ウマ娘×ProjectMoon   作:桜餅 ステラ

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カワイくない

セブン協会北部支部、支部長室。

 

北部支部の支部長室は、いつも通り整っていた。

机の上には必要な書類だけ。

壁際の棚には過去の報告書がきっちりと並び、端末の画面には支部内の進行状況が静かに表示されている。

 

その整い方は、支部長であるカレンチャンの性格をよく表していた。

可愛くあること。

美しく整っていること。

気持ちよく見えること。

 

彼女にとって、それは趣味であると同時に、ほとんど思想に近いものだった。

 

そんな部屋の中で、カレンチャンはトランセンドから送られてきた指示書をじっと見ていた。

 

「...トランさん、わざわざいなくなった人たちのリスト上げてほしいなんて...」

 

小さく息を吐く。

 

「絶対一人で抱え込むつもりだよね」

 

声はいつも通り柔らかい。

けれど、その奥には支部長としての理解があった。

 

協会長が“最終承認”をするということは、その前段階で誰かが整理しなければならない。

そしてトランセンドは、そういう面倒で重い仕事を、時々ひとりで抱え込んでしまう。

 

それがカレンチャンには、どうにも気に入らなかった。

 

「そんなのカレン的にはかわいくないから、少しは手伝ってあげようっと♡」

 

そう呟いて、机の引き出しを開ける。

 

中から取り出したのは、北部支部で死亡、あるいは行方不明になったフィクサーたちの仮整理書類だった。

すでに何度も目を通した紙。

けれど、正式な処理の前に、もう一度見直す必要がある。

 

カレンチャンは椅子に座り直し、ペンを取った。

 

「...トランさんがするのは最終承認だから...カレンがするなら、それまでの整理だよね」

 

書類の一枚目を開く。

 

最初の名前。

次の名前。

その横に、最終確認地点と処理状況を静かに記していく。

 

「...この子は15区の裏路地、この子は25区の郊外、この子は16区で...」

 

ひとりずつ。

本当にひとりずつだった。

 

ただ件数として処理することもできる。

北部支部の損耗、十三名。

そう数字でまとめることもできる。

 

けれどカレンチャンは、それをしたくなかった。

 

この子はどういう任務で出たのか。

どこでいなくなったのか。

最後に誰が見たのか。

机には何が残っていたのか。

報告書の文面はどうだったのか。

 

それらを、処理が完全に終わるまではきちんと覚えておく。

それが北部支部長としての彼女なりの責任だった。

 

死んだから終わり。

行方不明だから処理済み。

そんな扱いは、カレンチャンの価値観では“かわいくない”。

 

いなくなったのに、ちゃんとしてあげないのは、もっとかわいくない。

 

だから、最後まで見る。

最後まで整える。

最後まで、その子のことを覚えておく。

 

それがカレンチャンの矜恃だった。

 

書類をめくる指先は、いつもより少しだけゆっくりだった。

 

「...みーんな、かわいかったよね」

 

ぽつりと零す。

 

その言葉には、ふざけた響きはなかった。

 

「分かんなくても、カレンのカワイイにみんな着いてこようとして...」

 

北部支部は、カレンチャンの色が強い。

“カワイイ”なんて、普通に聞けば業務方針に向かない。

支部運営の理念としては、むしろ奇妙ですらある。

 

それでも部下たちは、呆れながらも、戸惑いながらも、彼女のやり方についてこようとしてくれた。

自分なりに理解しようとしてくれた。

完璧には分からなくても、支部長の掲げるものを信じようとしてくれた。

 

だからこそ、カレンチャンは書類から目を離さずに続けた。

 

「だったら、最後までかわいく見送るのがカレンのカワイイだから」

 

その時だった。

 

コンコン。

 

支部長室の扉がノックされる。

 

カレンチャンは手を止めずに答えた。

 

「どうぞ」

 

扉が開き、マヤノトップガンがひょこっと顔を出す。

 

「お邪魔しまーす」

 

