ディエーチ協会本部、協会長室。
第10協会――ディエーチ協会。
知識を収集し、記録し、研究することを目的とした協会である。
蔵書の保管。
遺物の研究。
遺跡からの資料回収。
それらを整理し、蓄積し、後の都市へと引き渡すのがディエーチ協会の役目だった。
本部の協会長室は、いつものように静かだった。
壁際には丁寧に整理された書架。
机の上には分類済みの資料。
中央には五人分の椅子が並び、今日はその全てが埋まっている。
ディエーチ協会長、ゼンノロブロイ。
南部支部長アグネスデジタル。
東部支部長メジロドーベル。
北部支部長キセキ。
西部本部長ライスシャワー。
幹部全員が揃うのは珍しい。
それだけ、今回の件が重要だということでもあった。
ゼンノロブロイは、手元の資料をそっと揃えながら、集まってくれた面々へ丁寧に頭を下げた。
「皆さん、遠路はるばる来てくださり感謝します」
「いえいえ!」
真っ先に反応したのはアグネスデジタルだった。
「協会長の要請とあれば、都市のどこにいても駆けつけますよ!」
メジロドーベルは少しだけ肩をすくめる。
「それで、わざわざ幹部全員を招集するって...何かあったの?」
ライスシャワーが、少し控えめに机の上の一冊の本を持ち上げる。
「えっとね...まずはこの本を見てほしいかな」
その本は、明らかにただの記録書ではなかった。
分厚く、古び、だが保存状態は良い。
そして何より、その題材があまりにも重い。
キセキが表紙を見て、目を見開いた。
「これって...以前ハナ協会のスティルさんが外郭の図書館から持ち帰った、赤い霧の本だよね?」
赤い霧。
十数年以上前、都市に存在した特色フィクサーで、かつては都市最強とまで呼ばれた伝説のフィクサー。
その実力と逸話は、彼女が都市から消えた今もなお語り継がれている。
当然、ディエーチ協会の幹部たちにとっても、その名前は長年の研究対象だった。
ゼンノロブロイは頷いた。
「ええ、先日ハナ協会から正式に分析と記録の依頼が来ました」
彼女は眼鏡の位置を少し直しながら続ける。
「貴女たちもご存知の通り、赤い霧のカーリーさんといえば、全盛期の彼女を超える者は未だに都市にいないとまで評される伝説の方です。そんな彼女の情報が載っているこの本は大変貴重な代物。おまけに協会が把握出来ていない裏の秘密も書いてあるとのことなので、赤い霧の強さの源について解読、考察し、記録するのが今回の仕事です」
それを聞いたアグネスデジタルの目が、急に輝き始めた。
「あばばば...! まさかカーリーさんの秘密を知ることが出来る日が来るなんて...!」
メジロドーベルも少しだけ身を乗り出す。
「確かに...ちょっとドキドキするかも...カーリーさんって、強い強いとは言われてるけど、なんで強かったのか未だに分かってないし...」
キセキは椅子の背もたれに少しもたれながら、素直に興奮した声を上げる。
「すっごく面白そうじゃん! あの伝説の分析をするなんて、あたし初めてだよ!」
5人のやる気が、静かな協会長室にふっと広がった。
ゼンノロブロイは、その空気に小さく頷く。
「皆さんがやる気なら何よりです。では早速読んでいきましょうか」
そうして5人は、本を開いた。
ページをめくる音が、妙に重かった。
---
本には、カーリーの生涯とその過程が、カーリー自身の一人称視点で書かれていた。
ゼンノロブロイが最初の数ページを読み進めながら、静かに口にする。
「...最初の方はカーリーさんがフィクサーになる前の話ですね」
メジロドーベルがすぐに反応した。
「カーリーさん...確か都市最悪の区の23区の出身なんだよね...」
アグネスデジタルはページを覗き込み、悲鳴じみた声を漏らす。
「カーリーさんって親無しの孤児で、おまけに周りにも頼れる人や友達もいなかったのに、23区で13歳まで生き残ったって...初っ端からハード過ぎません...?」
キセキは思わず身を乗り出した。
「...しかもそれを運が良かっただけって...なんかおかしいような...」
