ハナ協会本部、協会長室。
都市に存在する全フィクサーを統括するハナ協会。
その本部は、都市の上層に位置する巨大な統治機構だった。
黒と金を基調にした頭の本社とはまた別に、ハナ協会は白を軸とした整然とした空気を持つ。
だが、その清潔さの中にも確かな圧はある。
ここは都市の秩序を“見る”だけでなく、必要とあれば“調整する”側の最上位機関だからだ。
その協会長室に、今日はひとりの客が呼ばれていた。
スピードシンボリは執務机の前に立つウマ娘を見やり、穏やかに微笑んだ。
「ふふ、呼び出しに応じて来てくれてありがとう。ご無沙汰だったね、クリフジ」
「お久しぶりでございます、スピードシンボリ協会長」
対面して立つのは、フリーランスの特色フィクサー――青紫の孤独、クリフジ。
都市を旅し続ける栗毛のウマ娘であり、20年以上にわたり特色の座に君臨してきたベテランだ。
赤い霧と並び称されたこともある、都市でも屈指の実力者である。
スピードシンボリは、少しだけ愉快そうに問いかけた。
「君は相変わらず都市中を旅してるようだね。...今は何を探してるのかな?」
クリフジは、少しだけ視線を上げた。
「そうですね...都市の実力者たちと出会う旅を続けて、最近は裏路地で指と関わることが増えました」
「指か」
スピードシンボリは軽く肩をすくめる。
「あの裏路地の支配者たちと関わるなんてもの好きだね。他の指はともかく...確か君、昔親指のアンダーボスとカポを倒したことがあるから恨まれてると思うんだけど、大丈夫だったのかい?」
クリフジは淡々と返す。
「指といっても、深入りしすぎなければ無闇な敵対はしませんから...相手のルールに従って対応すれば、何事もなく話せました」
「それもそうか」
スピードシンボリは納得したように頷いた。
都市では、強さだけでなく“相手の地雷を踏まないこと”もまた戦いだ。
クリフジはそのあたりに長けている。
技巧派らしい立ち回りだった。
しばしの沈黙のあと、スピードシンボリは本題へ入る。
「さて、そろそろ君を呼んだ理由を話すよ。クリフジ、君は以前図書館で赤い霧と戦ったね。その時の赤い霧の強さを教えてもらいたい」
クリフジはわずかに目を細めた。
「そうですね...彼女自身、全盛期はとうに過ぎた身と言っていましたが、それでもなお凄まじい強さでした」
その声には、戦った者にしか持てない実感があった。
「一応引き分けで終わりましたけど...全盛期の彼女相手なら勝てたかは...」
スピードシンボリは、その一言を逃さない。
「君だって赤い霧と同格と評される実力はあると思うけど...やっぱり赤い霧は別格かな?」
クリフジは少しだけ考え、それから静かに答えた。
「自己分析ですが、私はパワーより技巧で戦ってますので...赤い霧の、全てを粉砕する圧倒的な力には、流石に正面からでは勝てないと思います」
「なるほど。相性の問題といったところかな」
「そうですね」
クリフジは頷く。
「私も昔は赤い霧と同格と評されましたが、最近は新世代の実力者たちの台頭も凄いので、いつかは追い越される日も来ると思ってます。...そう簡単に負けるつもりはありませんが」
その返答に、スピードシンボリは小さく笑った。
「ふふ、君も負けず嫌いだね」
クリフジは何も否定しなかった。
それがすでに答えだった。
スピードシンボリは少し身体を引き、今度は軽い調子で、しかし実際にはかなり重要な問いを投げる。
「さて、それじゃあそんな君に聞きたいことがあるんだけどね。今の現役フィクサーで誰が一番強いと思う?」
「...現役で、ですか」
「そう。昔なら文句無しに最強は赤い霧一択だった。だけど今では色の有る無しに関わらず優れたフィクサーは数多くいる。しかも専門分野が違うから一概に比較できない」
スピードシンボリは窓の外へ視線を流しながら続ける。
「...それでも、人間というのは比べずにはいられない生き物だ。都市では最強のフィクサー談義というのがよく行われている。...そこでクリフジ、色々な特色と出会った君に、もし今の最強のフィクサーを決めるとするなら、誰を候補に上げるか是非聞きたい」
クリフジは少しだけ笑った。
「...つまり、私から見た強いフィクサーを聞きたいと?」
「ああ、是非ね」
クリフジは一度、視線を落とした。
そして、頭の中で都市の強者たちを並べるように、ゆっくりと口を開く。
「...真っ先に上げるなら、大湖の藍色の老人でしょうね」
スピードシンボリの目が少しだけ細くなる。
