T社20区 郊外
T社――正式名称はTime Track社。
その名の通り、時間に関わる特異点を保有する翼であり、「時間」をどう配分し、どう消費するかを都市の中でも独特の形で管理している。
T社20区では、その影響が生活の隅々にまで及んでいた。
貧富によって一日の時間の長さが違う。
空間と光までが管理され、都市の景色から色彩は奪われ、全体がモノクロあるいはセピア調に沈んでいる。
どこか現実離れした、しかし都市らしい冷たさのある土地だった。
そんな20区の郊外に、ラヴズオンリーユーたち4人――そしてアグネスデジタルが向かっていた。
平原を歩きながら、クロノジェネシスが少し顔色の悪いデジタルに声をかける。
「……デジタル支部長、そのセントサイモンさんって血鬼はそんなに怖いんですか?」
「ええ……何回か会ったことはあるんですけど……怖いというか、関わりたくないというか……」
アグネスデジタルは、思わず肩をすくめた。
「会うだけで寿命が数年持ってかれるようなオーラがあるんですよ……一応、無闇矢鱈に人を殺すような人じゃないんですけどね……」
グランアレグリアが横から覗き込む。
「ラヴズちゃんって、何回か血鬼関連の案件は受けたことあったよね?」
ラヴズオンリーユーは、少しだけ思い出すように目を伏せた。
「ええ。でも、私が倒した血鬼は良くて第4眷属以下だったから、そこまで強いとは思わなかったわ」
カレンブーケドールが不安そうに尋ねる。
「セントサイモンさんは確か……第一眷属なんですよね……」
アグネスデジタルは深く息を吸ってから、説明を始めた。
「ええ、20区の血鬼を管理する長老で、血鬼の家門のひとつ『サイモン家』の家長です」
クロノジェネシスが首をかしげる。
「家門……?」
「簡単に言えば、長老血鬼である第一眷属から生まれた血鬼の家系ですね」
デジタルは資料めいた口調で続ける。
「第一眷属を含めた全ての血鬼は、その生涯において2人まで眷属を作ることが出来るんです。で、その第一眷属から連なる眷属の血筋を家門と呼ぶんです」
グランアレグリアが、少しだけ目を輝かせる。
「確か血鬼って、人間を血鬼に変えて眷属にするんだよね。下位眷属になるほど弱くなるんでしょ?」
「そうです」
アグネスデジタルは頷いた。
「ちなみに、下の眷属が上位眷属に逆らうのは御法度です。これは血鬼の本能ともいうべきもので、血鬼が人間を眷属にした場合、眷属にされた側を子、した側を親として家族の繋がりが出来るので、絶対に逆らえなくなるんです」
少し言いづらそうに、しかし正確に。
「これは直接的な親以外にも、上位の眷属全員に対して逆らえなくなるので、血鬼というのは長老の規律に従わざるを得ないんです。……まあ、それでもたまに暴れる血鬼もいるんですけどね……有名どころなら、かつて都市の星に指定された『血染めの夜』辺りでしょうか……」
グランアレグリアがすぐに反応する。
「それって、大昔に4000人近く殺害したっていう都市の星だよね……」
「そうです」
デジタルは、なおも淡々と続けた。
「ある第一眷属の血鬼だったそうですが、伝説の特色フィクサー黒い沈黙と、その相方の1級フィクサーが2人掛かりでギリギリ倒せたほどの相手だったそうです」
クロノジェネシスが、少し息を呑む。
「じゃあ、これから会うサイモンさんも、もし戦えばそれぐらい強いということですか?」
「そうですね〜……サイモン家は血鬼の家門の中では武闘派寄りらしいので……まあ、あまり怒らせない方が良いとだけは言っておきます……」
ラヴズオンリーユーは、短くうなずいた。
「……気を引き締めましょうか」
そして5人は、平原の向こうに聳える巨大な屋敷へたどり着いた。
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「ここがセントサイモンさんの屋敷です!」
アグネスデジタルが、半ば震えるような声で告げる。
「うわあ……凄く大きい……」
