ハナ協会本部、大会議室。
結論は、ほとんど出ていた。
十二協会体制は継続。
しかし来期予算査定において、
* セブン協会 25パーセント減
* ウーフィ協会 20パーセント減
を暫定適用。
さらに今後、オグリキャップの代替実績次第では追加査定もありうる。
そこまでが、スピードシンボリとゼンノロブロイの概算、そして他協会長たちの同意によって、ほぼ既定路線として固まりつつあった。
会議室の空気は静かだった。
だがその静けさは落ち着きではない。
処分が下った後の静けさだった。
トランセンドは椅子に座ったまま、珍しく背筋を失っていた。
いつもの余裕も軽口もほとんどない。
伊達眼鏡の奥の瞳だけが、必死に何か活路を探している。
その隣で、ナカヤマフェスタも肘をついて口元を押さえていた。
彼女もまた、普段のように不敵な笑みを浮かべる余裕はない。
二人とも協会長だ。
ただの一フィクサーではない。
自分の後ろにどれだけの職員がいて、どれだけの部門がぶら下がり、どれだけの生活がそこに乗っているかを理解している。
だからこそ、この削減率が笑えない。
25パーセント。
20パーセント。
それは数字として見れば半分以下でもない。
だが協会運営として見れば、十分に致命傷だった。
情報調査部門の再編。
支部の統廃合。
外勤枠の縮小。
事務員の削減。
依頼選別の厳格化。
一度崩れた組織の呼吸は、そう簡単には戻らない。
トランセンドが、ぐしゃりと前髪をかき上げた。
「……いやでもさ」
声が少し掠れていた。
「まだ確定じゃないよね?」
スピードシンボリは穏やかに答える。
「暫定適用だよ」
「来期査定に反映する、という意味ではもうほぼ確定だけど」
トランセンド
「ほぼ確定じゃん」
ナカヤマフェスタが低く唸る。
「冗談じゃねえ……」
会議室の空気が重いまま流れる。
その間にも、円卓の中心近くでオグリキャップだけがまるで変わらない。
「……もぐもぐ」
いつの間にかまた食べていた。
どこから出したのかも分からないおにぎりを、実に幸せそうに頬張っている。
その姿を見て、ナカヤマフェスタの眉がぴくりと動いた。
トランセンドもつられるようにそちらを見る。
オグリキャップ。
灰色の怪物。
ヂェーヴィチ協会所属。
特色フィクサー。
そして何も知らぬまま、二つの協会の予算を削った存在。
その、あまりにも無垢な横顔を見ていたら。
人間、追い詰められると、ろくでもないことを思いつく。
ほんの一瞬。
本当に、ほんの一瞬だった。
トランセンドが、口元を押さえたまま、半ば独り言のように漏らした。
「……いっそ、オグリさん消して機能取り戻すか?」
ナカヤマフェスタが即座に顔を上げる。
「……」
そして、同じように一瞬だけ考えてしまう顔をした。
アイネスフウジンの目が見開かれる。
ナイスネイチャがここにいたら机を蹴っていたような空気だった。
会議室の空気が、さっきまでとは別の意味で凍りつく。
トランセンド自身も、言った瞬間に
「あ、今のはやばい」
と理解した。
だが、遅かった。
シンボリルドルフが、円卓の向こう側から静かに口を開く。
「それなら」
その声は、穏やかだった。
あまりにも穏やかすぎた。
全員の視線が集まる。
シ協会協会長。
特色フィクサー「深緑の皇帝」。
そして都市における暗殺・戦闘の専門家。
シンボリルドルフは、紙一枚でも読むような調子で続けた。
「その場合は、両協会の現時点での予算を合わせた総額の五割を、一括前払いでいただく」
沈黙。
数秒、誰も意味を飲み込めなかった。
先に理解したのはゼンノロブロイだった。
眼鏡の奥の目がわずかに細まる。
「……総額の五割」
グラスワンダーも静かに補足した。
「つまり、セブン協会とウーフィ協会、それぞれの総予算の半分ずつに相当しますね」
フェノーメノが厳格に言い切る。
「単純計算で、協会ひとつ分の予算を丸ごと差し出すに等しい額です」
