ハナ協会本部、本部長室。
都市に存在するすべてのフィクサー協会の頂点。
その総本山たるハナ協会の中でも、本部長室は協会長室とはまた別種の重みを持っていた。
ここは決断の場というより、判断の整形場だった。
上がってくる報告、各協会の動き、翼や指との摩擦、特色フィクサーの動向。
それらを一度受け止め、要不要を見極め、必要なら冷たく切り分ける場所。
その部屋で、ドリームジャーニーはいつものように背筋を伸ばして座っていた。
チェーン付きの縁なし眼鏡の奥の目は穏やかだが、穏やかさだけでこの部屋にいられる立場ではない。
そして今、その本部長室には珍しい来客があった。
「...協会長ならまだしも、私に話があるとは...珍しいですね。ドゥラメンテ協会長」
向かい側に座る若い協会長へ、ドリームジャーニーは静かに言う。
ドデカ協会長、ドゥラメンテ。
12協会長の中では最年少。
だが、その若さを差し引いてもなおひとつの協会を率いるだけの才覚と実力を持ったウマ娘だ。
ドゥラメンテは無駄な前置きを好まないように、短く答えた。
「ああ、スピードシンボリに話しても、多分意味がないと思ったからな」
その返答に、ドリームジャーニーはわずかに口元を和らげる。
「...ふむ、協会長が無理なものなら私でも厳しいでしょうが....なんでしょうか?」
ドゥラメンテは一拍置いた。
言葉を選ぶというより、どこから話すべきか整理しているような間だった。
「...紫の涙の件だ」
ドリームジャーニーの表情がほんのわずかに動く。
「紫の涙...イオリさんですね」
紫の涙、イオリ。
特色フィクサーの中でも古参に近く、なおかつ現役。
その実力はもちろん、何より数多の後進を育て上げてきた指導者としての名声が大きい。
古くは赤い霧。
そして青い残響。
他にも彼女の影響を受けたフィクサーは少なくない。
都市では、強い者は珍しくない。
だが、強い者を育てられる者はさらに稀だ。
ドリームジャーニーは問い返す。
「あの方がどうかしましたか?」
ドゥラメンテはすぐに本題へ入った。
「...今、私の協会のリバティアイランドが紫の涙の元で修行してるんだ」
「リバティさんですね。確か結構前に後遺症の残る怪我をして、左脚を義体化したとか」
「ああ」
ドゥラメンテは頷く。
「それでやさぐれていたが、今はイオリの指導のおかげでかなり強さを取り戻した。...その点は流石紫の涙だと思ってる」
そこに嘘はなかった。
イオリの指導力は本物だ。
落ちかけた人間を立たせる術を知っている。
壊れた者に新しい戦い方を教え、以前とは別の強さへ導く。
だからこそ、彼女に弟子入りしたがる者は多い。
ドリームジャーニーは素直に言う。
「なら良かったではないですか」
だがドゥラメンテの顔は晴れなかった。
「ただひとつ問題がある...」
「なんですか?」
「...イオリがリバティに青い残響の話をして、その結果リバティが青い残響に憧れを持ち始めたことだ」
その言葉に、ドリームジャーニーの目がわずかに細くなる。
「...青い残響にですか」
青い残響、アルガリア。
かつては優秀な特色フィクサー。
しかし二年半ほど前、残響楽団を率いて都市を掻き乱し、資格を剥奪され、最終的には破滅した男。
その名は今なお都市に残っている。
伝説としてではなく、傷跡として。
ドゥラメンテは低く続けた。
「...ああ、正直凄く不安だ。あの男は確かに優雅で華麗、しかも顔も良かった」
そこで少しだけ苦々しく言う。
「だがその性格と人生は終わっている。...だからこそ、あんまり憧れて欲しくない」
ドリームジャーニーは静かに頷いた。
「...ですが、それより昔は優秀なフィクサーでもありましたからね。顔が良いあまりファンも多かったですし」
「...そもそも、紫の涙がリバティに青い残響の話をした時点であまり信用出来ない」
ドゥラメンテの声は少しだけ硬くなる。
「リバティに青い残響の模倣をさせようなどと企んでる気がしてな」
ドリームジャーニーはその疑念をすぐには肯定しなかった。
「考えすぎじゃないですか?ただ単に新しい弟子に昔の弟子の話をしただけですよ」
「...どうだかな」
ドゥラメンテは短く返し、それから本題をはっきり示した。
「...それで、ハナ協会に紫の涙への対応を聞きにきたんだ」
ドリームジャーニーは、ここで一気にハナ協会本部長の顔になる。
声色は穏やかなままだが、答えには迷いがない。
「...そうですね。結論からいえば何も出来ません」
きっぱりした言葉だった。
「現在イオリさんは協会から回ってきた任務も全て問題無くこなしてますし、素行も極端に目立ったことはございません。よって、不介入が妥当です」
ドゥラメンテはすぐに反論しなかった。
むしろその答えは予想していたのだろう。
「...まあそうだろうな。ダメ元で聞いただけだ」
ドリームジャーニーは、そこで少しだけ問いの角度を変えた。
「...ちなみに、青い残響に憧れてると言ってましたが、どんな風にですか?」
ドゥラメンテは思い出すように目を伏せる。
「そうだな...武器を青い残響のような大鎌に変えようとしてるのは知ってる」
一度息を挟む。
「あとは...最近口調を変えようとしてるのを感じた。あの男みたいにムカつく言動は出来てないが、見ていて少し不安にはなる」
ドリームジャーニーはそこで、わずかに苦笑した。
「ふむ、武器はともかく口調ですか。結構本格的ですね」
「...性格にまで影響を受けないといいんだが...」