ライスシャワーが、少し切なそうにページをなぞる。
「...えっと、そして20歳になったカーリーさんはフィクサーの道に進んだんだね...」
ゼンノロブロイは静かに頷いた。
「五本指なんかの組織に入ることはしなかったんですね...指に対して結構嫌悪感を抱いてるようですし...」
メジロドーベルが、次の記述を読み、眉を寄せる。
「...フィクサー業を始めてからは、少し世話になった同じアパートの隣人を守ったり、お金を分けたりしたって...人が良すぎないかしら...?」
キセキがページを指さす。
「...うわ、しかもある日その隣人の人達が夜中にカーリーさんの部屋に押し入って、身体を縛ったあと金目のものを探していたって...恩を仇で返されてるじゃん」
ゼンノロブロイは淡々と結論を言う。
「...カーリーさんが優しくても、他の人たちがそうとは限らないということですね」
ライスシャワーが、次の行を読んで小さく呟く。
「...そして結局カーリーさんはその人たちを殺して、アパートを去ったんだ...」
その時、アグネスデジタルが思わず口を挟んだ。
「...あの、寝ていたところを身体縛られて拘束されたのに、そこから縄引きちぎっておまけに全員倒すって、なんかやってることおかしくありませんか?」
キセキも頷く。
「...確かにそれはあたしもちょっと思ったけど...」
ゼンノロブロイは、少し間を置いてから本の該当箇所を見た。
「...えっと、この時カーリーさんは4級フィクサーだったそうですね...」
メジロドーベルが、信じられないという顔で言う。
「...4...級...?」
沈黙が落ちた。
4級フィクサー。
階級としては上よりだが決して高くない階級。
その位置から、あの赤い霧へ至ったというのか。
ゼンノロブロイは、気まずそうではないが、少しだけ先を読む速度を落とした。
「...続き、読みましょうか」
---
読み進めるほどに、5人の表情は変わっていった。
アグネスデジタルが、興奮と動揺が混ざった声で言う。
「...その後2級フィクサーになったカーリーさんは、Lobotomy Corporationの創設者の1人のカルメンさんと出会って、専属フィクサーになった...」
キセキは目を輝かせたまま、本の記述を追う。
「そしてあのトレードマークのE.G.O武器ミミックを貰ったんだ...赤い霧の代名詞とも言えるような武器だよね」
メジロドーベルはページを見つめ、ふっと息を飲む。
「...カーリーさんも最初は侵食されかけてたけど、逆に押さえ込んで、完璧に使いこなせるようになった上でカーリーさんだけのE.G.Oも発現した...え、この人本当に人間なの?」
ライスシャワーが、少し怯えたようにロブロイへ目を向けた。
「...ロブロイさん、抽出E.G.Oを完璧に使いこなして、自身のE.G.Oも出すって出来ると思う?」
ゼンノロブロイは、しばらく考え込んでから答えた。
「...カーリーさん以外には無理でしょうね...」
その後も記述は続く。
キセキが、ある有名な項目に目を止める。
「あ、有名な逸話の、人差し指の代行者5人と伝令3人を片付けた話も書いてる...」
メジロドーベルが、ほとんど呆れたように聞いた。
「協会長、これはどう思う?」
ゼンノロブロイは静かに眼鏡を押し上げる。
「人差し指の幹部8人同時は...もう、分かりません...」
ライスシャワーがページを追い、声を落とす。
「...そして、特色フィクサー赤い霧に認定されたカーリーさんは、カルメンさんの死後、不純物に指定されたLobotomy Corporationの研究所を調律しようと、頭から派遣された足爪二人と脱走させられた幻想体数十体を全て討ち取った上で、調律者と戦い相打ちでその一生を終えた...」
そこまで読んで、アグネスデジタルが恐る恐る顔を上げた。
「...あのー、協会長。このカーリーさんの最後の戦いについては...」
ゼンノロブロイは即答した。