トランセンド
「は?」
ナカヤマフェスタ
「待て」
シンボリルドルフはまるで表情を変えない。
「灰色の怪物――オグリキャップは、特色フィクサーだ。しかも現在、都市上位層との広範な接点を持つ。警戒度、護衛難度、失敗時の反動、いずれを取っても並の案件ではない。ゆえにその金額が妥当だ」
トランセンドが半ば悲鳴のような声を上げる。
「いやいやいやいや! 高すぎるでしょ!?」
ナカヤマフェスタも身を乗り出す。
「おいルドルフ、いくらなんでも足元見すぎだろ!」
だがシンボリルドルフは静かだった。
「見ていない、適正価格だ」
ヒシアマゾンが頭を掻きながら呟く。
「まあ……特色暗殺って時点で、安く済むわけねぇよな」
ヤエノムテキも厳しい表情で頷く。
「しかも失敗した場合、シ協会が灰色の怪物と敵対することになります。妥当かと」
ドゥラメンテが事務的に確認する。
「仮に依頼成立後、成功してもなお、ヂェーヴィチ協会および関連勢力との関係悪化は避けられない。ならば、これでもむしろ安くはないな」
トランセンドが本気で混乱し始める。
「え、待って待って。じゃあ何? ウチら、協会守るために協会一個分くらいの予算払ってオグリさん消すって話になるの?」
ゼンノロブロイが冷静に言う。
「そうなりますね」
ナカヤマフェスタが額を押さえた。
「本末転倒すぎるだろ……!」
シンボリルドルフはさらに追い打ちをかけるように言った。
「加えて、暗殺後にセブン協会とウーフィ協会の機能が本当に完全回復する保証はない。すでに各勢力は、オグリキャップを経由しない接触経路も探り始めている可能性がある。よって投資対効果としては、必ずしも良くない」
トランセンド
「最悪じゃん!」
ナカヤマフェスタ
「消す選択肢すら赤字かよ!」
その瞬間、会議室のあちこちで小さくため息が漏れる。
誰も本気でオグリキャップ暗殺を支持しているわけではない。
だが、追い詰められた二人が一瞬その発想に走ったこと自体は、十分にこの場の空気を示していた。
そしてそれを、ルドルフが
「受注するならこの値段だ」
と、あまりにも業務的に返したことで、黒い冗談は完全に現実味を持って潰された。
アイネスフウジンが机を叩くように立ち上がる。
「だめなの!」
その声は珍しく強かった。
「オグリちゃんをそういう計算で語るの、だめなの!」
トランセンドははっとしたように目を逸らす。
「……いや、うん、ごめん」
ナカヤマフェスタも舌打ちしてから低く言う。
「……口が滑った」
だが、それもまた本音だった。
本音だからこそ、余計にたちが悪い。
スピードシンボリはそこを責めることはしなかった。
ただ、冷静に話を締める。
「つまり結論は単純だね。オグリキャップの排除は、コスト面でも政治面でも現実的ではない。よって、二協会は潰される前提で考えるのではなく、生き残るための改革を急ぐべきだ」
トランセンドが力なく椅子に沈む。
「……はい」
ナカヤマフェスタも同じように深く息を吐く。
「……結局それか」
シンボリルドルフが最後に、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「安心しろ。正式依頼さえなければ、私は友人を斬らない」
それは慰めのようでいて、あまり慰めになっていなかった。
というのも、
正式依頼があれば斬る
という意味でもあったからだ。
トランセンドが遠い目で呟く。
「シ協会ってやっぱ怖いね……」
ナカヤマフェスタも苦い顔で頷く。
「今さらだが、本当に怖ぇよ……」
そして、そのすべての中心で。
オグリキャップは何ひとつ分かっていなかった。
「……?」
もぐもぐ、と最後の一口を飲み込んでから、きょとんと周囲を見る。
「今、何の話をしていたんだ?」
会議室の全員が、一瞬だけ言葉を失った。
それから、トランセンドが乾いた笑いを漏らす。
「……君を消したら協会の機能戻るかなって、一瞬考えた話」
