ハナ協会本部、協会長室。
都市におけるすべてのフィクサー業務を統括する協会。
その本部中枢に位置するこの部屋は、他の協会長室とは少し違う静けさを持っていた。
広い。
だが、無駄に豪奢ではない。
机も、椅子も、投影盤も、棚に収められた資料も、すべてが「使うため」に整えられている。
飾り気の薄い空間でありながら、ここにいる者たちの立場が立場である以上、それだけで十分すぎるほどの威圧感があった。
今、その室内にはハナ協会の全幹部が揃っていた。
協会長スピードシンボリ。
南部本部長ドリームジャーニー。
東部支部長シンボリクリスエス。
西部支部長ハイセイコー。
北部支部長エクリプス。
都市におけるフィクサーの流れを決める側の人間たち。
それぞれの視線の先には、セブン協会とウーフィ協会の改革後報告書があった。
スピードシンボリは資料に一通り目を通し終え、軽く指先で紙の端を整えてから口を開いた。
「...なるほど、ウーフィ、セブンともに基本的には問題なしか」
声音は穏やかだった。
だが、その穏やかさは評価者の余裕でもある。
ドリームジャーニーがすぐに応じる。
「ええ、今のところ経営危機は脱して、安定業務が行えてます」
ハイセイコーも明るい調子で頷いた。
「うん、セブンは23区の調査もしっかりやれてるっぽいし、問題ないよ」
シンボリクリスエスも低く続ける。
「...ウーフィの方も...問題ない...」
そしてエクリプスが、書類を流し見たまま淡々と言う。
「まあ、二協会ともに何名か殉職者はいるっぽいけど...些細よね」
その一言で、部屋の空気が少しだけハナ協会らしい冷たさを帯びた。
“些細”という言葉は、情のない者には吐ける。
だがここにいる者たちは情がないわけではない。
そのうえでなお、統括者としてそう言える立場にいる。
スピードシンボリは特にその言葉を咎めなかった。
資料を閉じて、次へ進む。
「そうだね。協会運営が安定してるなら、それに越したことはない」
そして、視線を幹部たちへ巡らせる。
「じゃあ、来期以降のハナ協会の運営方針を話し合おうか」
話の切り替えは滑らかだった。
セブンとウーフィの混乱も、殉職者も、苦労も、ここではすでに“検討済みの前提”に変わっている。
シンボリクリスエスが低く問いかける。
「...スーさん、セブンとウーフィの改革は安定しているが...それで12協会全体が変わるのは有り得るのか...?」
その問いは単なる興味ではない。
ひとつの前例ができた以上、それが制度全体へ波及する可能性は十分ある。
ハナ協会東部支部長として、変化の兆候を確認するのは当然だった。
スピードシンボリは少しだけ考えるように目を細める。
「そうだね...いつかの可能性はあるけど、今はないよ」
断言は早かった。
「...二協会のように予算削減ってわけでもないのに、変える意味は少ないからね」
ドリームジャーニーが補足する。
「そうですね。セブンとウーフィの改革が進んだのは、追い込まれていたという側面が強いですので」
ハイセイコーは少し肩をすくめて笑った。
「そうだよね。いきなり変わったらみんなびっくりしちゃうよ」
その口調は柔らかい。
だがそれもまた真実だった。
制度変更には正しさだけではなく、受け入れられる速度が必要だ。
シンボリクリスエスは、そこでわずかに間を置いて言う。
「...ウーフィのシリウスは...愚痴っていたが...」
その言葉に、ハナ協会の面々は一瞬だけ沈黙した。
スピードシンボリは、かすかに口元を緩める。
「まあ、身内がいるのとは話が別だよ。予算は予算だからね」
その返しは、優しいようでいてどこまでも冷静だった。
たとえ知己がいようと、苦労していようと、
統括協会として見るべきは組織単位の合理性。
それ以上でも以下でもない。
エクリプスが、気だるそうな口調のまま言う。
「そうよクリスエス。実際、オグリキャップの連絡網でセブンとウーフィの業務は代替出来てしまっているわ」
視線を報告書へ落とす。
「...予算削減はやむなしよ」
シンボリクリスエスは短く頷いた。
「...ああ、そうだな」
そこには反論ではなく、理解があった。
納得と感情は別でも、正しさは認める。
それがこの場の空気だった。
少しして、ハイセイコーがふと思い出したように別の話題を出す。
「...ところで協会長、話は変わるけど、イオリさんの言っていた13番目の協会はどうするの? ねじれ専門協会って名目だけど...」
その一言で、部屋の空気が少し変わった。
十二協会。
長い間変わらなかったその枠組みに、新しい数字が差し込まれるかもしれない。
それは小さくない話だった。
スピードシンボリは、今度ははっきりと前向きに頷く。
「そうだね...頭からの新規予算も通ったし...そろそろ詳しい議論に移ってもいいだろうね」
エクリプスが、ゆるやかに問う。
「...その場合、協会長はどうするつもり?」
シンボリクリスエスが先に答えた。
「...紫の涙が妥当だろう。彼女自身がメンバーをスカウトすると言っていた」
ドリームジャーニーも頷く。
「そうですね。指導力に優れたイオリさんなら問題ないでしょう」
ハイセイコーが、少しだけ感慨深そうに呟いた。
「13番目の協会か〜...12協会体制がここに来て変わることになるのかな」
都市の制度は強固だ。
けれど絶対ではない。
必要があれば変わる。
予算がつけば増える。
役割があれば新設される。
その事実自体が、今まさにセブンとウーフィの件で証明されたばかりだった。
スピードシンボリは穏やかな声音で言う。
「そうだね。確かに体制や制度は時間とともに変わるさ」
その言葉は、変化を肯定しているようにも聞こえる。
実際、彼女は変化を恐れていない。
新しい手段。
新しい運営。
新しい制度。
それらは都市を維持するために必要ならば導入すべきものだと思っている。
だが、その直後。
エクリプスが低く言う。
「でも...」
ドリームジャーニーが静かに続ける。
「頭がいる限り」
シンボリクリスエスが、その先を受け取る。
「...都市の本質は永遠に変わらない」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
制度は変わる。
協会も増える。
課の役割も支部の形も変わる。
人員も予算も再配分される。
それでも。
頭がいる。
目がいる。
足爪がいる。
都市を縛る構造そのものが生きている。
ならば、都市の本質――
合理の優先。
切り捨て。
上意下達。
制度が個人より重いという前提。
そういったものは消えない。
ハイセイコーが、ほんの少しだけ表情を曇らせて頷いた。
「...うん、知ってる」
その声には、軽さはなかった。
西部支部長として多くを見てきた者の納得だった。
スピードシンボリは、その空気を受け止めたうえで、小さく笑った。
「...まあ、流石に頭を倒そうなんて身の程知らずはいないはずさ...」
穏やかな口調。
だが、それは冗談ではない。
現実確認だった。
たとえ協会が増えようと。
体制が変わろうと。
予算が組み替えられようと。
誰も、その土台そのものを覆すところまでは行かない。
行けない。
だから変化は起きる。
だが同時に、変わらないものも残り続ける。
協会長室にはしばらく静けさが落ちた。
誰もその結論を覆そうとはしない。
覆せる立場ではないことを、全員が知っているからだ。
窓の外には、今日も変わらず都市が広がっている。
巣も、裏路地も、翼も、協会も、指も、全部まとめて飲み込んだ巨大な構造体。
そこでは今この瞬間も、誰かが働き、誰かが切り捨てられ、誰かが制度の隙間で生き延びている。
変わるものはある。
変わらないものもある。
ハナ協会の役目は、その両方を見たうえで次を決めることだった。