ディエーチ協会東部支部 分析室
ラヴズオンリーユーたちがセントサイモンの屋敷から戻ってきてから、数日が経っていた。
東部支部の一室――書庫に隣接した分析室では、遺物の調査が続けられていた。
部屋の中央には、あの不可思議な額当て状の遺物、**マンブリーノの兜**が厳重に保管されている。
その周囲には、慎重に組まれた観測器具。
記録板。
簡易の保護枠。
そして、万が一の異常に備えた封印手順。
既に南部支部である程度の分析はしてあるのだが、メジロドーベルの要請で東部支部でも再分析することになったのだ。
机の前では、メジロドーベルが報告書をめくりながら、静かに眉を寄せていた。
「……見た目は、やっぱり額当てね。兜というより、頭部に装着する補助具って感じ」
隣では、南部支部長アグネスデジタルが資料を抱えたまま、少し青い顔でうなずく。
「そうなんです……ですが、内部構造が全然わからないんですよ……構成素材も、反応も、かなり変で……」
「変というと?」
「普通の遺物なら、何らかの特異点技術とか、異常素材とか、そういう“説明できる異常”があるんですけど……これは、どっちかというと“認識そのもの”に干渉してる感じなんです」
デジタルは、そう言って観測ログを示した。
グランアレグリアがその数字を覗き込む。
「認識そのもの?」
「はい。正確には、“被った人物を見た周囲の認識”がずれるんです」
クロノジェネシスが、少しだけ身を乗り出した。
「ずれる、というと……?」
デジタルは、慎重に言葉を選ぶ。
「簡単に言うと……“この人は自分と同じ身分の存在だ”と認識してしまうんです」
一瞬、空気が止まった。
カレンブーケドールが小さく息を呑む。
「それって……つまり……」
「ええ」
メジロドーベルが、そこを引き取る。
「上下関係が、曖昧になるってことね」
ラヴズオンリーユーは、黙って分析用の保護枠を見ていた。
その目は、何かを思い出すようでいて、しかし冷静でもあった。
デジタルはさらに資料を読み上げる。
「効果はかなり強いです。人間に対しては、見た相手の身分や立場を“同格”として認識させる。
血鬼に対して使えば、上位眷属を下位眷属が“上位者”として認識しなくなる……つまり、血鬼社会の上下秩序そのものを崩壊させる危険性があります」
グランアレグリアが目を丸くする。
「え、それってめちゃくちゃ危なくない?」
「危ないどころじゃないわ」
メジロドーベルが即答した。
「血鬼って、身分差と本能による服従で成り立ってる部分が大きいでしょ。そこを壊したら、家門そのものが瓦解しかねない」
クロノジェネシスは、静かに整理する。
「つまり、ただの武器じゃなくて……血鬼の掟を無効化する遺物、ということですね」
「そういうことです」
デジタルは何度も頷いた。
「しかも厄介なのが、“本当に平等にする”わけじゃないことなんです。
周囲の認識を歪めて、上下を分からなくするだけ。
だから、装着した本人の実力や立場が変わるわけじゃないのに、周りが勝手に“同格”だと思い込むんです」
ラヴズオンリーユーが、そこで口を開く。
「……ドンキホーテが宝物として持ち帰った、という話だったわね」
「ええ」
デジタルは資料の別ページを開いた。
「伝承では、“被るだけで他者と平等になれる”とされていたそうです。
でも実際には、その“平等”はかなり危うい。
被る側にとって都合のいい平等じゃなくて、他者の認識を強制的に引きずり下ろして成立する平等です」
メジロドーベルは、静かに目を伏せた。
「……なるほど。だからラ・マンチャランドで反乱が起きたのね」
「ええ」
デジタルはうなずく。
「下位眷属が上位眷属を“上位者だと認識できなくなる”なら、血鬼の掟も本能も通用しません。
それが起点になって、ドンキホーテさんへの反発や、組織内の綻びが一気に表面化した……そう考えるのが自然です」
カレンブーケドールは、少しだけ震えるように言った。
「そんなものが……遺物として存在してたんですね……」
「ええ。しかも、これをサイモン家が気にしていた理由もよく分かります」
デジタルは少しだけ声を低くする。
「血鬼にとっては、上下関係は“文化”というより“生存基盤”みたいなものです。
そこにこの遺物が入り込めば、家門は簡単に壊れます。
だからこそ、セントサイモンさんたちは分析をディエーチに依頼したんだと思います」
その言葉に、部屋の空気が少し重くなる。
ラヴズオンリーユーは保護枠の中の兜を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……壊れるようにできている、というより……壊してしまう道具なのね」
メジロドーベルは頷く。
「ええ。危険すぎるわ。これ、下手に扱うと本当にまずい」
デジタルも同意する。
「なので、分析結果をまとめた上で、保管方針を協会長に提出するつもりです。
少なくとも、支部で無造作に持てる代物ではないですね……」
---
数時間後。
同じ東部支部の支部長室。
メジロドーベルは、ゼンノロブロイへ分析結果を報告するため、端末の前に座っていた。
その隣には、ラヴズオンリーユーたち4人も控えている。
通話がつながる。
『……はい、こちらゼンノロブロイです』
「協会長、遺物の分析結果が出たわ」
『ありがとうございます。どうでしたか?』
メジロドーベルは、資料を見ながら端的に説明する。
「かなり危険。見た目は額当てっぽいけど、実態は認識阻害型の遺物ね。
被った相手を見た周囲が、“同じ身分の存在”として認識するようになるの」
通話の向こうで、わずかな間が空いた。
『……なるほど』
ゼンノロブロイの声の調子が、少しだけ真剣になる。
「血鬼に使えば、上下関係を崩せるってわけね」
『ええ』
「セントサイモンさんが気にしたのも納得だわ。
下位眷属が上位眷属を“上位者”として見なくなれば、血鬼の秩序そのものが揺らぐもの」
『……そこまで危険な遺物でしたか』
「ええ。保管はディエーチで続けるけど、取扱いはかなり慎重にした方がいいわ」
『分かりました。大変助かります。今後の分析もお願いします』
「任せて」
通話が切れる。
---
その日の夜。
支部の灯りが落ちたあとも、ラヴズオンリーユーは少しだけ書庫の方へ足を運んでいた。
夜の静かな書庫。
その奥で、彼女は保管庫の向こうに封じられたマンブリーノの兜を思い返していた。
「……平等、ね」
誰かの声がない部屋で、彼女はひとり呟く。
かつての自分は、“愛”という言葉を振りかざして壊していた。
その時は、自分が正しいとすら思っていなかった。
ただ、止まれなかった。
今なら分かる。
“人を同じに見る”ことは、優しさにもなり得る。
でも、強制された平等は違う。
それは優しさではなく、秩序の破壊だ。
ラヴズオンリーユーは静かに息を吐く。
「……私は、あれに飲まれなくてよかったわね」
そう言って、彼女は書庫を後にした。
その背中は、以前より少しだけ落ち着いて見えた。