グランアレグリアが素直に感嘆する。
クロノジェネシスも、少し引き気味に屋敷を見上げた。
「いかにもって場所ですね……」
カレンブーケドールは、隣のラヴズオンリーユーを見上げる。
「ラヴズさん……私たち……大丈夫なんでしょうか……」
ラヴズオンリーユーは、少しだけ前を見たまま答える。
「大丈夫よ。いざという時は守るわ」
その言葉は、以前の彼女なら出せなかった種類のものかもしれない。
けれど今のラヴズオンリーユーは、誰かを守ることを、少しずつではあるが選べるようになっていた。
門が開く。
屋敷の中から現れたのは、一人のウマ娘だった。
一見すると普通だが、赤い瞳と縦長の瞳孔――血鬼特有の特徴を持っている。
「お久しぶりですね、デジタル支部長。今日は見慣れない方々もいるようで」
アグネスデジタルは、明らかに声が上ずる。
「ど、どうもジュビリーさん……お久しぶりですね」
ダイヤモンドジュビリー。
セントサイモンの血筋に連なる第二眷属。
見た目は穏やかな白髪長髪のウマ娘だが、その内面には人をなんとも思わない冷たさがある。
いわばインテリヤクザのようなタイプだ。
「母上様は既にお待ちです。どうぞ中へ」
彼女の案内で、5人は屋敷へ入る。
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屋敷の内装は、まるで英国貴族の邸宅だった。
豪奢で、整然としていて、そしてどこか“格”がある。
都市の上位階級の空気が、そのまま建物になったような場所だった。
廊下やホールには大勢の血鬼がいる。
だが、ダイヤモンドジュビリーの姿を見ると、彼らは恭しく礼をして道を開ける。
その統制の行き届き方は、普通の組織とはまた違う種類のものだった。
グランアレグリアが小声で囁く。
「……デジタル支部長、一応聞くけど、この人って……」
「ええ……セントサイモンさんの直系、第二眷属のダイヤモンドジュビリーさんです……こう見えて滅茶苦茶怖い方なので、怒らせないようにしてください……」
ダイヤモンドジュビリーが、ぴたりと足を止めた。
「聞こえてますよ」
「ひえっ! え、えっとその……!」
「ふふ、そんなに私や母上様が怖いですか? 支部長なのに相変わらず肝っ玉の小さい方ですね」
アグネスデジタルは、完全に縮こまる。
「うう……だってあの方、圧が凄いんですよ……」
「まあ確かに、母上様の気難しさは第二眷属の私でも測りきれていませんからね」
それでも、ジュビリーの声には侮りや苛立ちではなく、むしろ慣れた諦めに近いものがあった。
「今日は依頼の話だけですので、直ぐに帰れますよ」
「ソ、ソウデスカ……」
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数分後。
一際目立つ扉の前に、一行は立っていた。
ダイヤモンドジュビリーがノックをする。
「母上様、ディエーチ協会の方々をお連れしました」
部屋の奥から、低く静かな声が返る。
「……入れ」
ガチャ、と扉が開いた。
そこにあったのは、玉座めいた椅子に座る一人のウマ娘。
対面した瞬間、ラヴズオンリーユー以外の4人は、心臓をぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
セントサイモン。
T社20区の長老にして、第一眷属の血鬼。
その存在そのものが圧であり、視線だけで空気を支配するような相手だった。
「……久しぶりだな、アグネスデジタル支部長。それと……初めて見るのが4人いるな。大方、護衛といったところか?」
クロノジェネシスは内心で息を呑む。
(い、息苦しい……! このウマ娘が第一眷属のセントサイモン……!)
グランアレグリアは、笑顔を崩さないようにしながらも冷や汗をかいている。
(確かに凄いオーラ……! 怖さ無限大マイルだよ……!)
カレンブーケドールは、気を抜けばその場で気絶しそうなほど圧倒されていた。
(視線だけで……気絶しそうです……!)
