夕刻。
リウ協会本部、協会長室。
都市に存在する十二のフィクサー協会のひとつ、第6協会――リウ協会。
その本部最上階にある協会長室では、今日一日分の仕事を終えたばかりのヤエノムテキが、書類の山をようやく片付け終えていた。
机の上には、丁寧に整理された報告書。
脇には、支部ごとの鎮圧案件一覧。
戦争を専門とする協会らしく、どの報告にも重みがあった。
幹部たちの一手が、そのまま数人、数十人、あるいはそれ以上の命を左右する。
それを、ヤエノムテキはよく理解していた。
「……よし、今日の仕事はこんなところですかね」
小さく息をつき、背筋を伸ばす。
普段から礼節を重んじる彼女らしく、疲れていても所作は崩れない。
「……どの支部も頑張っていますが、やはり南部1課のシャオ部長は相変わらず素晴らしい仕事ぶりですね。都市悪夢三件の鎮圧とは……私も前線に出ない分、彼女たちのことを守らなくては……」
ヤエノムテキは、書類の束をそっと揃えながらそう呟いた。
協会長という役職は、基本的には前線へ出るものではない。
その代わり、協会全体を統括し、下から上がってくる報告を聞き、判断を下す。
リウ協会のような戦争専門の組織では、その判断の重みはなおさら大きい。
一つの指示で、フィクサーたちの生死が変わることもある。
それを、ヤエノムテキは軽く受け取るような性格ではなかった。
「さてと、明日の予定は……」
彼女は手帳を開く。
数日分の予定を一つずつ確認し、最後のページへ目を移したところで、ふと指先が止まった。
「……おっと、明日は休暇日でしたか」
少しだけ目を細める。
「……なら、久しぶりにバンブーさんのところにでも行きましょうか。元気だと良いのですが……」
バンブーメモリー。
ツヴァイ協会長。
そして、ヤエノムテキにとっては昔からの友人でもある。
彼女は手帳を閉じ、ひとまず帰宅の準備を始めた。
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翌日。
ヤエノムテキは、友人の自宅を訪れていた。
「お久しぶりです、バンブーさん。お元気でしたか?」
玄関先で迎えたバンブーメモリーは、以前よりも落ち着いた表情をしていたが、その目の奥には、相変わらず熱いものが灯っていた。
「はいっす! ヤエノもリウ協会の仕事頑張っているようで何よりっす!」
バンブーメモリー。
第2協会ツヴァイ協会の協会長。
以前、精神的に追い詰められ、ねじれになるという大きな事件を起こしたが、そこから立ち直り、今は停職処分中の身である。
それでも、どこか不屈の気配は失われていなかった。
ヤエノムテキは、家の中へ案内されながら少しだけ安堵したように言った。
「……貴女がねじれになった件からひと月以上経ちましたが、今のところは心配いらないようですね。停職中も大人しくしているようで」
「うっ……その節は大変お世話になったっすね……」
バンブーメモリーは、少しだけ頭をかいた。
「ツヴァイ協会は、今はフェノーメノさんが頑張って守ってるっす。協会長の職務もしっかり代行してるっすし」
ヤエノムテキはうなずく。
「ええ。でも、だからといって貴女がいなくてもいいというわけではありませんよ。フェノーメノさんが頑張れているのは、貴女の留守を守るという目的意識が強いことが要因ですから」
バンブーメモリーは少し照れくさそうに笑った。
「あはは……メノさんもお堅い人っすからね。……それが良いところでもあるっすけど」
「ええ、そうですね」
リウ協会長とツヴァイ協会長。
片や戦争、片や治安維持。
協会の専門は違っても、“組織を守る”という意味では同じだった。
バンブーメモリーは、少し真剣な表情になる。
「あたしが復帰したら、今度は二度と同じ過ちはしないっす。……みんなでツヴァイを守るって教えられたっすからね」
「またねじれになったりしたら困りますからね」
「うっ……わ、分かってるっす!」
ヤエノムテキの言い方は穏やかだったが、その言葉には確かな現実味があった。
ねじれは一度起きれば、元に戻るまでの道のりが長い。
そして、戻れない者もいる。
だからこそ、バンブーメモリーは今も休職中なのだ。
その時。
\ピンポーン/
