ハナ協会 東部支部 休憩室
第1協会、ハナ協会。
その東部支部の休憩室では、昼休みの空気がゆるやかに流れていた。
各課のフィクサーたちは食事を取り、あるいは仮眠を取り、あるいは雑談に興じている。
都市の最上層に位置するハナ協会の支部であっても、昼の穏やかさだけは他と変わらない。
そんな中、東部2課部長のラインクラフトが、にやにやと笑いながら隣へ身を寄せた。
「それでシーザリオ、支部長との交際はどんな感じ? ようやく付き合えたんだから教えてよ〜」
「く、クラフト! 声が大きい……! 私だって付き合えて嬉しいけど、そんなに自慢するほどじゃないし……!」
東部3課部長シーザリオは、珍しく顔を赤くしていた。
普段なら厳しくも凛とした雰囲気をまとっているが、今日は完全に“オフ”の顔だ。
エアメサイアが微笑む。
「ですが、シーザリオさんとクリスエス支部長が恋人になれたのは素敵なことです。久しぶりの明るい話題ですからね。フィクサーたちも噂してますよ」
東部2課部長のラインクラフト、東部5課部長のエアメサイア、東部3課部長のシーザリオ フィクサーとしての同期3人の彼女たちは現在東部支部で噂のシーザリオと東部支部長シンボリクリスエスの恋愛関係の話に花を咲かせていた
「クリスエス支部長って普段は無口で表情も堅いけどシーザリオと一緒にいる時はあからさまに柔らかくなるよね〜。」
「ええ、それにクリスエス支部長といえばハナ協会長スピードシンボリ様のご親戚、玉の輿じゃないですか」
「ちょ、ちょっと! 玉の輿とかそういうのじゃなくて……! 私とクリスエスさんは、互いに好きって気づいたから……付き合っただけで……!」
「分かってるよ、シーザリオとクリスエス支部長は相思相愛だもんね〜」
「……うん……♡」
恋愛の話題に、シーザリオはすっかり上機嫌だった。
オンの時の鋭さは影を潜め、今日だけは幸せそうな顔が浮かんでいる。
その時、休憩室の扉が静かに開いた。
「おや、皆さんお集まりでいかがしましたか?」
東部6課部長、ダイイチルビーだった。
整った所作に、上流階級らしい気品を漂わせたまま、静かに輪の中へ入ってくる。
「今シーザリオとクリスエス支部長の恋バナをしてたの!」
ラインクラフトが楽しそうに答えると、ルビーは薄く目を細めた。
「そうですか。……シーザリオ部長、噂は私の耳にも届いていますが……支部長とのお付き合いはいかがですか?」
「ルビーさんまで……まあ今のところは順調かな、クリスエスさんも嬉しそうだし……」
「それは何よりです。……ですが、都市は一寸先は闇が続く場所です。浮かれすぎないようにするのをおすすめします。恋愛関係が上手くいっている時ほど、死亡フラグに繋がりかねませんから」
「は、はい!」
シーザリオはすぐに背筋を伸ばした。
ルビーの言葉には、冗談のようでいて妙な重みがある。
ラインクラフトが小さく笑う。
「ルビーさんが言うと説得力が違うよね……」
エアメサイアも頷いた。
「確か、ケイエスミラクルさんとは今も一緒に住んでいるんですよね?」
「ええ。ミラクルさんとは遠距離恋愛でしたが、ピアニストの一件以降、私が用意した住まいに移りました」
「ピアニストか……あの惨劇ももう3年前なんだね」
エアメサイアの言葉に、休憩室の空気が少しだけ静まる。
ダイイチルビーは、わずかに視線を落とした。
「今更ですが、私もよくあの場所から生きて帰れましたよね。あの事件では約30万人の犠牲者が出たというのに……」
「ルビーさん……」
「正直、あの地獄では死を覚悟しました。ですが、ミラクルさんがあまりに自己卑下をなさるので、逆に“何がなんでも生きて帰る”という気持ちになりました」
その言葉に、シーザリオたちは黙って耳を傾けた。
ルビーの声は落ち着いている。だが、その奥にはまだ、当時の熱が残っている。
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3年前 I社9区 裏路地
あの日、I社9区の裏路地には音楽が満ちていた。
いや、音楽と呼べるものだったのは最初だけだ。
ピアノの旋律が流れるたび、建物は崩れ、行き交う人々は次々と“音符”へ変貌していく。
そこはもはや街ではなく、狂った芸術家が作った地獄そのものだった。
その惨禍の中を、ダイイチルビーは傷だらけのまま歩いていた。
肩には、恋人であるケイエスミラクルの身体を支えている。
「はぁ……はぁ……! 一体……この惨状は……何が起こっているんですか……!? ですがまずは逃げなくては……!」
「……ル……ビー……」
「ミラクルさん、あと少しです。あと少しで9区を抜け出せますから……もう少し頑張ってください……!」
「……ルビー……おれのことは……もう置いていってよ……」
「な、何を言っているんですか……! 置いていけるわけないでしょう……! 9区さえ抜け出せば安全な場所に逃げれますから……!」
ケイエスミラクルは、苦しげに息を吐いた。
「ルビー……おれ、ルビーの恋人で幸せだったよ……お願いだからルビーだけでも生き延びて……このままだとルビーもやられるから……おれが死んでも……ルビーにはきっとまた素敵な人が出来るから……」
その言葉で、ルビーの表情が変わる。
パァン!
乾いた音が、裏路地に響いた。
ルビーが、ミラクルの頬を叩いたのだ。
「る、ルビー……?」
「……こんな時まで、貴女は自己卑下なさるんですね……! それだと、駆けつけた私が馬鹿みたいになるじゃないですか……!」
その瞳は、いつもの冷静さの奥に、はっきりとした怒りを宿していた。
「私は貴女のことを愛してるのに……! こうなったら意地でも連れて帰ります……! その後はお説教です……!」
「で、でも……」
「……しばらく話さないでください。文句はここから脱出してから聞きますので……!」
その言葉には、もはや命令以上の重みがあった。
愛する相手を諦めないという、極めてルビーらしい、しかし珍しく熱のこもった宣言だった。
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現在
「……あの後なんとかピアニスト事件の現場からは逃げ延びて、その後ミラクルさんには徹底的にお説教しました。あの方の心優しい性格は美徳ですが、自己否定と自己犠牲精神だけは短所です」
ルビーは、淡々と話を締めくくった。
「でも、今は無事に生きてるんだし、良かったよね」
ラインクラフトがほっとしたように言う。
「ルビーさんも無事で良かったですよ。9区で都市災害が発生したってハナ協会に報告が入ると、途端に飛び出していったんですから……」
「ええ……あの一件では始末書を書きました。その点は反省しております」
「……ミラクルさんとの今の生活は、どんな感じなんですか?」
シーザリオの問いに、ルビーは少しだけ表情をやわらげた。
「ええ……今は穏やかに過ごせてます。ミラクルさんと時々一緒にピアノを弾くのが、休日のささやかな楽しみでもあります。ピアニストのピアノと違って、あの人のピアノの音色は儚くも美しく、優しいものですから」
「そうなんですね、素敵ですよ」
「ですが……あの方の自己卑下は相変わらずなので困ったものです……」
ラインクラフトが苦笑する。
「あはは……それは……ルビーさんがどうにかするしかないかな……」
ダイイチルビーは、ほんの少しだけ困ったように目を伏せた。
だがその口元には、確かな柔らかさが残っている。
都市は残酷だ。
だが、それでも失ったものの先で、誰かを愛し続けることはできる。
そして、それができる人間は、都市ではそう多くない。