ハナ協会西部支部、支部長室。
都市の第一協会。
すべてのフィクサー協会を統括するハナ協会の支部は、どこもそうだが、頭の本社とはまるで違う空気を持っていた。
頭が黒と金の威圧と絶対性で支配を示すなら、
ハナ協会は白で秩序を示す。
西部支部長室も例外ではない。
白を基調とした壁。
整えられた机。
無駄なく分類された書類棚。
明るすぎず暗すぎない照明。
そこには「清潔」「統制」「公正」といった印象が過不足なく配置されていた。
だが、その支部長室で今処理されていた書類の内容は、決して清潔でも穏当でもなかった。
「2人とも手伝ってくれてありがとう!」
ぱたん、と最後の書類束を揃えながら、ハイセイコーが明るい声を上げる。
「書類整理がちょっと一人では終わりそうになかったから助かったよ!」
可愛らしい声と笑顔。
西部支部で“アイドル”とまで呼ばれる愛嬌。
だが、その見た目に反して彼女はハナ協会でも指折りの特色フィクサー――**桃色の偶像**だ。
その向かいで、黒いコートを纏った紅髪のウマ娘が控えめに答えた。
「いえ...そんな大したことでは...助けになれたならなによりです」
ハナ協会の白い制服ではなく、例外的に黒いコート。
その存在感の薄さと、戦闘時の苛烈さの落差で知られる特色フィクサー。
紅色の衝動、スティルインラブだった。
青髪のウマ娘――西部4課部長アドマイヤグルーヴも、きっちりと書類を揃え終え、静かに問いかける。
「...では仕事はこれで終わりですか、支部長?」
「うん、2人ともしばらく自由に過ごしてていいよ」
「分かりました」
アドマイヤグルーヴは相変わらず淡々としていた。
感情の起伏を表に出さない、冷静沈着な一級フィクサー。
ただ、その冷たさは無関心ではなく、きちんと責任感に裏打ちされているものだった。
ひと仕事終えた支部長室に、ようやく小さな安堵が落ちる。
だが、その空気の中で、スティルインラブはふと一枚の書類を手に取った。
「...それにしても、薬指極彩派...」
小さな声で、その名を読み上げる。
「噂には聞いてますけど、かなり勢力を強めているんですね...」
その一言で、3人の意識が同じ対象に向く。
机の上に残されていたのは、都市の裏路地の支配者――五本指の一つ、**薬指**に関する関連書類だった。
薬指。
芸術と知識を重視し、追求する集団。
聞こえだけなら教養と創造を掲げた文化組織のようですらある。
だが実態は、都市らしく歪んでいる。
人間を素材に芸術を作り、
住民を保護下に置いて“芸術大学”へ強制入学させ、
評価されなければ徐々に権利を剥奪し、
最終的に落第した者は即時殺害。
しかもそれでいて、上級幹部のマエストロが生み出した作品には数千万、時には数億眼の価値が付く。
残虐な集団であると同時に、実際に“価値ある芸術”を生み出してしまうのが、薬指の厄介さだった。
アドマイヤグルーヴが書類に目を落としたまま言う。
「薬指極彩派ね...近年の薬指の主流派閥は点描派や野獣派って聞いてたけど、また新しい派閥でも出来たのかしら?」
ハイセイコーは頷きながら答える。
「うん。協会でも詳細は把握できてないけど、薬指内での人気をかなり獲得してるみたい」
そこで少しだけ眉を下げた。
「ただ、点描派や野獣派みたいな現在の主流派閥にはまだ及ばないらしいけど」
スティルインラブは書類を見つめたまま、静かに言う。
「でも、ここまで短期間で勢力を強めてるなら警戒は必要ですよね...」
「もちろん」
ハイセイコーの声は柔らかいが、支部長としての判断は明快だった。
「ひとまずは極彩派の目的や芸術の傾向を調査するのが目的かな。」
アドマイヤグルーヴはそこで少し興味を示す。
「薬指の派閥はかなり多種多様とは聞いてますが、他の派閥はどんな様子なんですか?」
ハイセイコーは机の端に腰を預けながら答える。