その明るい声に、カレンチャンはようやく顔を上げた。

 

「マヤノちゃん? どうしたの?」

 

マヤノトップガンはいつも通りの調子で部屋に入ってくる。

けれど、その視線は机の上の書類を見て、すぐに状況を察したようだった。

 

「カレンちゃんがなんか頑張ってるって感じたから様子を見に来たの!」

 

そして、少しだけ声を落とす。

 

「その様子だと...マヤの直感通りだね!」

 

カレンチャンは小さく笑う。

だが、その笑みは少しだけ薄かった。

 

「うーん、今だけはその直感はかわいくないかな〜♡」

 

マヤノトップガンは、そこでふざけなかった。

いつもの軽やかさはそのままに、でも真っ直ぐ言う。

 

「...ねえカレンちゃん、マヤも手伝うよ」

 

カレンチャンの手が、ほんの少しだけ止まる。

 

「...マヤ、カレンちゃんの右腕だから」

 

その言い方は、あまりにもマヤノトップガンらしかった。

大げさなようでいて、本気でそう思っている声だった。

 

カレンチャンは少しだけ目を伏せた。

 

本当なら、こういうところまで頼るのは“かわいくない”。

支部長として自分で整えるべきだと思っている。

部下の最期を片付けるところまで、責任を持ちたいとも思っている。

 

けれど、ここで差し出された手を拒むのは、もっとかわいくない。

 

カレンチャンはゆっくりと息を吐いて、マヤノトップガンを見た。

 

「...カレン的には、マヤノちゃんに頼るにはかわいくないんだけど...」

 

それから、少しだけ笑う。

 

「断るのももっとかわいくないし」

 

マヤノの耳がぴんと立つ。

 

「じゃあいくつかお願いがあるんだけど、いい?」

 

「なーに?」

 

マヤノトップガンは即答だった。

 

カレンチャンは、机の上の書類ではなく、その向こう側を見つめるように言った。

 

「...みんなのかわいかった荷物や机の整理をお願い」

 

その声は、少しだけ柔らかかった。

 

「...ちゃんと、みんながなにも心配いらないように」

 

それは単なる片付けではない。

残された机。

引き出しの中身。

置きっぱなしの端末。

途中まで書かれたメモ。

予備の手袋。

お気に入りの文具。

持ち帰れなかった私物。

 

それらを雑に扱わず、きちんと終わらせてあげること。

北部支部で確かに働いていた痕跡を、乱さずに閉じること。

 

マヤノトップガンは一瞬だけ真顔になって、それから大きく頷いた。

 

「アイコピー!」

 

その返事は、いつも通り明るい。

でも、だからこそありがたかった。

 

マヤノはそのまま踵を返す。

 

「じゃあ行ってくるね!」

 

ぱたぱたと軽い足音を残して、支部長室を出ていく。

 

扉が閉まる。

 

再び静かになった部屋の中で、カレンチャンはしばらく動かなかった。

 

やがて、手元の書類へ視線を戻しながら、小さく呟く。

 

「...支部長って...あんまりカワイくはないけど」

 

その言葉は、自嘲のようでもあり、納得のようでもあった。

 

支部長でいる限り、可愛いだけではいられない。

誰かが消えた後の処理も、書類も、通知も、整理も、自分が見なければならない。

そういう役目は決して華やかではないし、見栄えもしない。

 

けれど。

 

「カワイイを守ることは出来るよね」

 

その一言だけは、揺らがなかった。

 

カレンチャンはまたペンを取り、次の名前の横に最終確認地点を書き込んでいく。

 

いなくなった者たちを、せめて雑には終わらせないように。

最後まで、北部支部の一員として見送れるように。

 

かわいくない現実の中で、

それでも自分の“カワイイ”を手放さないこと。

 

それが北部支部長カレンチャンのやり方だった。

 


 

セブン協会北部支部、オフィス。

 

支部長室を出たマヤノトップガンは、さっきまでの軽い足取りのまま廊下を進んでいた。

けれど、その速度は途中から少しずつ落ちていく。

 