「彼は大湖の支配者の五大災害と呼ばれる鯨のうち二つを討ち取った実力者です。対人戦は分かりませんが、少なくとも怪物との戦いの経験値は並外れているかと。私が出会った時も、相応の風格はありました」
スピードシンボリは頷いた。
「藍色の老人か。確かに、彼自身特色になったのは比較的近年だけど、1級フィクサーだった頃から有名だったからね」
彼は少しだけ懐かしそうに続ける。
「ハナ協会が色を付与したら、それからそう時間も経たずに大湖の支配者だった五大災害のひとつ、全てを貫くマカジキ鯨を討伐して実績も獲得した。まあ、最強候補になるのは当たり前だね」
クリフジは次の名前を挙げる。
「藍色の老人以外でなら、K社専属のフィクサー、ジークフリート辺りも有名ですよね。最近、月刊フィクサーの雑誌を買うようになりましたが、彼のことが雑誌に書いてありましたので。他にもアトスやリナルド、玉麒麟など、名だたるフィクサーは結構載っていたのが興味深かったです」
「君もそういうの読むようになったんだね。ちょっと意外だよ」
クリフジは淡々と答える。
「...都市を知るのも、旅の一部ですから」
その言葉に、スピードシンボリは満足そうに頷いた。
知識に触れることもまた、都市を渡る手段のひとつ。
ディエーチ協会の者ならいざ知らず、フリーランスの特色がそこまで意識しているのは興味深い。
クリフジはさらに続ける。
「...あと個人的に強いと思うのは、シ協会のシンボリルドルフ協会長や、センク協会のアーモンドアイ、都市東部のラヴズオンリーユー辺りも候補だと思います」
スピードシンボリは、楽しそうに指を組んだ。
「なるほどなるほど。それなら...君自身はどうなんだい?」
「私ですか?」
「君自身、今挙げたフィクサーたちと比べて...強さに自信はあるのかな?」
クリフジは一拍置いた。
そして、静かに、しかしはっきりと言った。
「...少なくとも負けるつもりはありません。私にも特色のプライドはありますから」
スピードシンボリは微笑む。
「ふふ、それは何より」
クリフジはそこで、逆に問い返した。
「...スピードシンボリ協会長はどうなんですか? ハナ協会長である貴女なら、かなりの実力があると思いますが...」
「私かい?」
スピードシンボリはわずかに目を細め、穏やかに笑った。
「ふふ、さてどうだろうね。ハナ協会長として私は出来るだけ公平な立場に立たないといけないから、あまり表立って自分の実力を自慢するわけにはいかないんだよ。君が好きなように考えてくれ」
クリフジは、少しだけ納得したように頷いた。
「...そうですか」
スピードシンボリは椅子に深くもたれかかる。
「...ひとまず、今の都市には最強クラスはそれなりにいるが、明確な一番はいないってことだね。赤い霧のように唯一抜きん出た実力者は、まだ現れてないようだ」
クリフジも同意する。
「ええ。...何しろ赤い霧は調律者をも倒した。その時点でもはや再現不可能の実力の証明をしてしまいましたから」
「そういうこと」
スピードシンボリは静かに返す。
「...調律者と戦うなんて、そもそもまず起こりえないことだからね。もし君が調律者と戦ったなら、どこまで戦えるだろうね」
クリフジは即答しなかった。
ほんの少しだけ考え、それから現実的に答えた。
「...流石に負けると思います。処刑者ならともかく、調律者相手は」
「だろうね」
スピードシンボリは穏やかに頷く。
「処刑者には対抗出来るものもそれなりにいるが、調律者は無理さ」
その言葉には、都市の頂点を見てきた者だけが持つ確信があった。
クリフジはそれ以上問いを重ねなかった。
「...それではスピードシンボリ協会長、話はこれで終わりですか?」
「ああ。付き合ってくれてありがとう」
スピードシンボリは柔らかく礼を言う。
「...また旅に戻るのかい?」
「ええ、...都市の知らないことはまだありますから」
「そうか。気をつけてね」
「はい、では失礼します」
クリフジは一礼し、静かに協会長室を出ていった。
扉が閉まる。
残されたスピードシンボリは、しばらく無言でその扉を見ていたが、やがて小さく笑った。
「...ふふ、最強...か」
少しだけ昔を思い出すような、そんな声だった。
「俺も昔は、憧れたものだな」
都市の最強。
その言葉は、単なる勝敗の話ではない。
誰がどこまで届き、何を倒し、何を残したか――その全てを含む都市の伝説だ。
そして今もなお、赤い霧はその基準として、静かに都市の上に残り続けている。