ハナ協会本部、協会長室。
窓の向こうでは都市の高層建築群が朝の光を受けている。
その景色を背に、スピードシンボリは届いた報告書をゆっくりと読み終えた。
セブン協会。
ウーフィ協会。
両協会の再編案は、決定からほとんど間を置かずハナ協会にも上がってきていた。
協会の構造に手を入れる話だ。
しかも、単なる人員整理や支部予算の圧縮ではない。
支部ごとの専門分化。
課の再定義。
従来の「1課が主力、6課が新人」という協会の常識そのものに手を入れる、かなり大胆な改革。
それを頭から終わりまで読んだあと、スピードシンボリはふっと息を吐いた。
「...なるほど、随分大胆な改革だね」
声は穏やかだった。
だが、その中には単なる感想以上のものが混じっている。
「まあ、こうでもしないともっと予算が減るから、仕方ないね」
言い方はあっさりしている。
しかしそれは、ハナ協会長としての現実認識でもあった。
予算削減は脅しではない。
構造が代替可能と判断された以上、削るのは当然。
そして削られた側が生き残りたければ、今までの形にしがみついていては駄目だ。
机の向かいに立つドリームジャーニーが、報告の写しを見ながら頷いた。
「そうですね……しかしこれで今までの協会の常識が壊れますよ」
彼女の声は静かだ。
だが、その内容は重い。
「十二協会では、課は1課が主力、6課が新人というのが当たり前でしたから。無論、ハナ協会も」
それは事実だった。
協会という制度が成立して以来、多少の差異はあれど、その構造はほぼ共通だった。
支部は東西南北と本部。
課は上から下へ、自然と序列化される。
1課は強く、6課は育成寄り。
そういうものだと、誰もが思っていた。
だが今回のセブンとウーフィの改革は、その“当たり前”を壊しにかかっている。
スピードシンボリは、報告書の一節を指先で軽く叩いた。
「でもこれは新しいよ」
その言葉に、ドリームジャーニーがわずかに目を上げる。
スピードシンボリは続けた。
「協会が変わるというのは、今後の協会運営で新しい手段が取れる前例になる可能性もある」
それは評価だった。
今までなら、予算を削られた協会は規模を縮小し、弱り、いずれさらに削られるだけだったかもしれない。
だが今回、セブンとウーフィは自分たちで自分たちの構造を組み替えた。
ハナ協会からすれば、それは面白い。
都市において重要なのは、感情や伝統ではない。
使える前例かどうか。
再利用可能な制度変更かどうか。
その一点だ。
ドリームジャーニーもすぐにそこを理解したようだった。
「たしかに……成功すれば、ほかの協会にも応用が効きますね」
「そういうこと」
スピードシンボリは頷き、そこでふと別のことを思い出したように視線をずらした。
「...ちなみに、オグリキャップの様子は?」
問いは軽い。
だが、その内容は今や都市の運営にすら関わる。
ドリームジャーニーは手元の別紙を確認した。
「アイネスフウジン協会長によれば、今日もおにぎりを食べてるそうです……幸せそうだと報告が来ました」
その返答に、スピードシンボリはごく小さく笑った。
「あの子も変わらないね」
都市構造を揺るがし、二つの協会の予算と体制を変えた張本人。
そのくせ、本人はいつも通り食堂でおにぎりを食べている。
そのアンバランスさは、もはや滑稽ですらある。
けれど同時に、それこそがオグリキャップという個人の本質でもある。
巨大な影響力を生んでおきながら、自分は何も変わらない。
いや、変わろうとすらしていない。
スピードシンボリはそこで、新しい報告の一節に目を落とした。
「...そういえば、セブン協会は23区の動向調査を積極的に始めたそうだけど。オグリキャップはなぜ関わっていなかったんだい? 彼女、ヂェーヴィチ協会西部だろう?」
西部。
しかもセブン西部支部の新たな中心業務の一つは、W社23区の調査。
普通に考えれば、オグリキャップが接触していてもおかしくない。
だが、そうではなかった。
ドリームジャーニーは少しだけ間を置いてから答える。
「アイネスフウジン協会長曰く、『オグリちゃんを23区に行かせたら人肉料理とか食べるからダメなの!』とのことです」
一瞬、部屋の空気が止まった。
それからスピードシンボリは、片手で額を押さえるようにして小さく息を吐いた。
「なるほどね……」
否定できない。
むしろ、非常に説得力がある。
オグリキャップは健啖家であり、しかも警戒心が薄い。
23区のような場所へ放り込めば、危険物も禁忌すれすれの代物も、食べ物として処理しかねない。
それはそれで別方向の災害だった。
スピードシンボリはすぐに判断を下した。
「ならセブン協会には23区の動向を積極的に集めてもらうことにしよう」
声にはもう迷いがない。
「オグリキャップは行く必要なし。23区のW社の業績が悪い以上、倒産に備えるのは重要だからね」
ドリームジャーニーは頷く。
「分かりました」
それで話は済んだ。
個人の危険性は排除し、組織に対応させる。
極めてハナ協会らしい整理の仕方だった。
スピードシンボリは次の資料を引き寄せる。
「それじゃあ、セブンとウーフィから削った予算の十協会への再配分も検討しようか」
その口調は自然だった。
だが、内容は冷徹だ。
どこかが削られたのなら、どこかに回す。
浮いた予算は遊ばせない。
都市の仕組みとはそういうものだ。
「詳細はまた協会長たちを集めて会議しよう」
ドリームジャーニーも同意する。
「そうですね……」
そして少しだけ視線を細めた。
「他の協会も代替先が見つかれば削られる可能性は出てきたので、他人事ではありませんよね」
それは警告だった。
今回削られたのはセブンとウーフィ。
だが、本質的には他の十協会も同じだ。
もしどこかに、その業務をより効率よく、より安く、より高品質で代替できる存在が現れれば。
それが個人であれ、組織であれ、新制度であれ。
削られる。
縮小される。
あるいは、再定義を迫られる。
スピードシンボリは椅子にもたれず、ただ真っ直ぐ前を見たまま言う。
「...当然さ」
声は穏やかだった。
けれど、その穏やかさは優しさとは違う。
「それが都市だからね」
その一言で、部屋の空気は静かに締まった。
都市は、情では回らない。
頑張ったから残るのではない。
必要だから残る。
もっと必要なものが現れたなら、入れ替わる。
セブンも。
ウーフィも。
そして、いずれは他の協会すらも。
そういう場所で、それでもなお組織は形を保ち、変わり、しがみつきながら生き残っていく。
窓の外では都市が変わらず動いている。
その中心で、ひとりの怪物はたぶん今もおにぎりを食べている。
その無邪気さとは無関係に、
制度は変わり、予算は動き、協会は削られ、また組み替えられていく。
ドリームジャーニーは、机の上の資料を整えながら静かに思った。
オグリキャップ自身は、きっとこの会話の意味をほとんど理解しないだろう。
だが彼女が存在し、変わらず生きているだけで、都市の方が変わり始めている。
それは祝福なのか、災厄なのか。
今の時点では、まだ誰にも分からない。