「知りません、知ってても言いません」
さらに数ページめくり、読み終える。
---
しばし、誰も何も言わなかった。
まず沈黙を破ったのはライスシャワーだった。
「...カーリーさんって、本当に凄まじい人生を歩んできたんだね...」
メジロドーベルも、本を閉じることなく見つめたまま言う。
「最底辺の23区の裏路地から生まれ、そこから最後は頭の調律者と相打ちになって死亡...」
キセキは、目を輝かせたまま叫ぶ。
「凄い主人公的な一生だよ...! どん底から這い上がるなんて王道ストーリーじゃん!」
アグネスデジタルは少し眉を寄せる。
「確かに主人公なのは間違いないですが...カーリーさんの場合、その過程がなんかおかしい気もするんですよね...」
ライスシャワーが、静かに問いかけた。
「でもさ...カーリーさんの強さの秘訣って、結局なんだったんだろう...ロブロイさん、なんか分析出来る?」
ゼンノロブロイは、本を閉じて、少し考えるように目を伏せた。
「...カーリーさんは、どんな地獄や逆境でも絶対に折れない心の強さを持っていたことは確かです」
彼女は穏やかに言う。
「おまけに、誰かを守ることを恐れない勇気が、彼女の強さを支えていたんでしょう」
キセキが「なるほど!」と勢いよく頷いた。
「...で、なんで最後赤い霧は調律者を倒せたの?」
ゼンノロブロイは、少しだけ言い淀んでから答える。
「それは...まあ...火事場の馬鹿力とど根性なんじゃないですか?」
メジロドーベルが、勢いよく机を叩きそうになりながら声を上げた。
「最後だけ雑すぎでしょ!?」
その言葉で、ようやく室内に空気が戻った。
アグネスデジタルは本を見つめたまま、まだ興奮が冷めない様子で呟く。
「...でも、あれだけの人生を歩んで、なお“最強”って言われるの、すごすぎません?」
キセキも元気よく続ける。
「ほんとだよ! 23区の孤児から、特色になって、調律者と相打ちって...完全に伝説だよ!」
ライスシャワーは、少しだけ切なげに本を撫でる。
「...怖いくらい強いのに、ちゃんと人を守ろうとしてたんだね...」
メジロドーベルは、静かにそれを受け止める。
「強さの理由が、暴力だけじゃないってことかしら」
ゼンノロブロイは、最後に穏やかにまとめた。
「ええ。カーリーさんは、どんな地獄でも折れない心を持っていた。
そして、誰かを守ることを躊躇わなかった。
その二つが、彼女を“赤い霧”にしたんでしょう」
少しの間を置き、アグネスデジタルがぽつりと付け加える。
「つまり、最強の理由は、根性と愛...ですか?」
「...まあ、そうとも言えますね」
ゼンノロブロイの返答に、キセキが満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり王道じゃん!」
メジロドーベルはため息をつきながらも、どこか納得している顔だった。
「王道だけど、やってることは全然王道じゃないけどね...」
ライスシャワーは本を閉じ、静かに言った。
「...でも、すごく大事なことが書いてあった気がする」
「何が?」
アグネスデジタルが聞き返す。
ライスシャワーは少しだけ笑う。
「強さって、技術だけじゃないんだなって」
その言葉に、ゼンノロブロイは小さく頷いた。
「ええ。記録する価値のある答えですね」
後日談:記録者たちの視点
ディエーチ協会 本部 書庫区画
赤い霧に関する一次記録の整理が一段落した数日後。
各支部長たちは、それぞれの形式で「赤い霧」を記録する課題を与えられていた。
静かな書庫の一角、5人はそれぞれの記録案を持ち寄る。
---
キセキ「はいはいはい!まずはあたしから!」
机に勢いよく資料を広げる。
キセキ「タイトルは――
『最底辺から頂点へ、紅き霧の英雄譚!』」
メジロドーベル「……そのまんまね」
キセキ「いいのいいの!だってこれ、どう見ても主人公じゃん!?」
キセキは指を折りながら語る。
キセキ「最悪の環境からスタート!
