A社1区、A社本社。
ジェナの執務室。
仕事が一段落した午後、A社の中枢にもようやく小休止の空気が流れていた。
机の上には整理済みの書類が積まれ、その脇でジェナはコーヒーを片手に一息ついている。
対して、オルフェーヴルは自らの愛用する金色の槍を膝の上に置き、丁寧に手入れをしていた。
金属部分を磨き、継ぎ目を確かめ、刃の角度を見直す。
戦場で使う武器は、使えれば良いというものではない。
都市では、肝心な時に少しでも反応が遅れれば、それだけで命取りになる。
「...よし。このぐらいか」
オルフェーヴルが手入れを終え、槍を軽く持ち上げる。
その動作は慣れたもので、余計な力みが一切ない。
ジェナはカップを傾けながら、少し感心したように言った。
「暴君様も真面目ね。武器の手入れはしっかりしてるなんて」
「当然である。肝心な時に使えなくては意味がないからな」
オルフェーヴルは言い切る。
武器は飾りではない。
斬るため、貫くため、生き延びるための道具だ。
その認識が彼女には自然に染みついていた。
ジェナは、そんな槍を眺めながら口を開く。
「前から思ってたけど、オルフェの槍って結構良さそうよね。どこの工房のものかしら?」
「アラス工房である」
オルフェーヴルは迷いなく答えた。
「アラス工房……確か、ランスとか、動きを五倍速にするグローブとか、使用者の速度を加速する装備が多い工房ね。その槍にも加速機能がついていたりするの?」
「一応はな」
オルフェーヴルは槍を軽く回して見せる。
「もっとも普段は、ウマ娘の素の脚力で十分な速度は得られるから、あまり使うことはないが」
ジェナは納得したように頷いた。
「なるほどね。...アラス工房は都市の工房の中でも上級の工房だけど、結構利用してるの?」
「うむ、少々値は張るとはいえ職人の腕が良い上に、ここの槍は使いやすいからな。私の行きつけにしている」
「へぇ?」
ジェナは少しだけ目を細めた。
「オルフェって槍を使うけど、何か理由があるの?」
オルフェーヴルは槍の穂先を布で拭きながら答える。
「特にこだわりとかではないが……私の性に合うのがたまたま槍だっただけだ。そして槍系の武器を多く取り扱っていたのがアラス工房だったからな。そこを選んだのだ」
ジェナは紅茶でも飲むような軽さで、しかし内容はかなり本質的な問いを続けた。
「そうなのね。...でも今の都市なら遺跡の遺物とか、工房製を遥かに超える武器もそれなりに出回り始めてるけど、変える気はないの?」
オルフェーヴルは少しだけ眉を寄せた。
「ふん、遺物に興味がないわけではない。だが、いくつかの遺物には副作用や代償がついてくるという。少なくとも今は、この槍で十分だからな。わざわざ使うほどではない」
ジェナは、調律者らしく現実的に返す。
「まあ確かに、下位の遺物ならともかく上位クラスの遺物を扱うには、適性とか代償を払う覚悟がいるからね。余程の理由でもない限り触らない方がいいわ」
オルフェーヴルは短く頷いた。
遺物は便利だが危うい。
都市には、便利なものほど危険であるという法則が確かに存在する。
「...とはいえ、遺物はまだしも、近頃都市で見かけるようになったE.G.Oには私も憧れはある」
その一言に、ジェナが少しだけ興味を示す。
「へぇ? やっぱりE.G.Oには興味あるんだ?」
「ああ。何しろ使用者の心が具現化した武器や防具の装備という。もし私のE.G.Oが発現したらどうなるのか……気になるというものよ」
オルフェーヴルの瞳には、戦力としての関心だけではない、どこか純粋な探究心があった。
槍とは違う形で、自分の内面がどんな姿で現れるのか。
それは特色フィクサーとしての矜持にも近い問いだった。
ジェナはコーヒーを一口飲み、現実を突きつける。
