A社1区、A社本社。
休憩室。
都市の支配者たるA社――頭。
その本社は、外から見ても中へ入っても、ひと目でそれと分かる意匠をしている。
壁も床も天井も、基本色は黒。
そこに金色のハニカムパターンが、規則的に、しかしどこか生き物じみた密度で走っている。
威圧感がある。
荘厳でもある。
そして何より、ここが普通の翼ではなく、都市の根幹に位置する存在であることを嫌でも意識させる。
だが、どれだけ重々しい場所であっても、形式上はあくまで企業であり、都市を統治する巨大機構の一部だ。
ならば当然、その内部には日々働く者たちがいて、書類が流れ、報告が上がり、休憩時間も存在する。
つまり、現実の会社と同じく――休憩室もある。
その休憩室の一角で、今、ひとりの調律者が異様な勢いで何かを食べていた。
「...」
サクサクサクサクサクサクサクサク
黒と金の休憩室に、乾いた軽快な咀嚼音だけがやけに響く。
マンハッタンカフェが、その様子をしばらく眺めてから、静かに問いかけた。
「...テンさん、何食べてるんですか?」
W社23区担当調律者テンは、手を止めずに答える。
「かりんとう」
「さっきから一心不乱に食べてるけど、そんなにストレス溜まってるの?」
そう言ったのはI社9区担当調律者テトだった。
軽い調子だが、わりと本気で心配している顔だ。
テンはようやく一度だけかりんとうの袋から顔を上げ、無表情のまま言った。
「経営危機のW社の監視と関連書類書き上げのためにA社に泊まり込みが続いた結果、かれこれ十徹ですが何か?」
一瞬、休憩室の空気が止まる。
それからM社13区担当調律者テミーが、明るさを保とうとしながらも引きつった声で言った。
「あ、うん。なんかごめんね...」
テンはその謝罪を特に気にすることなく、今度は壁際にいるマンハッタンカフェへ顔を向けた。
「カフェ、コーヒー入れてくれない? とにかく苦くて渋いの」
マンハッタンカフェは少しだけ眉を寄せる。
「...飲みすぎは身体に悪いですよ」
「良いから」
間髪入れない即答だった。
マンハッタンカフェは小さく息をつく。
「...分かりました。少し待っていてください」
そう言って給湯設備の方へ向かう。
この辺の流れが妙に自然なのは、たぶんこういうことが何度もあったからだろう。
その様子を見ながら、A社1区担当調律者クモハタがくすりと笑った。
「ふふ、テンも大変だね」
テンはすぐさま冷ややかに返す。
「全部クモハタさんの指示でやってる仕事ですけどね」
その言い方には棘があったが、クモハタは特に気にした様子もない。
むしろ少し楽しそうですらある。
休憩室の別の椅子に腰掛けていたX社24区担当調律者ルリが鼻を鳴らした。
「W社のやろう、アコギな商売しすぎなんだよな。いくら都市でも、あそこまで利益重視の経営ばっかしてたら、そりゃいつかは持たなくなるだろうが」
D社4区担当調律者スージーが、優雅に脚を組んだまま上品に頷く。
「ふふ、まあW社の自業自得ですわ。確かもう既にW社...Warp Corporationの後釜を狙う企業も居るのでしょう?」
マンハッタンカフェがコーヒーを淹れながら答える。
「...リンバスカンパニーと協力してるウェイフェアラー・カンパニーですね。本格的にW社とことを構える準備は進めているようです。」
テトが目を丸くする。
「つまり近々翼戦争が起こるってことなの?」
テンはようやくコーヒーを受け取り、一口も飲まないまま答えた。
「十中八九そうなるから、その場合の都市への影響やA社の対応なんかの概算をしてたのよ。そこのクモハタさんの指示で」
最後の一言だけ、少し強めだった。
クモハタは湯呑みを傾けながら、穏やかに言う。
「必要なことだからね。翼が折れるかもしれないという一大事に備えるのは、頭としても必要さ」
言い方だけ聞けば実に柔らかい。
だが内容は重い。
翼の一つが経営危機に陥り、後継企業との衝突がほぼ確定している。
それが都市にどういう連鎖を生むか、頭としてどう裁定し、どう管理するか――その試算をしているのだ。
テミーが首を傾げた。
「でもウェイフェアラー・カンパニーとW社が争うぐらいなら、そこまで大きくはならないんじゃない? 23区はやばいことになりそうだけど」
ルリがすぐに返す。
「影響が23区だけで済むなら良いんだけどな。煙戦争の時みたいに都市全域にまで影響が及ぶなら、アタシらの仕事だって増えるんだからよ」
スージーも、口調は優雅なまま現実的な見立てを出す。
「しかし、所詮今のWarp社に味方する翼や組織は存在しないのでしょう? でしたら、きっと心配はいりませんわ。まあテンさんの仕事は増えるでしょうけど」
テンは苦い顔のままコーヒーをひと口飲んだ。
「そういうこと。連中はほとんど知らないだろうけど、翼になるなら頭の審査と特異点の特許認定は必須。その仕事は基本、調律者の役目。23区のWの翼の場合、その業務、私が担当するの!」
最後だけやけっぱちみたいな勢いになった。
マンハッタンカフェが、ようやくテンの前へカップを置く。
「...テンさん、コーヒー入りましたよ」
テンはすぐに両手で受け取り、深く息をつく。
「ありがとカフェ。...はぁ、今だけは苦いのが染みる...」
その様子を見ていたクモハタが、ふと思いついたように言う。
「テン、良かったら僕のお団子何本かあげるけど欲しいかい?」
テンが即座に顔を上げた。
「あ、それなら是非...」
テトもすかさず便乗する。
「クモハタさん、私も欲しいけど良い?」
「うん、別に構わないよ」
クモハタはそう言って、どこからともなく団子を数本取り出した。
その動作があまりにも自然で、一瞬誰も突っ込まなかった。
テトが一本受け取って笑う。
「サンキュー」
スージーが優雅に覗き込む。
「三色団子によもぎ団子、餡団子...よりどりみどりですわね」
クモハタは穏やかに微笑む。
「飽きないようにいくつか揃えてるのさ」
ルリは呆れたように肩をすくめた。
「あんたの団子好きも筋金入りだな」
マンハッタンカフェは、自分のカップを持ちながら無言でその光景を見ていた。
(...クモハタさんって、気がつけば団子を取り出してますけど、いつもどこに入れてるんでしょう...?)
休憩室の空気は、一見するとどこにでもある職場の休憩時間のようだった。
過労をぼやく者がいて、コーヒーを淹れる者がいて、差し入れのお菓子を分け合う者がいる。
だが、その雑談の中身は、
* 経営危機に瀕した翼の監視
* 企業間戦争の予測
* 都市全体への影響試算
* 特許認定と翼審査
* 頭としての介入基準
と、常人には一生縁のないものばかりだった。
これが調律者たちの日常。
都市を上から見下ろし、必要なら滅ぼし、必要なら書類を書き、必要なら休憩室でかりんとうを齧る。
その全てが、頭という巨大な秩序の中では何ひとつ矛盾していなかった。