アグネスデジタルは、かろうじて声を絞り出す。
「は、はい! 最近ディエーチ協会に入った特色フィクサー『黒緑の愛』ラヴズオンリーユーと、その仲間の皆さんです!」
セントサイモンの目が、わずかにラヴズオンリーユーへ向く。
「ラヴズオンリーユー……ああ、数ヶ月前東部で暴れたという奴か。なるほど、特色なだけあって肝はあるようだな。俺を前にして怯まないとは」
「ええ、一応血鬼と戦った経験はあるからね」
「言っておくが、俺はそんじょそこらの血鬼とは比べ物にはならんぞ。せいぜい大人しくしておくことだな、小娘」
ラヴズオンリーユーは、まっすぐに言い返した。
「……仲間に手を出さないなら、何もしないわ」
その返答に、セントサイモンは鼻で笑う。
「ふん……さて、アグネスデジタル支部長。依頼の件だったな」
「は、はい……その〜、ディエーチ協会に依頼とは一体なんでしょうか……?」
セントサイモンは、ジュビリーへ目をやった。
「ジュビリー、あれを」
「はい」
ダイヤモンドジュビリーが、脇に控えていたそれをアグネスデジタルへ差し出す。
それは、何かの額当てのような形状をした遺物だった。
「これは……?」
「マンブリーノの兜、という遺物らしい。数ヶ月前に16区から回収したものだ」
ダイヤモンドジュビリーが説明を引き継ぐ。
「デジタル支部長は、3ヶ月ほど前に討伐された都市悪夢『ラ・マンチャランド』をご存知ですか?」
「もちろんです、確かP社16区で発生した都市悪夢ですよね?」
「その通り」
セントサイモンが低い声で続ける。
「元々ラ・マンチャランドは、16区の長老血鬼だったドンキホーテという奴が創設した遊園地だ。200年ほど前までは普通の遊園地だったが、所詮は夢見がちな愚か者の計画よ。あっさり頓挫して、そこの従業員だった血鬼連中は人を襲うようになった。そして最後は討伐された」
ダイヤモンドジュビリーも頷く。
「ええ、そしてラ・マンチャランドの運営が途中で狂い始めた原因が、下位眷属の血鬼たちによるドンキホーテさんへの反乱だったそうです」
アグネスデジタルが目を瞬かせる。
「反乱? でも血鬼は、下位眷属が上位眷属に逆らうのは出来ないはずじゃあ……」
「左様」
セントサイモンは淡々と答える。
「しかし実際に反乱が起きた以上、我々としてはその原因を探らねばならなかった。そこで16区で調査をした結果見つけたのが、このマンブリーノの兜だ」
ダイヤモンドジュビリーは、少しだけ声を低くする。
「ただ、我々は遺物の分析は苦手ですから、ディエーチ協会にこの遺物の分析を依頼したいのです。場合によってはディエーチ協会での保管もお願いします。もしこれが反乱の原因なら、我々が持ってるとうっかりが起きかねませんからね」
「わ、分かりました……! これの分析をすればいいんですね……!」
セントサイモンは、満足したのか、それともただ話を終えたいだけなのか、椅子に深く身を預けた。
「うむ……言っておくが、万が一にも紛失はするなよ? そうなれば……覚悟しておくことだな」
「も、もちろんですぅ!」
「では今日は下がって良い。さっさと帰れ」
こうして、セントサイモンからの依頼は無事に受理された。
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アグネスデジタルは遺物を受け取り、5人は屋敷を後にする。
平原に戻ると、ようやく少しだけ呼吸が楽になった。
グランアレグリアが胸を押さえながら言う。
「うわあ……滅茶苦茶怖かった……本当に圧が凄い人だったね……」
クロノジェネシスも、少し遠い目をしている。
「確かに……寿命が数年縮んだような気がしましたね……」
カレンブーケドールは、まだ落ち着かない様子で周囲を見回した。
「ええ……でも、依頼自体は問題なさそうですよね。遺物の分析と保管の依頼なんですから」
アグネスデジタルは、やっと少し顔色を戻した。
「そうですね……ひとまず南部支部に戻ったら早速分析します。ラヴズさんたちも付き添いありがとうございました! 東部支部でも頑張ってくださいね!」
ラヴズオンリーユーは静かにうなずく。
「ええ、デジタル支部長もお気をつけて」
そうして、ラヴズたちとデジタルは別れ、それぞれの支部へ戻っていった。
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アグネスデジタルは、遺物を抱えながら歩く。
怖い。
だが、重要な依頼だ。
そして何より、ディエーチ協会にとっては、こうした知識の積み重ねこそが価値になる。
「……ひとまず、南部支部に戻ったら分析ですね」
そう呟くと、彼女は少しだけ背筋を伸ばした。
いつもの自己評価の低さはある。
だが、少なくとも今は、支部長としてやるべきことがある。
その背後では、ラヴズオンリーユーたち4人もまた、静かに新しい仕事へ向けて歩き出していた。