「派閥って言っても、薬指全体の目的はより良い芸術を極めることだから、流石に派閥同士で表立って争ったりはしてないかな」
それから、少し肩をすくめる。
「基本的に各派閥のマエストロが中心になって、極彩派に負けないような芸術の模索に奮闘してるみたい」
その説明は平和に聞こえる。
だが、その“芸術の模索”の素材に人間や怪物が平然と含まれているのが薬指だ。
アドマイヤグルーヴはそこで、ふと思い出したようにスティルインラブへ視線を向けた。
「そういえばスティルさん。貴女、以前野獣派のギャラリーに調査しに行ったことがあったわよね。どんな場所だったの?」
スティルインラブは少しだけ目を伏せ、記憶を手繰るように答えた。
「えっと...奇抜だけど優雅、みたいな雰囲気の展示場で...」
その言葉の選び方が、妙に彼女らしい。
「作品は、野獣派の名前の通り、動物とか外郭の珍しい怪物なんかを素材にしたものが多数でしたね...」
そこで一瞬だけ言い淀む。
「...本音を言えば、心が惹かれる作品も少なくなくて...」
ハイセイコーが少し目を丸くした。
「へー、スティルちゃんって芸術とか興味あるの?」
「いえ、そういうわけではないんですが...」
スティルインラブは控えめに首を振る。
「野獣派の強烈さには、少し落ち着くところがあって...」
その答えに、ハイセイコーは思わず笑った。
「ふふ、スティルちゃんらしいね」
たしかに、彼女らしい。
普段は控えめで影が薄い。
だが戦闘になれば、**紅色の衝動**の名の通り、本能的で凄まじい闘争心を剥き出しにする。
そういう彼女にとって、野獣派の露骨なまでの剥き出しの生々しさは、妙に居心地が良かったのかもしれない。
アドマイヤグルーヴも、静かに頷く。
「...確かに、薬指の作品は馬鹿にはできないものもあるのは否定できないわね。オークションが開催されるぐらいだし」
「...まあ、それでも薬指の厄介なところって、時折変な人体実験をしたりもするから、奇抜な芸術家集団では終わらないんだよね」
ハイセイコーの声は、そこで少しだけ低くなる。
アドマイヤグルーヴはすぐに連想した。
「数年前の赤い視線が薬指のギャラリーに乗り込んだ件ですよね」
その一言で、支部長室の空気が少しだけ張る。
「噂では、点描派がしていた実験に赤い視線の関係者が巻き込まれた結果、ドーセント数名に加えマエストロまで討ち取ったとか...」
ハイセイコーは静かに頷いた。
「多分薬指も、実験に使おうとした相手がまさか特色の関係者だったとは知らなかったんだろうけど」
その可愛らしい顔に、ほんの一瞬だけ特色らしい冷たさが差す。
「それでも、特色の地雷を踏んだらどうなるか、よーく分かる一件だね。...新興派閥の極彩派はそういうことはしないと良いけど...」
スティルインラブは考え込むように言う。
「...目的を知るとなると、極彩派のドーセントやマエストロなどと接触するのが近道ですけど...まだ派閥の詳細は不明なんですよね?」
「うん」
ハイセイコーはそこで支部長としての結論を出した。
「だから、しばらくは様子見かな。指と接触するとなると一筋縄じゃ行かないし、何か動きがあればその都度対処するということで」
アドマイヤグルーヴはきっぱりと応じる。
「分かりました」
白い支部長室。
その清潔で整った空間の中に並ぶのは、極彩色の抽象画が描かれた薬指の資料。
まるで、白い布の上に毒々しい絵具を一滴ずつ落としていくような対比だった。
ハナ協会は秩序の側に立つ。
だが都市において秩序とは、決して綺麗なものだけを相手にする仕事ではない。
時に、色彩と残虐が同居するような相手とも向き合わなければならない。
極彩派という、まだ輪郭の定まらない派閥もまた、その一つになりつつあった。
そしてその正体は、まだ誰にも見えていない。