裏切り!覚醒!仲間との出会い!
最強武器ゲット!伝説級の敵撃破!
最後は世界の中枢と戦って相打ち!」
キセキ「こんなの王道全部乗せじゃん!」
ゼンノロブロイ「……構造としては否定できませんね」
キセキ「だからあたしはこう記録する。
“赤い霧は、都市が生んだ唯一無二の英雄である”って!」
---
メジロドーベル「……私は全然違うわね」
静かに紙を差し出す。
メジロドーベル「タイトルは――
『孤独と裏切りの連鎖』」
キセキ「うわ暗っ!」
メジロドーベル「事実でしょ」
淡々と語る。
メジロドーベル「彼女は人を助けた。
でも、その人に裏切られた。
それでもまた誰かを守った。
そして最後に、最も大切な存在を失った」
少しだけ視線を落とす。
メジロドーベル「……これは英雄譚じゃない。
“誰かと関わり続けた結果、全部壊れた話”よ」
アグネスデジタル「うわぁ……解像度高い……」
メジロドーベル「だから私はこう記録するわ。
“赤い霧は、愛と信頼を持ち続けたが故に破滅した存在”ってね」
---
アグネスデジタル「じゃあ次は私いきます!」
興奮気味に資料を並べる。
アグネスデジタル「タイトルは――
『究極個体:フィクサー“赤い霧”』!」
キセキ「なんか急に理系っぽくなった」
アグネスデジタル「注目すべきはここです!」
指をビシッと指す。
アグネスデジタル「・環境適応力:SSS
・戦闘能力:測定不能
・E.G.O適性:異常値
・精神強度:規格外」
ライスシャワー「……こわい」
アグネスデジタル「つまりカーリーさんは“偶然の産物”じゃないんです!
都市という環境が極限まで人間を圧縮した結果生まれた“最適解”なんです!」
ゼンノロブロイ「進化論的解釈ですね」
アグネスデジタル「はい!だから結論はこれです!」
アグネスデジタル「“赤い霧とは、都市が生み出したフィクサーの完成形である”!」
---
ライスシャワー「……ライスは……少し違うかも……」
小さく手を挙げる。
ライスシャワー「タイトルは……
『誰かを守ろうとした人』」
キセキ「シンプルだね」
ライスシャワー「……カーリーさんって……ずっと誰かのために戦ってたよね……?」
静かに言葉を紡ぐ。
ライスシャワー「でも……結局……守れなかった人もたくさんいて……
最後も……きっと……」
言葉を飲み込む。
ライスシャー「……だからライスは……
強さじゃなくて……その“願い”を記録したい……」
少しだけ顔を上げる。
ライスシャワー「“赤い霧は、最後まで誰かを守ろうとした人だった”って……」
---
最後に、ゼンノロブロイが静かに口を開く。
ゼンノロブロイ「……皆さん、興味深い視点です」
全員の資料を見渡す。
ゼンノロブロイ「ですが、私は――こう結論づけます」
紙にはたった一行。
『赤い霧:完全記録不能』
キセキ「え!?」
アグネスデジタル「まさかの!?」
ゼンノロブロイ「英雄としても、悲劇としても、進化としても、願いとしても――」
ゼンノロブロイ「どれも“正しい”。
ですが同時に“どれも不完全”です」
静かに眼鏡を押し上げる。
ゼンノロブロイ「彼女は一つの枠に収まる存在ではない。
だからこそ、こう記録します」
ゼンノロブロイ「“赤い霧とは、単一の定義を拒絶する現象である”と」
---
しばしの沈黙。
キセキ「……結局さ」
キセキが笑う。
キセキ「どれも正解ってこと?」
ゼンノロブロイ「ええ」
メジロドーベル「……厄介な存在ね、本当に」
アグネスデジタル「でも最高ですね……!」
ライスシャワー「……うん……」
ゼンノロブロイは本を閉じる。
ゼンノロブロイ「それでいいのです。
記録とは“答え”ではなく、“残すこと”なのですから」