「おや、誰っすかね? ちょっと見てくるっす」
「ええ、どうぞ」
バンブーメモリーが玄関へ向かう。
しばらくして、彼女は一人の中年男性を連れて戻ってきた。
「今戻ったっす」
「おや、バンブーさん。そちらの方は?」
「ああ、紹介するっす。ツヴァイ協会南部1課強行犯係のエドガーさんっすよ」
その名を聞いて、ヤエノムテキはわずかに目を細めた。
「初めまして。エドガーです。お初にお目にかかります、ヤエノムテキ協会長」
「貴方がエドガーですか。噂は聞いてますよ。南部ツヴァイ協会の最強フィクサーだとか」
「最強かどうかはともかく、私自身、そんじょそこらの組織の連中に負けないようには鍛えています」
落ち着いた口調だったが、そこには確かな自負がある。
ただ力を誇るだけではない。
己の役目を理解し、そのために鍛錬を積み重ねてきた者の声だった。
バンブーメモリーは、まるで自分のことのように誇らしげに胸を張る。
「エドガーさんは本当に凄いんすよ! 何しろ、あのベスパ・クラブロとも戦った経験があるんすから!」
「ほう、黄色い銛と……ですか」
ヤエノムテキの脳裏に、その名が浮かぶ。
ベスパ・クラブロ。
フィクサーの中でも有名な存在で、かつて最年少で1級フィクサーに昇格し、一時期はN社のタブーハンターも務めた経歴を持つ。
現在は特色フィクサー「黄色い銛」として名を馳せる、伝説級の一人だ。
そんな相手と戦ったことがあるというのなら、エドガーの実力も並ではない。
ヤエノムテキは、素直に感嘆した。
「ええ、図書館の事件の頃に。セブン協会のモーゼスとかいうフィクサーと一悶着あった末に戦いました。
当時でもあいつは有名だったが、私から見れば経験が足りていない未熟者としか言えませんでしたね」
「未熟者……」
ヤエノムテキは静かに目を見張る。
彼女の記憶では、当時のベスパ・クラブロはすでに1級フィクサーだったはずだ。
それを“未熟者”と切って捨てるということは、それだけエドガー自身の視点が高いのだろう。
「……バンブーさん、エドガーさんはまだ色は付与されていないんですか?」
「そうっすね。今のところはまだっすよ」
エドガーは少しだけ視線を落としながら答える。
「南部支部の復興などで最近は忙しいので、ハナ協会の審査を受ける暇がありません。バンブー協会長の留守を守る役目もありますしね」
ヤエノムテキはその理由にうなずいた。
「では、今日来たのもバンブーさんの見舞いですか?」
「そうです。あとは、協会長が何か仕事したりしていないか、フェノーメノ代行から様子を見るように言われたので」
バンブーメモリーは、勢いよく手を振る。
「うっ……流石にしてないっすよ……!」
「なら良いです」
エドガーの返答は短かったが、それ以上の意味を含んでいた。
叱責ではなく、確認。
そして、それが終われば、それ以上は踏み込まない。
バンブーメモリーは少しだけ肩を落とし、それから笑った。
「もう……エドガーさんには敵わないっすね……」
ヤエノムテキは、そのやり取りを見ながら静かに思う。
この男は、ただ厳しいだけではない。
守るべきものを守るために、あえて厳しくしているのだ。
その目には、確かな忠誠心と信頼があった。
エドガーはバンブーメモリーへ向き直る。
「……それでは私はそろそろお暇します。バンブー協会長、お元気で。ヤエノ協会長も、会う機会があればまた」
「はいっす! エドガーさんも頑張って欲しいっす!」
「ええ、また会いましょう」
エドガーが玄関へ向かい、家を出ていく。
その背中には、ツヴァイ協会南部の重みがそのまま乗っているようだった。
しばしの沈黙のあと、ヤエノムテキが口を開く。
「……エドガーさんですか、中々手強そうな方でしたね」
バンブーメモリーは、どこか誇らしげに笑った。
「実際、五本指相手にも物怖じしない人っすからね。あたしとしては、次にツヴァイ協会から特色が出るならエドガーさん以外いないと思ってるっす!」
休職中の協会長と、その留守を守る精鋭。
そして、それを見守る別協会の協会長。
都市では、立場が違っても、誰かを守るために強くあろうとする者たちがいる。
その姿は、派手ではない。
だが確かに、都市を支える力だった。