オグリは首を傾げる。
「そうか。だが、私はまだ死にたくないぞ」
ナカヤマフェスタが机に突っ伏した。
「そうだろうな……」
あまりにも当たり前すぎる返答だった。
そしてそれが、この会議の最後に一番まともな言葉だった。
しばらく、二人とも黙っていた。
先に口を開いたのはトランセンドだった。
「……ねぇ」
ナカヤマフェスタが横目で見る。
「なんだ」
トランセンドは机に突っ伏すようにして言った。
「ウチ、今たぶん人生で一番“仕事しなきゃ”って思ってる」
ナカヤマフェスタが鼻で笑う。
「奇遇だな。私もだ」
その会話だけは少しだけいつも通りだった。
だが、そこから先は本気だった。
トランセンドは身体を起こし、投影盤を開く。
「やるしかない。オグリさんに食われない、セブン協会の価値を作る」
ナカヤマフェスタも姿勢を正す。
「ウーフィも同じだ。今さら愚痴っても仕方ない。殺すより安く済む改革を考える」
その一言に、近くに残っていた何人かが微妙な顔をした。
シンボリルドルフは静かに目を閉じたまま言う。
「その表現はやめた方がいい」
トランセンドが小さく手を上げる。
「はい、ごめんなさい」
ナカヤマフェスタも肩をすくめた。
「口が悪かった」
スピードシンボリはそれを咎めることなく、円卓に残ったまま二人を見る。
「続けていいよ。どうせならここで叩き台を出した方が早い」
ゼンノロブロイも頷いた。
「ええ。今のうちに粗案を出しておけば、こちらも“どこがオグリさんに食われるか”を指摘できます」
トランセンドが少しげんなりした顔をした。
「指摘前提なんだ……」
「前提ですね」
ロブロイはやけにきっぱりしていた。
トランセンドは諦めて息を吐き、それから一つ目の案を出した。
「……セブン協会の改革案その一」
「“分析特化”」
円卓の視線が集まる。
トランセンドは指を鳴らし、情報投影を切り替える。
「オグリさんが強いのは“集める”“繋ぐ”“渡す”でしょ?」
「ならセブンはそこを諦める。一次情報の獲得競争はもうしない」
「代わりに、持ち込まれた情報を都市全体の流れの中で位置づける専門協会に寄せる」
フェノーメノが確認する。
「つまり現地収集より机上分析への比重を増やすと?」
「そう」
トランセンドは頷いた。
「高位層は自前で分析できる、って今日散々言われたけど、それは“自分に関係ある案件”だけの話なんだよ」
「セブン協会はそこを越える。“都市全体の連動”を見る」
「ある翼の一言が別区の裏路地にどう響くか。ある指の動きが別協会の依頼傾向にどう跳ねるか。そういう広域相関分析なら、個人には無理」
スピードシンボリが少しだけ頷く。
「なるほど。それは悪くない」
だが、ゼンノロブロイがすぐに補足する。
「ただし、ディエーチ協会との領域衝突は起きますね」
トランセンド
「出たよ」
ロブロイは淡々と続ける。
「知識の保管と体系化、長期的な文書整理は本来ディエーチ協会です。セブン協会が分析特化へ寄せる場合、“動的な相関解析”に限定しないと差別化になりません」
トランセンドはすぐに乗る。
「それでいいよん!」
「静的保存じゃなく、リアルタイム解析!」
「蓄積はディエーチ、流れの読むのはセブン。分業できる」
ロブロイはそこで初めて素直に頷いた。
「……それなら成立しますね」
ナカヤマフェスタが横から言う。
「よし、一個通ったな」
トランセンドは少し元気を取り戻した。
「でしょ?」
今度はナカヤマフェスタが前へ出る。
「ウーフィ協会の改革案その一」
「“高難度契約の設計専門化”だ」
ヒシアマゾンが腕を組み直す。
「設計?」
「そうだ」
ナカヤマは机を指で叩きながら続ける。
「オグリは信頼担保にはなる。入口の仲介もできる。だが、複数段階の条件分岐、違反時の制裁条項、第三者影響の組み込みみたいな“複雑契約の設計”は向いてない」
ヤエノムテキが目を細める。
