A社1区、A社本社。
始業時刻。
都市の支配者たる頭、その中枢機関であるA社の一日はすでに始まっていた。
黒と金を基調にした本社の廊下を、調律者たちが静かに行き交う。
書類を抱えて歩く者。
無線端末を確認する者。
税の報告をまとめる者。
都市のあらゆる秩序を管理する機関らしく、その動きは無駄がなく、そしてどこか機械的だった。
そんなA社本社の一角、12区担当調律者ジェナの執務室では、オルフェーヴルがすでに手伝いをしていた。
机の上には書類の束。
脇には区ごとの報告書。
そして、それらを分類するための細かな札と印章。
ジェナは一冊ずつ書類を捲りながら、淡々と確認していく。
「...12区の指は税金の滞納はなし。問題ないわね。オルフェ、12区の長老血鬼からの税金はどうなってるかしら?」
オルフェーヴルは、別の書類を揃えながら即答した。
「問題ない、しっかり納められておる」
「ならいいわ。12区の徴税は問題なしと」
A社の調律者というものは、ただ戦うだけではない。
禁忌違反の処刑。
都市の秩序維持。
翼の監視。
そして、各区の事情に応じた徴税や監督。
都市の最上位にいるとはいえ、実務は意外なほど細かい。
オルフェーヴルは少しだけ眉を上げた。
「...裏路地の指はともかく、血鬼の連中からも税を徴収しておるとはな...」
ジェナは何でもないように答える。
「当たり前じゃない。都市の住民である以上、納税は義務よ。なんだったら理性のないねじれであっても、税金だけはしっかり納めてもらうわ。期限までに出来なければ処刑者が始末しに動く」
オルフェーヴルはわずかに目を細めた。
「...末恐ろしいな」
「まあね。でも逆に言えば、納税と禁忌さえ守れば都市では何をしても良いわ。頭から見れば、他の翼も協会も指も個人も、全て同列よ」
「同列...か」
オルフェーヴルはその言葉を反芻した。
そこには、頭の絶対性がある。
A社は都市の支配者。
だが支配とは、何かを特別に贔屓することではない。
都市全体を法と税と禁忌の下に並べること。
その意味で、頭にとっては翼も協会も五本指も、結局は都市の住民にすぎない。
オルフェーヴルが資料を整えていると、ジェナがふと思い出したように手を止める。
「...あ、そうだわオルフェ。はいこれ、今日の朝刊よ。渡しておくわね」
ジェナが新聞を差し出す。
オルフェーヴルはそれを受け取り、軽く目を通した。
「そういえばまだ読んでいなかったな。...ふむ、今日の経済コラムは相変わらずW社の経営危機についてか」
「近年、W社のスキャンダルが相次いでいるからね。ブン屋にとっては格好の獲物よ」
オルフェーヴルは新聞を読み進める。
そこには、Warp Corporation――W社の運営するWarp列車における乗客の集団失踪事件について、辛辣に書かれていた。
「Warp列車での乗客の集団失踪事件、W社は未だ目立った解決策を取れず...か。W社も口先だけでロクな対応を取っていないとはな」
新聞を持ったまま、少しだけ顔を上げる。
「...ジェナ、もしW社が折れるとなったらA社はどのように動くのだ?」
ジェナは机に肘をつき、事務的に答えた。
「まず23区担当調律者のテンが凝視者を引き連れてW社の廃業処分を開始するわ。特異点の特許抹消、破産申告の受理、翼の資格の剥奪、債務整理など...色々ね」
「ほう...手続きそのものは事務的なのだな」
「一応はね」
ジェナは静かに続ける。
「ただし、翼が無くなるということは、巣を保護する管理者がいなくなるということ。後継の企業がA社の審査によって翼として正式に認定されるまでは、23区が荒れることになるわ」
オルフェーヴルは新聞の別記事へ視線を移す。
