セブン協会本部、協会長室。
都市中の情報が集まり、分解され、価値へと変換される部屋。
壁面に展開された投影盤には、各支部から上がった報告、外部組織の動向、区域別の異常傾向、担当課ごとの稼働状況が淡く重なり合っていた。
一見すれば、順調だった。
むしろ順調すぎると言ってよかった。
再編からしばらく経った今、セブン協会の新体制は目に見えて安定している。
東部本部は統括と最終決定。
南部支部は分析特化。
北部支部は局所深層調査専門。
西部支部は23区の状況調査と動的相関分析。
かつてのように「どの支部も同じことを少しずつやる」形ではなくなった。
それぞれが自分たちの役割を明確に持ち、その分野で結果を出している。
少なくとも、表面上は。
トランセンドは椅子に深く腰掛け、手元の書類に視線を落としていた。
「...一応は、どの支部や課も安定業務が行えてるか...一安心っちゃ一安心だけど...」
独り言のように漏らした言葉は、最後の方で少しだけ沈んだ。
彼女の視線は、報告書の中のある数字に止まっている。
殉職者数。
それも、月別推移と支部別偏差まで整理された、いかにもセブン協会らしい冷たい数字だった。
トランセンドは小さく息を吐く。
「...やっぱ殉職者は増えるか。特に西部と北部」
言い方は軽い。
だが、その軽さは慣れではなく、そうでもしないと処理できないからだった。
コンコン。
扉がノックされる。
「失礼します。協会長、南部支部からの報告が届きました」
フリオーソがいつもの丁寧な口調で入ってくる。
だが彼女は、一歩部屋に入ったところでわずかに動きを止めた。
トランセンドが、珍しく書類を見たまま固まっていたからだ。
「...」
「...協会長?」
呼ばれて、トランセンドがようやく顔を上げる。
「...ん? ああ、フリオ。どしたの?」
「いえ...南部支部からの報告書類が届いたので渡しに来ました...」
「ああ、ありがとう。そこ置いておいて」
「は、はい...」
フリオーソは机の端に資料を置く。
そのまま一礼して下がるつもりだったが、トランセンドの方から声をかけた。
「...フリオ」
「なんでしょうか?」
トランセンドは少しだけ考えるように間を置いてから尋ねる。
「今のところ、セブン協会の新体制は問題ないよね?」
その問いは確認であり、同時に自分への言い聞かせにも近かった。
フリオーソはすぐ答える。
「ええ。混乱も落ち着き、他協会との連携体制も出来ましたので、軌道には乗りましたね」
「...なら良かった」
そう言ったトランセンドの顔は、どこか安心したようにも、逆に何かを見ないようにしているようにも見えた。
フリオーソは少しだけ慎重に聞き返す。
「...どうしました?」
トランセンドはすぐには答えず、視線を報告書へ戻したまま言った。
「...西部の23区、どんな感じ?」
「23区ですか?」
フリオーソはすぐに資料の内容を思い出す。
「...フォーエバーヤング支部長の報告では、本格的な調査は既に開始して、調査の継続体制も出来ていますよ。順調ですね」
「...そう」
トランセンドの声は薄い。
それから、何でもないことのように次を聞く。
「...一応聞いて良い? 北部や西部で死んだフィクサー、何人ぐらい?」
フリオーソの表情がほんの少し固くなる。
それでも秘書として、正確に答えた。
「カレンチャン支部長によれば、北部では約十三人。ヤング支部長の西部では、23区で消息不明になった者も含めれば十五人です」
数字だけなら短い。
だが、その短さがかえって重い。
十三。
十五。
たった二つの数字で済まされるが、その中には当然、名前があり、顔があり、経歴がある。
トランセンドはそこでさらに問う。
「...旧体制との比較では?」
フリオーソは一瞬だけ躊躇ったが、すぐに説明へ移る。
「えっと...旧体制時は全支部や本部で、まばらに亡くなるフィクサーが多かったですが」