北部支部のオフィスは、夜に近い時間帯の静けさに包まれていた。

まだ残って仕事をしているフィクサーもいる。

端末を叩く音。

書類をめくる音。

遠くで誰かが短く連絡を返す声。

 

でも、その静けさの中には、以前まで確かにあったはずの“抜け”があった。

 

ひとつ、ふたつではない。

いくつもだ。

 

マヤノトップガンは、その空気の違いを、理屈より先に感じ取っていた。

 

「...」

 

普段のマヤなら、こういう時も軽く笑う。

あるいは、さっさと片付けてしまおうとする。

でも今回は、足を踏み入れた瞬間に胸のあたりが少しだけ重くなった。

 

自分でも分かっている。

今からやるのはただの片付けじゃない。

“戻ってこない人たちの場所”を閉じる作業だ。

 

それでも、カレンチャンに頼まれた。

しかも、最後までかわいく見送るために。

 

なら、やるしかない。

 

マヤノトップガンは小さく息を吸って、人気の薄い一角へ向かった。

 

そこには、すでに誰も使っていない机がいくつか並んでいた。

 

誰かが戻ってくるのを待つみたいに、椅子は引かれたまま。

端末は閉じられたまま。

書類は途中で止まったまま。

 

まるで、ほんの少し席を外しただけのように見える。

でも、それが違うことを、マヤは知っていた。

 

「...よし」

 

自分に言い聞かせるように、小さく呟く。

 

「アイコピー、だもんね」

 

最初の机の前に立つ。

 

名札。

筆記具。

数枚のメモ。

予備の手袋。

開封しかけの栄養ゼリー。

端末の横には、小さなうさぎのキーホルダーが置いてあった。

 

マヤはそれをそっと手に取る。

 

「...あー、この人これ好きだったんだ」

 

思い出す。

 

確か二課に上がりたての頃、遠征先でこれに似たものを買ったと言っていた。

北部は調査が多くて、かわいいものを持たないと気が滅入るんだと、笑っていた気がする。

 

マヤはそのキーホルダーを、乱さないように小箱へ入れた。

私物整理用の箱。

戻ってこない人のものを、一つずつ入れていくための箱だ。

 

それが急に、やけに嫌なものに見える。

 

「...やだなぁ」

 

ぽつりと零れる。

 

明るい声ではなかった。

 

次の机へ移る。

 

こっちは書類が多い。

報告書。

区域地図。

手書きの補足。

字は几帳面で、少しだけ癖が強い。

几帳面なくせに、余白にはよく落書きみたいなメモを描く人だった。

 

“この店あとで行きたい”

“ここの猫かわいかった”

“カレン支部長たぶんこれ好き”

 

そういう小さな書き込みが、紙の端にいくつも残っている。

 

マヤは、それを見て一瞬だけ手を止めた。

 

「...ほんとに、あとで行くつもりだったんだ」

 

返事はない。

 

当然だ。

分かっている。

分かっているのに、そういう言葉が頭に浮かぶ。

 

マヤノトップガンは唇をぎゅっと結んで、書類を種類ごとに分け始めた。

業務資料。

要返却物。

個人メモ。

私物。

 

分類は得意じゃない。

事務仕事も好きじゃない。

集中力だって長くは続かない。

 

でも、今だけは不思議と手が止まらなかった。

 

いや、止められなかったのかもしれない。

 

ひとつ整理するたびに、そこにいた誰かの輪郭が浮かぶからだ。

 

あの人は、カレンチャンに褒められるとちょっとだけ照れていた。

あの人は、北部の深掘り任務がきつくても「まあ面白いから」と言っていた。

あの人は、マヤの直感を毎回すごいすごいと騒ぎながら、最後には必ず「でも無茶はしないで」と言ってくれた。

 

「...」

 

三つ目の机に手をかけた時、マヤはとうとう声を失った。

 

そこは、ついこの前まで普通に使われていた席だったからだ。

 