「つまり、単純な口約束や二者間合意ではなく、もっと入り組んだ契約を請け負うと」
「そういうことだ」
ナカヤマは頷く。
「例えば、翼と協会と下請け組織が絡む三者四者契約。表向きと裏向きで条件が違う二層契約。履行条件に段階があるもの。こういうのは流石に“オグリが立ってるだけ”じゃ無理だ」
グラスワンダーがそこで口を開いた。
「……それは確かにオグリさんには難しいでしょうね」
「でしょう?」
ナカヤマは少しだけ笑った。
だが、シンボリルドルフが静かに一言付け足す。
「ただし案件数は減るな」
ナカヤマの笑みが止まる。
ルドルフは続けた。
「高難度に特化するということは、量を捨てるということだ。協会規模の維持には、単価をかなり上げる必要がある」
ナカヤマフェスタは数秒考え、頷いた。
「……そこは覚悟するしかないな」
ドゥラメンテが事務的に言う。
「少数精鋭化か」
「そうだ」
ナカヤマは即答した。
「食事一つで受ける怪物と真っ向から価格競争したら終わる。だから競争する場所を変える」
その言葉に、スピードシンボリが少しだけ感心したように目を細めた。
「それは正しい発想だね」
トランセンドもそこに被せる。
「じゃあセブンも同じだ。量じゃなく質!」
「現地で拾える情報じゃなくて、“都市全体の流れを読む分析”で売る!」
セイウンスカイが頬杖をついたまま言う。
「まあそれなら、オグリさんと真正面から殴り合わなくて済むかもね〜」
トランセンドはその言葉に食いついた。
「でしょ!?」
だが、スピードシンボリはそこで静かに釘を刺した。
「ただし」
二人が同時に固まる。
「それでも予算削減は予定通りだよ」
トランセンド
「えぇ……」
ナカヤマフェスタ
「そこは変わらねぇのかよ」
スピードシンボリは穏やかだった。
「変わらないね。改革案が出たことと、現時点で代替圧力が存在することは別問題だ。ただ……」
そこで少しだけ声音が和らぐ。
「この方向で明確に差別化できるなら、次回以降の追加削減は抑えられるだろう」
それは今の二人にとって、ほとんど救いのような言葉だった。
ゼンノロブロイも理知的に補足する。
「セブン協会は“動的相関分析”へ、ウーフィ協会は“高難度契約設計”へ。これなら少なくとも、オグリさんと完全競合にはなりません」
「まだ戦えます」
トランセンドは目を閉じて息を吐く。
「……よかった。マジでよかった……」
ナカヤマフェスタも肩の力を抜いた。
「生き残りの目はある、か」
アイネスフウジンが少しだけ嬉しそうに言った。
「なら良かったの!オグリちゃんのせいで協会が消えるのは、流石に寝覚めが悪いの!」
その言葉に、トランセンドとナカヤマフェスタはなんとも言えない顔をした。
“せいで”と言われればそうなのだが、
本人には一切悪意がないので責めようがない。
そして、その元凶はというと。
「……もぐもぐ」
やはり何も分からない顔で、おにぎりを食べていた。
トランセンドが遠い目で呟く。
「ほんと君、都市の災害みたいな顔してないんだよね……」
ナカヤマフェスタも苦笑する。
「見た目が平和すぎるんだよ」
オグリキャップは二人を見て首を傾げた。
「? 何か困っているのか?」
その問いに、二人は数秒だけ黙ったあと――
トランセンドが言う。
「うん、困ってる」
ナカヤマフェスタも頷く。
「お前のせいでな」
オグリは少しだけ考え込んだ。
それから、本当にいつも通りの声音で答えた。
「そうか。なら今度食事を奢ろう」
会議室が静まり返る。
次の瞬間、トランセンドが顔を覆った。
「だめだ、好きになりそう」
ナカヤマフェスタも額を押さえる。
「だからそういうとこなんだよ……!」
アイネスフウジンが机を叩いて立ち上がる。
「オグリちゃんは悪くないの!」
そして、その場にいた何人かが思った。
たぶんこの怪物は、これから先もこうやって、
悪意なく都市のどこかを揺らし続けるのだろうと。