「新体制では、西部と北部に集中してますね。まあ職務上、当たり前かと...」
その言葉は正しい。
北部は深層調査。
西部は23区の継続観測。
危険が偏るのは当然だ。
むしろ、役割分担が明確になったからこそ、損耗もまた分かりやすく偏るようになった。
トランセンドは小さく頷く。
「...そうだよね」
その反応に、フリオーソは少しだけ眉を寄せた。
「...協会長? もしかして気にしてます?」
トランセンドは一瞬だけ目を閉じ、それからいつもの調子に近い声を作る。
「...大丈夫だよ」
だが、そのあとに続いた言葉は軽くなかった。
「...とりあえずフリオ、死んだフィクサーの情報はウチまであげて。処理しておくから」
「は、はい...では失礼します...」
フリオーソはそれ以上踏み込まなかった。
一礼して、静かに退室する。
扉が閉まる。
協会長室には、再び静けさだけが残った。
トランセンドは椅子にもたれたまま、しばらく天井を見ていた。
「...オグリさんで色々変わるとしたら、案外死ぬ人数も減るかと思ったけど、結局変わらないか...」
その声には苦笑が混じっていた。
オグリキャップという例外が現れた。
彼女が情報や仲介の構造を変えた。
それに押されてセブン協会も変わった。
けれど、変わった先で待っていたのは「死が消えた未来」ではない。
せいぜい、死に方が整理された未来だ。
「都市って甘くないよね〜...」
誰に言うでもなく呟いて、トランセンドは端末を引き寄せた。
画面を開く。
フォーエバーヤングから送られてきた西部支部の殉職者リスト。
カレンチャンから送られてきた北部支部の死亡・消息不明者一覧。
そこには課、等級、担当業務、最終確認地点、処理ステータスが淡々と並んでいる。
トランセンドはリストを上から順に見ていく。
名前。
課。
担当。
死亡確認。
また名前。
また課。
また担当。
「...人員整理とは違うけど、あんまり見たいものじゃないね」
口ではそう言いながら、指は止まらない。
死亡確認済み。
遺品回収待ち。
家族通知済み。
補充要否あり。
調査継続案件。
消息不明、暫定処理。
一件ずつ処理していく。
情報のセブン協会らしく、死者すら“処理すべき情報”として整えていく。
だが、それでも完全な数字にはなりきらない。
ひとりの名前の横に、研修課程優秀修了の注記が見えた。
別の一人の欄には、異動希望提出予定とあった。
また別の一人は、再編後に初めて北部二課へ上がったばかりだった。
トランセンドの手が一瞬だけ止まる。
「...あー、こういうの見えるの良くないなぁ...」
情報を集めるのが得意すぎる。
整理しすぎる。
だから“ただの件数”として流せない。
十三人。
十五人。
数字として見ればそうだ。
けれど彼女には、その数字の中の輪郭まで見えてしまう。
それでも協会長である以上、止まれない。
止まれば処理が遅れる。
処理が遅れれば、残された者への通知も補充も次の配置も遅れる。
都市では、死んだ後ですら滞らせてはいけないものがある。
トランセンドは指を動かし、次の名前へ進む。
「...まあ、仕事だし」
その呟きは、自分を納得させるためのものだった。
新体制は成功した。
支部は回っている。
役割分担は機能している。
追加予算削減も止めた。
全部正しい。
ちゃんと成果も出た。
それでも、死んだ数はそこにある。
分散していた死が、今度は支部の専門性に沿って偏るようになっただけ。
構造が変わっても、死そのものは消えない。
それが都市だった。
端末の画面には、まだ未処理の名前が残っている。
トランセンドは伊達メガネの位置を少しだけ直し、また次の一件に手を伸ばした。
静かな協会長室で、情報の専門家は今日も死を処理する。
泣きもせず、止まりもせず、
ただ正確に。
その正確さこそが、今のセブン協会を支えているのだとしても。
それを続けることが、彼女にとって心地よいわけではなかった。