「でも、E.G.Oを手に入れるには並大抵のことではないわ。ディエーチ協会やセブン協会の情報によれば、E.G.Oを手に入れるには、まず心が折れる寸前というどうしようもないぐらいの状況にまで追い詰められて、その時に語りかけてくる謎の声との対話に勝つことで獲得出来るということだけど、負ければねじれになるわ。...そう言われると、どれほど難しいかわかるでしょう?」
「...うむ」
オルフェーヴルは静かに頷く。
「都市で発生しているねじれは、その対話に負けた者たちばかりということだな」
「そういうこと」
ジェナは簡潔にまとめる。
「一歩間違えればねじれになるかもしれない土壇場で踏みとどまることが出来た者だけがE.G.Oを入手出来る。...オルフェだったら、どちらになるかしらね」
オルフェーヴルは少し黙る。
彼女は強い。
だが、強い者ほど心を折られる瞬間もまた重い。
「...私は追い詰められるという経験が少ない。あまり想像はできぬな」
「そもそも今のオルフェってA社専属だから、前線にあまり出ないし、環境が激変しない限り無理よ」
オルフェーヴルは少しだけ残念そうに槍を見た。
「...だろうな。少し残念ではあるが……致し方ないか」
ジェナは肩をすくめる。
「でも、工房を管理してるトレス協会はE.G.Oや遺物に負けないような高品質の武器の製造を推し進めてるわ。実際その槍だって品質はかなり良いものでしょう? オルフェなら工房の武器でも良いと思うわよ」
「そうだな……しばらくはアラス工房に世話になるとしよう」
そう言った瞬間、オルフェーヴルの表情がわずかに曇った。
「...だが、あそこを利用してると稀にあやつに会うことになるのが些か面倒だがな...」
「え? あいつ?」
オルフェーヴルは槍を机に立てかけながら答えた。
「デアリングタクトだ。私と同じくアラス工房の槍を扱うフィクサーよ」
ジェナはすぐに思い出したように頷く。
「ああ、特色フィクサー“空色の狩人”ね。可愛らしい少女の見た目して、都市基準でも倫理観ゼロの危険なフィクサー。...何? 知り合いなの?」
「昔、アラス工房で武器の修繕を頼んだ日が被った時に出会った。知り合いではあるが……あやつの方から一方的に関わってくるだけだ」
ジェナは少し面白そうに笑った。
「でも、倫理観ゼロとは言ってもフィクサーの規則は守ってるから、問題ないとは思うけど」
「ふん、確かにあやつは倫理観以外の面では私から見ても優れたフィクサーよ。実力も都市での処世術も申し分なし。だがこちらを見る目が完全に獲物を品定めしておる目であるから、あまり気分が良くない。あやつに理性が無ければどうなっておったか...」
「オルフェにも苦手な者っているのね」
「やつの気味の悪さが異常なだけだ」
オルフェーヴルは鼻を鳴らし、少しだけ目を逸らす。
「...確か、あやつはB社の巣に住んでいたな」
「ええ。B社2区の華彩事務所所属ね。所長はデアリングハート。デアリングタクトの親戚で親代わりの人物よ」
オルフェーヴルは思案するように槍の柄を指で叩いた。
「...2区に行くことがあればデアリングハートに会ってみるか。空色の狩人の弱点でも知れれば牽制出来るからな」
ジェナはやれやれと肩をすくめる。
「まあ、うっかり狩られないように気をつけなさい。特色とはいえ、フィクサー同士のいざこざはA社の管轄外だから介入しないわよ」
「分かっておる」
オルフェーヴルは静かに槍を持ち上げ、もう一度その重みを確かめた。
武器とは、自分の手足の延長であり、都市においては己の在り方そのものでもある。
工房の槍。
遺物。
E.G.O。
都市の武器は多様だが、最終的にそれを扱うのは、その人間自身だ。
オルフェーヴルは槍を手元に収め、淡々と立ち上がる。
この都市では、武器の選択一つにも、その者の人生が滲む。
そして彼女は、今のところ、まだこの槍で戦うつもりだった。