイイの情報収集!カレンの日課だからね!」
トラン『そっか〜、カレンのカワイイへの執念は相変わらずだね〜』
カレン「ふふん! カレンは都市で一番カワイイウマ娘になりたいからね!」
トランセンドの声色が、ほんのわずかに変わる。
トラン『……言っとくけど、重要な情報はちゃんと共有してよ。セブン協会のためにもね』
カレンチャンも笑顔のまま返す。
カレン「大丈夫! カレンが重要って思った情報は全部上げてるよ!」
トラン『……重要かはウチが決める。カレン、あんまり独断行動するならウチも容赦しないよ?』
カレン「へぇ?」
カレンチャンの声も、ほんの少しだけ冷える。
カレン「トランさん、カレンのカワイイに対抗するつもり?」
数秒の沈黙。
やがてトランセンドは、軽い調子に戻った。
トラン『……まあいいけど、あんまり隠し事はしないでよん。じゃあね』
通話が切れる。
カレンチャンは端末を机に置き、少しだけ考え込んだ。
カレン「……うーん、トランさんの協会長としての実力は確かだけど〜。カレン的には、カワイくないかな」
マヤノトップガンがにこっと笑う。
マヤノ「じゃあ、情報の撹乱しとく?」
カレンチャンの笑みが戻る。
カレン「お願い♡簡単に探れないようにしよっか」
マヤノ「アイコピー!」
カレン「……まあ、万が一知られた時は、謝ろっかな」
一方その頃、セブン協会本部では。
フォーエバーヤングが椅子の背にもたれながら尋ねる。
フォーエバーヤング「どうだったトランさん?」
トランセンドは顎に手を当てたまま答えた。
トランセンド「そうだね〜。カレンのやつ、ウチと勝負する気だね」
フォーエバーヤングが楽しそうに笑う。
フォーエバーヤング「いい度胸じゃん、ならアタシが探ろっか?」
トラン「いんや」
トランセンドはすぐに首を振った。
トラン「カレンの局所的な情報能力は、ウチでも越えられない。……でも、総合力でウチが上だよ」
フォーエバーヤング「ならアタシはサポートするね」
フォーエバーヤングは身を乗り出す。
フォーエバーヤング「オグリさんのことで何を隠してるんだろうね〜?」
トランセンドの目が細くなる。
トランセンド「なんでもいいよ。12協会、いやセブン協会で利用できそうなら全部使う」
ヤング「賛成〜♡」
それを聞いていたビリーヴが静かに視線をエアシャカールへ向ける。
ビリーヴ「……どうします、シャカールさん?」
エアシャカールは露骨に嫌そうな顔で舌打ちした。
エアシャカール「ほどほどにしとけよ、不信任案出されたくなかったらな」
トランセンドは肩をすくめる。
トランセンド「分かってるよ。ウチらはあくまで――」
フォーエバーヤングが楽しそうに続けた。
ヤング「報告を求めてるだけだから!」
フリオーソがぼそりと呟く。
フリオーソ「ほぼオグリさんで楽しみたいという私情七割ですけどね……」
その言葉に、誰も正面から反論しなかった。
灰色の怪物。
オグリキャップ。
今や彼女は、都市中の組織にとって価値のある存在でありながら、同時にどうしようもなく“遊びたくなる”存在でもあった。
それが何より厄介だった。
そして当の本人は、そんな都市規模の思惑など露ほども知らずに、今日もまたどこかで何かを食べているのだろう。