「...少なくとも、W社の巣から移住を検討している民は多いようだな。23区の裏路地といえば都市の最底辺の治安。巣にもその影響が及ぶようになれば、どうなるかは目に見えている以上当然だが」
ジェナは肩をすくめた。
「そうね。W社の財務状況は日に日に悪化しているし...あと1、2ヶ月持てばいい方ね」
「翼の消失となったら...L社以来か」
「ええ。ただ今回の場合は、計画倒産だったL社とは違って経営悪化による財務破綻の形になるけどね」
オルフェーヴルは小さく息を吐いた。
「...W社も年貢の納め時のようだな」
新聞をさらにめくる。
今度は別の翼の記事が目に入った。
「...む、T社の情報か。...Time Track社の新製品?」
ジェナは少しだけ頷く。
「確か、最近のT社はTT5-2プロトコルという新製品を開発してたわね。それが完成でもしたんでしょう」
「...T社もロボトミーコーポレーションからエネルギーをかなり買っていた翼のひとつだったはずだが...T社は新製品の開発を進められるぐらいには安定しているようだな。W社とは雲泥の差だ」
「ええ。T社はロボトミーコーポレーション崩壊によるエネルギー価格高騰にも即座に対応出来たからね。それにW社は、Warp列車で起こった事故のせいで信用低下が何よりの原因。まあ...運が無かっただけよ」
オルフェーヴルは新聞を閉じずに、しばらくそのまま見つめた。
「運か...無常だな」
ジェナは何でもないことのように言う。
「それが都市よ」
オルフェーヴルは鼻で笑う。
「ふん...他の翼の経営事情も書いてあるが...どこも基本的には順調か」
「そんな翼がいくつもあっさり経営危機になるようなら都市は回らないわ。ここまで追い込まれたW社が珍しいのよ」
オルフェーヴルは次の項目を追いながら呟いた。
「...鴻園生命工学グループ(H社)は新当主が8区の改革を行い、13区のMDM Entreprise(M社)は月光石の事業が過去最高の売上、19区のサルピッピョ農畜産(S社)は栽培している農産物の品種改良に成功か。明るい話題が多いな」
ジェナは少しだけ目を細める。
「ただ、翼にとっては良い出来事でも、それが住民にどれだけ還元されてるかは不透明だけどね。」
「少なくとも住民を思いやる翼ばかりでないことは確かだな。...M社の月光石には余も世話になっておるから、強くは非難しないが」
ジェナは書類を積み直しながら、最後に一言だけ付け加えた。
「...まあ、どの翼も今は順調だとしても、いつかは折れる時が来るかも知れないけどね」
その言葉に、オルフェーヴルは黙ったまま新聞を畳んだ。
都市の頭。
その直轄地で働く調律者。
そして頭に雇われた特色フィクサー。
彼らが見ているのは、表面上は安定している都市経済の流れだ。
だがその裏では、W社のように軋み始める翼もあれば、H社やM社のように持ち直す翼もある。
都市とはそういう場所だった。
折れるものは折れ、残るものは残る。
そしてその判定を下す側が、A社なのだ。
オルフェーヴルは新聞を机に置き、静かに言った。
「...なるほど。頭と翼の関係というものは、実に面白いな」
ジェナは頷きもせず、ただ淡々と書類の山へ視線を戻す。
「面白い、で済めばいいんだけどね」
「ふん...それも都市というわけか」
朝のA社本社は、今日も変わらず秩序に満ちていた。
だが、その秩序は固定されたものではない。
翼は折れる。
巣は揺れる。
税は徴収される。
そして、その全てを記録し調整するのが、頭の仕事だった。
オルフェーヴルは再び机に向かい、ジェナの手元へ書類を差し出した。
この都市では、安定しているように見える日々ほど、静かに崩壊へ近づいているのかもしれない。
それでも、始業時刻は毎日やってくる。
A社の一日は、今日も普通に始まり、普通ではない秩序のまま進んでいく。