ドゥラメンテがそう言った、ちょうどその時だった。
コンコン。
ノックのあと、間を置かずに扉が開く。
「邪魔するよ」
「...失礼します」
入ってきたのは、件の特色フィクサーイオリと、その弟子リバティアイランドだった。
ドリームジャーニーが目を向ける。
「おや、イオリさん」
ドゥラメンテの視線は、まっすぐリバティに向いた。
「...リバティ」
「...どうも協会長」
リバティアイランドは穏やかに頭を下げる。
左脚の義体は今や彼女の戦い方の一部になっていた。
だが、今ドゥラメンテの目を引いたのはそこではない。
「...どうしましたか?そんな表情で私の顔を見て」
リバティの声音は落ち着いていて、どこか芝居がかっている。
それだけでも微妙な違和感があった。
そして決定的だったのは服装だった。
ドゥラメンテの記憶の中のリバティアイランドは、もう少し今どきらしい、可愛らしい服を好む少女だった。
明るく、少し背伸びしたような、年相応の装い。
だが今、目の前にいる彼女が纏っているのは、赤と橙を基調とした優雅な衣装。
動きやすさを残しつつも、明らかに貴族的な意匠が入っている。
色こそ違う。
だが、輪郭と雰囲気は明らかに――
青い残響、アルガリアを思わせるものだった。
ドゥラメンテの声が低くなる。
「...その服はなんだ?」
リバティは、むしろ嬉しそうに答えた。
「これですか?師匠にコーディネートしてもらったんですよ。ふふ、似合いますでしょう?」
ドゥラメンテはすぐにイオリを見る。
「...イオリ、どういう意図だ?」
イオリは少しも悪びれない。
「私はただリバティの望みを叶えようと思ってね。青い小僧の奴をイメージして少しばかり合わせたのさ」
ドリームジャーニーは、それを眺めながら静かに言う。
「確かにリバティさんのイメージカラーを基調としていて優雅ですね。青い残響の服装イメージですか」
リバティアイランドは、その言葉を待っていたかのように口元を綻ばせた。
「ええ、私はいつかアルガリアさんみたいなフィクサーになるんです。優雅でそれでいて力強い戦い方ができるフィクサーに」
その言葉を聞いて、ドゥラメンテはなんとも言えない表情になった。
アルガリアの“戦い方”だけを見れば、確かに憧れるのは分からなくもない。
優雅で、洗練されていて、見る者を惹きつける。
だがその内側にあったものを知っている者からすれば、その憧れはひどく危うい。
イオリが軽く声をかける。
「リバティ、帰ったらあいつの話聞かせてやるから、今は落ち着きな」
「ええ、師匠」
すっかり懐いた返事だった。
ドリームジャーニーは、その様子を見て小さく笑う。
「ふふ、すっかり懐いていますね」
ドゥラメンテは、そこでようやく一歩踏み込んだ。
「...イオリ、ひとつ言っておくことがある」
「なんだいドゥラメンテ?」
「...リバティを青い残響の模倣にさせようとするなら私が必ず止める。...ほどほどにしておいた方がいい」
空気が少しだけ引き締まる。
だがイオリは、まるでその程度の牽制は想定内だというように肩をすくめた。
「流石にそこまではさせないさ。あくまで憧れの真似程度にしておくよ」
ドゥラメンテは即座に返す。
「...言質は取ったぞ」
「随分疑り深いね。まあ別に良いけど」
そこでドリームジャーニーが話を戻した。
「...そういえばイオリさんはなぜここに?」
「ああ、そうだったよ」
イオリは本来の用件を思い出したように言う。
「リバティアイランドに特色フィクサーの審査を受けさせてやりたいんだけど良いかい?」
「特色...?」
ドゥラメンテが思わず繰り返す。
ドリームジャーニーは即座に実務の顔へ戻った。
「ふむ...理由は?」
「リバティももうすっかり強くなったからね。今後は力試しがてら私の任務も手伝ってもらうつもりなんだけど、その結果次第ではぜひ色をと思ってね」
ドリームジャーニーは少しだけ考え、それから頷いた。
「...なるほど、分かりました。ではリバティさんの任務状況次第で審査しましょう。まずは結果を出してください」
「分かったよ。それじゃあ行こうかリバティ」
「はい、師匠」
イオリとリバティアイランドが退室する。
扉が閉まったあと、本部長室には短い沈黙が残った。
先に口を開いたのはドリームジャーニーだった。
「...良かったですねドゥラメンテ協会長。リバティさんにももしかしたら色がつくかもしれませんよ。つけるなら赤...はもう既に埋まってますし、橙なんかがお似合いでしょうか」
その言葉に、ドゥラメンテは複雑そうに息を吐く。
「...リバティに色がつくならそれは一応嬉しいが、あの子の憧れが青い残響というのは複雑だ...」
目を伏せる。
「伝説の特色に憧れるのは分かる。だが何故よりによってあの男に...」
ドリームジャーニーは、そこで珍しく少しだけ真面目な声音になった。
「まあ、いざと言う時は止めますよ」
その言葉は軽くも聞こえる。
だがハナ協会本部長の口から出た以上、それはただの慰めではない。
リバティアイランドは今、確かに強くなりつつある。
再起の途中にいる。
色に届くかもしれない地点にまで来ている。
だが同時に、その進む先には少しだけ危うい色が混じっている。
救いは、時に模倣と紙一重だ。
再生は、時に誰かの影を被ることで始まる。
そしてその影が青い残響のものだとしたら、
それを見過ごしていいのかどうか――
ドゥラメンテが不安になるのも、当然だった。