椅子の高さもそのまま。

端末の角度もそのまま。

マグカップの中には、もう冷え切っているはずの飲み残しが少しだけ残っていた。

 

書類の一番上には、今週の調査予定表。

赤いペンで、“マヤと交代確認”と書いてある。

 

「...あ」

 

本当に、ほんの少しだけ。

たぶん一週間前なら、まだそこにいたのだ。

 

マヤはその紙を持ったまま、しばらく動けなかった。

 

自分は未来が“わかる”ことがある。

正解が“わかる”ことがある。

その場における最善が、なぜか見える。

 

でも、それでも。

 

いなくなる前の誰かを、いつも救えるわけじゃない。

 

それが急に、ものすごく嫌だった。

 

「...カワイくないなあ」

 

カレンチャンの真似みたいに、そう呟いてみる。

でも全然かわいくならなかった。

 

むしろ、その言葉で少しだけ喉が詰まる。

 

マヤは慌てて目をこすった。

 

「やだなあ、マヤ。今そういうのじゃないじゃん」

 

明るく言ってみる。

自分で自分を立て直すみたいに。

 

「ちゃんとやらないと、カレンちゃん困るし」

 

それでようやく、また手が動いた。

 

マグカップを片付ける。

書類を束ねる。

予備端末を返却箱に入れる。

引き出しの中を見る。

 

中には、折り畳まれた小さなメモがあった。

 

何気なく開く。

 

そこには短く、雑な字でこう書かれていた。

 

“次の休み、みんなで甘いもの”

 

マヤの手が、そこで完全に止まった。

 

「...」

 

甘いもの。

たぶん、言い出したのはカレンチャンだ。

みんなで行こうと言って、いつものように“カワイイ”がどうとか騒ぎながら、結局全員で付き合わされる予定だったのだろう。

 

その“次”は、来なかった。

 

マヤノトップガンは、しばらくそのメモを見つめていた。

それから、ぐしゃっと握ることはせず、丁寧に畳み直した。

 

私物の箱へ入れる。

 

「...アイコピー、だもんね」

 

今度は誰に向けてか分からない言葉だった。

 

机を閉じる。

箱に札をつける。

名前を書く。

 

その一つ一つを終えるたびに、その人が本当に“いない側”へ移っていく気がした。

 

オフィスの隅では、まだ誰かが端末を叩いている。

別の場所では、新しい調査報告が上がっている。

北部支部は止まらない。

止まれない。

 

だから、この片付けも業務の一つだ。

ちゃんと終わらせるべき仕事だ。

 

分かっている。

でも、分かっていることと平気でいられることは違う。

 

全部の机を回り終えるころには、マヤノトップガンの表情から、いつもの軽さが少しだけ抜けていた。

 

空いた席が並ぶ。

整えられた箱が並ぶ。

見た目だけなら、きちんと片付いている。

 

けれどその整い方が、ひどく寂しかった。

 

マヤは最後に、箱の列を見渡した。

 

「...ちゃんとやったよ」

 

誰にともなく言う。

 

「だから、心配いらないからね」

 

それは死者に向けた言葉なのか、

自分に向けた言葉なのか、

あるいはカレンチャンの“カワイイ”に応えるための確認なのか、

マヤ自身にもよく分からなかった。

 

ただ一つ分かるのは、こういう仕事は全然かわいくないということだ。

 

でも、かわいくないからこそ、誰かがやらなければならない。

 

マヤノトップガンは目元を一度だけ強くこすって、それから踵を返した。

 

支部長室に戻れば、カレンチャンがまだ書類を整理しているだろう。

マヤはそこで、またいつもの調子に戻るつもりだった。

 

明るく。

軽く。

何でも分かる顔をして。

 

でもその前に、誰も見ていない廊下で一度だけ立ち止まって、小さく呟く。

 

「...ほんと、こういうのは全然わかりたくないよ」

 

その言葉だけが、オフィスの静けさに吸い込まれていった。

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